2001 キューブリック、クラーク その3

前回の続き。

2001:キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

 

 ヒトザル

[ヒトザルのボディスーツを作製した]

スチュアート・フリーボーンは男女を問わず若い十代の黒人のキャストを募集し、ネアンデルタールの人相について調査をおこない、十代のアフリカ系イギリス人の額や頬や唇や顎に手を加える作業にとりかかった。

(略)

 これでサルのスーツを着た人間という問題はなくなったものの、新たにふたつの障害があらわれ(略)

この新たな手法を採用した場合(略)広報面で壊滅的な結果をもたらす可能性があった。(略)

[公民権運動が高まる時代]

黒人を原人と同一視するようなリスクをおかしてかまわないのか?もうひとつの障害は、ネアンデルタールアウストラロピテクスよりもはるかに体毛が少なく、それゆえ、どうしても性器や乳房が目に見えるようになることだ。(略)

彼らの陰部を見せるわけにはいかないと言ったうえで、監督はこう続けた。「大丈夫だ──腰から上だけ、あるいはなにも見えないくらい遠くから撮影すればいい」だが、すぐにそれではむりだとわかったので、未開人たちの股を薄いおおいで隠してくれとフリーボーンに依頼した──ほとんど目立たないがきちんと隠れるもので。

[だが去勢されたように見えるため作り直すことに]

小説出版をめぐる駆け引き

 キューブリックはクラークに自分が時間を見つけて手を入れるまで小説はだれにも見せないでくれと頼んでいて、作家はしぶしぶそれに同意していた──少なくとも監督のまえでは。だが、キューブリックの言い逃れがえんえんと続いていたので、クラークもさほど義務感はなかったらしく(略)[スコット・メレディスが]出版社へ売り込みにまわっていた。

(略)

届いた電報は、この本をクラークとキューブリックの共著とみなし、十六万ドルのアドバンスと売上に応じたかなり好条件のロイヤルティを提示していた。メレディスからクラークへのメッセージは、アドバンスとロイヤルティ両方の面で、この契約が前例のない規模であることを強調していた。

(略)

この契約が成立すれば、金欠状態のクラークが受け取る額はキューブリックとの60対40という取り決めにより十万ドル近くになる──今日のドルに換算すればおよそ七十二万ドルだ。

(略)

キュープリックはこの作品の内容について機密厳守の方針をとっていたので──彼が映画の公開まで小説を刊行したくなかったおもな理由はそこにあった──クラークがメレディスの売り込みを許したことに動揺し、裏切られた気持ちになった。

(略)

クラークはキューブリックが作者クレジットに関して過敏に反応することをよく知っていた。一九六四年に『博士の異常な愛情』の脚本の執筆でテリー・サザーンの貢献を小さく評価した公式声明にそれがよくあらわれている。そういう状況で、『2001年』の小説が表紙にキューブリックの名前がないまま刊行される可能性をほのめかすのは、監督の目のまえに大砲を撃ち込むのと同じことだった。だが、クラークは六月十五日の手紙でまさにそれをやったのだ。(略)

「どの出版社も本のできばえをとても喜んでいるので、たとえわたしの名前だけで出すとしても同じ条件になるだろう。だが、たとえきみが同意したとしても、そんなことはしたくない──わたしはきみの文学的貢献について、きみが手にする四十パーセントの金銭的利益よりもずっと大きいと考えているのだ」

 これにこたえて、そのころはブレインルームの撮影にかかりっきりだったキューブリックは、ようやく時間をひねりだし、ぜんぶで九ページにおよぶ広範囲にわたる修正の提案をおこなった。

(略)

わたしだってブロックは透明にしたかったが、それを作ることができなかった。だから小説ではブロックを黒にしたい」(略)

異星人の物体が〈月を見るもの〉を急に活動させる場面をクラークが「目に見えぬ糸で吊られたマリオネット」のようだと書いていることについて(略)わたしにはまったく見当外れに思える。これでは魔法が消えてしまう」(略)

ブロックがヒトザルたちの精神に興味をそそるイメージを送り込む

(略)

――幻影のヒトザルたちは、明らかに誘いかけであり、武器を使った結果として栄養の行き届いた姿をしている――というクラークの描写を読んで、キューブリックは次のような意見を出している。

 

この場面はわたしには前々からリアルさが感じられず、どこか信じられない気がしていた。彼らはたしかに飢餓から救われるが、たらふく食べ、体毛はなめらかでつやつやし、満ち足りていることなどないだろう。こういうことは一九六六年でもまず起きない。わたしはこう考える。いつか立方体が消える日が来る。そして〈月を見るもの〉と手下たちは、食物さがしに行く途中、しょっちゅう見かけてきた巨象の骨のそばを通りかかるが、とつぜん吸い寄せられるように近づき、骨をいじったりふりまわしたりしはじめる。この場面では、小説中にも、最終的には映画にも、なにか恍惚とするような魔法を吹きこみたい。そしてこの場面から転じて、彼らは草を食む動物たちに近づき、いつもは食べ物を分け合っている彼らの一頭を殺す……

 

(略)

こうして監督がはっきりと関与したことで、メレディスはデルとの契約交渉に入れるようになり、六月中旬には、クラークは自分の目的を達成したと確信していたようだった。六月二十二日に、彼は〈ルック〉の編集者にこう書いた──「今月中には本を刊行できるようスタンリーを説得できたと思う」

 クラークはあまりにも楽観的すぎた。キューブリックは〈人類の夜明け〉パートの終わりまでしかメモを送っておらず、すぐにまた仕事が忙しすぎると訴えるようになった。(略)

出版社は本をよこせと叫んでいて、数週間以内に渡せなかったら、わたしは少なくとも十万ドルを失うことになるだろう。だが、スタンリーは、わたしが本を刊行することを許さないし、といって原稿を推敲する時間もとれない。彼はベストを尽くしてはいるが、疲労困憊になるまで働いていて、まったく近寄りがたい」

 結局、七月四日にキューブリックはデルとの契約をきっぱり断った。(略)

いまや信じようという気持ちを完全に失ったクラークは、友人への手紙でこう書いた。「すぐにでも不快な気分でこの地を離れ、傷を癒やすためにコロンボへ戻るかもしれない」彼が訴訟を起こすと言ってキューブリックを脅し、実際にその可能性を検討していた明白な証拠がある。

マイム役者、ダン・リクター

「あなたの問題は、どれだけみごとにスーツをデザインしようが俳優を訓練しようが、できあがるのはやはり猿のスーツを着た人間だということです」リクターは言った。「だからそれを克服しなければいけないわけですが、そのためには彼らの動機に──その感情に──観客を巻き込んで、そこで起きていることを信じ込ませる必要があります。ヒトザルたちがほんものの感情と動機をもったほんもののキャラクターであれば、観客にそれを受け入れてもらえる可能性はあります。いったんそうなってしまえば、あとはやるべきことをやって、ペースを崩さなければいいんです」

(略)

彼は自分が演者や振付師として考慮の対象になるかもしれないとは思ってもいなかった。キューブリックは「最後にはだれか有名な人を雇って」この仕事をさせるのだろうと考えていたので、ただ楽しく過ごしていた。

(略)

キューブリックが言った。「ふむ、すごい話のように聞こえるが、ぼくはきみのことを知らない。きみの言うことを信じたくてたまらないし、これですべてが解決するように聞こえるんだが、うまくいくという保証がどこにある?」(略)

「二十分くれたら、実際に見せてあげますよ」(略)

