2001 キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

 

博士の異常な愛情』のプロモーション

キューブリックは自作のプロモーションには積極的にかかわっていた(略)

コロンビア・ピクチャーズが一九六一年に公開した『ナヴァロンの要塞』──その年の興行収入第二位の映画──のプロモーションにかけたのと同じ時間と費用を『博士の異常な愛情』のプロモーションにかけるよう働きかけることに全力をつくした。そうすることで、映画会社の宣伝部のなかでは仕切り魔と言う評判を頂戴した。

 SFラジオドラマ「太陽面の影」

 その前の数年間、『ロリータ』と『博士の異常な愛情』にとり組んでいるあいだ──どちらも英国のスタジオで撮影された──キューブリックは週末にBBCラジオをたくさん聞いていた。一九六一年の十一月と十二月に新作SFラジオ・ドラマ「太陽面の影」を耳にし、注意を惹かれた。(略)

大きな隕石が地球に落下したあと、謎めいた出来事がたてつづけに起きるという筋立てで、不可解にも太陽が暗くなるのと並行して事件が起きる。(略)

隕石といっしょに異星のウイルスが到来していたことを発見する。それは人間を寒さに対して鈍感にするが、すべての性的抑制をしだいに失わせもするのだ。

 使い古されたプロットに思えるが、キューブリック座右の銘のひとつは、よい本は悪い映画になるし、その逆もまた真なりというもので、彼はそのストーリーに本物の可能性を見てとった。(略)

彼が興味をそそられたのは、地球規模の危機の描写だった。(略)
登場人物たちが無情にもウイルスを広めるにつれ性的熱狂と融合する。(略)

[『ロリータ』]では表現が限定されたので、あからさまな性描写を独自に探求する方法にキューブリックは興味をいだいていた。「太陽面の影」は、それを可能とすると同時に、SFのテーマを探求させてくれそうだった。

(略)

[じつは]『博士の異常な愛情』の脚本にはSF的な枠組みが含まれていた。映画のオープニング・クレジットは、「マクロ──ギャラクシー──メテオ・ピクチャー (略せばMGM)」というオープニング・タイトルの下で「不気味な、頭がたくさんある、毛むくじゃらの化けもの」がカメラに向かってうなっている場面ではじまるはずだった。カメラが恒星、惑星、衛星のあいだを移動していくエフェクト・ショットのあと、明らかに異星に出自を持つナレーターがこう説明することになっていた。つまり、観客がこれから目にする「太古のコメディ」は、「われらが地球探検隊、ニンバスⅡの隊員によって北方大砂漠の深いクレヴァスの底で発見された」ものである、と。

(略)

[高校からジャズ・ドラムをやっていたキューブリックはアーティ・ショウと交友を深め]

ショウもまたSFファンであることが判明した。(略)

「クズとみなされない最初のSF映画を作りたいんです」とキューブリックはいった。「太陽面の影」について説明し、ラジオ・ドラマを脚色してくれる最高の作家を探している、とミュージシャンに語った。これを聞いて、ショウはアーサー・C・クラークを読むように勧めた──とりわけ長篇「幼年期の終り」を。

(略)

 全能の地球外生物がやってきて、人間の営みに介入するというクラークのヴィジョンをはじめて吸収するうちに、キューブリックはしだいに興奮してきた。

[権利関係を調べると既にオプションが取得されていた]

 アーサー・C・クラーク登場

 『博士の異常な愛情』の好調な出だしについて言葉を交わしたあと、 [コロンビアの宣伝担当重役]ロジャー・キャラスは監督に、つぎはどうするつもりだと尋ねた。(略)

[「きっと笑われる」と警戒しつつ]

彼はいったんだ、『ETについての映画をつくりたい』と」

(略)

作者を問わず、手当たりしだいに読んでいるのだ、とキューブリックがいった。(略)

「なんでひととおり読むんだ?最高の作家を雇って、話を進めればいいだけじゃないか」

「だれが最高なんだ?」(略)

アーサー・C・クラークだ(略)

「すると彼はいった、『なるほど、でも、たしか頭のおかしいやつだろう。インドで木のうろに住んでる隠者だ』と」

(略)

