ジャズ・ジャイアンツ

当時の誌面をそのまま使っているので当時の空気感が伝わってきます。写真もテンコモリ。字体文体イラストがある意味斬新、広告とかはなかなかに笑撃的。「グヤトーンの電気ギターに、グヤトーンのアンプを!!」「ショルダーアンプ・ユニペット(6石トランジスタ、肩にかけ海でも山でも)」。原信夫暑中見舞い広告。
66年コルトレーン日本公演の感想。泣き笑い。
白木秀雄

(略)しかし、コルトレーンの場合、確かにすばらしいと感じながら、わからないという気持も同居しております。こういう一派はあっていいし、これから主流となるジャズなのでしょうが、既成の音楽観念ではついていけません。すばらしいと感じながら、わからないのが非常に残念に思います。(略)

中山信一郎

(略)一言にしていえば,コルトレーンのジャズは宗教的な儀式である。全体を通して,彼が示した,絶対的な,敬虔な音楽とその演奏スタイルは,ダイヤローグのまったく成立しない,多分,彼の心酔者だけが理解できる芸術ではないのか。何者かへの祈りの音楽ではなかったか。(略)
このコルトレーン音楽は,現代芸術が必然的に通過しなければならない過程である。だから,観念的には正しいにちがいない。このコルトレーンの閉鎖的なジャズは,60年代の世界が空虚であるように,まったく空しい。まさに60年代のあらゆるトップ芸術(むろんぼくは批判したい)がそうである意味において,ぼくは,この音楽を否定する。ぼくにとって,コルトレーンは<裸の王様>であった。

高柳昌行

(略)コルトレーンの音楽に接し私は久し振りに大なる感動を覚え叱咤激励されたが,生演奏における初めての体験である。(略)
ところで多くの人々は「コルトレーンの音楽」を聴いたのだろうか!当世流行の行為だの,確認だの,手段とかの愚にもつかない自問自答をくり返している者に聴く力はない。コルトレーンの大きな名前とその凄絶な音響に圧倒され手も足も「耳」もないダルマになり下っている者や,言葉の遊びにふけるアブノーマルなオカマのような精神の腐ったやからに音楽を語る資格はない。まして,ひからびたままで己れの小さな殼に閉じこもったジャズメンは何を得たのだろうか? いたずらに生くる者らの悲しき魂。

稲垣次郎

(略)ある人は「デタラメと言われても仕方の無い音楽を,やっている」ということを書いたのを見たが,私は反対だ。コルトレーンが今までのパーカーより脱皮して常に前進して,やっと求めるものが見つかったというような気がするし,今の彼らにビートだとかフレーズにこだわる必要は無いと思う。(略)
[と言っておきながら]
全体を通じて私には難しく,エルビンマッコイの時が忘れられなかったことだ。
今のプレイよりデビス,モンクの時のようなプレイを聞いたら,私はきっと死んでいたかも知れない。

筒井康隆実弟、筒井之隆も読者投稿

(略)その感動はセックス・アピールにも似た純粋に肉体的なもので,芸術的なものではなかった。確かに聴衆を陶酔させる力はあるのだが(略)
彼ははたして我々に聞かせようとしているのだろうか? 満足のいくまで,忘我の境地になるまで吹きならすのは勝手だがそれまで我々に待てというのだろうか・彼の音楽がやっかいなのはそれを避けることが出来ない程我々の意識を繩縛し,ふぬけにしてしまう力を持っていることである。
だから彼の音楽は一種の音の強要である。可能性の追求という目的はそれ自体崇高なものだが,単なる運指法の限界をためすことに終ってほしくないし,また彼のジャズが不安と混乱で始まるのは自由だが,何とかそれを芸術的に昇華してほしいと思う。単なる不安と混乱の再現なら,現実だけでもうたくさんである。(略)

岩浪洋三

コルトレーンを最前列近くで聴いていたが,クライマックスに達すると,彼はよだれをたれ流して吹いていた。それは性行為のクライマックスを想像させるような演奏でもある。(略)
コルトレーンの演奏はジャズにおける即興演奏を究極まで追求した結果をみせてくれるようであり,聴き手もたしかに感動する。しかしコルトレーン自身はどうかしらないが,私は聴き終ってかすかな疲労感を覚え,少々ブルーなムードに襲われる。コルトレーンの演奏にはどう考えても間違っているところはない。ただ1つ言えることは,最近のコルトレーンは何か無理をしているのではないかという気がするのである。(略)