「二十分と、タオルが二本と、レオタードと、舞台があれば充分です」

(略)

リクターは伸縮性のある黒い全身レオタードを着込み、両肩の下にタオルを押し込んでかさを増した。

(略)

顎がまえに突き出し、眉がさがり、両腕が広がり、胸が持ち上がった。

(略)

舞台上でジョーにすっかり身をゆだねていたリクターは、新しいヒトザル版の自分を解き放ち、そのキャラクターの「力強く、詮索好きで、ためらいがちな足取り」で歩き回った。これを少し続けたあと、ヒトザルになりきったまま舞台の縁へ近づき、憤慨した、理解力の低い類人猿の目つきでキューブリックを見据えた。

「おお、すばらしい!」監督が叫んだ。

(略)

 数年後に質問を受けて、リクターはこのときの変身について語った。「キャラクターはそのキャラクターがしたいことをする。こちらはそれにまかせるだけ。中に入って乗り回しているような感覚に近い。そしてこんなふうなやりとりがある──『こっちへ行ってもいいかもしれないぞ。ちょっとだけだよ。そんなになんでも詮索しないといけないのか?』──キャラクターは魔法への扉だ、創造性という観点から見ると。思ってもみなかったようなことが起こる。自分で自分にびっくりするんだ」

(略)

キューブリックはその件でリクターを質問攻めにしていた。部族ひとつ分のヒトザルをどこで集めればいい? 世界中探してもそんなに大勢のマイム役者はいないとしたら、リクターのほうで別の人びとにその動きを教えることはできるのか? 衣装を着たらどうなるのか?

宇宙遊泳スタント

 常にリアリズムを追求するキューブリックは、ウェストンのヘルメットの後部に空気穴をあけようという提案をはねつけていた。(略)

 キューブリックが譲らないということは、ウェストンの宇宙服が密閉状態になるということだった。圧縮空気の小型タンクがバックパックに入ってはいたが、それは十分しかもたなかった(略)

たとえタンクがスーツへ空気を送り込んだとしても、ウェストンが吐き出す炭酸ガスには行き場がなかった。それが宇宙服の中でたまり続ければ、徐々に心拍数があがって、呼吸は速まり、疲労で体が動きにくくなり、ついには意識を失うことになる。

(略)
胸の悪くなるようなピシッという音がサウンドステージ全体に響き渡り、ワイヤーのより線の一本が切れた。(略)

[制御ユニットは]くるくると落下して、カメラアシスタントのピーター・ハナンの頭にかすめるようにぶつかった。パナビジョンカメラのそばにいたキューブリックは、ぱっとうしろへ跳びさがった。(略)

 頭から血を流しながら、ハナンは近くにあるバーネット病院へ急行し、ひらいた傷口を縫ってもらった。(略)

「もしも頭の真ん中に当たっていたら、彼はきっと死んでいただろう」ウェストンは語る。(略)あそこで墜落していたら、ウェストンだけでなくほかの人たちも巻き添えになって死んでいたはずだ。

 動揺したキューブリックは、二本のワイヤを使うことにもはや異議をとなえようとしなかった。(略)キューブリック自身は二度とスタントマンの下に立つことはなかった。

(略)
「初めてわたしが気を失ったとき、キューブリックはひどく動揺した。わたしの時間がかぎられていることは彼も説明を受けていたからだ」とウェストンは回想する。タンクがほとんどからになって空気の毒性が容赦なく上昇してきたので、彼はアルファベットを逆順で暗唱して次がわからなくなるまでそれを続けた。それから数分待って、周囲が薄暗くかすみ始めると、今度は両腕を広げて十字架の姿勢をとった。(略)

ヘルメット越しに「だれかがスタンリーのところへ走って『彼を戻さないと』と言っている」のを聞いた。キューブリックの返事はこうだった──「知るか、始めたばかりなんだぞ。あの男は上にとどめておけ!上にとどめておくんだ!」

(略)

[すぐにMGMにねじ込むつもりで監督を探すも]

キューブリックは「二日か三日」はスタジオへ戻ってこなかった、とウェストンは語る。(略)

わたしがなにをするつもりかわかっていたんだ」

 リンドンの手配により、ウェストンは「ビールなどが入った冷蔵庫のあるエリザベス・テイラーの楽屋」をあてがわれた。しかも「最大級の慰労休暇が約束され、スタンリーがその分を支払うことになった」つまりは、大幅な賃上げだ。

(略)

 ウェストンがやり遂げなければならなかったもっとも複雑なショットは、HALが遠隔操作するスペースポッドに殺された宇宙飛行士フランク・プールを演じた場面だ。(略)

サーボアームをかまえたポッドが左から接近してくる。ウェストンは二回転してからアームにぶつかり、ヘルメットも体全体もその衝撃で揺れる。

原人の動き

 いまになってみると、キューブリックがとったもっとも重要な行動のひとつは、リクターにボリュー社の美しい16ミリフィルムカメラをあたえて、その使い方を教え、フィルムストックと現像を無制限に利用できるようにしてやったことだ。(略)

キューブリックはこう告げた──「さあ、外へ出て好きなだけ調査をおこないたまえ。とにかく情報を集めて、それから決断をくだすんだ」

 リクターはのちに、ロンドンの大聖堂サイズの自然史博物館にいたイラストレーターのモーリス・ウィルスンにも取材をおこなった。ウィルスンが野生生物を描いた精妙なフルカラーの作品は、細部の鮮明さや美しさにおいてジェームズ・オーデュボンのそれに匹敵する。その数年前から、彼は博物館にある化石のかけらを調べて、アウストラロピテクスやそのほかの原人がどのような姿でどのようなふるまいをしていたかを再現する絵画を製作していたのだ。

(略)

 博物館とは別に、リクターはロンドン動物園にいる、哀愁に満ちた、思慮深げな“ゴリラのガイ”のもとを繰り返し訪れた。(略)

「穏やかな表情だった。彼は動物園の訪問者たちを見渡していたが、わたしがケージの前で動き回ると、その目でこちらを追っていた」ボリューを手に、ダンは観察を続けた。(略)リクターはみずからもボディランゲージを試み始めた。

 

なんというみごとなコントロールだろう! わたしがなにかに手を伸ばすとき、その動きは体の中心から始まる。立ち上がり、向きを変え、走る──どの動きも中心から始まる。そうやって動くといろいろな効果があった。それはすぐにわたしの身のこなしから人間らしさを消した。それはサイズ感を生み出した──わたしは急に大きくなり、重さを増した。試しにこのやりかたで動いてみるといい。それはエネルギーとパワーを生み出す。ガイが教えてくれたんだ。彼が〈月を見るもの〉にサイズ感と奥行きをもたらしてくれた……。ありがとう、ガイ、なつかしの友よ。

 フロントプロジェクション

 キューブリックが〈人類の夜明け〉の撮影方法としてもうひとつ検討していたのは、当時は映画製作で使うはまだ目新しかったフロントプロジェクションという技法を導入することだった。(略)

『2001年』以前には、多くの映画が特殊効果の技法としてリアプロジェクションを使っていた。古典的な例は、車の中のカップルの背後で道路が地平線方向へ流れ過ぎていくというあれだ。リアプロジェクションは『2001年』でも広範囲で使われていて、宇宙船のセットでは高解像度フラットパネルの電子スクリーンをみごとに模していた。ただ、リアプロジェクションだと、もっと大きなスクリーンでその前に車や砂漠の風景のセットを置くようなかたちで使った場合、投影する映像をスクリーンの素材に反射させるのではなく透過させなければならないという問題が出てくる。それで明るさも鮮明さも落ちてしまうのだ。

