2001 キューブリック、クラーク その3

前回の続き。

2001:キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

 

 ヒトザル

[ヒトザルのボディスーツを作製した]

スチュアート・フリーボーンは男女を問わず若い十代の黒人のキャストを募集し、ネアンデルタールの人相について調査をおこない、十代のアフリカ系イギリス人の額や頬や唇や顎に手を加える作業にとりかかった。

(略)

 これでサルのスーツを着た人間という問題はなくなったものの、新たにふたつの障害があらわれ(略)

この新たな手法を採用した場合(略)広報面で壊滅的な結果をもたらす可能性があった。(略)

[公民権運動が高まる時代]

黒人を原人と同一視するようなリスクをおかしてかまわないのか?もうひとつの障害は、ネアンデルタールアウストラロピテクスよりもはるかに体毛が少なく、それゆえ、どうしても性器や乳房が目に見えるようになることだ。(略)

彼らの陰部を見せるわけにはいかないと言ったうえで、監督はこう続けた。「大丈夫だ──腰から上だけ、あるいはなにも見えないくらい遠くから撮影すればいい」だが、すぐにそれではむりだとわかったので、未開人たちの股を薄いおおいで隠してくれとフリーボーンに依頼した──ほとんど目立たないがきちんと隠れるもので。

[だが去勢されたように見えるため作り直すことに]

小説出版をめぐる駆け引き

 キューブリックはクラークに自分が時間を見つけて手を入れるまで小説はだれにも見せないでくれと頼んでいて、作家はしぶしぶそれに同意していた──少なくとも監督のまえでは。だが、キューブリックの言い逃れがえんえんと続いていたので、クラークもさほど義務感はなかったらしく(略)[スコット・メレディスが]出版社へ売り込みにまわっていた。

(略)

届いた電報は、この本をクラークとキューブリックの共著とみなし、十六万ドルのアドバンスと売上に応じたかなり好条件のロイヤルティを提示していた。メレディスからクラークへのメッセージは、アドバンスとロイヤルティ両方の面で、この契約が前例のない規模であることを強調していた。

(略)

この契約が成立すれば、金欠状態のクラークが受け取る額はキューブリックとの60対40という取り決めにより十万ドル近くになる──今日のドルに換算すればおよそ七十二万ドルだ。

(略)

キュープリックはこの作品の内容について機密厳守の方針をとっていたので──彼が映画の公開まで小説を刊行したくなかったおもな理由はそこにあった──クラークがメレディスの売り込みを許したことに動揺し、裏切られた気持ちになった。

(略)

クラークはキューブリックが作者クレジットに関して過敏に反応することをよく知っていた。一九六四年に『博士の異常な愛情』の脚本の執筆でテリー・サザーンの貢献を小さく評価した公式声明にそれがよくあらわれている。そういう状況で、『2001年』の小説が表紙にキューブリックの名前がないまま刊行される可能性をほのめかすのは、監督の目のまえに大砲を撃ち込むのと同じことだった。だが、クラークは六月十五日の手紙でまさにそれをやったのだ。(略)

「どの出版社も本のできばえをとても喜んでいるので、たとえわたしの名前だけで出すとしても同じ条件になるだろう。だが、たとえきみが同意したとしても、そんなことはしたくない──わたしはきみの文学的貢献について、きみが手にする四十パーセントの金銭的利益よりもずっと大きいと考えているのだ」

 これにこたえて、そのころはブレインルームの撮影にかかりっきりだったキューブリックは、ようやく時間をひねりだし、ぜんぶで九ページにおよぶ広範囲にわたる修正の提案をおこなった。

(略)

わたしだってブロックは透明にしたかったが、それを作ることができなかった。だから小説ではブロックを黒にしたい」(略)

異星人の物体が〈月を見るもの〉を急に活動させる場面をクラークが「目に見えぬ糸で吊られたマリオネット」のようだと書いていることについて(略)わたしにはまったく見当外れに思える。これでは魔法が消えてしまう」(略)

ブロックがヒトザルたちの精神に興味をそそるイメージを送り込む

(略)

