警句上手マクルーハン

キャッチコピーがうまかったからウケたのかなあマクルーハン。本文は読まずに、エピグラムだけを。

エッセンシャル・マクルーハン―メディア論の古典を読む

エッセンシャル・マクルーハン―メディア論の古典を読む

芸術

それぞれの新しいテクノロジーはそれ自体で堕落や質の低下とみなされる環境を作りだす。しかし、新しいものはそれ以前のものを芸術形式に変えるのだ。(1964)

偏向

 コミュニケーションのメディアが持つ偏向は念の入った嘘よりも事実を歪曲する。ある報道機関のスタイルは真実という概念そのものを不適切にする。このような方法で提示される最も差し迫った信頼できる事実は現実を茶番化したものだ。(1955)

電気的状態のもとでは

内側も外側もない。それがガラス張りのビルと新しい銀行サーヴィスの意味だ。(1970)

政治的娯楽

 現在私たちが娯楽と呼んでいるものは、実際には基本的に政治の一形体だ。消費者の態度において、個人的嗜好において、配役担当者事務所によって設定された目標において、その他において、はるかに多くの政治がハリウッドにはある。いままで政治の場と呼ばれてきたところにあったものよりはるかに多くの政治的リアリティがハリウッドにある。(1966)

意識外部化

無意識はすべてを一度に売る店である。情報を電気的に動かし始めると、人間は自分の外部に潜在意識を作りだすことになる。(1967年)

未来図

私たちはいつも皇帝の古い衣服だけを見ることができて、新しい衣服を見ることはできない。(1965)

検索増加

そして、この新しい形体による古い形態の不思議な加工が、ある場合は古い形態をかなり強化することがある。たとえば、図書館とカタログのオートメーション化の効果の一つは、カタログ検索全体がとてつもなく増えるということだ。思いがけないことに、オートメーション化がカタログ検索にとってかわるのではなく、カタログ検索をとてつもなく増加させてしまった。(1965)

新聞

人々は、実際には新聞を読んでいるのではなく、温かい風呂につかるようにそこに入りこんでいるだけだ。


日付の欄をとってしまおう。そうすればそれはエキゾティックで魅惑的なシュールリアリストの詩になる。

私たちは、現代の新聞が共同体全体を盗聴することに依存していることを当然のことと見なしている。実際、私たちは、新聞が世界を盗聴し、個人的なものであれ、共同体的なものであれ、あらゆるプライヴァシーと自己同一性に異議を唱え、深く迫ることを期待している。(1974)

テレビ

 ほとんどの人々はケネディの暗殺にテレビが殺到したことに驚いた。私たちはみな関与の深さを意識した。しかし、興奮もセンセーショナリズムもなかった。関与が最大になったとき、私たちはほとんど麻痺してしまうのだ。(1964)

 非常にプライヴェイトな顔をした人はテレビでのイメージが悪い。それに対して古臭い田舎染みた人とかかなり壊れた性格の人はテレビでうまくいく。(1972)

有料テレビの理想的な番組は、偉大な作曲家による交響曲のリハーサルであって、交響曲の演奏ではない。(1967)

コンピュータ

 研究とコミュニケーションの道具としてのコンピュータは情報検索を増やし、大きな図書館組織を時代遅れにし、個人の百科全書的機能を引きだし、売り物になるような個々の人のニーズにあったデータを引きだす個人回線につなぐ。(1979)

本は自己表現の媒体ではなくなりつつある。そして社会の共同体的探査になろうとしている。(1966)

意識の拡張

 生き残りはいま、環境としての意識の拡張にかかっているように思われる。この拡張はすでにコンピュータで始まっていて、私たちのESPやオカルト意識に対する妄想によって予想されている。(1972)

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