ルネサンスの知と魔術

ルネサンスの知と魔術

ルネサンスの知と魔術

発掘された知識。写本屋は知のセンター。

修道院で再発見されたりギリシアからもたらされたりした古写本は、たいていが君主などの要人や富豪に贈呈されたが、古典への需要が増大するにつれて一点一古写本では間に合わなくなり、古写本を筆写して新たな手写本を作り出す作業が求められるようになった。筆写する者にはプロの写字生もいれば経済的に恵まれない学生のアルバイトもいた。そしてこうした一連の工程(古写本→筆写→手写本)を管理統括する職業が当然出現し、当時の風潮を背景に一躍成長産業へとのしあがっていった。その代表格が一五世紀のフィレンツェで生彩を放ったヴェスパジアーノ・ダ・ビスティッチである。彼の開いた書店は良心的出版杜として良質の本(芸術品としての本)を世に送り出すところであり、また書籍情報、すなわち時代の知のセンターでもあった。顧客は当代の学者はもとより、学芸愛好家、書籍愛好家たる有力君主たちであった。ヴェスパジアーノは彼ら(たとえばウルビーノ公)の書籍蒐集にも力を貸して、いまで言う書籍コーディネイターとしても活躍した。
この時代は修道院において古典の再発見が次々となされ、いわば眠っていた知識が修道院の外に出た〈ポスト修道院〉期にあたるわけだが、当時の出版を業とする者はおよそ三つのタイプに分けることができよう。
1.営利を目的とした書籍商。さまざまな手写本を生産した。
2.特別な注文のための私的な写本の出版。
3.大学とつながっていて、大学のカリキュラムなどに合わせて写本の仕事を請け負う出版者

印刷の普及によるイタリア文化の国際化(=通俗化)

年代的に言うとこうした兆しは一四八○年代からはじまっており、前出のヴェスパジアーノの商売にもそろそろ翳りがみえはじめてくる。にもかかわらず彼は次のような気概を示して印刷本をけなす。印刷本は「手写本の醜悪な模倣品にすぎない。紙は悪質で毳立っており、文字は滲みで汚れている」と。事実、初期の印刷本は仕上がりが劣悪であり、誤植の数の多さも目立っていて、要するに手写本支持派側からすれば、書物の芸術的装飾性に欠けている点が批判の的となっていた。

ラテン語世界の崩壊と知の細分化

ラテン語を基調とした統一世界の瓦解する音が静かに兆しつつあったのである。それはルターなどによる宗教改革によって、カトリック的統一性が崩壊した事態とも重なり合っている。(略)
以前は討論するために遠方からわざわざ集い、聴衆も限られており、内容普及にも時間を要したからである。科学書も挿絵の鮮明な複製が可能となり、解剖書、動植物図鑑、地図、機械図などに精度が増した。こうして印刷文化によってある種の知は、それまで埋もれていたのが陽の目を見、ある種の知は華々しくも登場したのである。
一六世紀以後ヨーロッパは事実上、すでにカトリック(普遍的)世界ではなくなった。普遍性を支える知識はいつのまにか潰え去り、細分化された個別的な知が芽吹きはじめた。そしてそれには印刷文化の隆盛が蔭ながら一役買っており、想像以上に大きなインパクトを与えたと言えよう。

ラテン語で支配せよ。
ヴァッラ『ラテン語の優雅さについて』

われわれは古代ローマをなくし、版図を失い、支配権をも喪失したが、それはわれわれの咎ではなく時代のせいなのです。それに対しわれわれは、ラテン語というこの最も輝かしい威信を胸に再度世界の地域をくまなく支配しているのです。
イタリアも、ガリアも、ヒスパニアも、ゲルマニアも、パンノニアも、ダルマティアも、イリュリクムも、そして他の国も残らずわが版図なのです。ローマの威信あるところ、ローマの言葉が支配するのです。