空飛ぶヘビとアメンボロボット

アメンボの推進力 

アメンボが濡れないのは、脚の表面積が毛によって増大したおかげだ。これは、じつに興味深い表面特性だ。フラクタルなどのパターンを取り入れれば、物体の表面積は無限に増やすことができる。そのような広い表面が撥水性のワックスで覆われている場合、脚に付着した水ははね返される。水面に立つアメンボの脚を拡大して見ると、水は毛の「先端」で押しとどめられている。毛と毛の間には水が入り込めないのだ。つまりアメンボは、水の上と言うより、空気の上に立っている。脚もとにある空気の層のおかげで、アメンボはアイススケートをするように、水面をスイスイ滑って移動できる。

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オールをこぐような動きたった1回で、アメンボはものすごい加速を見せる。ヒトでいえば 100メートル走を1秒で駆け抜けるようなものだ。そしてこの高速ストロークのあとは、まったく脚を動かさないまま体長の10倍以上の距離を滑って進む。

(略)

でも、滑るのがうまいのはいいとして、そもそもどうやって動きだすのだろう?停止状態から体を前進に転じさせる力はどこから来るのか?

(略)

 流体を後方に押して推進力を得る動物は、運動量保存の法則を満たす必要がある。(略)

[ハチドリが]空中で静止するためには、絶えず空気を下向きに送りつづける必要がある。

(略)

 泳いで前に進む魚も運動量保存の法則に従う。前進するとき、魚は胸びれや尾びれを動かして、自分とほぼ同じサイズの後流を運動と反対方向につくりだす。運動量保存の法則によれば、後流は魚と反対方向に移動する。

(略)

低速飛行中の鳥は、はばたくごとに渦をつくり、結果として煙の輪のような渦輪ができる。水上を走るトカゲの一種バシリスクの後流は、体重を支える下向きの渦と、推進力をもたらす後ろ向きの渦からなる。渦の生成は、水中に暮らす動物の運動にはお決まりの特徴だ。しかしアメンボは水中でなく水面で生活している。だからジョン・ブッシュが思いつくまで、誰も渦をつくるとは考えもしなかったのだろう。水の表面にとどまりながらも、アメンボは、鳥、魚、一部のトカゲといった、渦をつくって推進力を得る動物たちの仲間だったのだ。

 アメンボを見たことがある人は、かれらがスイカの種ほどの大きさの渦をつくりだせると聞いて驚くかもしれない。かれらの脚にはオールにあるような平らな部分はなく、ただの細い棒2本を使ってこいでいるように見えるからだ。脚の直径は渦の幅の3分の1しかない。こんな脚でどうやって流体を動かしているのだろう?答えは「表面張力」なのだが、そのしくみは少し複雑だ。アメンボが水面にいると、そこに小さなくぼみができ、水面が歪む。くぼみはアメンボの脚の先端を中心にした小さな虫眼鏡のようだ。アメンボが脚をこぐときも、くぼみは維持される。空気で満たされ、表面張力によって維持されるくぼみがパドルのように作用し、アメンボはより多くの水を捉えて押すことができる。つまりアメンボは脚を軸として、水面のくぼみを櫂として利用する。

ゴカイの 「亀裂伝播による推進」

 ゴカイの行動は、それまでの生物学者の想定とは対照的で、驚くほど洗練されていた。(略)

「亀裂伝播による推進」と呼ばれるこの方法を、これほど巧みに利用する人工の掘削機械は、いまだに存在しない。冷凍庫で凍らせたチーズケーキを切るところを想像してみよう。あなたも僕と同じなら、肉切り包丁で何度もガンガン、ケーキが二つに割れるまで叩きつづけるだろう。(略)

一方、ゴカイのやり方では、まず小さな切り込みを入れ、その側面を小刻みに押して裂け目を広げていく。試してみると、この方法は冷凍チーズケーキには効果てきめんだった。でも、どうしてこんなに効果的なのだろう?