(略)

 一九六四年に、キューブリックは一九五〇年代から一九六〇年代初期にかけて公開された数あるSF映画の中でも、特に日本の東宝(略)が製作した作品をたんねんに観賞していた。彼が一九六三年の映画『マタンゴ』を観たのはほぼ確実だろう。この作品で(略)本多猪四郎監督はヨットが海上にあるシーンで先駆的なフロントプロジェクションを導入していた。それはリアプロジェクションで実現されるどんな映像よりも段違いにリアルであり、キューブリックはまちがいなく注目したはずだった。

(略)

スコッチライトのフロントプロジェクション・スクリーンは、リアプロジェクションより何百倍も効率よく映写機の光をカメラのレンズへ跳ね返し、しかも正面から反射するので、輪郭がぼけることもほとんどない。

(略)

それでも、いろいろと制約はあった。すべてのガラスビーズが光を細いビームで投影源へ反射するので、カメラは映写機のレンズと正確に一直線上の位置になければならない映写機もカメラもかさばる機材で同時に同じ場所に設置はできないことを考えると、とても不可能なように思われた。3M社の研究者だったフィリップ・パルムクイストが開発したフロントプロジェクションのシステムでは、カメラのレンズの前にハーフミラーを四十五度の角度で置くことでこの問題を解決した。カメラに対して九十度の位置に設置された映写機が、このミラーにむかって映像を投じると、ミラーはスコッチライトのフロントプロジェクション・スクリーンへそれを投影し、スクリーンで跳ね返った光はミラーの背後にあるカメラへまっすぐもどってくる。投影された映像は前景にいる俳優たち、たとえば骨を手にしたヒトザルにも投射されるが、スコッチライトをかぶりでもしていなければ、ほんのかすかで目につくことはない。しかも、ステージ4でビル・ウェストンの体がみずからを吊すケーブルを隠したことでほぼ完璧な無重力シーンが生まれたように、実際のところは、映写機からの光で演者たちがスクリーンに投じる影も本人たちの体によってカメラからは隠されるのだった。だが、難問はほかにもあった。カメラはずっと固定しておくか、さもなければ、どこかへ移動させるたびに

クヮカブーム

[ロケハン隊から送られた写真]

しわの寄った樹皮と肉厚の星形の葉をもつこの奇妙な植物を見て、キューブリックは興奮した。彼が求めている先史時代のエキゾチシズムをみごとに表現しているように見えたのだ。

(略)

マールテンスは依頼主に、クヮカブームは絶滅危惧種で法律で保護され[金網で囲まれており、水を沢山含み運搬するには重すぎると説明]

(略)

[そう報告された監督は]

「だが、ぼくはこの木がとても気に入った。なにか方法はあるだろう。忍び込んで何本か拝借すればいい」(略)

「MGMの名は出すな。フォックスかなにかのふりをしておけばいい」

(略)

バーキンみずからフェンスを切断し(略)

労働者たちがもっとも大きくて立派なクヮカブームを二本切り倒し始めた。ところが、地面にぶつかったとたん、木はいくつかに割れてしまった。含んでいる水の重みでもろい幹が砕けたのだ。(略)

[折れた幹からはスズメバチの群れ]

すべての木がぶじに倒された時、四本はばらばらになっていた。それなりに形をとどめている六本をトラックに積み込み

(略)

バーキンがこれほど苦労して砂漠を運んだ木々も、『2001年』のヒトザルが登場する序章ではずっと遠方に二本ちらりと見えただけだった。

(略)

それでもクヮカブームに心惹かれていたキューブリックは、MGMの美術部に頼んで新しい木を製作してもらい、そのうちの何本かが〈人類の夜明け〉で堂々たる姿を見せた。それらはイングランドで作られたものだったのだ。

 灼熱の照明

 要求される明るさのレベルを考えると、いずれも実現困難なことばかりだった。

(略)

オルコットがこのときのことを回想する。「そこでわたしはこたえた。『それを実現するためにはステージの天井全体を大きな白い空にするしかないな』」(略)

オルコットはばかばかしいほど精密なスタジオ用照明制御システムを考案した。

(略)電球の数は二千から三千個になった。するとキューブリックが言った。「まあ、いいんだが、下に山のあるところでは、熱く[露出過多に]なってしまうな」それはそのとおりだった……。彼が「山の上の電球は消さないと」と言ったので、わたしは「そのためにはすべての電球に個別のスイッチをつけるしかない」とこたえた。すると彼は──「よし、すべての電球に個別のスイッチをつけよう」ふつうならとても受け入れられない話だ。(略)

必要なケーブルの量はぜんぶひっくるめると十二キロメートル分くらいになった。

(略)スイッチの数はぜんぶで千八百五十個になった。(略)

だが、すべての電球を点灯すると、木箱当たりの合計は二万五千ワットになる。三十七個の木箱の電球が頭上高く吊されると、その空のパワーの合計は九十二万五千ワットになる。しかもその計算には、鮮明さを増したり、太陽の光が地平線近くから射し込む感じを出したりするためにセットの両脇に運び込まれていたブルートライトがいっさい含まれていない。(略)九台のブルートライト[による](略)太陽の光だけで二十三万五千ワットだ。これに空を加えて、ウッズは〈人類の夜明け〉のセットは百五十万ワットの光で照らされると計算した。

 当然ながら、ステージ4の室温は優に三十七度を超えた──真夏のナミブ砂漠なみの暑さだ。

次回に続く。

2001 キューブリック、クラーク その2

 前回の続き。

2001:キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

 

『星からの贈り物』 

[『アフリカ創世記』を読了したクラークは、映画の題名に使える啓発的な一節を見つけたと日誌に記した]

「(略)星からの贈り物がなければ、宇宙線と遺伝子との偶然のぶつかりあいがなければ、知性はアフリカのどこか忘れられた原野で消滅していたことであろう」(略)

そしてふたりは仮題をまたしても変えた──『星からの贈り物』に。

 キューブリックにも『アフリカ創世記』から引いたお気に入りの一節があった。

 

 われわれは、墜ちた天使ではなく、成りあがったサルに生まれつき、そのサルはおまけに武装した殺し屋だった。ならば、なにを不思議に思うべきなのか?殺人と大虐殺とミサイルと和解できない統治だろうか?

(略)

人間の奇跡は、どこまで沈んだかではなく、どれほど立派に成りあがったかにある。

 

 九月二十六日に監督は、また別の本を読むようにと共作者に渡した。ジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』、人類の神話に共通する要素を途方もなく広い視野でとりあげた研究である。

(略)

「英雄は日常の世界から超自然の驚異の領域へと飛びこんでいく。そこで途方もない力と出会い、決定的な勝利をおさめる。英雄は仲間に恩恵をもたらす力を得て、この神秘的な冒険から帰還する」

(略)

 クラークの元の短篇では、人類はすでに村に定住し、槍をはじめとする初歩的な道具の使い方を習得していた。しかしながら、『アフリカ創世記』の影響のもと、新しいバージョンは時間をさらにさかのぼり、われわれの祖先がサルと見分けがつかなかったころを舞台にしていた。

(略)

新しい冒頭の章では、謎めいた「結晶の厚板」が、「光と音の脈動するオーラ」をともなって、ある夜アフリカのサバンナに出現する。視覚的な花火大会が延々とつづき、そのあいだ〈月を見るものは、「詮索好きな巻きひげが、頭脳の使われていない側道を這いおりてくる」のを感じる。そのあと厚板は亜人の精神に道具の使用という観念を植えつける──とりわけ、鋭くとがった石の武器の作り方を。

