大日本帝国の生存戦略

日英同盟について書かれた本。

大日本帝国の生存戦略 同盟外交の欲望と打算 (講談社選書メチエ)

大日本帝国の生存戦略 同盟外交の欲望と打算 (講談社選書メチエ)

 

防守同盟となった理由など

日本の戦略的意図は、韓国における日本の優越と行動の自由を列強に認めさせることにあったので、同盟の性格を攻守同盟にすると、英国の軍事力が韓国に展開される場合もあり(略)
また、英国は世界中に権益を持っていたため、世界中のいたるところで戦争に直面する可能性があり、攻守同盟とすれば日本はこれに巻き込まれる恐れがあった。
日本はこのような危険を避けて、その戦略的意図を達成するために防守同盟を考えていたのである。
いっぽう英国は、日露間の戦争に直接巻き込まれることなく、ロシアの満州・清国本土への侵入を阻止することが同盟締結のおもな目的であったため、防守同盟を考えていた。
このように日英両国の思惑は防守同盟で一致していた
(略)
日本がせめてインドまで負担しなけれぱ、同盟は双務的にならないというのが、英国側の言い分であった。
当時、英国に対するロシアの圧力は欧州だけでなく、ペルシア、アフガニスタンにも及んでいた。また陸軍省とインド担当省は、ボーア戦争の間はインドヘの増援が困難であったため、日本の支援をインドにまで適用することを要求していたのである。
このような意見に対して、林は「戦争原因が日本、朝鮮半島、清国、タイ辺りにある場合、すなわち東亜内に限定することが適当であると」主張した。これは日本政府の関心が東亜にしかないことのほか、日本の能力の限界を示すものであった。日本はグローバル・パワーを目指す意図もなかったし、その能力がないことも自覚していたのである。
(略)
日英同盟は防守同盟であるから、日英が共同して戦うことになるのは、ロシアに一国以上の国が加担する対数国戦の場合であり、最も蓋然性の高いのは露仏同盟との戦いであった。したがって軍事協議では、露仏同盟に対する日英の共同作戦を協議することが焦点となるはずであった。ところが、日英ともに日露間の一国戦で終わらせることに同盟の主目的を置いていたので、軍事協議の焦点は本来検討すべき連合作戦により戦うことから外れて、次の二点に当てられた。
一つは、平時における海軍の基礎配置をいかにするか。もう一つは、日英それぞれが単独で戦う場合の作戦を優先し、これを拘束しない範囲で連合作戦方針の体裁をいかに整えるかであった。

国際関係の変化

英国政府が満州での日本の権益を尊重し、日本の韓国併合に好意的対応をした背景には、次のようなグレー外相の日本に対する見方が基本にあった。
『日本は野心的であり、拡張主義的傾向をもつ国家であるが、日英同盟が存続するかぎり恐れる必要はない。日本の関心は韓国、満州などの自国の隣接地域にあり、それ以外の地域へ進出する意図はない。日本がこの範囲にとどまるかぎり、英国の東亜における権益を侵される心配はないからである。』
 
ルーズベルトが日本との関係調整に腐心したのには、次のような戦略上の判断があった。
『日本の死活的に重要な利益は朝鮮と満州にある。このため満州については、理由のいかんにかかわらず日本の敵意を挑発し、その利益を脅かすような、いかなる処置も取ってはならない。もし、日本が満州に関して米国と対立する道を選択した場合、日本と戦争する準備をしないかぎり阻止できない。満州で日本との戦争に勝利するためには、英国に等しい大艦隊と、ドイツに匹敵する大陸軍が必要となるであろう。』
 
[ところが1909年に登場したタフト政権は極東政策を変更し満州鉄道の中立化を提案する]
 
また、米国は満州鉄道の中立化が失敗した原因の一つが、日英同盟にあったと考えていた。こうしたことから米国にとって、日英同盟がますます邪魔な存在となっていた。
日英同盟協約の条文上からは、日米戦争が生起した場合、英国は日本とともに米国と戦うことになるからである。この悪夢から解放されるため、タフト大統領は英国と仲裁裁判条約を締結することにより、日英対米国の戦争となる可能性をなくしたいと考えたのである。

続きは明日。