野口久光

(略)ジャズは芸術としてはまだ歴史も浅く若いが,目の前でジャズの視野に誇らしいひろがりをみせてくれるコルトレーンのスリリングな演奏に,昂奮と感動をおぼえないではいられなかった。(略)

1960年の最新NYジャズ情報座談会でのモンク評

高浜 ピアノはあの通りの素晴らしさでしよう。全く独特なんだ。そのピアノだけであとのモンクというのはつまりピアノ弾いていない時のモンクというのはまるでヨダレたらしている感じ(笑)
瀬川 全くそうですネ。悪いけどノータリン見たい。ウスノロかナ(笑)
久保田 こりゃひどい(笑)
瀬川 とにかく大奇人なんでしようがね,これは秋吉さんもいっていましたよ。ピアノだけのかんじ。これは勿論ものすごい。あとは駄目(笑)

そんなモンクが63年来日。

第一印象はまず写真よりもずっといい男だったということである。実に上品でいい顔をしていた。(略)
側近の話によると,モンクがコンサートで消えるなんてのは嘘だそうである。彼はコンサートの場合は遅刻したことさえないという。今まで来たモダン・ジャズメンで定刻通り幕のあいたのは,このモンクだけではないか。モンクの伝説はここで一つ破られたのである。

ステージで踊りまくるモンク。名古屋や京都ではツイスト風にくるくる廻った。

モンクは名古屋にいるときもっとも調子を出していたようである。はなはだ上機嫌となり,協調性に富み,モンクは楽屋でも踊りっぱなしだったという。(略)それが最高潮に達すると,突如一種の興奮状態に入り,モンクは何もわからなくなってしまったのである。そばにいた奥さんはものすごい勢でなだめにかかったが,モンクは興奮状態におち入ったままで我に返らない。ネリーは盛んにlt’s Sundy, you know ?とくり返し,ここは名古屋よ,と一生懸命説明するのだが,モンクはあらぬ方を向いたきり一向醒そうもない。

うーん、水谷良重

白木秀雄君の家でパーティがあった。奥さんの水谷良重ちゃんは只今「ドドンパ・ダンス」に御熱中。さっそくブレーキー先生にこのニュー・ステップを教えこむ。勿論たちまちブレーキー先生マスターしてしまう。そして踊るわ,踊るわ,もう御自分の踊りに自身熱狂した感じ。

62年三度目の来日にして初めて唄ったシナトラ。しかもそれはチャリティー・ショーにて。では本当の目的は。

シナトラは日本人なら大丈夫と思ったのか,いつものカツラを付けずに,ほとんど自毛のような感じでステージに上がっていたのを覚えている。その後,大人の週刊誌で吉原でのご乱行を知った。当時の日本は他の東南アジアの国々と同じようなステイタスだったから,来日するアーティストは専らそっちのほうの楽しみでツアーを行っていたのである。

時間が経つとシリアスより「ゆるい」インタビューの方が面白かったりするのが、なんとも複雑。日本人と結婚して「僕の奥さんは、僕のことモーガンって呼ぶんだぜ」とノロケまくるリー・モーガンウェイン・ショーターも帰国後日系三世アイリーン宮西との結婚を報告。

先月号でこのリー・モーガンの奥さんの写真までスクープした本誌を見て,モーガン君,「ヒェー,一体どこでこの写真手に入れたんだい? おどろいたネー」とよろこんだり感心したり。(略)彼の新作「ヤマ」は大変に評判がいい。たしかに独得の雰囲気があっていい曲だ。そこで聴いて見た。「ヤマってどういう意味なんだネ」「ヤマって君しらないのかい?そりゃマウンテンて事さ」これには一本やられた感じ。彼笑いながらつけたした。「僕の奥さん,山本というんだ。それで僕がワイフの事,ヤマ,ヤマって呼ぶんだよ。ヤマってつまり,奥さんの名前さ」

  • 1970年マイルス御宅訪問。リヴィングにはコルトレーンの写真が一枚だけ飾られていた。
  • 1963年、空港に現われた白いテンガロンの精悍な顔付きのソニー・ロリンズを力道山の対戦相手と勘違いする者も。脱げばモヒカン。ひょっとしてサイボーグ005のモデル?
  • マイルスのボクシング・トレーナーはラリー・ブラックモア(キャメオ)の父親。