(略)

異星の知的生命が月に埋めた太古の人工物を発見し、発掘するというくだりは、もともとは映画のクライマックスとして発想されたのだが、ヒトザルの登場する章の直後に当たる位置まで徐々に移動していた。それにつづくのが、宇宙飛行士のチームによる木星への遠征だ

(略)

 この謎めいた門をくぐり抜け、そのかなたへ向かう旅を描くに当たって、クラークの想像力の凝縮した力は、彼が書きあげた文章のうちでもっとも鮮明で説得力があり、手でさわれそうな散文へと翻訳された。

(略)

クラークは星団、赤い太陽、曖昧模糊とした霧に包まれている異星の世界の風変わりな景観を書きつづった。彼はボーマンが「旅のあいだ彼を押さえていたどんな力にも引けをとらないほど強力な……驚異の感覚」にわしづかみにされるところを書いた。やがてボーマンは「どこかの狂った画家の幻覚なみに荒々しい空へ」飛びだす。彼のオデュッセウスである宇宙飛行士は「地球と同じくらいの大きさがある天体の焼け焦げた死骸」を通過する。「その表面の火山岩滓となった溶岩(略)のあちこちに、削りとられた都市のかすかな平面図が、いまもぼんやりと見えた」

 ボーマンは新星となってしまった星のこの犠牲者のわきを通り過ぎる。「ノヴァ──あらゆる恒星が、進化のどこかの段階でかならずそうなり──周囲をめぐる子供たちを殺してしまう」星だ。そして彼は球状星団の「輝かしい顕現」を目撃する。

(略)

 残存しているほかのページには、三年後にほぼそのままの形で実現する記述が含まれている。キューブリックの視覚効果チームが、クラークの言葉をとりあげ、それを映画の言語に変形したのだ。「回転する光輪は重なりはじめ、スポークは融けあって光りかがやく縞となり、ゆっくりと遠のいた。縞は二本ずつに分かれると、おたがいに振動しながら、交差する角度を絶えず変えつづけた。光をはなつ格子が組み合わさっては離れ、不思議なはかない幾何学模様を描いてはこわしてゆく。そしてホミニッドは金属の洞穴のなかから一心に見まもった──目を見開き、あごをだらしなく落とし、とりことなって」

(略)

 名目上は没になったセクションでさえ、内容のきらめく断片は、のちに映画のなかでさまざまな度合いで反射し、屈折した。ボーマンは最終的にある惑星に到着し、そこで大洋の上を飛ぶのだが、「この海がまた何とも異様」(同)なのだ。「あるところは藁のような淡黄色を帯びているし、ルビーのような赤い部分は、ボーマンが思うにどうやら深い海らしい」のだから。(略)

別の結末では、「現実とは思えないような出来事」を経験する。「もはや彼はポッドのなかにいない……ポッドのそとに裸で立ち……窓から内部をのぞき、コントロール装置のまえにすわる自分の凍りついた姿を見つめていた」のだ。これらの記述のいくつかは、映画の終盤に、事実上ショットごとに現れるだろう。

 カミングアウト

「ホモっけ」云々に関していえば、一九六四年を通じてクラークがキューブリックと親密になるにつれ、ある懸念が彼のなかで高まっていった。もしキューブリックが共作者の性的指向に気づいたら、自分が好きになり、敬服するようになったこの男はどう思うだろう?見当もつかなかったので、彼の懊悩は深まった。とうとう、クラークはその問題に真正面から向き合うことにした。ある打ち合わせの席で、頃合いを見計らって唐突にこういったのだ。「スタン、きみに知ってもらいたいことがある。わたしは精神的にたいへん安定したホモセクシャルだ」

「ああ、知ってたよ」とキューブリックは間髪を容れずに答え、そのままの議論をつづけた。

 完全に無関心な「つぎに行こう」として、それに匹敵する反応はありえなかった。クラークの口もとに安堵の笑みが浮かんだ。

マンハッタン計画

[キューブリックは映画『宇宙』の技法を]65ミリのカラー・フィルムで再現することに決めた。(略)

エフェクツ = U = オールという小さな映画視覚効果会社と契約し(略)ブラジャーの廃工場を借りた。そこで彼と共作者たちは、黒インキと、バナナ・オイルと呼ばれる第二次大戦期に使用された猛毒のペンキ薄め液(酢酸イソアミル)のはいったタンクを置き、映画用の高輝度ライトで囲んで、『2001年宇宙の旅』となるものの最初の数コマを撮影した。機密厳守で行われたので、彼らはそれをマンハッタン計画と呼んだ(略)

 強力なライトのおかげで、カメラを速いスピードでまわせた。表面張力、色彩変化、そのあとの化学反応という高速の錬金術を捉えるのに、なくてはならない要素だ。一秒七十二コマで撮影する早回しのカメラは、微妙に色調が変化する“銀河”のスローモーションを生みだした。爪楊枝を使って、白いペンキをペンキ・シンナーの混合液に数滴したたらせたのだ。バナナ・オイルに反応したペンキが、模造の星の川と銀河の渦状肢を宇宙空間へ流れこませた。マクロ・レンズのおかげで、トランプ札大の一画が、数光年にまたがる星雲のように見えた。

(略)

シンナー、インキ、熱い撮影用ライトの光を浴びて“腐りかけている”ラッカーの悪臭が立ちこめていた。

(略)

彼は深夜の一時や二時に有毒の煙で目を赤く腫らして工場から帰ってきた。悪臭も気にせず、何週間もぶっつづけで、任意の効果を創りだすためには、どんな割合、温度がいるか、そしてどんな密度の液体をどの高さから落とさなければならないかを几帳面に書きめた。「わたしたち凡人とスタンリーとのちがいは、凡人が辛抱しきれなくなったずっとあとまで彼は粘って、やりとげることにあるの」[妻クリスティアーヌ回想]

分け前 

 契約にはポラリスが五千ドル「前哨」のオプションを取得した上に、クラークに三万ドルを支払って台本を書かせたと注記があり、MGMがキューブリックプリプロダクション費用をすべて肩代わりすると述べていた。

(略)

最終的にもう三万ドルもらえる見通しだった。インフレを補正すれば、今日の通貨価値でおよそ五十万ドルだ。キューブリックは作品をMGMに売ってその三倍以上を手に入れ、クラークへの分け前はなかった。いっぽう、それとは別の合意にしたがって、小説がとうとう印刷にまわせるようになれば、キューブリックのとり分は、クラークの六十パーセントに対して四十バーセントと決まった。その時期をだれが判断するのか?いうまでもない、監督だ──彼は承認権が自分にあるよう念入りにとりはからったのだった(略)

『2001年』の予算にはプロデューサー兼監督としてのキューブリックの仕事に対する二十万ドル、脚本執筆に対する五万ドルが含まれていた。インフレを補正すれば、さらに二百万ドル弱がキューブリックに支払われる

(略)

もちろん、ポラリスのとり分はこのどれにも含まれていない。それは純益の二十五パーセントと決まっており、MGMが費用の二・二倍を差し引いたあとの額が純益とされた。(略)

映画が成功をおさめたら、キューブリックはたいへんな額を稼ぐ見通しだった。こんどもクラークは、そのゲームに参加していなかった。

ガラス板みたいなモノリス

 監督は異星の物体を完全に透明な物質で作りたがった。(略)