――幻影のヒトザルたちは、明らかに誘いかけであり、武器を使った結果として栄養の行き届いた姿をしている――というクラークの描写を読んで、キューブリックは次のような意見を出している。

 

この場面はわたしには前々からリアルさが感じられず、どこか信じられない気がしていた。彼らはたしかに飢餓から救われるが、たらふく食べ、体毛はなめらかでつやつやし、満ち足りていることなどないだろう。こういうことは一九六六年でもまず起きない。わたしはこう考える。いつか立方体が消える日が来る。そして〈月を見るもの〉と手下たちは、食物さがしに行く途中、しょっちゅう見かけてきた巨象の骨のそばを通りかかるが、とつぜん吸い寄せられるように近づき、骨をいじったりふりまわしたりしはじめる。この場面では、小説中にも、最終的には映画にも、なにか恍惚とするような魔法を吹きこみたい。そしてこの場面から転じて、彼らは草を食む動物たちに近づき、いつもは食べ物を分け合っている彼らの一頭を殺す……

 

(略)

こうして監督がはっきりと関与したことで、メレディスはデルとの契約交渉に入れるようになり、六月中旬には、クラークは自分の目的を達成したと確信していたようだった。六月二十二日に、彼は〈ルック〉の編集者にこう書いた──「今月中には本を刊行できるようスタンリーを説得できたと思う」

 クラークはあまりにも楽観的すぎた。キューブリックは〈人類の夜明け〉パートの終わりまでしかメモを送っておらず、すぐにまた仕事が忙しすぎると訴えるようになった。(略)

出版社は本をよこせと叫んでいて、数週間以内に渡せなかったら、わたしは少なくとも十万ドルを失うことになるだろう。だが、スタンリーは、わたしが本を刊行することを許さないし、といって原稿を推敲する時間もとれない。彼はベストを尽くしてはいるが、疲労困憊になるまで働いていて、まったく近寄りがたい」

 結局、七月四日にキューブリックはデルとの契約をきっぱり断った。(略)

いまや信じようという気持ちを完全に失ったクラークは、友人への手紙でこう書いた。「すぐにでも不快な気分でこの地を離れ、傷を癒やすためにコロンボへ戻るかもしれない」彼が訴訟を起こすと言ってキューブリックを脅し、実際にその可能性を検討していた明白な証拠がある。

マイム役者、ダン・リクター

「あなたの問題は、どれだけみごとにスーツをデザインしようが俳優を訓練しようが、できあがるのはやはり猿のスーツを着た人間だということです」リクターは言った。「だからそれを克服しなければいけないわけですが、そのためには彼らの動機に──その感情に──観客を巻き込んで、そこで起きていることを信じ込ませる必要があります。ヒトザルたちがほんものの感情と動機をもったほんもののキャラクターであれば、観客にそれを受け入れてもらえる可能性はあります。いったんそうなってしまえば、あとはやるべきことをやって、ペースを崩さなければいいんです」

(略)

彼は自分が演者や振付師として考慮の対象になるかもしれないとは思ってもいなかった。キューブリックは「最後にはだれか有名な人を雇って」この仕事をさせるのだろうと考えていたので、ただ楽しく過ごしていた。

(略)

キューブリックが言った。「ふむ、すごい話のように聞こえるが、ぼくはきみのことを知らない。きみの言うことを信じたくてたまらないし、これですべてが解決するように聞こえるんだが、うまくいくという保証がどこにある?」(略)

「二十分くれたら、実際に見せてあげますよ」(略)

「二十分と、タオルが二本と、レオタードと、舞台があれば充分です」

(略)

リクターは伸縮性のある黒い全身レオタードを着込み、両肩の下にタオルを押し込んでかさを増した。

(略)

顎がまえに突き出し、眉がさがり、両腕が広がり、胸が持ち上がった。

(略)

舞台上でジョーにすっかり身をゆだねていたリクターは、新しいヒトザル版の自分を解き放ち、そのキャラクターの「力強く、詮索好きで、ためらいがちな足取り」で歩き回った。これを少し続けたあと、ヒトザルになりきったまま舞台の縁へ近づき、憤慨した、理解力の低い類人猿の目つきでキューブリックを見据えた。

「おお、すばらしい!」監督が叫んだ。

(略)