 ゴカイの戦略は硬い素材のある特性を利用しているのだが、これが発見されたのは第一次世界大戦中のことだった。戦時中、鋼鉄やガラスといった高強度素材を使って飛行機や戦車が製造された。奇妙なことに、こうした素材は実戦ではあまり頑丈ではなく、分子結合の強さから予測される上限のわずか 100分の1の負荷で破損した。何が素材をこんなに弱くしたのか?一九二〇年、イギリスの航空工学者アラン・アーノルド・グリフィスが、ガラスを使った実験でこの謎を解明した。彼は滑らかなガラスを用意し、そこにごく小さな切り傷を入れた。こうして傷をつけるのは、ガラスに思い通りに亀裂を入れるいい方法だ。グリフィスは傷の大きさをさまざまに変えて破砕実験をおこない、驚くべき結果を見出した。傷が一定の長さを超えると、ガラスはごく弱い力を加えただけで、あっさり割れてしまうのだ。亀裂が破壊につながるのは、亀裂の先端に非常に大きな負荷がかかるせいだ。彼の実験により、ガラスがわずかな負荷で割れる理由が解明された。同じ原理は、コピー用紙を左右から引っ張ってみるだけで、簡単に実証できる。最初のうち、紙はかなりの力に耐えられる。ところが、紙のてっぺんの中心部に小さな切れ目を入れると、いとも簡単に破れてしまう。グリフィスの発見により、航空技師たちは冷間圧延など、当時一般的だった素材に小さな傷をつける製造技術を廃止し、代わりに研磨で傷を取り除くようになった。こうして素材強度が増したことが、最終的にボーイング727のような、一枚の金属シートからなる完全な片持翼を備えた大型機の開発につながった。航空機の翼をトラスで支持していた時代は終焉を迎えた。

 亀裂は、素材のアキレス腱だ。ゴカイはこれを利用して、自分よりもずっと硬い泥の中を動き回る。ゴカイの頭は斧の刃のようにはたらく。木材にひびさえ入れば、割るのに力はいらない。ただし、状況によっては亀裂伝播を利用しづらいこともある。例えば、ゴカイが水槽の壁面と泥の間に挟まっている場合だ。ゴカイが頭を小刻みに動かしても、硬い壁に押し返される。そのため、ゴカイが壁に沿って移動しているときの半径方向力は、壁から離れているときの10倍にもおよぶ。

 ケリーは次にクリーミーな泥に目を向けた。亀裂を生じさせる方法は、ここでは通用しない。ナイフを小刻みに揺らしながらホイップクリームを切ろうとしても、柔らかすぎて亀裂が入る前に崩れてしまう。しかし、ゴカイには次善策がある。まずは体をできるだけ膨張させて、柔らかい泥のなかに小さな空間をつくり、周囲を押す。この動きで体を固定するのだ。ここでいったん動きを止めるのは、おそらく深呼吸のためだろう。次に亀裂の中に頭を押し込み、口から子どものおもちゃのピロピロを出す。このピロピロはじつはゴカイの頭で、裏返しにして突出させることができるのだ。咽頭が泥をかき分け、前方の亀裂を広げる。この方法は、ミミズが土の中を前進するときと似ている。泥はとてもクリーミーなので、裂け目ができるのはほんの一瞬で、ほとんど目に見えない。硬い泥の場合の長くはっきりした亀裂とはまったく違う。亀裂ができると、ゴカイは前に進み、また体を固定する。前進運動はゆっくりで、ゴカイの咽頭が飛び出す回数で記録できる。

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 ケリーが研究するゴカイは、泥だらけの湿った世界を、亀裂をつくるかクリームのように変形させて進んでいた。

境界層、ディンプル

ダランベールが粘性を無視したのは、粘性力は流体の慣性力に比べてはるかに小さいとみなされていたためだった。プラントルはその誤りを証明した。粘性が重要か否かは、動いている物体との距離に依存するのだ。