プレキシグラスで作ろう、とキューブリックはいった。(略)

[トニー・マスターズはパースペックス見本市に赴き]

「パースペックスでピラミッドみたいなものを作りたいんです(略)

高さを三メートル半くらいにしたいんです(略)

「なんとまあ(略)それはまた大きなパースペックスの品ですな。どうなさるつもりか、訊いてもよろしいでしょうか?」

「ええ、アフリカで山のてっぺんに置くつもりです」(略)

[かつがれてるのかと不安げな出展者]

「ばかなことをお訊きしますが……(略)どこまで大きなものを作れますか?」(略)

「そうですね、その大きさのものは作ったことがありません(略)

しかし、作ってみたいですね。(略)タバコのパックの形にするのが最善の策でしょう、大きな厚板のような形です」

(略)

[戻り、監督と数日協議し]マスターズはまたしても高速道路を疾走した。「注入やらなにやらには、かなり長い時間がかかります(略)

それから冷却にひと月かかります。非常にゆっくり冷やさなければならないからです。さもないと、割れてしまいます」それから研磨しなければならず、やはりかなりの時間がかかる──すくなくとも数週間は

(略)

[ようやく完成し検分すると]

「ああ、なんてこった」とキューブリック。「見えるぞ。緑ががかってる。ガラスの板みたいに見える」

「ええ、そうです」とマスターズ。「あいにく、そう見えます──プレキシグラスの板のように」(略)

「なんてこった」キューブリックはくり返した。「完全に透明になると思っていた」

「まあ、厚さが六十センチ近くありますから」マスターズが眉間にかすかなしわを寄せていった。彼らは光を屈折させたり反射させたりする、緑がかったポリメタクリル酸メチルのきらめく厚板をじっと見つめた──重さは二トンを超える。青いカバーオール姿の作業員が数人、わずかに離れたところに立っていた。(略)

それはキューブリックの想像した、魔法のように完全に透き通っている、目に見えないも同然の異星人の遺物ではなかった。

「ああ」彼は残念そうにいった。「しまってくれ」

「なんですって?」とマスターズが信じられないといいたげに尋ねた。「しまってくれ」キューブリックはくり返した。

(略)

[見積り費用は]グレーター・ロンドン域内でかなりの大きさの家を買ってお釣りが来る値段だった。(略)

「信じられない」と残念そうにキューブリックがいった。「ガラスの板みたいに見える」

(略)

「なら、いっそ黒い板にしましょう。それなら、正体がわからないからです」

「いいだろう、黒い板にしよう」とキューブリック

『2001年』のモノリスの大きさ、形状、色が決まったのだった。

 スター・チャイルド

 数日のうちに、作家は新しい結末をいくつか書きあげた。(略)

「ひとつ、ピンと来たものがある──ボーマンが子供へ逆行し、結末では赤んぼうとなって軌道上に浮かぶという図。(略)

[それはふたつの要素の影響か。ひとつは『アフリカ創世記』の点描画の虚空に浮かぶ胎児のイラスト]

第二の影響は(略)人間の胎児を撮影したスウェーデンの写真家レナート・ニルソンのすばらしいカラー写真だった。ほんの数カ月前〈ライフ〉に掲載されたものだ。(略)

ニルソンの作品は世界的なセンセーションを巻き起こした。

(略)

しばらくのあいだ、『2001年』のスター・チャイルドは、地球軌道を周回する核兵器を爆発させることになっていた──小説には残っているが、映画には残っていない場面だ。「博士の異常な愛情」の結末と似すぎていると判断されたのである。

(略)

なぜボーマンが結末で赤んぼうになるのか、そのロジカルな理由がひらめいた。これは成長段階における彼の自己イメージなのだ。おそらく宇宙意識にもユーモア感覚があるのだろう。電話をしてスタンリーにこうしたアイディアを話すが、あまり感心してくれない。だがわたしは浮き浮きしている」

 硬木のモノリス

マスターズの提案にしたがって、高さ三・三メートルの黒い硬木のモノリスが用意されていた。さんざん議論を重ねたあと、その縦・横・厚さの比率は最初の三つの整数の二乗、つまり1:4:9に定められていた(略)

さまざまな種類の木材が試された。グラファイトが艶消しの黒いペンキと混ぜられ、スプレーされた。上塗りを何度も重ねると、それは黒光りする金属表面の光沢を生みだした。最終的に、およそ十四個が作られたが、マスターズは作る端から投げ捨てるはめになった。

(略)

ようやく合格したもの(略)さえ、監督の批判を免れなかった。形と仕上げは非の打ちどころがなかったものの、ほこりについた指紋が表面にくっきりと見えるときがあったのだ。

(略)

 物事をさらに複雑にしたのは、シェパートンへの移送中、モノリスが静電気を帯びたことだった。セットの粉末状の月の表土にさらされると、「ドサッと音がして、それは塵で覆われてしまった」とマスターズは回想する。「空気を噴射して、そのしろものから塵を払わなくちゃならなかった。それから照明を当て、三時間か四時間たつと、わたしは爪を噛んでいたものだ。なぜかというと、熱くなればなるほど、表面にそってわずかなこぶができはじめるのが見えるからだ。『ああ、ちくしょう!スタンリーも気づくだろうか』って気をもむわけだ。

製作初日 

2001年宇宙の旅』の製作初日に現場にいた人びとはみな、その興奮をなによりもよく伝えるひとつの光景について口にする。キューブリックが重さ十キロのパナビジョンを肩にかつぎ、眼下のモノリスへむかって斜路をくだる宇宙服姿の月面歩行者たちを背後からフィルムにおさめたのだ。

(略)

それはキューブリックが現場でいかにして陣頭指揮をとるかを見せつけるこのうえなく鮮烈なデモンストレーションであると同時に、チェスのゲームにおける初手とよく似ていた。

(略)

「パナビジョンだったし、すごいセットだったし、キューブリックがこのカメラをかついで撮影するのを見たら、それだけで興奮させられた」彼が特に衝撃を受けたのはハリー・ラングによる宇宙服のヘルメットだった。「いや、ほんとにすばらしかった。背筋がぞくぞくしたよ。すごくきれいで、いまだにあれを超えるものはないね」

露出計代わりのポラロイド 

 ライティングの段階で現場にいなかったとき、キューブリックは戻ってから必ず微調整を加えた。クラビウス基地の会議室のように、『2001年』のシーンのほとんどは、寒々とした、異常なほど均質の照明で統一されている。これは簡単に実現できることではなく、キューブリックとオルコットはライティングがうまくいっているかどうかを確認するための効率的な方法を確立していた。露出計ではなく大量に撮影した白黒のポラロイド写真で判断するのだ。

(略)

露出計のかわりにポラロイドを使うのは、以前から構図をスチル写真で確認していたキューブリックにとっては自然な成り行きでもあった。「そうすることでカメラをとおして見たときとはちがう見方ができたんだと思う」とオルコットは語っている。

 

 映画撮影用のカメラをのぞき込むと、三次元のイメージを見ることになるから、奥行きを感じる。だが、キューブリックがそれをポラロイドのスチル写真で確認するときには、まったくちがう、二次元の静止画を見ることになる──全体がひとつの面になって、スクリーンで見るイメージにより近くなる。(略)

 

 その結果、製作期間を通して、キューブリックはおよそ一万枚に達するポラロイド写真をライティングの中調整中の撮影し、そのあとで再調整をおこなったり、カメラの位置を変えたりした。

