言葉はいかに人を欺くか:嘘、ミスリード、犬笛を読み解く

217ページからの

「附録 犬笛、政治操作、言語哲学」だけを読んだ。

リー・アトウォーター、共和党「南部戦略」について語る

 私たちは一九五四年には「N*****, n*****, n***** [黒人を指す蔑称]」と言っていました。それが、一九六八年までには言えなくなりました。そんなことを言ったら痛手になります。逆効果になります。それで、強制バス通学や州の権利などと言ったわけです。私たちはますます抽象的になってきていて、[その結果]今では減税をすると話しているんです。私たちが話しているのは、みんな完全に経済の事柄なんですが、その副産物として黒人は白人よりも損害を被るのです。無意識では、そのことも[政策や話の]一部なのかもしれません。私はそう言っているわけではないんですよ。私が言っているのは、これだけ抽象化されていて、これだけコード化されているなら、私たちはどのみち人種問題をやりすごせているということなんです。お分かりですね。当然、「私たちはこれをやめたい」とだらだら言うのは、強制バス通学よりもはるかに抽象的で、「N*****, n*****」よりもずっとはるかに抽象的ですから。

 ――リー・アトウォーター

[一九八一年のインタヴュー。アメリカ共和党の政治コンサルタントでプッシュ・ポール等を実践。このインタビューでは、黒人差別に訴え白人の票を集めるという共和党の「南部戦略」について語っている]

犬笛

「犬笛」とは政治における比較的新しい用語で、一九八〇年代にアメリカの政治ジャーナリズムで誕生した。

(略)

 キンバリー・ウィッテン[社会言語学]は、犬笛について研究している数少ない言語学者の一人である。彼女がとりわけ注目するのは、私があからさまで意図的な犬笛と呼ぶ種類の犬笛で、それに関する彼女の定義は、優れている。

 

 [あからさまで意図的な]犬笛は、二つのもっともらしい解釈ができるよう、意図的に設計された言語行為である。一つの解釈は、ある私的なコード化されたメッセージで、一般的な聴衆の一部に向けられる。そのメッセージは一般的な聴衆には隠されているため、彼らは二つ目のコード化された解釈の存在に気づかない。

 

(略)

 ジョージ・W・ブッシュは、[大統領再選に向けた]選挙運動の期間中、自分の信仰に関わる難しい状況に直面した。彼はどうしてもキリスト教原理主義者の票が必要だったが、他の多くの人々――総選挙にはこの人たちの票も必要だった――が原理主義(略)に神経質なのも明らかだった。ブッシュのスピーチライターたちが講じた解決策は、原理主義者たちに犬笛で呼びかけることだった。その好例が、二〇〇三年の一般教書演説(略)におけるブッシュの発話だ。

 

 しかし、力が、奇跡を冠こす力が、アメリカの人々の善良さと理想主義との信念のうちにはあるのです。

 

 原理主義者でなければ、これを聞いても薄っぺらな政治的な決まり文句からなる平凡な一文だと気にもかけずに聞きすごすだろう。だがキリスト教原理主義者なら犬笛を聞きとる。原理主義者の間で、「奇跡を起こす力」はキリストの力を明確に示す表現として好まれるのだ。

(略)

ほとんどの白人有権者は黒人が生まれつき自分たちより劣るとか、人種隔離を法的に強制すべきだという主張を支持しない。

(略)

 別の時代だったなら、堂々と人種差別する有権者に呼び掛けるために、露骨に人種差別的な見解を明示的に表現していたかもしれない政治家が、現代では、「人種的な不満を覚える」有権者に、彼らとある種の心理的な同類だという合図を送るために、より巧みな手段を模索しなくてはならない。人種差別が明示的である犬笛は機能しない可能性がある。

隠れた犬笛

 隠れた意図的な犬笛の最も有名な例は、ウィリー・ホートンの広告である。ジョージ・H・W・ブッシュは、マイケル・デュカキスとの選挙戦でこの広告を使用し、大成功を収めた。この広告は、一時出所した[殺人罪終身刑に服していた] 受刑者ウィリー・ホートンについて語ることで、デュカキスの知事時代に実施さにれた、受刑者の一時出所の制度を批判した。ホートンはあるカップルの自宅に侵入し、女性をレイプし、男性を刺した。広告は人種について一切言及しない。だが、広告の画像はウィリー・ホートンの写真で、ホートンは黒人である。ブッシュの選挙キャンペーンはホートンを重要な問題にしたてあげ、それを機にニュースで大々的に放映されることになった。

