幻視幻覚
麻薬体験があるらしい見知らぬ方からの葉書がときおりまじっていて、貴方もLSDをやっていたことがあるでしょう、と記してある。私の小説の中に幻視幻覚に類するものがひんぱんに出てくるせいで、たとえば、地球の自転にへばりついている自分を意識するローリング感覚などは、LSDのもたらす幻想のもっとも一般的なものだという。
しかし私はLSDを一度も使用したことはない。私はナルコレプシーという持病があり、この病気は入眠時幻覚をともなうので、いわゆるまぼろしが日常茶飯に現れる。麻薬中毒ならずして、同じような幻想を見られてまことにありがたい。
普通の人間は、不必要な想念を体力で律してもみ消してしまうけれども、その体力が衰えて意識の交通整理ができなくなったとき、幻視幻覚が現れる。
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原則的には本能に基づいており、(1)不安、被害者感覚(2)潜在的願望(3)生存本能の裏返しの恐怖、嫌悪感覚、が主な要素であろう。だからLSDの幻想と、私の病気がひきおこす幻想とが似ていて当たり前なのである。
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S・スピルバーグという監督の映画をはじめて見たのは“激突”であるが、そのとき葉書の主と同じように、私も思った。あ、この人は麻薬体験があるか、幻視のともなう持病があるか、どっちかだぞ。
この世にありえないものに恐怖を感じる、というのは普通人の神経だが、実際に目に見えている変哲もないもの(この場合はトラック)に異常を感じ、こだわりだしていく、あの恐怖の受けとめかたが、私には同病の親近感がある。これはたとえばヒチコックにはまったく感じない。
“レイダース”を観たときは怖かった。あの映画の最後の場面、箱から煙が出て来て、美女が出現し、瞬時にそれが悪相に変わる。あのパターンはふだん私がくりかえし見ているものなのである。西欧風の美女神の顔も、なぜかまったく同じなのだ。
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“ポルターガイスト”という映画に現れる変異は、ドラマを成立させるための大仰な部分をのぞいて、やっぱり端々はリアリティーがあった。まず、変異が意識される手順がおおむねうなずける。
椅子やベッドがかたがた揺れはじめるところは、あのとおりに近い。風のようなものが吹きつのるようなところもそうだ。私の場合は、風がおこる前に、何かが家の近くまでやってきた気配がし、ズキン、と頭の中にショックが伝わり、それから風になるが。
重たい空気の塊が圧迫してきて、新聞や本を押し倒してしまうところもそうだ。
台所で肉片がはじけ、フライドチキンに虫がたかり、自分の顔の肉をひきむしっていく、あそこは作り物じみて見えるかもしれないが、私には日常茶飯のことである。
ただ私には骸骨は出てこない。私が骸骨にあまり恐怖感を抱いてないせいであろう。私の場合は肉のついた死体が多い。
スピルバーグ監督は、どの映画でも、(多分)自分がふだん見なれている幻視幻覚を非常にうまく利用しているにちがいない。幻を具象化することはとてもむずかしい。ただ、今のところ彼は、熟達した職人のような手際で、恐怖感をスクリーンに定着させたにすぎない。
たしかに、オカルティズムは、従来の神の意識や科学を飛び越えてしまった。神や科学よりも、オカルティズムが大敵のようになってきた。この次の作品は、十九世紀の作家たちがそうしたように、オカルティズム自体をぶちこわそうとするものになって欲しい。それではじめて、オカルティズムの底の深さが現れてくるように思う。
麻薬について
三十年ほど前、私の周辺はぶったぎるようにさまざま薬物が乱舞していた。
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[注射針が怖くて手を出してないと言っても誰も信用しないが]
今、辛うじて生き残っているのは、薬を打たなかったことが唯一の原因じゃないかと内心思っている。
