メディアはマッサージである マーシャル・マクルーハン

新装版 メディアはマッサージである

新装版 メディアはマッサージである

 

 『観念の冒険』 

“観念の研究で、完璧な明晰さに強く固執するのは、混乱して事実をいわば霧のように包んでいるセンチメンタルな感情から出ているにすぎないことを忘れてはならない。あくまで明晰さに固執するのは、人間の知性の働き方に関する、まったく迷信そのものである。われわれの推論は、わらでも把むようにまったくつまらないものを前提とし、中空に浮いているくもの糸をたよりに演繹を進めていくにすぎないのである”

──A・N・ホワイトヘッド『観念の冒険』

(略)

『メディアはマッサージである』というこの本は、今日われわれの周囲で何が起こっているかを見回そうとする。いわば環境間の衝突状況を映す万華鏡である。

あなたの仕事

“この回路があなたのジョッブ(仕事)を覚えてしまった時、あなたは何をするつもりですか?”

 

"ジョッブ”というのは、比較的近年にあらわれた仕事のパターンである。15世紀から 20世までは、仕事の段階を断片化する過程が、不断に進行した。それは“機械化”と“専門化”の過程であった。だが、それらの処置は、この新しい時代にあっては、われわれの生き残りや正常な精神の維持のために、役には立たないのである。

 

電気回路のもとでは、すべての断片化されたジョッブのパターンは、再び、仕事の役割や形態を巻き込むように要求する。それは教授、学習、献身的な忠誠心という古い意味における“人間的な”奉仕、といったものに、ますます似てくる。

 

失業による苦しみをやわらげるために計画された多くの善意から出た改良政策は、不幸にも、メディアの影響というものの本質に対する無知をあらわしている。

 

“わたしのパーラーへいらっしゃい”とコンピューターは専門家にいった。”

“他人”

知り合うということのショック!電気的情報の環境のなかでは、少数派グループは、もはや封じ込めたり、無視したりできない。あまりに多くの人が、互いについて、あまりに多くを知っている。われわれの新しい環境は、かかわり合いと参加を強制する。われわれはいやおうなしに、互いにかかわり合い、互いに相手に対し、て責任を持たされるようになった。

 メディアはマッサージである

すべてのメディアは、われわれのすみからすみまで変えてしまう。それらのメディアは個人的、政治的、経済的、美的、心理的、道徳的、倫理的、社会的な出来事のすべてに深く浸透しているから、メディアはわれわれのどんな部分にも触れ、影響を及ぼし、変えてしまう。メディアはマッサージである。こうした環境としてのメディアの作用に関する知識なしには、社会と文化の変動を理解することはできない。(略)

“座る人たちを座らせるための密室”

人間を罰し、矯正する一つの方法として、せまい場所に拘禁するという考えは、13世紀から14世紀の間──つまり、われわれ西欧世界に、遠近法的、絵画的空間が形成されつつあった時代──に生まれてきたようである。だが、拘束と分類の手段として人間を閉じ込めるという観念全体が、今日の電気的世界では役に立たなくなっている。人々が罪に対していだく新しい感情は、だれか私的な個人に還元できるようなものではなく、むしろ、ある神秘的な仕方で、すべての人々に共有されているものである。この感情がわれわれの間に再びよみがえってきたようである。話によると、部族的な社会では、恐ろしい事件が起こると、その事件をひき起こした個人を非難するかわりに、だれかが“こんな気持になるなんて、どんなに恐ろしかったことだろう”、という反応がよくみられる。この感情は、われわれが迎えつつある新しいマス・カルチャーの一つの局面である。それは、すべての人々が互いに深くかかわり合い、個人的な罪というものを、もはやだれも本当に想像できなくなってしまうような、全体的相互関与の世界である。

新しいメディア

“進歩”の名において、われわれの官製の文化は、新しいメディアに古い仕事をするように強制する。

新しい環境

詩人、芸術家、探偵──われわれの知覚を鋭くしてくれる者はだれでも、反社会的になる傾向がある。彼らが“よく適応する”ことはほとんどなく、現代の風潮や趨勢に従ってゆくことができない。これらの反社会的なタイプの人々には、環境の真の姿を見るカを持っているという、奇妙な共通点がある。反社会的な力をもって環境の境界に接し、それに直面したいという欲求は、“はだかの王様”というあの有名な話の中に、よく描かれている。“よく適応した”廷臣は、利害関係をもっているから、王様が美しい着物を着ているのだと見た。ところが、まだ古い環境に慣れていない“反社会的”な子どもは、王様が“なにも着ていない”ことをちゃんと見た。新しい環境が、子どもにははっきりと見えたのである。

情報戦争

真の全面戦争は情報戦争となった。それは、微妙な電気的情報メディアによって──冷戦状態の下で、しかも不断に──行なわれている戦いである。冷戦は真の戦線である。それは──包囲戦であり──あらゆる時に──あらゆる場所で──すべての人を巻き込む。今日熱い戦争が必要な時はつねに、古いテクノロジーを使って、世界の裏庭でそれが戦われる。これらの戦争はハプニング(偶発事)であり、悲劇的なゲームである。戦争をするのに最新のテクノロジーを用いることは、もはや便利でも、適当でもない。というのは、これらのテクノロジーが戦争を無意味なものとしたからである。水爆は歴史の感嘆符である。それは、長期にわたる、現実の暴力支配の時代に終止符を打ったのである。

新装版解説 門林岳史

(略)

 『メディアはマッサージである』がこれほどの大ヒットとなったひとつの要因として、世間の風評とは裏腹に、晦渋な文体で書かれたマクルーハンのこれまでの本は決して読みやすい代物ではなかった、ということがある。それに対してこの薄くて小さい本は、まったくの素人でも飽きることなくすぐに読み通せる体裁に、メディアをめぐるマクルーハンの思想のエッセンスを凝縮している。

