日英同盟の話

前日よりの続き 

大日本帝国の生存戦略 同盟外交の欲望と打算 (講談社選書メチエ)

大日本帝国の生存戦略 同盟外交の欲望と打算 (講談社選書メチエ)

 

 
ワシントン会議

問題は米国が日本の膨張を押さえこむため、日英同盟を分断し、海軍の攻勢能力を去勢することを企図していたことである。
日本は軍備制限問題に目を奪われすぎていて、米国の狙いに対する判断が甘かった。また、英国と共同して会議に当たることを重視していたが、英国が日本よりも米国との連携を重視したことへの認識も甘かった。日本側は第一次世界大戦以後の国際政治の力学が大きく転換し、英国は米国と協調しなければ世界政策を実行できなくなったことを真に実感していなかったのである。
(略)
したがって日本が、あくまで米国と対決していくのであるならば、他のグローバル・パワーと提携する必要があったが、当時、英米に対抗できるグローバル・パワーは存在しなかった訳であるから、日本はワシントン体制の枠のなかで生きていくしかなかったのである。

まとめ

一九一〇年代初めまでの間、日本は英国が必要とする、ロシアそしてドイツと対抗する上での援助、インドの保全、東アジアでの権益の防護を支援できる力を保有していて、英国が世界政策を展開していく上で日本との同盟は魅力的であった。ところが時代の経過とともにその背後には、英国と米国の同族意識や経済関係や自治領カナダの安全保障などから、米国との関係が緊密化していた。
そして第一次世界大戦では、英国側の兵站を支え、二〇〇万の大軍を送って勝利に大きく貢献した米国が、英国にとって必要不可欠な存在となった。つまり、英国を積極的に支援しなかった日本よりも、英国にとってより魅力的な米国という第三国が出現したのである。
(略)
日英同盟の役割は時代の変化に応じて、ロシアの南下に対する抑止・対抗から、対独包囲網の一角を形成、日本の暴走抑止と変化しているのに対し、日本は日露戦争でロシアの南下を阻止した以降、同盟の目的や責任・分担などの日英間の緊密な戦略的対話を欠いて、日英同盟に対する関心を希薄にしていった。