『知りあいなんてもんじゃない。アーサーとぼくは長年の友人だよ』と答えたんだ」

「いやはや、連絡をとってもらえないか?」とキューブリックはいった。

(略)

[当時、キューブリックは36歳、クラークは47歳]
監督が「太陽面の影」の粗筋を述べるのをおとなしく拝聴したあと、クラークは、自分自身のコンセプトか、あるいは共同で発展させるかもしれないアイディアに基づくオリジナル・ストーリーのほうで仕事をしたいと希望を述べた。

[三年後の〈ライフ〉誌のための草稿にて]

「少々悔しいことながら、スタンリーがすでにありきたりな“地球侵略”ものの脚本に興味をいだいているとわかった。わたしは他人のアイディアで仕事をすることに興味はない、とはっきりとわからせてやった」と。

(略)

一九六七年には、『2001年』について書くものはなんであれ監督に提出してコメントをもらうという要請にクラークは応じていた。

(略)

「スタンリーははじめから、最終ゴールについてはたいへん明確な考えを持っていて、それに近づく最良の道順をさがしていた」とクラークは書いている。「彼が作りたかったのは、この宇宙におけるヒトの位置を描いた映画で(略)

驚異と畏敬と(筋立てしだいでは)恐怖までもかきたてる芸術作品を創りだそうとしていた」

『キャッチ=22』 

[ジョゼフ・ヘラー宅訪問]

彼はヘラーの長篇小説『キャッチ=22』を絶賛していた。同書は、非線的な構造を別にしても──その本のさまざまなストーリー・ラインは、場面の連続から巧みに織りなされていた──自分が「博士の異常な愛情」で達成したと信じている“悪夢のコメディ”のような効果をそなえていた。ヘラーのほうもこの映画を激賞していた。

(略)

「非常に優れたプロットは、ささやかな奇跡です。音楽におけるヒット曲のようなものなんです」

「いい得て妙だね」とヘラーは応じた。

「『小説の諸相』のなかで」とキューブリックは言葉をつづけた。「E・M・フォスターは、プロットを持たなければならないのは残念きわまりないが、持たないわけにはいかないと論じました」

 

最初の穴居人が焚き火を囲んですわっているとしましょう。もし語り部が彼らの興味を惹きつけておけなければ、彼らは眠りこむか、大きな石で語り部をなぐるかしました。でも、人は優れたプロットに代価を惜しみません。なぜなら、つぎになにが起きるのだろう、とそこにすわっただれもが考えているときは、それがどのように起きるのか、あるいはなぜ起きるのかを気にする余地がないからです。いちばん巧妙なやり口のひとつは、優れたプロットを持たないで、それでいながら興味を持続させることで、それにはふたつの方法があります。つまり、信じられないものをとりあげて、それを迫真的にするか──あなたの本のシュルレアリスムとファンタジーと夢のような特質が行き渡るのはそこです──あるいは事実や人物の核心にぎりぎりまで迫って、派手に動いていないときでさえ、静かにしているだけと思わせるようにするかのどちらかです。

 

 ヘラーは同意した。「制作家として本当に成功するのは、自分自身の言葉で読者や観客を勝ちとったときだよ」

 キューブリックは言葉をつづけた。「映画という形式と、多くの感情を生みだすという能力のおかげで、非プロット・ストーリー、あるいは反プロット・ストーリーと呼べそうなものがあります。ひとたび人の心を強くとらえれば、あるかないかわからないかくらいの振動で人を震わせられます。

宇宙版 「西部開拓史」

キューブリックシネラマという形式についてクラークに説明した。それは解像度が非常に高いので、観客をある種の旅に連れだすことができる。

(略)

彼は「西部開拓史」を引き合いに出した。数世代にわたる登場人物たちが西へ勢力を広げていくさまを描いた映画である。三時間近い長さがあり、商業的に成功した最後のMGM超大作となった。キューブリックの考えでは、ひな型として評価する値打ちは十二分にあった。(略)

この映画は五つの主要パートとエピローグから成り、全篇を通じての主役がいないので、伝統的な意味でのドラマよりはドキュメンタリーに近かった──たとえスペクタル満載であったとしても。

