鮎川信夫の鶴見批判、アメリカ考

時評 (鮎川信夫全集)

時評 (鮎川信夫全集)

進歩主義者の限界」1969年12月

「戦争中個人的良心を守ることのみに専念して、祖国の破滅を傍観した」という家永三郎や「それさえしなかった」という鶴見に対し、誰にとっても「祖国の破滅」は救えなかったのだから

「あやまり」でも何でもないことに、「あやまりを犯した」などと言っても、誰も咎めはしないし、本人だって、言っていることは大袈裟でも、それほど良心に痛みを感じているわけではあるまい。このような発言を平気でするのは、戦争期のことが体験としては全く抜け落ちてしまって、戦争がもはや概念(それも間違った概念)としてしか頭の中に残っていないことを示している。そして、過剰なまでの良心的ポーズをとることによって、すっかり自己陶酔に陥ってしまっているのである。これを良心の声と見誤るとしたら、それは未熟者か、未経験者か、それともよほどの阿呆にかぎるであろう。
しかし、「なぜ、徴兵令状なんか破って棄てちまわなかったんですか?」などと真顔で質問したりする青年に出くわした場合、私は、「きみなんか、戦争期だったら、さしずめ特攻隊志願のくちだよ」と答えることにしているが、相手はただキョトンとするだけで、たちまちコミュニケーション不能に陥るといったことが度重なると、家永教授のような偽善的良心をもった学者に、つい文句の一つも言ってみたくなるというものである。

「四十以上の教師には、反戦のために努力していれば、生き残っていないはずだ」と言ってやれという鶴見に対し

鶴見教授の言に至っては家永教授の言を上まわる全くのナンセンスで、四十を過ぎてよくこんな幼稚園的な人物がいたものだと呆れざるをえない。「あの戦争に生き残った」のは、主として単に運、不運によるものであり、もちろんそのチャンスが公平であったとはいえないにしても、支配層に属する人間であろうと被支配層に属する大衆であろうと、日本人であるかぎり、ひとしく死に直面して毎日暮していたはずである。「生き残った奴にろくな奴いるわけない」というのは、死んだからいい奴だというのと同様、非論理的な全くの暴言であろう。「反戦のために努力していれば死んでいるんだ」という屁理窟を、その理由として挙げているが、これまた戦争体験から血肉を流出させてしまった者のみに可能な、一種の大言壮語というべきである。個人が単独で、または複数で「反戦のために努力」しようが、しまいが、あの戦争は起ったであろうし、「祖国の破減」は免れ難かったであろう。反戦運動をやって、そのために誰かが死のうと死ぬまいと、国家の運命とは何のかかわりもなかったにちがいない。それでも死ぬのが正しいというのなら、「どうぞ」というほかはないが、死ぬとはこれまた大袈裟で、鶴見教授だったら「反戦」のために大した努力もしないうちに癲狂院くらいには入れられたであろう。

表で失敗したから、裏でいこうという程度のものでしかなく、今はそれでいいけど、一皮めくるとどうなるかわからんよ、と鮎川。

もちろん、状況としての現在にどのようなイリュージョンを抱いていようと、それは各人の勝手である。しかし鶴見教授のようにそれを倫理的な意志にまで染色させ、情緒的に昂進させるとなると、戦前の軍国主義者のように仮想敵をせい一ぱい悪者に仕立て上げざるをえないようになる。日本浪曼派よりもさらに悪質だなと思われる点は、鶴見教授たちには生かじりの知識があって、無知な大衆を欺くことである。大衆の遅れた「部分」を、あたかも時代の先導的な「部分」であるかのように錯覚させる方法は、本質的に言って戦前の右翼の手口と全く変っていない。

吉本隆明による批判

そうそう前日の鶴見集の月報には吉本隆明の文章がのっていて、鶴見大衆学ともいうべき理念をつくりあげた「叡智」の人ですと持ち上げつつ、まあ、でも、「庶民」のことは本当にはわかってないけどねと落としてます。

わたしはあるときは、これは切れ味がよすぎるとおもったり、またあるときは、大衆というけれど、ほんとは大衆を知らないよとおもったりした。知識が大衆をとらえるとらえ方は、ほんとは微妙な配慮の問題に帰着する。このばあい「配慮」ということは大なり小なり理念化されているが「微妙」ということは理念になっていない。これは逆なのだ。「配慮」のほうは理念化されなくても、理念の外部から(たとえば経済社会の高度成長というような)ひとりでに解決のいと口がつけられてゆくにちがいない。でも「微妙」ということは、ぜひとも理念化される必要があるのに、わたしたちはいまだにそれがうまくできていない気がする。鶴見さんがときに既成の大衆理念の「配慮」の仕方で通りすぎようとしては「微妙」をあとから補足しようと苦心しているのをみると、そこは誰にとっても難関なところだな、といつも感じる。

アメリカのエスタブリッシュメント

  • 私のなかのアメリカ(1980年頃の文章)

ただ日本の場合はマスコミの主流の方向が割合にはっきりしていて、中央集権性が強いのでアメリカよりはとらえやすい。アメリカは極端にいえば、政府の政策だけ見てたって何もわからない。極端な場合は政府だけが孤立してることだってある。例えばウォーターゲート事件の時なんか、政府は議会からも孤立し、各官庁からも孤立し、マスコミからは勿論孤立し、東部のエスタブリッシュメントというようなものからも完全に孤立していた。(略)
アメリカの社会というか、その構造、秩序というものの深さを理解するのは、外国人では無理です。大統領でも入っていけない世界があったと、それもキッシンジャーの『激動の時代』に出てくるんだけど、ニクソンは呼んで貰いたいと思っている家から一回も招待されなかったと書いている。つまり大統領になれば少しは認めてくれるかと思ったけど、大統領になっても依然として無視されたと、そういう社会が厳然とあると言っているんだ。東部のエスタブリッシュメントの社会は彼を受け入れなかったということだ。(略)
大統領になったニクソンでも入っていけない社会があるという示唆は、まして外国人なんかではどうしようもない不可侵の領域の存在を暗示している。

真珠湾ルーズベルト陰謀説とかありえないと

[暗号が解読されていた]そんなことはいくらでもあるんです。あらゆる暗号は解読されていますよ。だが、知っててもなっちゃう。たとえぱ第四次中東戦争の場合を見たって、現にパチパチ銃火を交じえてどこそこまでエジプト軍が進出しているという情報が届いているのに、そんなことはあり得ないなんてワシントンの首脳が言ったりしてる。そういう場合だってある。上の人は、事実を信じられなきゃそういうふうにとる。そんなことは無数にある。情報というものには、それをまたうち消す情報も伴うものだしね。あらゆる情報がくるから、どれをとるかということになる。(略)
起こってから本当はわかったんだけど、そういえばそういう予兆はあったと後で思い当たるなんてことは、いくらだってあるでしょ。そして、俺は知ってたという奴が必ず出てくるしね。