HALの読唇術 

ロックウッドは、キューブリックとクラークが「コンピュータに圧力をあたえる」ために書いた一連の短いシーンが「しっくりこない」のだと伝えた。彼の考えでは、あれは冗長すぎる。(略)HALの被害妄想をあおるならもっといいやりかたがあるはずだと。

(略)

[帰宅して考えを練ると監督に電話]

宇宙飛行士たちはなにか口実を見つけてポッドのひとつに乗り込み、HALと完全に遮断された状態でふたりきりで話ができるようにするべきではないかと伝えた。そうすればふたりにコンピュータを停止する話をさせることができるし、HALのほうはその会話を盗み聞きする方法を見つければふたりに先んじることができる。この流れなら、観客には必要な情報がすべて伝わるし、HALにはきわめて人間的な被害妄想を植え付けることができる。

 これを聞いて、キュープリックは興奮した。彼は車を出してロックウッドを迎えにいかせた。二月の氷点下の夜だったが、俳優がアボッツ・ミードに着いたときには、暖炉で火が燃えさかっていた。ふたりはそのまえですわり込み、朝早くまで飲んで議論して、ついにそのシーンをまとめ上げたのだった。

(略)

 ある日の午後、キューブリックの共同プロデューサーであるヴィクター・リンドンが書類を手にトレーラーへやってきた。(略)彼の業務の多くを占めていたのは、果てしなく続く保険金の請求という報われない仕事(略)

HALがどうやって盗み聞きをするかの問題がまだ解決していないと聞くと、リンドンはそんなのはわかりきったことじゃないかという顔でデュリアとロックウッドを見つめて言った。「きみたちの唇を読めばいいのさ」一瞬、雷に打たれたような沈黙があった。「ああ、それはすごいアイディアだ!」キューブリックが叫んだ。ついに解決策が見つかったのだ。

次回に続く。

2001 キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

 

博士の異常な愛情』のプロモーション

キューブリックは自作のプロモーションには積極的にかかわっていた(略)

コロンビア・ピクチャーズが一九六一年に公開した『ナヴァロンの要塞』──その年の興行収入第二位の映画──のプロモーションにかけたのと同じ時間と費用を『博士の異常な愛情』のプロモーションにかけるよう働きかけることに全力をつくした。そうすることで、映画会社の宣伝部のなかでは仕切り魔と言う評判を頂戴した。

 SFラジオドラマ「太陽面の影」

 その前の数年間、『ロリータ』と『博士の異常な愛情』にとり組んでいるあいだ──どちらも英国のスタジオで撮影された──キューブリックは週末にBBCラジオをたくさん聞いていた。一九六一年の十一月と十二月に新作SFラジオ・ドラマ「太陽面の影」を耳にし、注意を惹かれた。(略)

大きな隕石が地球に落下したあと、謎めいた出来事がたてつづけに起きるという筋立てで、不可解にも太陽が暗くなるのと並行して事件が起きる。(略)

隕石といっしょに異星のウイルスが到来していたことを発見する。それは人間を寒さに対して鈍感にするが、すべての性的抑制をしだいに失わせもするのだ。

 使い古されたプロットに思えるが、キューブリック座右の銘のひとつは、よい本は悪い映画になるし、その逆もまた真なりというもので、彼はそのストーリーに本物の可能性を見てとった。(略)

彼が興味をそそられたのは、地球規模の危機の描写だった。(略)
登場人物たちが無情にもウイルスを広めるにつれ性的熱狂と融合する。(略)

[『ロリータ』]では表現が限定されたので、あからさまな性描写を独自に探求する方法にキューブリックは興味をいだいていた。「太陽面の影」は、それを可能とすると同時に、SFのテーマを探求させてくれそうだった。

(略)

[じつは]『博士の異常な愛情』の脚本にはSF的な枠組みが含まれていた。映画のオープニング・クレジットは、「マクロ──ギャラクシー──メテオ・ピクチャー (略せばMGM)」というオープニング・タイトルの下で「不気味な、頭がたくさんある、毛むくじゃらの化けもの」がカメラに向かってうなっている場面ではじまるはずだった。カメラが恒星、惑星、衛星のあいだを移動していくエフェクト・ショットのあと、明らかに異星に出自を持つナレーターがこう説明することになっていた。つまり、観客がこれから目にする「太古のコメディ」は、「われらが地球探検隊、ニンバスⅡの隊員によって北方大砂漠の深いクレヴァスの底で発見された」ものである、と。

(略)

[高校からジャズ・ドラムをやっていたキューブリックはアーティ・ショウと交友を深め]

ショウもまたSFファンであることが判明した。(略)

「クズとみなされない最初のSF映画を作りたいんです」とキューブリックはいった。「太陽面の影」について説明し、ラジオ・ドラマを脚色してくれる最高の作家を探している、とミュージシャンに語った。これを聞いて、ショウはアーサー・C・クラークを読むように勧めた──とりわけ長篇「幼年期の終り」を。

(略)

 全能の地球外生物がやってきて、人間の営みに介入するというクラークのヴィジョンをはじめて吸収するうちに、キューブリックはしだいに興奮してきた。

[権利関係を調べると既にオプションが取得されていた]

 アーサー・C・クラーク登場

 『博士の異常な愛情』の好調な出だしについて言葉を交わしたあと、 [コロンビアの宣伝担当重役]ロジャー・キャラスは監督に、つぎはどうするつもりだと尋ねた。(略)

[「きっと笑われる」と警戒しつつ]

彼はいったんだ、『ETについての映画をつくりたい』と」

(略)

作者を問わず、手当たりしだいに読んでいるのだ、とキューブリックがいった。(略)

「なんでひととおり読むんだ?最高の作家を雇って、話を進めればいいだけじゃないか」

「だれが最高なんだ?」(略)

アーサー・C・クラークだ(略)

「すると彼はいった、『なるほど、でも、たしか頭のおかしいやつだろう。インドで木のうろに住んでる隠者だ』と」

(略)

『知りあいなんてもんじゃない。アーサーとぼくは長年の友人だよ』と答えたんだ」

「いやはや、連絡をとってもらえないか?」とキューブリックはいった。

(略)

[当時、キューブリックは36歳、クラークは47歳]
監督が「太陽面の影」の粗筋を述べるのをおとなしく拝聴したあと、クラークは、自分自身のコンセプトか、あるいは共同で発展させるかもしれないアイディアに基づくオリジナル・ストーリーのほうで仕事をしたいと希望を述べた。

[三年後の〈ライフ〉誌のための草稿にて]

「少々悔しいことながら、スタンリーがすでにありきたりな“地球侵略”ものの脚本に興味をいだいているとわかった。わたしは他人のアイディアで仕事をすることに興味はない、とはっきりとわからせてやった」と。

(略)

一九六七年には、『2001年』について書くものはなんであれ監督に提出してコメントをもらうという要請にクラークは応じていた。

(略)

「スタンリーははじめから、最終ゴールについてはたいへん明確な考えを持っていて、それに近づく最良の道順をさがしていた」とクラークは書いている。「彼が作りたかったのは、この宇宙におけるヒトの位置を描いた映画で(略)

驚異と畏敬と(筋立てしだいでは)恐怖までもかきたてる芸術作品を創りだそうとしていた」

『キャッチ=22』 

[ジョゼフ・ヘラー宅訪問]

彼はヘラーの長篇小説『キャッチ=22』を絶賛していた。同書は、非線的な構造を別にしても──その本のさまざまなストーリー・ラインは、場面の連続から巧みに織りなされていた──自分が「博士の異常な愛情」で達成したと信じている“悪夢のコメディ”のような効果をそなえていた。ヘラーのほうもこの映画を激賞していた。

