ジョン・ロックの市民的世界

どうも哲学系の人の書く思想史はあまりボクには面白くなくて、これもなんだか学生のまとめノートのようになってしまいました。何やってんだろ、オレ。

ジョン・ロックの市民的世界―人権・知性・自然観

ジョン・ロックの市民的世界―人権・知性・自然観

ロックの私的所有が成立するための4条件

1.自己労働制限
自分でつくったものは自分の物にしてよし。他人には権利なし。
2.自己消費制限
自分で消費可能な分の物、および消費可能な収穫をもたらす広さの土地なら所有してよし
3.腐敗禁止制限
無駄に腐らせちゃうような量を所有するのは人類共同の富の浪費になるからダメ
4.潤沢制限
他人も潤沢に暮らせる資源がなくなるくらい所有しちゃダメ

さてそこで貨幣である。ロックは「条件2」は「条件3」ほど重要じゃないので、貨幣で腐らずに蓄積できるなら自己消費以上に所有してよい、同様にそれを子孫が相続してもよいとした。こうして所有の不平等が拡大する。これは条件4に抵触しないのか。巨大な富は他人を圧迫しないのか。それについては、社会全体の生産量が増えているのであれば貧しい者も以前よりは豊かになっているので問題はない。では自己の労働を貨幣と交換する賃金労働についてはどうか。貨幣と交換に、労働者から雇用者へ所有権を移してもよいとした。しかし、他人に雇われようという人間が出てくるというのは、条件4が成立していないからではないのか。労働して物をつくるための土地などが存在していないからではないのか。
[さてここから十代シャバダバ的稚拙な考え]
効率のよいシステムがあるなら、自分で作るより、人に雇われたほうが確実だという人がいてもおかしくないし、そういう人の方が多いだろう。だが新たなシステムを始めようとする人間にとっては、既在システムは不公平に思える。一対一なら勝てるのに、既に富を蓄積している既存システムには負けてしまうのだ。ひとりでやるだけなら、負けたと思わずに、片隅で黙々とやってればいいじゃないと言えるが、新たに人を巻き込んでシステムを構築していこうとするわけだから、そうもいかないのである。ナニカンガエテンダオレ。

貧民救済はべつに目新しいことではなく、中世にはその慣習が確立していた。中世においては、財産は近代のように個人の純粋に私的で排他的な所有とは考えられず、多かれ少なかれ社会(または村落共同体)に有用な目的のために使用されねばならないと考えられていた。したがって、貧民への援助は財産所有者の社会的義務でもあったのである。1601年の救貧法には、絶対主義支配の枠内でではあるが、このような伝統的観念がある程度盛り込まれたといえよう。

内乱勃発以後、救貧法は浮浪者の取締り・労働強制に利用されていく。要するに甘やかさないことが貧乏人のためだと。平等主義の弊害とか、自己責任だとか、そんな昨今の論調も、まあ大して斬新なもんじゃねえや。

トー二ーによれば、一六六〇年の王政復古の頃から貧民に対する考え方が変化したという。彼はこうのべている。「困窮は個人の欠陥から生ずるものではなく、経済的な原因から生ずるものだという意見、したがってその犠牲者は社会によって養われる法的な権利をもつのだという意見に対しては、当時成長してきた個人主義は、冷やかな懐疑の気持をむけた。」「最大の悪徳は怠惰であること、貧乏人は環境の犠牲ではなくて、自分たちの『怠惰な、不規則な、悪い暮し方』のために自分で落ち込んだのだということ、最も誠のこもった慈愛とは、貧乏人を救ってやって彼らを無気力にすることではなくて、むしろ彼らの品性を改造して救いが要らなくなるようにすることだということ---このような教理のために、かつては罪であった〔貧民に対する]苛酷さが[いまや〕義務となった。」

ロックはアメリカ植民に関しても、原住民が使いこなせてない土地をヨーロッパ人が有効活用して富を増やせば、原住民にも恩恵が及ぶし、そもそも土地は広大なんだから、がんがんやってよしと言っております。
[さてここで再度稚拙な考察]