 ここに流体のなかを動いている物体があるとする。物体の周囲の流体は、積み重ねたトランプのようにたくさんの層に分けられる。接している二層は反対方向にずれあって剪断し、物体の運動を可能にする。物体にもっとも近い層はずっと密着した状態を保ち、これは「壁法則」と呼ばれる。流体の粘性が高いほど、カードにずれが生じにくくなる。物体が動くとき、粘性は周囲の空気全体に影響を与え、すべてのカードが物体との距離に応じて少しずつ動くのだろうと思うかもしれない。だが実際には、動いている物体から遠く離れた空気は、物体の存在に気づいていないかのように、静止状態を保つ。物体がそこにあると「感じている」のは、周囲のごく薄い空気層だけなのだ。プラントルはこの部分を境界層と名づけた。物体にかかる抗力のほとんどは、この層で生じる。

 境界層が一九〇四年まで見つからなかった理由のひとつは、観察の難しさにある。サッカーボールを蹴ったとき、ボールの動きがつくりだす境界層の厚さはわずか0.1ミリメートルだ。観察は非常に難しく、動きが速いものほど境界層は薄くなる。しかし、どれほど薄くても、この小さな空間を介して、物体は外の世界と相互作用する。境界層の内部で、物体は空気に急速な剪断を起こさせる。これに対して空気の粘性が動きに抵抗し、物体に抗力をはたらかせる。こうして物体は、周囲を取り巻く薄い空気の層に影響される。これが物体表面の小さな変化が空気抵抗に莫大な影響を与える物理的原理だ。

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スポーツの世界ではゴルファーたちが、表面のきめの粗さの重要性にいち早く気づきはじめた。

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 広く普及した最初のゴルフボールは、スコットランド人のロバート・パターソンが一八四八年に発明した「ガッティ」だった。マレーシアで採れたサポジラ(チューインガムノキ)の乾燥樹液を粘土のように成形したもので、当時主流だった革のボールよりも安価だった。ガッティ人気のもうひとつの理由は、ベテランゴルファーたちが目にした、説明のつかない現象にあった。新品のガッティはつるつるだが、使用するうちに、ゴルフクラブで繰り返し打たれ、表面が小さなへこみでいっぱいになる。そして古いガッティほどよく飛び、羨望の的になるのだ。現在のゴルフの世界では、コンピューターで生成されたディンプルが抗力を半減させるため、最初に与えられる打力が同じでも、なめらかなボールに比べて飛距離が大幅に伸びる。

 ディンプルの作用を理解するため、まずはなめらかなボールを思い浮かべよう。空気はボールに当たると、その周囲を迂回して移動し、外周を取り囲む。物体表面に沿って移動する空気の速度は、壁法則に従い、積まれたカードのように剪断するにつれて遅くなる。減速した空気は、ボールの外周を通過するころには、もはや風上に向かってボールと同じ向きに移動している。これにより、ボールの後方に真空、つまり陰圧の空間ができ、これがボールを後ろ向きに引き込むために抗力が増す。

 ディンプルつきのボールはこの吸引力を抑制する。ディンプルがあると空気がボールの表面をなめらかに流れず、周囲の空気と混じりあうためだ。周囲の空気の移動速度は、ボールの境界層よりも速い。速い空気が混ざると、冴えないパーティーにハイテンションなパリピが来たような現象が起こる。遅い空気は流入した外の空気に刺激され、ボールの周囲をより速く動くようになるのだ。これにより後流が減少し、ボールは抗力をあまり受けずに飛ぶ。

 ディンプルの効果が発見されるのに時間がかかったのには、もっともな理由がある。あまりに直感に反するからだ。物体表面をなめらかにした方が、動くのが空気中であれ水中であれ、抗力は減ると誰しも思う。

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 きめの粗い表面を利用して境界層を撹乱し、抗力を減らすというアイディアは、飛行機や車にも採用された。飛行機の翼や車のルーフには、ゴルフボールのディンプルの代わりに、同じ役割を果たす小さな静翼が複数設置されていて、高速で動く空気を取り込んで抗力を抑えている。