 数年後に質問を受けて、リクターはこのときの変身について語った。「キャラクターはそのキャラクターがしたいことをする。こちらはそれにまかせるだけ。中に入って乗り回しているような感覚に近い。そしてこんなふうなやりとりがある──『こっちへ行ってもいいかもしれないぞ。ちょっとだけだよ。そんなになんでも詮索しないといけないのか?』──キャラクターは魔法への扉だ、創造性という観点から見ると。思ってもみなかったようなことが起こる。自分で自分にびっくりするんだ」

(略)

キューブリックはその件でリクターを質問攻めにしていた。部族ひとつ分のヒトザルをどこで集めればいい? 世界中探してもそんなに大勢のマイム役者はいないとしたら、リクターのほうで別の人びとにその動きを教えることはできるのか? 衣装を着たらどうなるのか?

宇宙遊泳スタント

 常にリアリズムを追求するキューブリックは、ウェストンのヘルメットの後部に空気穴をあけようという提案をはねつけていた。(略)

 キューブリックが譲らないということは、ウェストンの宇宙服が密閉状態になるということだった。圧縮空気の小型タンクがバックパックに入ってはいたが、それは十分しかもたなかった(略)

たとえタンクがスーツへ空気を送り込んだとしても、ウェストンが吐き出す炭酸ガスには行き場がなかった。それが宇宙服の中でたまり続ければ、徐々に心拍数があがって、呼吸は速まり、疲労で体が動きにくくなり、ついには意識を失うことになる。

(略)
胸の悪くなるようなピシッという音がサウンドステージ全体に響き渡り、ワイヤーのより線の一本が切れた。(略)

[制御ユニットは]くるくると落下して、カメラアシスタントのピーター・ハナンの頭にかすめるようにぶつかった。パナビジョンカメラのそばにいたキューブリックは、ぱっとうしろへ跳びさがった。(略)

 頭から血を流しながら、ハナンは近くにあるバーネット病院へ急行し、ひらいた傷口を縫ってもらった。(略)

「もしも頭の真ん中に当たっていたら、彼はきっと死んでいただろう」ウェストンは語る。(略)あそこで墜落していたら、ウェストンだけでなくほかの人たちも巻き添えになって死んでいたはずだ。

 動揺したキューブリックは、二本のワイヤを使うことにもはや異議をとなえようとしなかった。(略)キューブリック自身は二度とスタントマンの下に立つことはなかった。

(略)
「初めてわたしが気を失ったとき、キューブリックはひどく動揺した。わたしの時間がかぎられていることは彼も説明を受けていたからだ」とウェストンは回想する。タンクがほとんどからになって空気の毒性が容赦なく上昇してきたので、彼はアルファベットを逆順で暗唱して次がわからなくなるまでそれを続けた。それから数分待って、周囲が薄暗くかすみ始めると、今度は両腕を広げて十字架の姿勢をとった。(略)

ヘルメット越しに「だれかがスタンリーのところへ走って『彼を戻さないと』と言っている」のを聞いた。キューブリックの返事はこうだった──「知るか、始めたばかりなんだぞ。あの男は上にとどめておけ!上にとどめておくんだ!」

(略)

[すぐにMGMにねじ込むつもりで監督を探すも]

キューブリックは「二日か三日」はスタジオへ戻ってこなかった、とウェストンは語る。(略)

わたしがなにをするつもりかわかっていたんだ」

 リンドンの手配により、ウェストンは「ビールなどが入った冷蔵庫のあるエリザベス・テイラーの楽屋」をあてがわれた。しかも「最大級の慰労休暇が約束され、スタンリーがその分を支払うことになった」つまりは、大幅な賃上げだ。

(略)

 ウェストンがやり遂げなければならなかったもっとも複雑なショットは、HALが遠隔操作するスペースポッドに殺された宇宙飛行士フランク・プールを演じた場面だ。(略)

サーボアームをかまえたポッドが左から接近してくる。ウェストンは二回転してからアームにぶつかり、ヘルメットも体全体もその衝撃で揺れる。

原人の動き

 いまになってみると、キューブリックがとったもっとも重要な行動のひとつは、リクターにボリュー社の美しい16ミリフィルムカメラをあたえて、その使い方を教え、フィルムストックと現像を無制限に利用できるようにしてやったことだ。(略)