(略)

「非常に優れたプロットは、ささやかな奇跡です。音楽におけるヒット曲のようなものなんです」

「いい得て妙だね」とヘラーは応じた。

「『小説の諸相』のなかで」とキューブリックは言葉をつづけた。「E・M・フォスターは、プロットを持たなければならないのは残念きわまりないが、持たないわけにはいかないと論じました」

 

最初の穴居人が焚き火を囲んですわっているとしましょう。もし語り部が彼らの興味を惹きつけておけなければ、彼らは眠りこむか、大きな石で語り部をなぐるかしました。でも、人は優れたプロットに代価を惜しみません。なぜなら、つぎになにが起きるのだろう、とそこにすわっただれもが考えているときは、それがどのように起きるのか、あるいはなぜ起きるのかを気にする余地がないからです。いちばん巧妙なやり口のひとつは、優れたプロットを持たないで、それでいながら興味を持続させることで、それにはふたつの方法があります。つまり、信じられないものをとりあげて、それを迫真的にするか──あなたの本のシュルレアリスムとファンタジーと夢のような特質が行き渡るのはそこです──あるいは事実や人物の核心にぎりぎりまで迫って、派手に動いていないときでさえ、静かにしているだけと思わせるようにするかのどちらかです。

 

 ヘラーは同意した。「制作家として本当に成功するのは、自分自身の言葉で読者や観客を勝ちとったときだよ」

 キューブリックは言葉をつづけた。「映画という形式と、多くの感情を生みだすという能力のおかげで、非プロット・ストーリー、あるいは反プロット・ストーリーと呼べそうなものがあります。ひとたび人の心を強くとらえれば、あるかないかわからないかくらいの振動で人を震わせられます。

宇宙版 「西部開拓史」

キューブリックシネラマという形式についてクラークに説明した。それは解像度が非常に高いので、観客をある種の旅に連れだすことができる。

(略)

彼は「西部開拓史」を引き合いに出した。数世代にわたる登場人物たちが西へ勢力を広げていくさまを描いた映画である。三時間近い長さがあり、商業的に成功した最後のMGM超大作となった。キューブリックの考えでは、ひな型として評価する値打ちは十二分にあった。(略)

この映画は五つの主要パートとエピローグから成り、全篇を通じての主役がいないので、伝統的な意味でのドラマよりはドキュメンタリーに近かった──たとえスペクタル満載であったとしても。

 ほかの天体に定住しようとするパイオニアたちの苦闘は、アメリカ西部開拓のこだまを未来の宇宙時代に響かせるだろう──その点ではクラークも同意した。

(略)

『太陽系はこうして勝ちとられた』という仮題にしようと決めていた。「わたしたちの頭にあったのは、新しいフロンティアの開拓端緒の日々にまつわるセミドキュメンタリーのようなものだった。このコンセプトはじきにはるか遠くへ置き去りにされたが、いまでもなかなかの名案に思える」と一九七二年にクラークは記している。

(略)

「海から敵意に満ちた、異質な陸へあえてあがった生きものだけが、知性を発達させることができた。いまやこの知性がさらに大きな挑戦に直面しようとしているのだから、地球は塩の海と星々の海とにはさまれた、つかのまの休憩地にすぎないのかもしれない」と。

 マンハッタンをさまよい歩いているうちに、クラークはもうひとつの指摘をした。つまり、最初の道具使用者は人類ではなく、人類以前の霊長類だった──そして道具の使用が彼らを破滅に追いこんだのだ、と。

(略)

 「人間が道具を発明したという古い考えは誤解のもとであり、真実の半分でしかない。道具が人間を発明したというほうが正確なのだ」と一九六二年にクラークは書いた。「それらは非常に原始的な道具であり、サルと大差ない生きものの手に握られていた。それでもわれわれにつながったのであり──最初にそれを使った猿人の最終的な絶滅につながったのである」

(略)

ポラリス・プロダクションズはクラークの短篇小説六篇のオプションを取得する。それらはつなぎ合わされて、映画の土台となる。

(略)

ふたりは追加した長篇小説について話し合った。「前哨」をふくらませたものをベースにした映画の構成要素として考えているものだ。「未踏のエデン」は、地球からの偵察隊が金星で原始的な、地面にへばりついている生命体を発見する経緯を描いた小品。地球人が出発するとき、廃棄物の袋を埋めて残していく。金星の有機合は巻きひげをゴミのなかにのばしはじめ、「生きている生物の小宇宙をも取り込んだ。その小宇宙とは、地球では無数の恐るべき株に進化をとげた、各種のバクテリアやウイルスのこと」 である。締めくくりはこうだ──「金星の冬のもとで、創造の物語は、ここに未完のまま終わりを告げたのである」

「彗星の核へ」は、宇宙船が彗星に侵入する話。コンピュータが故障して、船はガスと塵から成る、もやもやした殻のなかで立ち往生する。クルーは手製のソロバンを使って計算し、危地を脱する。「破断の限界」は、隕石の衝突で酸素タンクに穴のあいた原子力駆動の惑星間宇宙船の話。残っている呼吸可能な空気では、都内のふたりの男のうちひとりしか目的地まで生きのびられない。船はダンベル形で、片方の端に居住区をおさめた大きな球体があり、長いシリンダー経由で推進システムとつながっているという記述がある。放射線を防ぐため、推進システムは居住区と離されているわけだ。「幽霊宇宙服」は、スペースポッド(略)に乗った心配性の宇宙飛行士が、かすかな動きを感知して、ポッドに霊が憑いているのではないかと不安をつのらせる話。(略)

幽霊に思えたものは、じつは無重力状態でもがいている数匹の子猫のうちの一匹だと判明する。

(略)

クラークの五番目の短篇「ゆりかごから」(略)

 最後に語り手は不機嫌な口調をかなぐり捨て、「ぼくの生涯で聞いた音のうちで、いちばん、畏怖の念をおこさせたものだよ。それは生まれたての赤ん坊の、か細い泣き声だった──人類史上、地球以外の世界で生まれた最初の子供の声だった」と述べる。(略)

 そして最後に、もちろん「前哨」がある。彼らの映画の礎石とすることで、すでに合意ができている作品だ。題名の由来となった異星人の遺物に触れて、物語は不吉に幕を閉じる。

 

いま信号が止んだからには、監視役たちはしだいに地球へ関心を向けようとしている。おそらく彼らはわれわれの幼い文明に手を貸したがるだろう。だが、おそろしく年老いた種族にちがいないし、とかく年寄りというものは、若者を狂ったように嫉妬するものだ。

 いまわたしは天の川をふり仰ぐたびに、あのたなびく星々の雲のどこから使者がやってくるのだろうかと案じずにはいられない。陳腐すぎる喩えを許していただけるなら、火災報知器を鳴らしてしまったからには、もうあとは待つしかないからだ。

 それほど待たずにすむのではないかと、わたしは思っている。

 

 その五月にはふたりとも議論に加えようと思わなかった短篇がある。それが「夜明けの出会い」だ。(略)

この作品は、先史時代の地球へ到来した異星人の調査隊の足跡を追う。そこで彼らは、ある点で自分たちに似ていないこともない原始的な亜人の部族を発見する。(略)「歴史の夜明けを待っている未開のいとこたち」なのだ。(略)

