鶴見俊輔、国体論、身上相談

 

前半は面白話で、後半は陰気に国体話。
1956年頃の話。プロ固定かあ。

さらに、新聞社が、採用された投書にたいして謝礼を出す習慣を戦後に確立したことは、投書の創作性をしょうれいする結果になっている。商売のようにして投書する集団、セミ・プロの文筆業集団が、つくられつつある。

昭和30年の身上相談。「零号夫人」かあ。

まず若い人では「結婚を考えないで肉体関係を結ぶのを何ら不思議に思っていない」男女が、相手から結婚を迫られて「全然理解に苦しむ」と相談している例が目立ったが(略)
「配偶者を求めているが得られない」という相談は三〇代の男女性に多く、これが掲載されると読者からの手紙がドッと来て、交際の機会を探している人がいかに多いか、また、この問題がいかに切実であるかがうかがわれた。結婚できぬまま「零号夫人となっている」「上役と恋に陥ちている」女性の悩みもあった。

淑女(いらつめ)の悩み。
高等教育をうける女はすべて好色であるというスッパヌキ記事が読売新聞に出る時代。

〔例15〕市内で婦人の演説会などあると、中年の男子たちがわざわざ出かけて行つて、ワイセツなやじをとぱしたりすることが、当時の女学生にとつては人生的な悩みの一部となつてゐた。(いらつめ、明治二三年三月二四日)
〔例16〕「妾は毎日神田万世橋を通行して某学校に通ふ女生徒にて侯ふが、橋脇の客待の車夫が、いつも五、六人づつつけまゐり、乗車をすすめる風して折々変なことをして困ります。」(巡査さんへ)(報知新聞、明治三四年一月三〇日)

不倫はフリン。昭和25年の不倫。疎開...orz。

〔例19〕「妻子ある彼。一九歳の女事務員ですが、同じ社の三一歳で妻子を田舎に疎開させた人と相思の仲となりました。彼が会社をやめて別に工場を経営するようになって以来、今後あえぬと言われて、絶望しています。どうしたら、よいでしょう。」(読売新聞、昭和二五年九月一六日、要旨のみ)

フェミ小説だったのか『真珠夫人』。

[https://kingfish.hatenablog.com/entry/20050223">2/23でもやってんだけど、若干ニュアンスがちがう。同人・関係者に離婚続出で当時の世間を驚かせた『青踏』。

内容は若い女性が成金の権力にたいして挑戦して勝ち、さらにすすんで男性本位の道徳とたたかうことに、その後の生涯をかけるというもので、女性の力による男女関係の倫理の改善という、『青踏』前期の主題の新聞小説化といってよかった。

中央公論』の前身は本願寺内の少年学生(今の平安高校)たちが禁酒運動の機関紙としてはじめた『反省会雑誌』として明治20年創刊。明治36年に実売300部に落ち込んでいたが、日露戦争勃発による情報欲求のたかまりと、文芸欄補強により明治38年には5000部に。

埴谷雄高

埴谷雄高

上の本の高橋源一郎との対談でも

日本の国体は、本来キリスト教神学の変な模造なんだよ。岩倉ミッションがつくるんだけれども、国体という観念はキリスト教の系列なんだ。法王無謬説(インファリビリズム)だ。

てなことを喋っていた鶴見。

かつてこの国体という概念の起源となった吉田寅次郎と山県大華とのあいだにあった対立を復活させました。伊藤博文は国体というのは日本国に限られた特有のものではないとし、ほかの国々においてもそれぞれあるものだと主張しましたが、金子堅太郎は国体は国家の根本的な構造に引き戻してそれだけとして考えられるべきものではなく、それは日本に特有の何かであると主張しました。戦争中の日本においては、ここで金子のとった主張こそが日本政府が正統のものと認めた立場であり、それ以外の解釈の余地は残されていませんでした。

岩倉使節団

西洋を見聞した岩倉使節団はその発達を支えるキリスト教に注目し、パクり、天皇制度に導入。

能率の高い技術文明を支える力として、日本の神道の伝統を模様替えして取り入れる流儀を採用しようと考えました。(略)
このように構想された政府製造のイデオロギー思想形態のなかで、皇室にまつわる伝説はつくり替えられていきます。日本最古の本である『古事記』を読むと、私たちはここに天皇とその先祖である神々が何度もまちがいを犯し、世俗の動機からお互いを牽制し合ったり、お互いに対して戦ったり敗れたりするのに出会います。これらの愚行は別に恥ずかしいと思われることなくそのまま語り伝えられていました。
私たちはここに書き残されている伝説のなかに神々の不謬性の思想を見出すことはありません。ここには疑いもなくある種の多神教としての神道が繰り広げられています。ところがいまや新生日本文明の設計図のなかに模様替えして書き込まれた国家宗教においては、神道は西洋諸国におけるキリスト教にきわめて近い役割を与えられており、その結果色濃く一神教としての性格をもたされています。こうしてここに過ちを犯すことのない天皇という絵姿が現れました。