美と礼節の絆・その2

前日の続き。

ひきこもりにならない自己修養

座の芸能は、独特の仕方で日本人の心と身体を陶冶した。美の修錬が目に見えぬ深みにふれることにより自己陶冶の経験へと転換されたのだが、こうして自己へと焦点を絞ることは孤立を意味したのではなく、その反対に、自己修養が社会参加を通じて行なわれたということが重要である。人間は他人と結びつき、交際し、社会化することで存在するのであって、光輝ある孤立のなかで自己を涵養し豊かにすることなど不可能だ。孤独な心性だけでは、既成の考え方や自己の限界を突破して新たな意識の領域へと自分を高めるのは容易なことではない。(略)
連歌のロジックは他の詩人たちとの深いやりとりを通じて、個人の心の限界を超える独自の方法を生み出した。

元祖コミケ。元祖ハウツー本。自費出版大歓迎。

徳川の日本における俳人たちの状況も、本当にプロとしてやっていける俳人は少なく、セミプロやアマチュアが圧倒的多数だったことは同じだろう。しかし主なちがいは、日本のアマチュア俳人たちは結構「よく見える」社会存在だったことだ。何しろその数はたいへんなものだった。徳川のアマチュアないしセミプロ俳人たちには、よく発達したネットワークという強みがあり、自分たちの作品を記録したり出版したりする手段も身近にあった。この時期にはプロばかりかアマチュア俳人でも、16世紀ヨーロッパの「飛行文書(パンフレット)」さながらの簡単な小冊子やちらしに、自分の俳諧を印刷してもらうことができた。日本の小冊子は安価で融通のきく木版技術で印刷されており、十分な冊数の俳諧アンソロジーが今日まで残っていて---多くは参加した俳人グループの自費出版だった(略)
商業出版書店は、セミプロやアマチュア俳人の句を載せた俳諧アンソロジー自費出版や一枚刷の句集を引き受けることが利益になると踏んでいた。その上、より商業的に出版された歳時記など俳諧技法の初心者向けガイドブックは、広汎な需要に支えられて書店にとって安定した需要が見込める種類の本で、一般大衆市場に溢れた。

素人句を集めプロが採点

応募料を取って素人句を集めプロに採点させ上位者には賞品などを出した仲介システムが大繁盛。

芭蕉は自分の熟達した高弟たちが、競技の判者となってその才能を切り売りすることを望まず、こうした流行の熱狂からは離れているよう忠告した。この点から考えれば、芭蕉は中世の座の伝統の内部に止まっており、自分の芸術は座のサークルで直接参加者に触れるべきもので、仲介人や出版屋といった媒介物を通すべきではない、と信じていた。
[弟子の其角の自嘲的な句]
詩あきんど年を貪る酒債*1
「おれが商うのは詩。短い命も借金も気にならぬ。だから一年を飲み明かすのさ」

越後のちぢみ仲買商がフライヤー配布

1800年、魚沼郡塩沢村に住む鈴木牧之という若い仲買商人が、かつてない大スケールの文芸プロジェクトを組織すべく、一念発起した。(略)彼は越後で全国の有名宗匠10人に判者を依頼し、大がかりな俳諧点取競技を立ち上げようと決心したのだ。(略)
誰でも応募料として一句につき16文を払えば、この野心的な催しに参加できるというわけだった。鈴木とその仲間たちは告知文を、おそらくは仲買の行商中に一戸ごと配布したのではないだろうか。八ヵ月のうちに、さまざまな身分、地域に属する男女から、なんと4022句の俳諧が寄せられた。(略)
牧之の激務はちらしの配布だけでは終わらなかった。彼は応募句のそれぞれにつき10枚の正確な複写---全部で4万枚以上!---を作成し、判者をつとめる有名な10人の俳諧宗匠にそれを送り届けた。これら判者たちは、江戸や大坂といった大都市から四国の讃岐まで日本全国に散らばっており、全員が越後からは遠く隔たっていた。10人の判者は応募句のそれぞれに、一から九までの段階で評点を付けた。判者が付けた評点を応募句ごとに集計して、299句が入賞となった。入賞者たちの句が印刷され、それを祝う特別の句会が行なわれた。入賞句は二枚の木板に彫りこまれ、現地の神社に奉納された。

江戸の一日

たとえば、働く男女は一日の労働を終えると、自分の居住地域のなかの幾百という私営浴場でひと汗流すことができて、近所の連中とひとしきりゴシップの花を咲かせた。いくばくかのささやかな現金収入に恵まれれば、町内の髪結床で最新流行の凝った髪型を結ってもらいながら、表通りを行く人の着物の最新のファッションを品定めすることもできた。初歩的な読み書きのできる人びとには、家に帰ると何百とある貸本屋から挿絵がたっぷり入ったベストセラーが届けられているかもしれない。心中や仇討ちといったセンセーショナルな事件は、たちまちのうちに人形浄瑠璃や、歌舞伎や、講談で取り上げられて商業的に上演され、それが人気を博せば新たに書物として出版される。人気俳優の個性的な装いのスタイルが模倣されて、やがてファッションのトレンドが生まれる。

夜も更けたので明日に続く。

*1:さかて