 ほかの天体に定住しようとするパイオニアたちの苦闘は、アメリカ西部開拓のこだまを未来の宇宙時代に響かせるだろう──その点ではクラークも同意した。

(略)

『太陽系はこうして勝ちとられた』という仮題にしようと決めていた。「わたしたちの頭にあったのは、新しいフロンティアの開拓端緒の日々にまつわるセミドキュメンタリーのようなものだった。このコンセプトはじきにはるか遠くへ置き去りにされたが、いまでもなかなかの名案に思える」と一九七二年にクラークは記している。

(略)

「海から敵意に満ちた、異質な陸へあえてあがった生きものだけが、知性を発達させることができた。いまやこの知性がさらに大きな挑戦に直面しようとしているのだから、地球は塩の海と星々の海とにはさまれた、つかのまの休憩地にすぎないのかもしれない」と。

 マンハッタンをさまよい歩いているうちに、クラークはもうひとつの指摘をした。つまり、最初の道具使用者は人類ではなく、人類以前の霊長類だった──そして道具の使用が彼らを破滅に追いこんだのだ、と。

(略)

 「人間が道具を発明したという古い考えは誤解のもとであり、真実の半分でしかない。道具が人間を発明したというほうが正確なのだ」と一九六二年にクラークは書いた。「それらは非常に原始的な道具であり、サルと大差ない生きものの手に握られていた。それでもわれわれにつながったのであり──最初にそれを使った猿人の最終的な絶滅につながったのである」

(略)

ポラリス・プロダクションズはクラークの短篇小説六篇のオプションを取得する。それらはつなぎ合わされて、映画の土台となる。

(略)

ふたりは追加した長篇小説について話し合った。「前哨」をふくらませたものをベースにした映画の構成要素として考えているものだ。「未踏のエデン」は、地球からの偵察隊が金星で原始的な、地面にへばりついている生命体を発見する経緯を描いた小品。地球人が出発するとき、廃棄物の袋を埋めて残していく。金星の有機合は巻きひげをゴミのなかにのばしはじめ、「生きている生物の小宇宙をも取り込んだ。その小宇宙とは、地球では無数の恐るべき株に進化をとげた、各種のバクテリアやウイルスのこと」 である。締めくくりはこうだ──「金星の冬のもとで、創造の物語は、ここに未完のまま終わりを告げたのである」

「彗星の核へ」は、宇宙船が彗星に侵入する話。コンピュータが故障して、船はガスと塵から成る、もやもやした殻のなかで立ち往生する。クルーは手製のソロバンを使って計算し、危地を脱する。「破断の限界」は、隕石の衝突で酸素タンクに穴のあいた原子力駆動の惑星間宇宙船の話。残っている呼吸可能な空気では、都内のふたりの男のうちひとりしか目的地まで生きのびられない。船はダンベル形で、片方の端に居住区をおさめた大きな球体があり、長いシリンダー経由で推進システムとつながっているという記述がある。放射線を防ぐため、推進システムは居住区と離されているわけだ。「幽霊宇宙服」は、スペースポッド(略)に乗った心配性の宇宙飛行士が、かすかな動きを感知して、ポッドに霊が憑いているのではないかと不安をつのらせる話。(略)

幽霊に思えたものは、じつは無重力状態でもがいている数匹の子猫のうちの一匹だと判明する。

(略)

クラークの五番目の短篇「ゆりかごから」(略)

 最後に語り手は不機嫌な口調をかなぐり捨て、「ぼくの生涯で聞いた音のうちで、いちばん、畏怖の念をおこさせたものだよ。それは生まれたての赤ん坊の、か細い泣き声だった──人類史上、地球以外の世界で生まれた最初の子供の声だった」と述べる。(略)

 そして最後に、もちろん「前哨」がある。彼らの映画の礎石とすることで、すでに合意ができている作品だ。題名の由来となった異星人の遺物に触れて、物語は不吉に幕を閉じる。

 

いま信号が止んだからには、監視役たちはしだいに地球へ関心を向けようとしている。おそらく彼らはわれわれの幼い文明に手を貸したがるだろう。だが、おそろしく年老いた種族にちがいないし、とかく年寄りというものは、若者を狂ったように嫉妬するものだ。