キューブリックはこう告げた──「さあ、外へ出て好きなだけ調査をおこないたまえ。とにかく情報を集めて、それから決断をくだすんだ」

 リクターはのちに、ロンドンの大聖堂サイズの自然史博物館にいたイラストレーターのモーリス・ウィルスンにも取材をおこなった。ウィルスンが野生生物を描いた精妙なフルカラーの作品は、細部の鮮明さや美しさにおいてジェームズ・オーデュボンのそれに匹敵する。その数年前から、彼は博物館にある化石のかけらを調べて、アウストラロピテクスやそのほかの原人がどのような姿でどのようなふるまいをしていたかを再現する絵画を製作していたのだ。

(略)

 博物館とは別に、リクターはロンドン動物園にいる、哀愁に満ちた、思慮深げな“ゴリラのガイ”のもとを繰り返し訪れた。(略)

「穏やかな表情だった。彼は動物園の訪問者たちを見渡していたが、わたしがケージの前で動き回ると、その目でこちらを追っていた」ボリューを手に、ダンは観察を続けた。(略)リクターはみずからもボディランゲージを試み始めた。

 

なんというみごとなコントロールだろう! わたしがなにかに手を伸ばすとき、その動きは体の中心から始まる。立ち上がり、向きを変え、走る──どの動きも中心から始まる。そうやって動くといろいろな効果があった。それはすぐにわたしの身のこなしから人間らしさを消した。それはサイズ感を生み出した──わたしは急に大きくなり、重さを増した。試しにこのやりかたで動いてみるといい。それはエネルギーとパワーを生み出す。ガイが教えてくれたんだ。彼が〈月を見るもの〉にサイズ感と奥行きをもたらしてくれた……。ありがとう、ガイ、なつかしの友よ。

 フロントプロジェクション

 キューブリックが〈人類の夜明け〉の撮影方法としてもうひとつ検討していたのは、当時は映画製作で使うはまだ目新しかったフロントプロジェクションという技法を導入することだった。(略)

『2001年』以前には、多くの映画が特殊効果の技法としてリアプロジェクションを使っていた。古典的な例は、車の中のカップルの背後で道路が地平線方向へ流れ過ぎていくというあれだ。リアプロジェクションは『2001年』でも広範囲で使われていて、宇宙船のセットでは高解像度フラットパネルの電子スクリーンをみごとに模していた。ただ、リアプロジェクションだと、もっと大きなスクリーンでその前に車や砂漠の風景のセットを置くようなかたちで使った場合、投影する映像をスクリーンの素材に反射させるのではなく透過させなければならないという問題が出てくる。それで明るさも鮮明さも落ちてしまうのだ。

(略)

 一九六四年に、キューブリックは一九五〇年代から一九六〇年代初期にかけて公開された数あるSF映画の中でも、特に日本の東宝(略)が製作した作品をたんねんに観賞していた。彼が一九六三年の映画『マタンゴ』を観たのはほぼ確実だろう。この作品で(略)本多猪四郎監督はヨットが海上にあるシーンで先駆的なフロントプロジェクションを導入していた。それはリアプロジェクションで実現されるどんな映像よりも段違いにリアルであり、キューブリックはまちがいなく注目したはずだった。

(略)

スコッチライトのフロントプロジェクション・スクリーンは、リアプロジェクションより何百倍も効率よく映写機の光をカメラのレンズへ跳ね返し、しかも正面から反射するので、輪郭がぼけることもほとんどない。

(略)

