アヤックスの戦争

アヤックスの戦争―第二次世界大戦と欧州サッカー

アヤックスの戦争―第二次世界大戦と欧州サッカー

拙者サッカー知りませんから、猛烈な勢いでスキップ読破。マラドーナを演じるベニチオ・デル・トロも思わず膝打つ、マラドーナを欲しがらなかったスパルタの会長はハンス・ソネフェルト。
憎き英国蹴球

ファシストフットボールと折り合うまでには時間を要した。ヒトラー、ムッソリー二とのその取り巻きたちはフットボールと共に育つには早く生まれすぎた。フットボールイングランドで発明されたことが癪で、ムッソリー二政府は当初、あらたにイタリアで生まれたヴォルタというボール・ゲームの方に国民の関心を向けようとしていた。多くのファシストフットボール自体を嫌悪していた。

ナチスのスポーツ外交

ナチはスポーツを「人種的」優位を示すために利用しようとしたとよく指摘されるが、たいていの場合にはただ親愛の情を示すために利用した。ほぼ三〇年代を通じて、ナチスはひたすら諸外国が自分たちのことをどう考えているかを気にしていた。戦争を起こすだけの力を持っていないあいだは、そんな意図はないのだと外国に思わせておきたかった。ヒトラーには再軍備の時間が必要だったのだ。
ドイツのフットボール外交は大いに助けになったはずである。おそらく三〇年代を通じて、何百万人ものヨーロッパの人々が親衛隊よりもドイツのフットボール・チームについて思いをめぐらせていただろう。

「六千万人のドイツ人がパリでプレイする!」とぶちあげるもスイスに敗退

六月四日、一九三八年のワールドカップがフランスでキックオフされた。ナチスはこのイベントをオーストリア併合の記念式典とする狙いだった。ゼップ・ヘルベルガーはすべての試合で六人のドイツ人と五人のオーストリア人、またはその逆の組み合わせで試合に臨むよう命じられた。当時の最強ニチームを合体させればまちがなくワールドカップを獲得でき、ヒトラーの侵略も正当化されるのではないか?

「紙男」と呼ばれたオーストリアの名選手は35歳という年齢を理由にドイツ代表を辞退

ワールドカップの数ヶ月後、一九三九年一月、「紙男」は元娼婦だったユダヤ人の血をひく恋人カミーラ・カステノーリャと共にベッドで死んでいるところを発見された。「一酸化炭素中毒」というのが警察の報告だった。(略)
だがしかし、それを信じる者はほとんどいなかった。全盛期の国民的ヒーローはそんな死に方はしないものである。(略)
ナチヘ抗議の自殺をしたか、あるいはナチに殺されたというのだ。葬儀には一万五千人が集まり、戦争のあいだも毎年墓を訪れる者は尽きなかった。

第二次大戦下に花開き、はじめてオランダの大衆娯楽となる

ヨーロッパの多くでそうだったが、オランダでも、フットボールは一風変わった趣味だと思われていた。今で言うところの卓球のようなものだ。一九二八年のアムステルダム・オリンピックでも、フットボールの試合には一、二千人の観客しか集まらなかった。三〇年代にフットボールがオランダの中心的存在となるにあたって、大きな役割を果たしたのがハン・ホランダーなるラジオ解説者である。
(略)居間のラジオのまわりに集まって息をつめる一家全体にとっての娯楽となった。

占領下ののどかな日々

オランダの歴史家は正しくも、オランダにおける四〇年-四五年の時期を「戦争」ではなく、「占領」と呼んでいる。もちろん、占領の年月はいくらか惨めなものである。みな言うことやることに用心深くなり、夜間外出禁止に甘んじなければならなかった。当初は豊富だった食料もやがて乏しくなった。新聞とラジオは嘘をついた。王家はロンドンに亡命していた。(略)
だがわたしたちが戦争につきものだと思っている死、恐怖、大いなる道徳的選択はほとんどどこにもなかった。歴史家クリス・ファン・デル・ヘイデンは書いている。「ほとんどのオランダ人にとって、占領は通りに掲げられた掲示、新聞の告知、ラジオから聞こえてくるお話と音にかぎられたものだった」

ユダヤ人より試合が大事

オランダ人はたかだかジェノサイドくらいでそれを諦める気はなかった。どのみち、アムステルダムの外では、何が起こっているのか気づいていた者さえわずかだった。田舎に隠れ家を探しに行ったユダヤ人は、まずユダヤ人とはなんなのかを、それからユダヤ人が迫害されていることを説明しなければならなかったというほどである。

北の皆さん、死ぬ気でやれば勝てるとウダイさんも

ゲッベルスは敗北に激怒した。フットボールの不確実性をどうしても納得できなかったのである。「結果にわずかでも予測不能の要素がある場合はスポーツ交流禁止」と、ヒトラーの誕生日にスイスに2-1で負けたあと記している。ドイツはつねに勝たなければならなかった。

アヤックス戦にはホロコーストの歌。し、しんじ君。

昨今では、フェイエノールトの合唱にあえて騒ぎ立てるのはほぼユダヤ人だけとなっている。オランダのエスタブリッシュメントはほとんど気にしていない。ロッテルダム市庁はフェイエノールトのファンがガス室の歌をうたうのも放置している。彼らがもっとも派手なロッテルダムの外交使節であるにもかかわらず。オランダのマスコミも注目するのをやめた。オランダの新聞業界を何十年も支配してきた元レジスタンス闘士とその仲間たちは、もはや死ぬか引退してしまった。反ユダヤ主義のタブーははるかに弱まった。