 いまわたしは天の川をふり仰ぐたびに、あのたなびく星々の雲のどこから使者がやってくるのだろうかと案じずにはいられない。陳腐すぎる喩えを許していただけるなら、火災報知器を鳴らしてしまったからには、もうあとは待つしかないからだ。

 それほど待たずにすむのではないかと、わたしは思っている。

 

 その五月にはふたりとも議論に加えようと思わなかった短篇がある。それが「夜明けの出会い」だ。(略)

この作品は、先史時代の地球へ到来した異星人の調査隊の足跡を追う。そこで彼らは、ある点で自分たちに似ていないこともない原始的な亜人の部族を発見する。(略)「歴史の夜明けを待っている未開のいとこたち」なのだ。(略)

「われわれほどの知識があれば、きみたちをあと十世代あまりで未開の状態から卒業させられるはずだ」と動揺したバートロンドが、事態を呑みこめないでいるヤアンにいう。「これからきみたちは、自力でジャングルから脱出するしかなさそうだ。それには百万年ほどがかかるだろう」と。ナイフを含むいくつかの道具をヤアンに残していき(略)

異星人の船が「星ぼしに向かって斜めに上昇する長い光のすじ」に溶けこんでいくのを見送ったヤアンは、「神々が立ち去り、もう二度と戻ってはこない」(略)

「これから一千世紀以上の時を隔てて、ヤアンの子孫たちが巨大な都市を築きあげ、それをバビロンと呼ぶことになるだろう」

(略)
[話がまとまり、クラークとキューブリックはテラスへ。うららかな晩春の]平穏きわまりないタベ。(略)

マンハッタンの全景が眼前に広がり、明かりをまたたかせている。

 ふと気がつくと、まぶしいまでに明るい光、ちらつかない白い光点が南西の地平線の上に昇っていた。それは航海用のビーコンと同じくらい煌々と輝き、着実に夜空を昇っていった。(略)

およそ五分後、それは天頂まで昇っていた──そして、そこで止まったように見えた。ふたりとも畏怖に打たれ、わくわくしてきた。「そんなばかな」とクラークが口走った。「最近点では、人工衛星は見かけの上での最高スピードで移動してなくちゃいけないんだ!」と。ある考えが脳裏をかすめた。「偶然の一致にしてはできすぎている。あっちにいる連中が、わたしたちにこの映画を作らせないようにしているんだ」

(略)

[あわてて新品のクエスターを掴んで戻り]三脚を屋上のタイルの上に据えつけて、クラークはなんとかそれを望遠鏡の視野におさめた。とはいえ、それはまばゆく光る白い点にすぎず、あいかわらず目に見える厚みはなかった。ふたりが交代で観察するうちに、それは南東へ向かってしだいに降りていき、大熊座を通過してから、とうとう地平線の靄のなかに点滅しながら消えた。はじめから終わりまで、十分以上はつづかなかった。「この二十年で目撃した十あまりのUFOのうち、いちばんの見ものだった」と震える声でクラークがいった。

(略)

 たいていのUFOは合理的な説明がつくから、地球外知性の存在する証拠として受けとるべきではない、とクラークはキューブリックを説得しようとしてきたが、キューブリックは判断を保留していた。とはいえ、こうして実物を見たからには、実在説を肯定できると感じた。クラークについていえば、心の底から動揺していた。なにより困惑したのは、その物体が天頂で動きを止めたように見えたことだった。これはすべての論理に反していた。そもそも人工衛星はそんな風にふるまわないし、ふるまえないのだ。

異星人の描き方

 ふたりが当初かかえた難題のひとつが、映画のクライマックスに登場させないわけにはいかないと考えている異星人の描き方だった。

(略)

 五月下旬と六月上旬は、無機物である地球外生命と有機物である地球外生命のどちらがふさわしいかを探ることに費やされた。五月二十八日にクラークは、彼らは「もしかしたら機械であって、彼らの目に有機生命はおぞましい病気なんじゃないか」とほのめかした。「それはいける、とスタンリー。手応えをつかんだ感じ」だったが、そのアイディアはまもなく没となった。三日後の議論では「爆笑のアイディアが出てきたが、使う気はない。エイリアン十七人──みんなのっぺりした黒いピラミッド──が、オープンカーに乗り、アイルランド系の警官に護衛され、五番街をパレードする」ということになった。(略)

