三島由紀夫と橋川文三&ルネサンス文化史

三島由紀夫と橋川文三

三島由紀夫と橋川文三

64年三島自選短編集の橋川による解説より。
戦争は三島や橋川にとって異教的秘宴であり

それは永遠につづく休日の印象であり、悠久な夏の季節を思わせる日々であった。神々は部族の神神としてそれぞれに地上に降リて闘い、人間の深淵、あの内面的苦悩は、この精妙な政治的シャーマニズムの下では、単純に存在しえなかった。第一次大戦の体験者マックス・ウェーバーの言葉でいえば、そのような陶酔を担保したものこそ、実在する「死の共同体」にほかならない。夭折は自明であった。「すべては許されていた。」(略)
そしてまた、たとえば少年が頭を銀色の焼夷弾に引き裂かれ、肉片となって初夏の庭先を血に染めることも、むしろ自明の美であった。全体が巨大な人為の死に制度化され、一切の神秘はむしろ計算されたものであった。

橋川に師事していた著者が目撃した、吉本隆明チョットいい話。

葬儀当日、裏方の手伝いをしたわたしは、後に回収された弔辞の他の人のものが、巻紙に墨痕も鮮やかに揮毫されていたのに対し、吉本のそれは、普通の原稿用紙にボールペンで乱雑に書かれ、しかも推敲に推敲を重ねた跡が、生々しかったのを見つけた。

ルネサンス文化史―ある史的肖像

ルネサンス文化史―ある史的肖像

第一章から。

絵画、建築、そして彫刻が花開き、文学作品もますます洗練度を増し、稀に見る高さの教育理念が表明される一方、都市の経済はすべて壊滅状態で諸産業は衰弱してほぽ封建的性格と言ってもよい農業に回帰しており、都市の自治も揺れ動きコムーネの〈自由〉も霧散し、教会も腐敗の度合いをさらに深めていた。オスマン・トルコの攻勢やコンスタンティノポリスの陥落は、新たな〈蛮族〉の侵入の不吉な前兆として映る一方で、ピウスニ世のごとき教皇が召集した十字軍は無関心と徒労のうちにむなしく幕を閉じることになろう。一四五九年、マントヴァにてピウスニ世がヨーロッパ全土から集まったキリスト教君主たちに情熱的な言葉を向けた際、凍てついた会議に熱狂の気配も見えず、(略)「神がそれを欲し給う」と叫ぶ騎士などはもはやいず、教皇の長ったらしい演説に黙して耳を傾けるだけのうんざり顔の外交官の世であった。(略)
そして実際、初期イタリア・ルネサンスの偉大な作品や人物を映し出す社会はおおかた、陽気というより悲劇的で、平和的であるより多難かつ残忍で、澄明かつ調和的であるよりも不可解・不安定な世界である。レオナルド・ダ・ヴィンチは、破局の幻視にほとんどいつもつき纏われ、その素描や手稿の中に死の世界を湧出させている。

一応二冊とも全部読んだんだけど。て、手抜きじゃないから。明日はちゃんとやります。