審判に優しく

前日からの続き『「ニッポン・プロ野球」考 』
珍プレーとかでオタオタして涙目になっている審判に対して優しくなれそうな、クロスプレー時の心理描写。

瞬間の残像の中で、彼らはその一方に手を挙げる。身を苛む瞬間である。この際どいアクションを択らせているものは、職業的に訓練された反射神経としか言いようがない。その瞬間は、連盟所属公式戦審判員の肩書きもないし、その自覚もない。ひたすら反射神経があるのみである。
自覚がもどってくるのは、下されたジャッジのアクションを見て、脱兎のごとく跳ぴついてくるプレイヤーを、視野の中に捉えてからである。
「ソラ来た!」とその瞬間から、頭の中は、高速回転を開始する。残像のリプレイにかかる一方、来るべき紛糾に備え、論理のキレハシを検索しだす。しかし時間的猶予がないということが、致命的である。正当な論理を組み立てる前に、事が起きてしまう。
[中略:監督からの暴行、退場騒ぎ、そして処分]
処分が出て、表面的に見れば一件落着と相成る。世間もファンも、話題は次々と変って、二日も経てぱ、もはやトラブルのことなど顧みる者は誰もいない。
まさにその時こそ、審判の責苦がピークに達していることを知る者はいない。彼らには寝苦しい夜がつづいている。
ベッドの上で目を閉じると、あのいまわしい光景が蘇ってくる。監督たちの血走った眼が激しく迫ってくる。エゲツない怒声、粗暴な振る舞いが、わが身を襲う。誰ひとりとして助けになってくれる者のいない孤独が、ひしひしと神経を苛んでくる。まさに受難の真っ只中である。
その上、プロ審判としての技術上の反省がつきまとう。あの時、あのジャッジは本当に正確だったか、またコールするタイミングに遅れはなかったか。さらにあの時、試合運行に責任を持つ者として、もっと毅然たる態度をとるべきでなかったのか。
こうした煩悶の夜と昼、昼と夜の苛酷な時間が過ぎてゆく。その間も、試合日程に休みはない。重い心と体に鞭打って制服をまといグラウンドに立つものの、再び同種のトラブルに出会いはしないかと、怯えが心を締めつける。

西武、ダイエーで苦労した人のドラフト恨節

こうして、プロ野球を担当するに値しないいくつかの球団が、漫然と生き残ることとなったのである。(略)

結局、チーム強化に意欲的な球団にとってこの制度は、自由な力の駆使をはぱむ足カセでしかなかったのだ。
その中で、気楽な球団は依然として気楽でありつづけた。奇妙ではあるが、それでも勝利への夢を捨てたわけではなく、クジ運という天なる配剤が、時として気まぐれな好運をもたらすこともあった。努力なしにいい選手を採れ、外国人選手の方もひと働きしてくれたら、なんと”優勝”の幸運にさえ恵まれるのだった。

巻末の対談では著者が巨人の篠塚獲得にケチをつけ、逆に熊谷組内定の工藤獲得やら伊東を所沢の定時制に転校させて球団職員にしてじゃないとか突っ込まれたりしてます。コミッショナーは「飾りの方がいい場合もあったりして・・・」とか言ったり、かなりオープン。