2001 キューブリック、クラーク その2

 前回の続き。

2001:キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

 

『星からの贈り物』 

[『アフリカ創世記』を読了したクラークは、映画の題名に使える啓発的な一節を見つけたと日誌に記した]

「(略)星からの贈り物がなければ、宇宙線と遺伝子との偶然のぶつかりあいがなければ、知性はアフリカのどこか忘れられた原野で消滅していたことであろう」(略)

そしてふたりは仮題をまたしても変えた──『星からの贈り物』に。

 キューブリックにも『アフリカ創世記』から引いたお気に入りの一節があった。

 

 われわれは、墜ちた天使ではなく、成りあがったサルに生まれつき、そのサルはおまけに武装した殺し屋だった。ならば、なにを不思議に思うべきなのか?殺人と大虐殺とミサイルと和解できない統治だろうか?

(略)

人間の奇跡は、どこまで沈んだかではなく、どれほど立派に成りあがったかにある。

 

 九月二十六日に監督は、また別の本を読むようにと共作者に渡した。ジョゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』、人類の神話に共通する要素を途方もなく広い視野でとりあげた研究である。

(略)

「英雄は日常の世界から超自然の驚異の領域へと飛びこんでいく。そこで途方もない力と出会い、決定的な勝利をおさめる。英雄は仲間に恩恵をもたらす力を得て、この神秘的な冒険から帰還する」

(略)

 クラークの元の短篇では、人類はすでに村に定住し、槍をはじめとする初歩的な道具の使い方を習得していた。しかしながら、『アフリカ創世記』の影響のもと、新しいバージョンは時間をさらにさかのぼり、われわれの祖先がサルと見分けがつかなかったころを舞台にしていた。

(略)

新しい冒頭の章では、謎めいた「結晶の厚板」が、「光と音の脈動するオーラ」をともなって、ある夜アフリカのサバンナに出現する。視覚的な花火大会が延々とつづき、そのあいだ〈月を見るものは、「詮索好きな巻きひげが、頭脳の使われていない側道を這いおりてくる」のを感じる。そのあと厚板は亜人の精神に道具の使用という観念を植えつける──とりわけ、鋭くとがった石の武器の作り方を。

(略)

異星の知的生命が月に埋めた太古の人工物を発見し、発掘するというくだりは、もともとは映画のクライマックスとして発想されたのだが、ヒトザルの登場する章の直後に当たる位置まで徐々に移動していた。それにつづくのが、宇宙飛行士のチームによる木星への遠征だ

(略)

 この謎めいた門をくぐり抜け、そのかなたへ向かう旅を描くに当たって、クラークの想像力の凝縮した力は、彼が書きあげた文章のうちでもっとも鮮明で説得力があり、手でさわれそうな散文へと翻訳された。

(略)

クラークは星団、赤い太陽、曖昧模糊とした霧に包まれている異星の世界の風変わりな景観を書きつづった。彼はボーマンが「旅のあいだ彼を押さえていたどんな力にも引けをとらないほど強力な……驚異の感覚」にわしづかみにされるところを書いた。やがてボーマンは「どこかの狂った画家の幻覚なみに荒々しい空へ」飛びだす。彼のオデュッセウスである宇宙飛行士は「地球と同じくらいの大きさがある天体の焼け焦げた死骸」を通過する。「その表面の火山岩滓となった溶岩(略)のあちこちに、削りとられた都市のかすかな平面図が、いまもぼんやりと見えた」

 ボーマンは新星となってしまった星のこの犠牲者のわきを通り過ぎる。「ノヴァ──あらゆる恒星が、進化のどこかの段階でかならずそうなり──周囲をめぐる子供たちを殺してしまう」星だ。そして彼は球状星団の「輝かしい顕現」を目撃する。

(略)

 残存しているほかのページには、三年後にほぼそのままの形で実現する記述が含まれている。キューブリックの視覚効果チームが、クラークの言葉をとりあげ、それを映画の言語に変形したのだ。「回転する光輪は重なりはじめ、スポークは融けあって光りかがやく縞となり、ゆっくりと遠のいた。縞は二本ずつに分かれると、おたがいに振動しながら、交差する角度を絶えず変えつづけた。光をはなつ格子が組み合わさっては離れ、不思議なはかない幾何学模様を描いてはこわしてゆく。そしてホミニッドは金属の洞穴のなかから一心に見まもった──目を見開き、あごをだらしなく落とし、とりことなって」

(略)

 名目上は没になったセクションでさえ、内容のきらめく断片は、のちに映画のなかでさまざまな度合いで反射し、屈折した。ボーマンは最終的にある惑星に到着し、そこで大洋の上を飛ぶのだが、「この海がまた何とも異様」(同)なのだ。「あるところは藁のような淡黄色を帯びているし、ルビーのような赤い部分は、ボーマンが思うにどうやら深い海らしい」のだから。(略)