(略)

 まず、この本が、実際には少なくとも通常の意味ではマクルーハン本人によって書かれた本ではない、ということを確認しておく必要がある。これまでに建築家バックミンスター・フラー天文学者カール・セーガンなどによる一般向けの書籍を手がけてきた編集者ジェローム・エイジェルと、すでに定評あるグラフィック・デザイナーとして活躍していたクエンティン・フィオーレの二人は、この本の準備のために、『グーテンベルクの銀河系──活字人間の形成』(1962年)と『メディアの理解──人間の拡張の諸相』(1964年)を中心とするマクルーハンのテクストから彼の主要なアイデアを抜き出し、それをさまざまな写真やグラフィックと組み合わせていった。こうして準備された草稿に対して、マクルーハン自身はたったの一語しか訂正を加えなかったという。

(略)

マクルーハンの息子であり、この当時彼の助手を務めていたエリック・マクルーハンの言葉を信じるなら、タイトルそのものも当初は『メディアはメッセージである』となるはずであった。ところが(略)ゲラを受け取ったマクルーハンがタクシーのなかで封を開けたところ、表紙に記された表題に誤植があった。「message」から「massage」というこの誤植をマクルーハンは気に入り、そのままのタイトルが採用されることになったという。

(略)

「message」/「massage」という対は、その両者に隠された「mess age(悲惨な時代)」/「mass age (大衆の時代)」という言葉遊びを浮かび上がらせることにもなった。

(略)

本書は、ブックデザイン史上にも名を残す作品となったが、それと同時にきわめて先駆的に多メディア展開された商品でもあった。まず、エイジェルは、本書と同名のレコードを企画し、ほぼ同時期にコロムビア・レコードより発売している。このレコードは、当時一線の音楽プロデューサーであったジョン・サイモンによって製作された。書籍版『メディアはマッサージである』のマクルーハンによる朗読をさまざまな素材とともにコラージュした、ミュージック・コンクレートめいた作品である。また、同じく書籍と同時期の1967年3月19日に、「これがマクルーハンだ──メディアはマッサージである」と題された TV 番組が NBC より放送された。

(略)

マクルーハン本人の映像をさまざまな映像素材とめまぐるしくカット編集でつないだ本作もまた、書籍版、レコード盤と並んで、「当時のポピュリズム的な騒々しさ」でマクルーハンの思想を彩るものであった。

(略)

 フィオーレは、『メディアはマッサージである』の成功を受けて、マクルーハンの著作以外にも二冊の本をデザインしている。ひとつは反体制的なイッピーの主導者ジェリー・ルービンによる『やってみよう!革命のシナリオ』、もうひとつは建築家バックミンスター・フラーによる『私は動詞のようだ』、いずれも1970年に刊行された。とりわけ(略)ジェローム・エイジェルとの共作でバンタムブックスより刊行された『私は動詞のようだ』は、始めから終わりまで一直線に読み進む、という伝統的な書物のイメージを解体する『メディアはマッサージである』の試みをさらに押し進めたものと評価することができる。そもそもフラー自身(略)「宇宙船地球号」などというキャッチフレーズによって、テクノロジーの未来を語る思想家として、当時マクルーハンとも並ぶ大衆的な注目を集めた人物である。

(略)

 さて、以上のように述べると、結局のところ『メディアはマッサージである』の革新的な仕事を成し遂げたのはマクルーハン本人というよりはエイジェルとフィオーレであり、いわばマクルーハンは彼らに恰好のネタを提供したにすぎなかった、というように見えてくるかもしれない。書籍の成立の経緯としてはその通りだが、では、マクルーハン自身はあくまで保守的な書き手であったのかというと、決してそんなことはない。マクルーハンがデザインやレイアウトの面から伝統的な書物の概念に挑戦したのは、エイジェル、フィオーレとの共作の機会のみではなかったからである。とりわけ『カウンターブラスト』(1970年)は、商業的な成功こそ収めなかったものの、『メディアはマッサージである』との対比においてここで注目しておくに値する。

(略)

『メディアはマッサージである』が、写真を中心とするグラフィカルな要素の多用において際立っていたのに対し、『カウンターブラスト』では、写真は用いられず、そのかわりに過剰なタイポグラフィで文字がレイアウトされていた。

(略)

 伝統的な書物のすがたを覆そうとするマクルーハンの取り組みとしては、他にも各章が章題のアルファベット順に並べられた(その結果、「序章 Introduction」が書物の真ん中に配置されている)『クリシェから原型へ』(ウィルフレッド・ワトソンとの共著、1970年)などが挙げられる。また、そもそも各章が広告イメージの短いコメンタリーになっている処女作『機械の花嫁──産業社会のフォークロア』(1951年)や、新聞見出しめいた短文が各章の冒頭に表題として添えられた『グーテンベルクの銀河系』自体、そうした取り組みの一環として理解することもできるだろう。『カウンターブラスト』成立の経緯からも垣間見えるように、これらの取り組みの背景には、メディア論者としてもてはやされる以前に文芸批評家としてモダニズム文学の解釈に取り組んでいたマクルーハンの経歴がある。1930年代にニューヨークでジョージ・グロスやハンス・ホフマンに学び、その後シカゴでニュー・バウハウスの授業も受講しているフィオーレもまた、モダニズムの影響下で仕事をしていた。フィオーレは『メディアはマッサージである』の影響の源泉として、マリネッティウィンダム・ルイス、具体詩、カリグラム、フルクサスなどを挙げている。『メディアはマッサージである』は、そんな両者に出会いの場所を提供した歴史的事件だったのである。 

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