坂井代表おおいに語る

『「ニッポン・プロ野球」考 』(ISBN:4874151051)
西武やダイエーの球団代表でも御馴染み坂井保之の著書。
1970年岸信介の筆頭秘書であった中村長芳が大映永田雅一に頼まれ球団経営を手伝うことになりマスコミが殺到。「たかがプロ野球で何を大騒ぎしているのか」と言い放った中村に非難が殺到。当時傍にいた著者はこう記す。

しかし、その時、私もやはり「たかが」であった。したがって「されど」の論理で鋭く叩かれてみると、それが一応の正論であるだけに、ひどく嫌な気がした。
”黒い霧”をめぐる報道合戦では、疑惑の選手を世の大悪人として報じ、根源はプロ野球のだらしない体質にあるとキメつけている。まるでプロ野球そのものが、社会を毒しているとでも言いたげな攻撃をしておきながら、一方ではプロ野球は文化だと言う。
私は思った。「たかが」でも「されど」でも、所詮、言葉の上だけのこと、どっちだっていいじゃないか、人の命に関わるものでもあるまいし大騒ぎするにもほどがある、と。

文学でもなんでも公然とおのれの存在の危機を嬉々として訴えているように思えるが、著者はそう考えないようである。

普通、世界一般の感覚から言うと、自分たちの営んでいる事業について、不振になったからといって、自ら、それを口にしたりはしない。プロ野球は受け手の支持なくしては存立し得ない。受け手である世間は、「私たちは不振になリました」という声を聞いたからとて、同情も理解もしないはずだ。「さようでございますか」と、言うくらいで、打開策が出てくる道理はない。
能天気にも、球界はそれを口にした。公的な発言ですらあった。
私はついこないだまで、その世界の住人だった。不振を不振として、秘めることなく公表する。開かれた体質と取ればよいのか、商売らしからぬ無自覚と取れぱよいのか、私には釈然としないものがあった。
というのは、かねて私は、球界の中枢に、単に管埋業務を請け負っているだけ、といったふうの、第三者的感覚を嗅ぎとっていたからである。中枢というのは、送り手側のマネージメントのすべてを指す。それも現在だけではなく、はるかな過去の分も入っている。

ドラフト制について

提唱者は西鉄ライオンズの社長だった西亦次郎氏(1974年没)とされるが、氏は晩年、
「要するに張り合っていくことに疲れたんですね。競争せんで公平にやろうじゃないかとマネをして取り決めたんだが、考えてみると、あっちは下で選手をつくってやっている。そこが日本とはハナから違ってましたナ」
と述懐している。私はじかに聞いたのだが、その時の氏の寂しげな表情は忘れ難い。
要するに選手の保有数も自由な上、ファーム組織が充実しているアメリカだから、ドラフトはいい方向に機能している、と言うのであった。

  • セントラル五球団が主催権を持つ対巨人戦は13試合。その放映料は一本が八、九千万円と囁かれる。それに比べパは西武でさえ二、三千万円。しかも全国中継が年間七、八本あればいい方。
  • 球団社長は親会社の役員がほとんど。球団代表はゼネラル・マネージャーのようなもの。
  • 監督選考の実態。フロントは自分が素人であることを自覚しており、古手の球団野球専門職員とさりげなく雑談したり、親しい記者・アナウンサー、評論家、あげくは選手達のタニマチの意見を聞いたりする。そして結局オーナーにもチーム内外にも説明のつけやすい自チームOBで決定となる。
  • 監督の八人の敵。オーナー、フロント、親会社のグループ、コーチ団、選手団、裏方、担当記者グループ、OBグループ。これらは失敗しそうになればすぐに批判にまわる。
  • 監督の権威を維持する保険能力とは。忠実者の面倒を先々までみる。そういう過去の実例をつくる。反逆者への報復。つまり業界から干す。

坂井氏のドラフト恨み節や審判の心情を描写した面白い部分はまた明日。