別の結末では、「現実とは思えないような出来事」を経験する。「もはや彼はポッドのなかにいない……ポッドのそとに裸で立ち……窓から内部をのぞき、コントロール装置のまえにすわる自分の凍りついた姿を見つめていた」のだ。これらの記述のいくつかは、映画の終盤に、事実上ショットごとに現れるだろう。

 カミングアウト

「ホモっけ」云々に関していえば、一九六四年を通じてクラークがキューブリックと親密になるにつれ、ある懸念が彼のなかで高まっていった。もしキューブリックが共作者の性的指向に気づいたら、自分が好きになり、敬服するようになったこの男はどう思うだろう?見当もつかなかったので、彼の懊悩は深まった。とうとう、クラークはその問題に真正面から向き合うことにした。ある打ち合わせの席で、頃合いを見計らって唐突にこういったのだ。「スタン、きみに知ってもらいたいことがある。わたしは精神的にたいへん安定したホモセクシャルだ」

「ああ、知ってたよ」とキューブリックは間髪を容れずに答え、そのままの議論をつづけた。

 完全に無関心な「つぎに行こう」として、それに匹敵する反応はありえなかった。クラークの口もとに安堵の笑みが浮かんだ。

マンハッタン計画

[キューブリックは映画『宇宙』の技法を]65ミリのカラー・フィルムで再現することに決めた。(略)

エフェクツ = U = オールという小さな映画視覚効果会社と契約し(略)ブラジャーの廃工場を借りた。そこで彼と共作者たちは、黒インキと、バナナ・オイルと呼ばれる第二次大戦期に使用された猛毒のペンキ薄め液(酢酸イソアミル)のはいったタンクを置き、映画用の高輝度ライトで囲んで、『2001年宇宙の旅』となるものの最初の数コマを撮影した。機密厳守で行われたので、彼らはそれをマンハッタン計画と呼んだ(略)

 強力なライトのおかげで、カメラを速いスピードでまわせた。表面張力、色彩変化、そのあとの化学反応という高速の錬金術を捉えるのに、なくてはならない要素だ。一秒七十二コマで撮影する早回しのカメラは、微妙に色調が変化する“銀河”のスローモーションを生みだした。爪楊枝を使って、白いペンキをペンキ・シンナーの混合液に数滴したたらせたのだ。バナナ・オイルに反応したペンキが、模造の星の川と銀河の渦状肢を宇宙空間へ流れこませた。マクロ・レンズのおかげで、トランプ札大の一画が、数光年にまたがる星雲のように見えた。

(略)

シンナー、インキ、熱い撮影用ライトの光を浴びて“腐りかけている”ラッカーの悪臭が立ちこめていた。

(略)

彼は深夜の一時や二時に有毒の煙で目を赤く腫らして工場から帰ってきた。悪臭も気にせず、何週間もぶっつづけで、任意の効果を創りだすためには、どんな割合、温度がいるか、そしてどんな密度の液体をどの高さから落とさなければならないかを几帳面に書きめた。「わたしたち凡人とスタンリーとのちがいは、凡人が辛抱しきれなくなったずっとあとまで彼は粘って、やりとげることにあるの」[妻クリスティアーヌ回想]

分け前 

 契約にはポラリスが五千ドル「前哨」のオプションを取得した上に、クラークに三万ドルを支払って台本を書かせたと注記があり、MGMがキューブリックプリプロダクション費用をすべて肩代わりすると述べていた。

(略)

最終的にもう三万ドルもらえる見通しだった。インフレを補正すれば、今日の通貨価値でおよそ五十万ドルだ。キューブリックは作品をMGMに売ってその三倍以上を手に入れ、クラークへの分け前はなかった。いっぽう、それとは別の合意にしたがって、小説がとうとう印刷にまわせるようになれば、キューブリックのとり分は、クラークの六十パーセントに対して四十バーセントと決まった。その時期をだれが判断するのか?いうまでもない、監督だ──彼は承認権が自分にあるよう念入りにとりはからったのだった(略)

『2001年』の予算にはプロデューサー兼監督としてのキューブリックの仕事に対する二十万ドル、脚本執筆に対する五万ドルが含まれていた。インフレを補正すれば、さらに二百万ドル弱がキューブリックに支払われる

(略)

もちろん、ポラリスのとり分はこのどれにも含まれていない。それは純益の二十五パーセントと決まっており、MGMが費用の二・二倍を差し引いたあとの額が純益とされた。(略)

映画が成功をおさめたら、キューブリックはたいへんな額を稼ぐ見通しだった。こんどもクラークは、そのゲームに参加していなかった。

ガラス板みたいなモノリス

 監督は異星の物体を完全に透明な物質で作りたがった。(略)

