「話の特集」と仲間たち

「話の特集」と仲間たち

「話の特集」と仲間たち

 

さして「話の特集」に興味はないし無知なので、表紙に使われている創刊号横尾忠則によるジョン・ケージタモリ?ってかんじなのだが。つい借りて、つい一気に読んでしまった。

和田誠

結局実現しなかったが創刊のきっかけとなった『エル・エル』という雑誌の企画時、レイアウトはハイライトのデザインを手がけたような人がいいと言ったら本人の和田誠を紹介された。

会ってみると、なるほど生意気な若者だった。痩せていて目ばかりがギョロギョロしていた。でも、全身に迸るような才気があり、これまでに会ったことのない異色な感じであった。

特集は「八丈島」(ナンダソレ)。写真は和田の勤めるデザイン会社・ライトパブリシティの新人カメラマン・篠山紀信だ。そんな経緯もありつつ、無給のかわりにデザインは全権委任という条件で和田が参加。

和田誠はレイアウトの作業を会社のデスクで堂々とやっていた。金を貰っているわけじゃない、これはアルバイトではないという確信があったから出来たのかも知れない。ある日、和田誠のデスクにライトパブリシティの信田富夫社長がやってきて、「和田さん、面白そうだねえ。雑誌が出来たら僕にも見せて下さい」などと言っている。

近代読者の成立 - 本と奇妙な煙

 とかにもあるように実は江戸時代には挿絵が中心でもあったのだが、そんな伝統と1965年の和田には深い断絶がある。

「『話の特集』ではイラストレーションという正確な表記にしたいんだ」
「挿絵じゃどうしていけないの」と私。
「挿絵という言葉には、文章に絵が従属しているニュアンスがあるでしょう。僕は、文字も絵も対等だと思う」

  • 和田の家で牛乳を勝手に飲む矢崎を非難めいた眼差しで見る和田の押しかけアシスタント。その暗い青年こそ矢吹申彦

深沢七郎

昔はのんびりしてたなあ。深沢七郎の幼児性愛、いや厨房だから、ただの男色か。それより矢崎は深沢で開眼なのか。[注:ギター弾きのヘンなおじさんが深沢]

戦後間もなくギター弾きの渡り鳥のような青年がやってきて、おんぼろアパートに入居した。玉川温泉という銭湯があって、中学生だった私は友達と毎日のように通った。家に風呂があるのに、広い脱衣所でのんびり遊べるので、子供たちにも人気があった。そこヘギター弾きもやってくるようになった。しかもギター持参でやってくる。私たち少年を集めて、弾き語りを披露するのだった。ヘンなおじさんの名は桃原青二日劇ミュージックホールのギター弾きだとやがてわかった。大のプレスリーファンで、ほとんどエルビスの曲ばかり楽しそうに演奏していた。おじさんはちょっと変態で、子供たちのチンチンに興味があるらしい。

やがて食事をするようにもなり「そういう関係がずっと続き、私は大学に通うようになった」って、ヤバクネ。大学で山岳部に入ったのがキッカケで「世田谷ボディビル」をつくると深沢や三島由紀夫がマッチョボディ眺めに日参。
水上勉の『男色』という小説の原稿取りの話題に続いて平野の原稿に麦茶をこぼした話が続いて、

平野威馬雄は少しも慌てず、吸い取り紙のような柔らかい塵紙をソッと載せた。原稿は無事だった。謝る私に、平野威馬雄は、
「ズボンにかからなくてよかった」
と優しく言ってくれた。

な、なんでしょう、レ、レミ、大丈夫かしら。

山下画伯

パンツ一枚の裸の大将を見て「ウチも脱いじゃおうかな」とふざけるスミ子の真夏の対談。

山下画伯は一点を凝視したまま、何も答えない。坂本スミ子の胸の辺りを見つめているのである。しばらくしてから、
山下「その下は裸かな」
坂本「そうです」
山下「脱いだらカッコウ悪いかな」
坂本「カッコウいいですよ」
山下「チチ、大きいな」
坂本「はい」
山下「やっぱり脱がないのかな」
坂本「脱ぎません」
山下「他の男の人がいるからかな」

  • P105に「喧々諤々とやった挙げ句」とあったので、呉先生に報告せねばと思っていたら、P150では「侃々諤々、喧々囂々の意見が行き交った」とやっていて、しかもどっちも御丁寧にふりがながふってある。
  • 矢崎に腕相撲で負けた腹いせに「文化大革命抗議」を突如思い立つ三島。三日後に川端康成石川淳安部公房らを巻き込んで帝国ホテルで記者会見。

そもそも父親の会社を引き継いで出版して、手形詐欺にあって倒産させて、ようやく復刊した時の編集後記の文句も時代とはいえあまりにもお気楽な反権力ポーズで、ぼんぼんのお遊びとしかいえないのだが。

買収話
 

中央公論からの買収話を断ると、税金対策でオーナーになっていた邱永漢が激怒。でも邱の方が正論。

「矢崎クンにはビジネスというものがわかっていない。ボクは慈善事業をやっているわけじゃないんですよ。それに、今を除いてはキミの雑誌はもう高く評価されることは絶対にないと思うよ。創刊の頃の鮮度は落ちているし、明らかにマンネリになっている。仲良しクラブのサロンのような雑誌はそういつまでも続かない。嶋中さんに売って、キミも身を引いた方が、この際はずっと得だと思う。物事には潮時というのがあるんですよ。これはキミとボクにとっての、いわば千載一遇のビジネスチャンスなんです」

嶋中鵬ニに詫びがてら挨拶に行き、『海』の創刊を知らされて何故か安堵する。
邱から独立した記念パーティーでの野坂昭如五木寛之の対談。雑誌は無責任でいい、うたかたである方が残る、という互いの話の流れを受けて五木が

じゃあ何故今の文学が迫力がないかというと、今から五十年先、百年先のことを考えている眼がありすぎるんじゃないかという気がするのです。ある編集者が、いま雑誌を作っていく上で、かつての『新青年』のように、後から1970年代にはああいう雑誌があったと言われるような雑誌を作りたいと言っていたけれども、ぼくは反対なんだ。今週なら今週に消えちまってもいいという雑誌を作ればいい。そういう眼がなければ後から読んで面白い雑誌は作れないと思う。

オマケ:植草甚一からの創刊号感想ハガキを以下にてアップ
https://kingfish.exblog.jp/2112854