プロローグ
(略)「アメリカのフォークアート」(略)に掲載されている絵は、ほとんどが無名の人の作品で(略)子供が描いたような絵だった。(略)
デッサンだの、遠近法だのはほとんどでたらめだが、でも、そこには自分なりにこういうふうに描きたいんだという気持ちがこもっている。常々、絵の魅力はそういうものではないかとおもっていたので、彼らの絵に感動した。
(略)
アメリカのフォークアートは、ぼくに忘れていたものを蘇らせてくれた。イノセントな感性が最も大切であることを教えてくれた。余談。ニューヨークから帰国後、数年してぼくはイラストレーションを描きはじめたのだが、その頃、当時お茶の水女子大の学生だった柴門ふみさんと知り合った。彼女が卒論でアメリカのフォークアートについて書くと聞き、それではとニューヨークで買った「アメリカのフォークアート」を貸してあげた。果たして役に立ったかどうか不安だったが、その後人気漫画家となった彼女からその時のお礼を言われたときはちょっと恥ずかしかった。
もう一つ余談。アメリカで大成功した日本人画家、国吉康雄のことを書いた本を読んでいたときのことだ。それまでヨーロッパの画家たちの影響を受けていた彼が、ふと入ったニューヨークの骨董品店で見た絵に強く刺激されたと書かれている。それはヨーロッパ人の描いたものではなく、まったく無名のアメリカ人の描いた絵だという。これはフォークアートだなと、ぼくはすぐにおもった。国吉康雄の絵の遠近法には、あきらかにアメリカのフォークアートの影響がある。
と、まあそのように、ぼくはフォークアートというものをずっと注目しつづけてきた。
ハワード・フィンスター
この人の絵は、とにかく画面にびっしりと描き込んだ上に、さらに絵のまわりに細かく文字を書き込んでいる。文字の内容は、ほとんど彼からのメッセージで、神のお告げ、例えばエデンの園の快楽に対する戒めだったりするのだが、この頃は政治問題や女性解放、エネルギー保護といったことが書かれている。
(略)
この人は四十年もの間、バプティスト派の伝道師をしていたという。「はじめはだれもわたしの説教を聞いてくれなかった。ある日、神様のお告げがあり、あなたは絵を描きなさいとおっしゃった。わたしはそれから絵を描くようになった」
フィンスターさんは言う。絵を描きはじめたのは一九七四年くらいからだ
(略)
「ほかの人の絵なんか入らない、わたしだけの本を作らないか」
彼は結構真面目な顔をして言う。
「日本人が2エーカーくらいの土地をわたしにくれたら、最高のパラダイスガーデンを作ってやる」
こんな大口もたたく。言葉の切れ目はなかなか見つからない。
R・A・ミラー
ミラーさんはすでに八十歳を過ぎている。絵を描きはじめたのは七十五歳くらいかららしい。
「親父はピストルで撃たれて死んだんだ。母親はインディアンの血が入っているよ。わたしは教師のようなことを三十年近くやってたんだ」
(略)
この人の作品を見ていると、とてもいい感覚の持ち主だということがよくわかる。ブリキを切って作るカッティングのカーブした部分や、色をつける筆さばき、ちょこんと筆を落としただけの目の描き方、サインの文字、どこにも感覚のよさが出ている。
いいセンスをしているなあと感心してしまう。
(略)
今度会った画家のなかでは、このミラーさんが絵のセンスでは一番いいようにおもえる。イラストレーションなど描いていたら、かなりいい仕事をするイラストレーターになっていたのではないかともおもうのだが、そのあたりは確約はできない。
絵というのは、才能のある人がいろいろと研究を重ねたすえに、いい味わいの絵を作り出すのだが、描いているうちにどんどん巧みになってしまうことが多い。一番いい状態をいつまでも保つこと、これがなかなかむずかしい。あの人はあの頃、あんなにいい絵を描いていたのにとおもうことがしばしばある。ベン・シャーンに対しても、国吉康雄に対しても、ぼくは同じことを感じている。
(略)
もしも二十八くらいから作品を作っていたら、今のような作品を産み出していたかどうかはわからない。この人には、七十四歳くらいのころまで、一番いいエッセンスだけが残っていたのだろう。
ジミー・リー・サダス
ジミー・リー・サダスさんは今年で八十六歳だという。
「絵は三歳くらいから描いているけれど、売れ出したのは三十年くらい前からかな。だからいつも絵は三十年前から描きはじめたっていってるんだ」
彼の絵の表面は泥絵の具を使ったようにざらざらしている。訊いてみると、はじめはほんとうの土を使って描いていたというので驚いた。
「はじめは土を使って描いていたよ。このあたりの土は赤いので絵の具みたいなんだ。そのうち土にシロップを混ぜたりしていろいろ工夫するようになってね。今でもアクリル絵の具に土を混ぜたりしているよ」
(略)
サダスさんはトトの絵とワニの絵を持って出てきた。トトはラグビー・ボールみたいな目をして口をぽかんと開けている。きっと吠えているのだろうが、ぼくにはそう見える。犬嫌いのぼくでも我慢できる可愛さがある。ワニは薄茶色で、青い点がちらばっている。背中に緑色の棘がある。丸く青い目がユーモラスだ。単純でおもうがままに描いている。絵をきちんと学んだ人が見たら、きっと怒るかもしれないような大胆さだ。
(略)
絵を学んだ人は、それなりの技術を身につけ、それなりの技術であれこれと描写するが、それはただ自己の訓練を披露するだけで、そこには自分自身も何も出ていないことが多い。おそらく技術を学んでいるうちに、自己の精神が消えてしまうのだろう。美大出の多くの画家のつまらなさはそんなところにある。
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