「われわれほどの知識があれば、きみたちをあと十世代あまりで未開の状態から卒業させられるはずだ」と動揺したバートロンドが、事態を呑みこめないでいるヤアンにいう。「これからきみたちは、自力でジャングルから脱出するしかなさそうだ。それには百万年ほどがかかるだろう」と。ナイフを含むいくつかの道具をヤアンに残していき(略)

異星人の船が「星ぼしに向かって斜めに上昇する長い光のすじ」に溶けこんでいくのを見送ったヤアンは、「神々が立ち去り、もう二度と戻ってはこない」(略)

「これから一千世紀以上の時を隔てて、ヤアンの子孫たちが巨大な都市を築きあげ、それをバビロンと呼ぶことになるだろう」

(略)
[話がまとまり、クラークとキューブリックはテラスへ。うららかな晩春の]平穏きわまりないタベ。(略)

マンハッタンの全景が眼前に広がり、明かりをまたたかせている。

 ふと気がつくと、まぶしいまでに明るい光、ちらつかない白い光点が南西の地平線の上に昇っていた。それは航海用のビーコンと同じくらい煌々と輝き、着実に夜空を昇っていった。(略)

およそ五分後、それは天頂まで昇っていた──そして、そこで止まったように見えた。ふたりとも畏怖に打たれ、わくわくしてきた。「そんなばかな」とクラークが口走った。「最近点では、人工衛星は見かけの上での最高スピードで移動してなくちゃいけないんだ!」と。ある考えが脳裏をかすめた。「偶然の一致にしてはできすぎている。あっちにいる連中が、わたしたちにこの映画を作らせないようにしているんだ」

(略)

[あわてて新品のクエスターを掴んで戻り]三脚を屋上のタイルの上に据えつけて、クラークはなんとかそれを望遠鏡の視野におさめた。とはいえ、それはまばゆく光る白い点にすぎず、あいかわらず目に見える厚みはなかった。ふたりが交代で観察するうちに、それは南東へ向かってしだいに降りていき、大熊座を通過してから、とうとう地平線の靄のなかに点滅しながら消えた。はじめから終わりまで、十分以上はつづかなかった。「この二十年で目撃した十あまりのUFOのうち、いちばんの見ものだった」と震える声でクラークがいった。

(略)

 たいていのUFOは合理的な説明がつくから、地球外知性の存在する証拠として受けとるべきではない、とクラークはキューブリックを説得しようとしてきたが、キューブリックは判断を保留していた。とはいえ、こうして実物を見たからには、実在説を肯定できると感じた。クラークについていえば、心の底から動揺していた。なにより困惑したのは、その物体が天頂で動きを止めたように見えたことだった。これはすべての論理に反していた。そもそも人工衛星はそんな風にふるまわないし、ふるまえないのだ。

異星人の描き方

 ふたりが当初かかえた難題のひとつが、映画のクライマックスに登場させないわけにはいかないと考えている異星人の描き方だった。

(略)

 五月下旬と六月上旬は、無機物である地球外生命と有機物である地球外生命のどちらがふさわしいかを探ることに費やされた。五月二十八日にクラークは、彼らは「もしかしたら機械であって、彼らの目に有機生命はおぞましい病気なんじゃないか」とほのめかした。「それはいける、とスタンリー。手応えをつかんだ感じ」だったが、そのアイディアはまもなく没となった。三日後の議論では「爆笑のアイディアが出てきたが、使う気はない。エイリアン十七人──みんなのっぺりした黒いピラミッド──が、オープンカーに乗り、アイルランド系の警官に護衛され、五番街をパレードする」ということになった。(略)

モノリスになるものの形は、まだ決まっていなかったものの(略)

その色(黒)と質感(のっぺりした)はすでに現れていた。

(略)

一九五三年の短篇「夜明けの出会い」でクラークは、上位の異星種族と「未開」の地球種族が、両方とも本質的には人間の形をしていると想定していた[が](略)

いまは正反対の考えをいだいていた。つまり、異星人はわれわれとはまるっきり異なっているほうがはるかにありそうだ。ひょっとしたら、想像を絶するほど異なっているかもしれない、と。しかしながら、キューブリックは基本的にクラークの元の意見に与しており、とりわけスイス人彫刻家アルベルト・ジャコメッティの奇怪なほどひょろ長い人体に興味をそそられていた。彼はそれを異星人のひな型として使うことを考えていた。

(略)

[クラークの勧めでカール・セーガンと会合]

 食事のあいだ、キューブリックはセーガンを気づかい、彼の意見を求めて、礼儀正しく耳をかたむけていた。翌日また集まって議論を再開しようという提案に同意さえした。ところが、じっさいは、若い天文学者の傲慢で保護者めいた態度に見えたものにいらだっていたのだ。ゲストたちを見送ったあと、彼は一時間待ってから、「チェルシーのクラークに電話をかけた。「あいつはもう呼ばないでくれ」と彼はいった。「なにか口実を作って、どこでもいから、あなたの好きなところへ連れていってくれ。二度と会いたくない」

 キューブリックはセーガンの意見を無視することにして、つぎの四年にわたり、映画のなかで地球外生命を描くために試行錯誤を重ねた。クラークも同様に、異星人を記述する原稿を何千語も書いた。

HALの原型

草稿のなかで、HALの先駆者はソクラテスという名前で、「おおよそ人間の背丈や体つき」を模しており、「脚部は大きな円いパッドの上にのり、すべりのよいショック・アブソーバー、自在継ぎ手、引っ張りバネの精巧な集合体が、軽い金属のフレームワークに支えられている。一歩踏みだすごとにうっとりするようなリズムで屈伸するさまは、まるでそれ自体に命がそなわっているようだ」と記されている。ソクラテスの知能は「利口な猿なみ」だが、「自主モード」に切り替われば、自律的な個体に変身する。彼がしゃべるとき「ことばは彼自身が生成」している。この初稿のAIは、さらに何度かの名前の変更を経て、そのたびにIQを増していく。

 短編映画『宇宙』

 その年を通じて、2人は無数の映画を映写し、多くの本を読み続けた。その多くは、固まりつつあったコンセプトに決定的な影響与えた。そのひとつが[モノクロ短編映画『宇宙』監督コリン・ロウ](略)
革新的な技法を用いて惑星、星団、星雲、銀河を表現していた。ロウの視覚効果の共作者ウォーリー・ジェントルマンは、透明なペンキ薄め液でタンクを満たし、インキと油絵具を流しこんで、強い照明のもと、高速度で撮影した。それを通常のスピードで映写すると、前代未聞のリアリズムで、まぶしく光る星々や、白熱してイオン化した水素ガスに照らされた宇宙の荘厳さが伝わるように思えた。お粗末なアニメーションと不出来なマット合成をさんざん辛抱してきたキュープリックにとって、このカナダ映画は天啓だった。彼は「宇宙」を何度も何度も映写し、綿密に研究して、ロウとジェントルマンの名前を書きとめた

(略)

劇作家でサイエンス・ライターのロバート・アードリーが古人類学に進出した産物である『アフリカ創世記』が、まもなくまた別の主要な影響源となった。一九六一年に刊行された同書は、人類学者レイモンド・ダートが唱えた学説に基づいて書かれていた。(略)

化石記録にはっきりと残っている鈍器による傷を根拠に、文明は太古の武力傾向に根ざしている、とダートは確信していた。

(略)

サルに似た祖先の生存は、致命傷をあたえる武器の発達にかかっていたと論じた。(略)

クラークの短篇「夜明けの出会い」と共鳴する点がいくつもあり、それが役に立ちそうだった。

次回に続く。