プレキシグラスで作ろう、とキューブリックはいった。(略)

[トニー・マスターズはパースペックス見本市に赴き]

「パースペックスでピラミッドみたいなものを作りたいんです(略)

高さを三メートル半くらいにしたいんです(略)

「なんとまあ(略)それはまた大きなパースペックスの品ですな。どうなさるつもりか、訊いてもよろしいでしょうか?」

「ええ、アフリカで山のてっぺんに置くつもりです」(略)

[かつがれてるのかと不安げな出展者]

「ばかなことをお訊きしますが……(略)どこまで大きなものを作れますか?」(略)

「そうですね、その大きさのものは作ったことがありません(略)

しかし、作ってみたいですね。(略)タバコのパックの形にするのが最善の策でしょう、大きな厚板のような形です」

(略)

[戻り、監督と数日協議し]マスターズはまたしても高速道路を疾走した。「注入やらなにやらには、かなり長い時間がかかります(略)

それから冷却にひと月かかります。非常にゆっくり冷やさなければならないからです。さもないと、割れてしまいます」それから研磨しなければならず、やはりかなりの時間がかかる──すくなくとも数週間は

(略)

[ようやく完成し検分すると]

「ああ、なんてこった」とキューブリック。「見えるぞ。緑ががかってる。ガラスの板みたいに見える」

「ええ、そうです」とマスターズ。「あいにく、そう見えます──プレキシグラスの板のように」(略)

「なんてこった」キューブリックはくり返した。「完全に透明になると思っていた」

「まあ、厚さが六十センチ近くありますから」マスターズが眉間にかすかなしわを寄せていった。彼らは光を屈折させたり反射させたりする、緑がかったポリメタクリル酸メチルのきらめく厚板をじっと見つめた──重さは二トンを超える。青いカバーオール姿の作業員が数人、わずかに離れたところに立っていた。(略)

それはキューブリックの想像した、魔法のように完全に透き通っている、目に見えないも同然の異星人の遺物ではなかった。

「ああ」彼は残念そうにいった。「しまってくれ」

「なんですって?」とマスターズが信じられないといいたげに尋ねた。「しまってくれ」キューブリックはくり返した。

(略)

[見積り費用は]グレーター・ロンドン域内でかなりの大きさの家を買ってお釣りが来る値段だった。(略)

「信じられない」と残念そうにキューブリックがいった。「ガラスの板みたいに見える」

(略)

「なら、いっそ黒い板にしましょう。それなら、正体がわからないからです」

「いいだろう、黒い板にしよう」とキューブリック

『2001年』のモノリスの大きさ、形状、色が決まったのだった。

 スター・チャイルド

 数日のうちに、作家は新しい結末をいくつか書きあげた。(略)

「ひとつ、ピンと来たものがある──ボーマンが子供へ逆行し、結末では赤んぼうとなって軌道上に浮かぶという図。(略)

[それはふたつの要素の影響か。ひとつは『アフリカ創世記』の点描画の虚空に浮かぶ胎児のイラスト]

第二の影響は(略)人間の胎児を撮影したスウェーデンの写真家レナート・ニルソンのすばらしいカラー写真だった。ほんの数カ月前〈ライフ〉に掲載されたものだ。(略)

ニルソンの作品は世界的なセンセーションを巻き起こした。

(略)

しばらくのあいだ、『2001年』のスター・チャイルドは、地球軌道を周回する核兵器を爆発させることになっていた──小説には残っているが、映画には残っていない場面だ。「博士の異常な愛情」の結末と似すぎていると判断されたのである。

(略)

なぜボーマンが結末で赤んぼうになるのか、そのロジカルな理由がひらめいた。これは成長段階における彼の自己イメージなのだ。おそらく宇宙意識にもユーモア感覚があるのだろう。電話をしてスタンリーにこうしたアイディアを話すが、あまり感心してくれない。だがわたしは浮き浮きしている」

 硬木のモノリス

マスターズの提案にしたがって、高さ三・三メートルの黒い硬木のモノリスが用意されていた。さんざん議論を重ねたあと、その縦・横・厚さの比率は最初の三つの整数の二乗、つまり1:4:9に定められていた(略)

さまざまな種類の木材が試された。グラファイトが艶消しの黒いペンキと混ぜられ、スプレーされた。上塗りを何度も重ねると、それは黒光りする金属表面の光沢を生みだした。最終的に、およそ十四個が作られたが、マスターズは作る端から投げ捨てるはめになった。

(略)

ようやく合格したもの(略)さえ、監督の批判を免れなかった。形と仕上げは非の打ちどころがなかったものの、ほこりについた指紋が表面にくっきりと見えるときがあったのだ。