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私たちが日を送ってきた過去の中で、実に多くの人たちが意味もなく、薬に身体を毒されていった。薬に毒されながら、しかしある意味でそれを必要としていたわずかな数の人も居た。行跡でそれを示した人も居る。仕事の仕上りでなく、外見にはしかと見えないが、本人のそのときなりのとことんの判断でそうせざるをえなかったらしき人も居る。いずれにしてもそれはごくわずかな人たちだ。
実例をたったひとつ記す。昭和二十四年頃。チクロパンナトリウム、我々はイチコロパンといっていた。最初は尻や太股に刺す。効かなくなると徐々に脳に近い所に打つ場所が移動する。速効性あり、打つとすぐ深々と眠る。すぐに眠ってわからなくなるのに、どこがよいのだろうか。安眠ということが、命を賭けるほどのものであるほどの、苛酷な日常があるのだろうか。深川高橋の某君は、額の横、顳顬[こめかみ]のあたりに、私の眼の前で針を刺し、たちまち音を立てて横転した。倒れた某君の顳顬に刺さったままの注射針が、ゆらゆら揺れていた。
尻から頭へくるまで約半年、それで廃人だという。意味も糞もない。外見はかくのごときである。禁止すべきが当然であり、法治国であるから、法で禁じられたことをやって罰せられるのもこれまた当然である。
そのことに私は毫も不服を抱いているわけではない。
しかしまた、ここがややこしいが、かつて薬を使っていた私の友人知人を、軽蔑もしていない。
たとえば、ミュージシャンである。ミュージシャンのうちのある者は、仕事が苛酷すぎる。聴衆は常に、人力以上のものを期待し要求する。それはただ単に拍手をすればよいので、それほどだいそれたことを望んでいるような気がしない。あるいは、偶然にすばらしいものが聴けた感動を現わしているだけだと思う。けれども演ずる方には、そういう日々の積み重なりであり、彼等を人力以上のところへ駆りたたせる鞭になっていることはたしかである。法を犯し、身を害するのは彼等自身であり、結果的に不幸を背負うのは仕方がないとしても、私たちは、一夕の楽しみを、そうした重たい犠牲のもとに得ているということを忘れるわけにはいかない。聴衆の一人でもある私には、彼等を軽蔑することができない。
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能の魅力
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昼間、後楽園競輪場に行って、競輪にどっぷりと浸り、その足で裏手の大曲まで歩いて観世に行くか、或いは水道橋の宝生の能楽堂に行って夜能を見る。その一日は、私にとってもっとも豪華な味わいがあった。
競輪も、能も、ともに日本人でなければ創案できないもので、いずれも神がない、規範がない現実を踏まえているところに特長がある。そうして、よかれあしかれ現実のとりとめなさに負けていない。他の凡百の競技や芸能が色あせて見える。
能といっても、私の関心は主に世阿弥にあるので、特に後世作られた技巧的なものには何の値打ちも見出せない。また、名人上手といわれる演者たちが次々と亡くなっていった頃であったせいもあるけれど、演者や奏者たちにもそれほどの関心がない。私は私の勝手で見ている。
世阿弥の凄さを一言でいえば、劇のまん中に明瞭な一つの線をひいたことである。その線を境にして前半は主人公の実人生を、後半はその実人生の再検討、再評価、再認識をやっている。この発想が天才的で、西欧の演劇はこういう発想を持っていない。もっとも、それはひとつには、規範との関係で人物像乃至実人生をきざんでいくから、具体を描けば同時に規範とのドラマが成立するのであろう。したがって劇の最後に、その具体の終末が来る。
規範の乏しい我々の風土では、どのような具体であろうと、具体を描いただけではドラマが成立しない。そこに定着しているかに見えるものは、概念乃至思いこみかもしれない。具体の終尾をまん中に持って来て、もう一度全体を眺め直すということを形式にまで高めたことに驚嘆する。器量がちがいすぎて、世阿弥から何も盗み得ないが、私はこの天才の烈しい殺気のようなものに浸っていることが好きだった。
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