中世の春

中世の春―ソールズベリのジョンの思想世界

中世の春―ソールズベリのジョンの思想世界

やっぱり面白くなさそうなのは読んじゃいかんと、しみじみ思いつつ、くやしいので歴史の勉強気分で引用。
支配だの国家だのは堕罪後の悪に染まった人間の無秩序に対して神が定立したものであるという説からの転換。

したがって、この世の強制力をもった政治支配とはけっして本来の「自然」な人間関係の間に存在するものではありえない。あくまでも人間の犯した愚かな堕罪に由来する「慣習」的制度にすぎず、その人間の堕罪的状況に対して下される「処罰にしてその矯正策」にほかならないのである。このように、このアウグスティヌスの教説においては、私たちが普通「政治」と呼ぶ現象は端的に「奴隷制」と等価なものであり、人間相互の自発的な意志に基づく社会的共同生活の展開という意味はいささかもなかった。(略)
だが十三世紀という中世盛期の現実世界ではもはやアウグスティヌス説は少なくともそのままの形では説得力をもちえなくなっていたことは確かである。トマス・アクィナス登場の意味はまさにここにあって、彼の思想的営為は歴史の現実にそぐわなくなったアウグスティヌスの教説に代わって新しいアリストテレスの政治教説を西欧中世杜会に受肉化させたのであった。(略)
いずれにせよ、政治権力・国家は単に堕罪後の人間の悪を矯正するための必要な強制的装置にすぎないのではなく、人間の社会的共同生活がそのなかにおいてこそ完全かつ十全におこなわれうる自然的なシステムであるとするこのアリストテレス=トマス説が中世の思想世界に与えたインパクトの大きさは、計り知れないものがある。

ことに十二世紀に入ると、イングランドやフランスでは世俗権力は復活したローマ法の研究を通して社会の公共性(共通善・公共の福祉)を君主の統治機構編入すべく財務と司法の二大官僚組織を作り上げて君主制「国家」として自立しつつあった。その国家の官僚制にはまたこの二大官庁間の業務の統合と調整を図るだけでなく、ローマ教皇庁や諸外園との交渉を引き受ける中央官庁つまり書記官庁(尚書部)が存在した。この書記官庁の長は司教など高位聖職者がなることが通例であり、その下に読み書き能力に優れ、文書作りに長けた教養ある書記がスタッフとして活動していたのである。