それでも、いろいろと制約はあった。すべてのガラスビーズが光を細いビームで投影源へ反射するので、カメラは映写機のレンズと正確に一直線上の位置になければならない映写機もカメラもかさばる機材で同時に同じ場所に設置はできないことを考えると、とても不可能なように思われた。3M社の研究者だったフィリップ・パルムクイストが開発したフロントプロジェクションのシステムでは、カメラのレンズの前にハーフミラーを四十五度の角度で置くことでこの問題を解決した。カメラに対して九十度の位置に設置された映写機が、このミラーにむかって映像を投じると、ミラーはスコッチライトのフロントプロジェクション・スクリーンへそれを投影し、スクリーンで跳ね返った光はミラーの背後にあるカメラへまっすぐもどってくる。投影された映像は前景にいる俳優たち、たとえば骨を手にしたヒトザルにも投射されるが、スコッチライトをかぶりでもしていなければ、ほんのかすかで目につくことはない。しかも、ステージ4でビル・ウェストンの体がみずからを吊すケーブルを隠したことでほぼ完璧な無重力シーンが生まれたように、実際のところは、映写機からの光で演者たちがスクリーンに投じる影も本人たちの体によってカメラからは隠されるのだった。だが、難問はほかにもあった。カメラはずっと固定しておくか、さもなければ、どこかへ移動させるたびに

クヮカブーム

[ロケハン隊から送られた写真]

しわの寄った樹皮と肉厚の星形の葉をもつこの奇妙な植物を見て、キューブリックは興奮した。彼が求めている先史時代のエキゾチシズムをみごとに表現しているように見えたのだ。

(略)

マールテンスは依頼主に、クヮカブームは絶滅危惧種で法律で保護され[金網で囲まれており、水を沢山含み運搬するには重すぎると説明]

(略)

[そう報告された監督は]

「だが、ぼくはこの木がとても気に入った。なにか方法はあるだろう。忍び込んで何本か拝借すればいい」(略)

「MGMの名は出すな。フォックスかなにかのふりをしておけばいい」

(略)

バーキンみずからフェンスを切断し(略)

労働者たちがもっとも大きくて立派なクヮカブームを二本切り倒し始めた。ところが、地面にぶつかったとたん、木はいくつかに割れてしまった。含んでいる水の重みでもろい幹が砕けたのだ。(略)

[折れた幹からはスズメバチの群れ]

すべての木がぶじに倒された時、四本はばらばらになっていた。それなりに形をとどめている六本をトラックに積み込み

(略)

バーキンがこれほど苦労して砂漠を運んだ木々も、『2001年』のヒトザルが登場する序章ではずっと遠方に二本ちらりと見えただけだった。

(略)

それでもクヮカブームに心惹かれていたキューブリックは、MGMの美術部に頼んで新しい木を製作してもらい、そのうちの何本かが〈人類の夜明け〉で堂々たる姿を見せた。それらはイングランドで作られたものだったのだ。

 灼熱の照明

 要求される明るさのレベルを考えると、いずれも実現困難なことばかりだった。

(略)

オルコットがこのときのことを回想する。「そこでわたしはこたえた。『それを実現するためにはステージの天井全体を大きな白い空にするしかないな』」(略)

オルコットはばかばかしいほど精密なスタジオ用照明制御システムを考案した。

(略)電球の数は二千から三千個になった。するとキューブリックが言った。「まあ、いいんだが、下に山のあるところでは、熱く[露出過多に]なってしまうな」それはそのとおりだった……。彼が「山の上の電球は消さないと」と言ったので、わたしは「そのためにはすべての電球に個別のスイッチをつけるしかない」とこたえた。すると彼は──「よし、すべての電球に個別のスイッチをつけよう」ふつうならとても受け入れられない話だ。(略)

必要なケーブルの量はぜんぶひっくるめると十二キロメートル分くらいになった。

(略)スイッチの数はぜんぶで千八百五十個になった。(略)

だが、すべての電球を点灯すると、木箱当たりの合計は二万五千ワットになる。三十七個の木箱の電球が頭上高く吊されると、その空のパワーの合計は九十二万五千ワットになる。しかもその計算には、鮮明さを増したり、太陽の光が地平線近くから射し込む感じを出したりするためにセットの両脇に運び込まれていたブルートライトがいっさい含まれていない。(略)九台のブルートライト[による](略)太陽の光だけで二十三万五千ワットだ。これに空を加えて、ウッズは〈人類の夜明け〉のセットは百五十万ワットの光で照らされると計算した。

 当然ながら、ステージ4の室温は優に三十七度を超えた──真夏のナミブ砂漠なみの暑さだ。

次回に続く。