 ウィリー・ホートンの広告が出る前は、デュカキスの方が世論調査で大幅に優勢だった。広告が放映され、議論が始まると即座に彼の支持率は急落し始めた。ほぼこの期間中、この広告は人種に関連づけて議論されることはなかった。それが議論されたのは、選挙運動における犯罪の役割やネガティヴ・キャンペーンの話の一部としてだった。しかし、かなり後になってジェシー・ジャクソンはウィリー・ホートンの広告を「人種差別だ」と言った。その時には、彼の告発はきわめて懐疑的に受け止められ(今ではきわめて広く受け入れられているが)、民主党員が「人種のカードを切っている」として不当な試みと見なされた。だが、これについては広く議論された。人種差別の可能性が提起された途端、広告は暗示のレベルでは完全に機能しなくなった。視聴者は人種に関わることが起きている可能性を考え始めたのだ。この時点で、デュカキスは再び世論調査で支持率が回復し始めた。これはひとたび人種について明示的に議論されると、広告が効果を失ったことを示す。

(略)

 アメリカでは、「インナーシティ」[字義的には大都市中心部を意味するが、「スラム」を暗示する]が黒人を意味する犬笛として機能するようになった。したがって、もし政治家が黒人犯罪者への厳しい対策を訴えれば強く非難されるだろうが、インナーシティにおける犯罪の取り締まりならそのような心配なく呼びかけられる。

(略)

 一九八〇年代を通してアメリカでは、共和党が一丸となって、財政支出と人種的マイノリティを関連づけようと取り組んでいた(略)。この取り組みは非常に大きな成功を収めた。例えば、政府の支援に関するメディア報道は、支援の受給者の中で黒人は少数であるにもかかわらず、黒人の支援受給者に偏って焦点を当てるようになった。この取り組みの結果、「財政支出」のような言葉でさえも、いまや人種的な犬笛の役割を果たすようになったことが分かるだろう。そのような言葉を含む発話は、人種に関する態度を顕著にしようとする意図を伴う場合、結果として意図的な犬笛として機能することがある。国が何に税金を使うかは議論すべき問題であるため、こうした言葉は広く使われる。そのようにして、これらの言葉はきわめて頻繁に意図的でない隠れた犬笛として機能し、実際しばしば増幅された犬笛の役割を果たす。

(略)

 ジェイソン・スタンリーは、私が隠れた犬笛と呼ぶもの(意図的な犬笛と意図的でない犬笛の両方)を議論する唯一の哲学者である。彼はこの隠れた犬笛を、特に狡猾なプロパガンダの形態と考える。スタンリーの見解では、この犬笛は、会話の中にいくつかの有害な「非争点の」効果を導入することで機能する。非争点の内容とは、会話の共通基盤の一部となる要素であるが、それは、主張される内容のとおりには明示的に検討の対象になることはない。これによって、この内容が共通基盤に追加されていることに気づきにくくなり、それに反対することもさらに難しくなる。また、取り消すこともできない。関連する意味は、非争点の内容として常に伝えられるが、話し手はこれが起きるのを阻止できない。(略)

 

 ニュースメディアが、都市部の黒人のイメージと「福祉」という言葉への言及を繰り返し結びつけるなら、「福祉」という言葉は、黒人は怠け者であるという非争点の内容をもつようになる。どこかの時点で、繰り返された連想は意味の一部、非争点の内容になる。

 

 スタンリーはまた、言葉の非争点の効果が、選好の順位づけという形態をとり、集団を敬意という価値の観点から順位づける形態をとると示唆する。つまりある言葉は、その言葉を聞いた人に、一部の集団に対する敬意を損なう仕方で、集団ごとに異なる順位づけをさせる可能性がある。人は集団を、多かれ少なかれ共感の価値に応じて、順位づけるようにすらなるかもしれない。これは、スタンリーにとってとりわけ重要な種類の非争点の効果である。

(略)

 スタンリーは、民主主義を蝕む機能があるという理由で、私が「犬笛」と呼んでいるものに特に関心を寄せている。彼が特に関心をもつ言葉は、――「福祉」のように――壊滅的な打撃を与える性質をもつ。

(略)

例えば、あからさまに人種差別的な主張に対抗するよりも、犬笛に対抗する方が確かに難しい。もし選挙運動の宣伝が明示的に「黒人は危険な犯罪者で、デュカキスはもっと人種差別すべきだ」と主張する場合、その広告の何が間違っているかを指摘することは非常に簡単である。これが人種差別であることは疑いようもなく、最も臆病なジャーナリストすら気楽にこれは人種差別だと主張するだろう。広告を作った人たちは、謝罪せざるをえないか、明らかに人種差別的な有権者に選挙の期待を懸けるしかないだろう。だがウィリー・ホートンの広告は全く異なる。多くの視聴者は、自分たちの人種的な態度を顕著にする広告を見たことに気づかないだろう。