(略)

 物事をさらに複雑にしたのは、シェパートンへの移送中、モノリスが静電気を帯びたことだった。セットの粉末状の月の表土にさらされると、「ドサッと音がして、それは塵で覆われてしまった」とマスターズは回想する。「空気を噴射して、そのしろものから塵を払わなくちゃならなかった。それから照明を当て、三時間か四時間たつと、わたしは爪を噛んでいたものだ。なぜかというと、熱くなればなるほど、表面にそってわずかなこぶができはじめるのが見えるからだ。『ああ、ちくしょう!スタンリーも気づくだろうか』って気をもむわけだ。

製作初日 

2001年宇宙の旅』の製作初日に現場にいた人びとはみな、その興奮をなによりもよく伝えるひとつの光景について口にする。キューブリックが重さ十キロのパナビジョンを肩にかつぎ、眼下のモノリスへむかって斜路をくだる宇宙服姿の月面歩行者たちを背後からフィルムにおさめたのだ。

(略)

それはキューブリックが現場でいかにして陣頭指揮をとるかを見せつけるこのうえなく鮮烈なデモンストレーションであると同時に、チェスのゲームにおける初手とよく似ていた。

(略)

「パナビジョンだったし、すごいセットだったし、キューブリックがこのカメラをかついで撮影するのを見たら、それだけで興奮させられた」彼が特に衝撃を受けたのはハリー・ラングによる宇宙服のヘルメットだった。「いや、ほんとにすばらしかった。背筋がぞくぞくしたよ。すごくきれいで、いまだにあれを超えるものはないね」

露出計代わりのポラロイド 

 ライティングの段階で現場にいなかったとき、キューブリックは戻ってから必ず微調整を加えた。クラビウス基地の会議室のように、『2001年』のシーンのほとんどは、寒々とした、異常なほど均質の照明で統一されている。これは簡単に実現できることではなく、キューブリックとオルコットはライティングがうまくいっているかどうかを確認するための効率的な方法を確立していた。露出計ではなく大量に撮影した白黒のポラロイド写真で判断するのだ。

(略)

露出計のかわりにポラロイドを使うのは、以前から構図をスチル写真で確認していたキューブリックにとっては自然な成り行きでもあった。「そうすることでカメラをとおして見たときとはちがう見方ができたんだと思う」とオルコットは語っている。

 

 映画撮影用のカメラをのぞき込むと、三次元のイメージを見ることになるから、奥行きを感じる。だが、キューブリックがそれをポラロイドのスチル写真で確認するときには、まったくちがう、二次元の静止画を見ることになる──全体がひとつの面になって、スクリーンで見るイメージにより近くなる。(略)

 

 その結果、製作期間を通して、キューブリックはおよそ一万枚に達するポラロイド写真をライティングの中調整中の撮影し、そのあとで再調整をおこなったり、カメラの位置を変えたりした。

HALの読唇術 

ロックウッドは、キューブリックとクラークが「コンピュータに圧力をあたえる」ために書いた一連の短いシーンが「しっくりこない」のだと伝えた。彼の考えでは、あれは冗長すぎる。(略)HALの被害妄想をあおるならもっといいやりかたがあるはずだと。

(略)

[帰宅して考えを練ると監督に電話]

宇宙飛行士たちはなにか口実を見つけてポッドのひとつに乗り込み、HALと完全に遮断された状態でふたりきりで話ができるようにするべきではないかと伝えた。そうすればふたりにコンピュータを停止する話をさせることができるし、HALのほうはその会話を盗み聞きする方法を見つければふたりに先んじることができる。この流れなら、観客には必要な情報がすべて伝わるし、HALにはきわめて人間的な被害妄想を植え付けることができる。

 これを聞いて、キュープリックは興奮した。彼は車を出してロックウッドを迎えにいかせた。二月の氷点下の夜だったが、俳優がアボッツ・ミードに着いたときには、暖炉で火が燃えさかっていた。ふたりはそのまえですわり込み、朝早くまで飲んで議論して、ついにそのシーンをまとめ上げたのだった。

(略)

 ある日の午後、キューブリックの共同プロデューサーであるヴィクター・リンドンが書類を手にトレーラーへやってきた。(略)彼の業務の多くを占めていたのは、果てしなく続く保険金の請求という報われない仕事(略)

HALがどうやって盗み聞きをするかの問題がまだ解決していないと聞くと、リンドンはそんなのはわかりきったことじゃないかという顔でデュリアとロックウッドを見つめて言った。「きみたちの唇を読めばいいのさ」一瞬、雷に打たれたような沈黙があった。「ああ、それはすごいアイディアだ!」キューブリックが叫んだ。ついに解決策が見つかったのだ。

次回に続く。