モノリスになるものの形は、まだ決まっていなかったものの(略)

その色(黒)と質感(のっぺりした)はすでに現れていた。

(略)

一九五三年の短篇「夜明けの出会い」でクラークは、上位の異星種族と「未開」の地球種族が、両方とも本質的には人間の形をしていると想定していた[が](略)

いまは正反対の考えをいだいていた。つまり、異星人はわれわれとはまるっきり異なっているほうがはるかにありそうだ。ひょっとしたら、想像を絶するほど異なっているかもしれない、と。しかしながら、キューブリックは基本的にクラークの元の意見に与しており、とりわけスイス人彫刻家アルベルト・ジャコメッティの奇怪なほどひょろ長い人体に興味をそそられていた。彼はそれを異星人のひな型として使うことを考えていた。

(略)

[クラークの勧めでカール・セーガンと会合]

 食事のあいだ、キューブリックはセーガンを気づかい、彼の意見を求めて、礼儀正しく耳をかたむけていた。翌日また集まって議論を再開しようという提案に同意さえした。ところが、じっさいは、若い天文学者の傲慢で保護者めいた態度に見えたものにいらだっていたのだ。ゲストたちを見送ったあと、彼は一時間待ってから、「チェルシーのクラークに電話をかけた。「あいつはもう呼ばないでくれ」と彼はいった。「なにか口実を作って、どこでもいから、あなたの好きなところへ連れていってくれ。二度と会いたくない」

 キューブリックはセーガンの意見を無視することにして、つぎの四年にわたり、映画のなかで地球外生命を描くために試行錯誤を重ねた。クラークも同様に、異星人を記述する原稿を何千語も書いた。

HALの原型

草稿のなかで、HALの先駆者はソクラテスという名前で、「おおよそ人間の背丈や体つき」を模しており、「脚部は大きな円いパッドの上にのり、すべりのよいショック・アブソーバー、自在継ぎ手、引っ張りバネの精巧な集合体が、軽い金属のフレームワークに支えられている。一歩踏みだすごとにうっとりするようなリズムで屈伸するさまは、まるでそれ自体に命がそなわっているようだ」と記されている。ソクラテスの知能は「利口な猿なみ」だが、「自主モード」に切り替われば、自律的な個体に変身する。彼がしゃべるとき「ことばは彼自身が生成」している。この初稿のAIは、さらに何度かの名前の変更を経て、そのたびにIQを増していく。

 短編映画『宇宙』

 その年を通じて、2人は無数の映画を映写し、多くの本を読み続けた。その多くは、固まりつつあったコンセプトに決定的な影響与えた。そのひとつが[モノクロ短編映画『宇宙』監督コリン・ロウ](略)
革新的な技法を用いて惑星、星団、星雲、銀河を表現していた。ロウの視覚効果の共作者ウォーリー・ジェントルマンは、透明なペンキ薄め液でタンクを満たし、インキと油絵具を流しこんで、強い照明のもと、高速度で撮影した。それを通常のスピードで映写すると、前代未聞のリアリズムで、まぶしく光る星々や、白熱してイオン化した水素ガスに照らされた宇宙の荘厳さが伝わるように思えた。お粗末なアニメーションと不出来なマット合成をさんざん辛抱してきたキュープリックにとって、このカナダ映画は天啓だった。彼は「宇宙」を何度も何度も映写し、綿密に研究して、ロウとジェントルマンの名前を書きとめた

(略)

劇作家でサイエンス・ライターのロバート・アードリーが古人類学に進出した産物である『アフリカ創世記』が、まもなくまた別の主要な影響源となった。一九六一年に刊行された同書は、人類学者レイモンド・ダートが唱えた学説に基づいて書かれていた。(略)

化石記録にはっきりと残っている鈍器による傷を根拠に、文明は太古の武力傾向に根ざしている、とダートは確信していた。

(略)

サルに似た祖先の生存は、致命傷をあたえる武器の発達にかかっていたと論じた。(略)

クラークの短篇「夜明けの出会い」と共鳴する点がいくつもあり、それが役に立ちそうだった。

次回に続く。