植草甚一ジャズエッセイ 2

1960年前後のものをまとめた

(植草甚一 ジャズ・エッセイ 1 - 本と奇妙な煙)に続いて、
「2」は1961〜70年のものを収録。

一九六二年一月のことだった

 お正月の三日に原稿を書いている(略)
ホレス・シルヴァーのことなら、たぶんスラスラと面白く書けそうな気がするのだが、この正月公演は、ほかの人が書くことになっている。そりゃあ誰だって書きたいだろう。
(略)
[「ショー・ビジネス・イラストレーテッド」からの引用訳]
ジェリー・マリガンのビッグ・バンドがやっていけなくなり、クインシー・ジョーンズのバンドも同様の運命にあるという話。(略)
最近いちばん影響力がおおきかったミュージシャンはセロニアス・モンクであって、あのポッン、ポッンと叩く独自な奏法と彼のコンセプションが、やっと理解されるようになり、おおくの改宗者をうみだしている。いっぽうオーネット・コールマンがほんとうのところ何者であるかを、真面目になって判断しようとする連中が非常におおくなってきた。と思うとチェット・ベーカーが、麻薬常習者として、イタリアのルッカで逮捕され、昨年を棒にふってしまった。釈放されたら、はやくカムバックしてもらいたいと書いてある。
(略)
今日はホレス・シルヴァーのレセプションに出かけ、帰ってきてから、この原稿を書いているんだけど、もう夜中の四時になった。
(略)
[ジーン・テイラーに]サインをたのむと、自分の名前を覚えたての片仮名でやり、マジック・インキで一本ひくたびに『シューッ』『シューッ』と気合いをいれるところなど子供みたいだ。ホレス・シルヴァーのとなりの椅子があいていたので、それにかけ『ニカ男爵夫人は相変らず元気ですか』と訊いてみると、『うん、元気ですよ。日本に来るまえに挨拶に行った』と答えた。(略)『ずっと、あの家で暮している。ニカは本当にいい人だ』といった。
 シルヴァーが立ちあがって、ステージにあがったとき、白木秀雄も加わり、トニー・スコットをゲストにして「シニョル・ブルース」がはじまったが、このときのトニーのクラリネット・ソロを聴くにおよんで、ぼくはすっかり興奮してしまった。それはクラリネットが出せる、もっとも激情的な〈叫び〉だというほかない。
(略)
 いずれにしろ、モダン・ジャズに人間的な〈叫び〉の要素がむきだしになった格好ではいりこんできて、それが興奮させることになるという事実は、もう否定することができない。いい例がキャンディド・レコードに出たマックス・ローチの「われらは主張する」である。アビー・リンカーンが怒りの感情をぶちまけて叫びだしたときのケダモノみたいな女の声を聴くと、それはまったくエロティックだといってよく
(略)
エロティシズムを感じさせるモダン・ジャズの〈叫び〉には、ほかにも代表的な例としてオーネット・コールマンの「淋しい女」があるが、ここでは無調の叫びになっているので、もっと薄気味わるい。クリス・コナーを聴いたときの収穫のひとつは「淋しい女」をバラードにして歌って聴かしてくれたことだった。ベン・タッカーがベースの弓弾きで、コールマン式な無調の叫びを表現しようとしていたのもいいが、クリス・コナーが歌いつづけていく歌詞を聴きながら、「淋しい女」って、つまるところはコールマン自身じゃないか、という印象もあたえられた。
(略)
コルトレーンの最新盤「オレー!コルトレーン」を聴いたところ、ここでも〈叫び〉が聞こえてくる。だが、それはシンボリックな〈叫び〉だといっていいだろう。(略)
抑制されたムードでつづくうちに、やがて泡でもブツブツと沸騰するように、底のほうから煮えたぎったものが発生してくるのを感じさせる。するとコルトレーンのソプラノ・サックスが消えいるように細くて悲痛な声をだしはじめるのだが、これは手負いの牡牛が最後の突進をこころみているような印象をあたえる。
(略)
 ところで、このジャケット解説を読んでみたところ、コルトレーンが語っている心境が興味ぶかいので、つぎに紹介しておこう。

                                • -

 ぼくは自分が表現したいものを出すために、普通のソロよりずっと長いソロでいきたい。そうしなければ表現できないんだと、ながいあいだ考えていた。ところがいっぽうで、べつな新しい必要に迫られてきている。それは自分ひとりのソロだけでやるより、たとえばトランペットを加えたほうが、場合によっては音楽的な内容を、より直接に分らせることになるということなんだ。まあそれは分りきったことだけれど、じつはハーレムのアポロ劇場に出演したとき『ソロがながすぎるぞ』と弥次がとんできた。『もう二十分間も一人で吹いてるぞ』ってね。(略)
三曲を二十分間で演奏してしまわなければならなかった。ふだんやっているソロのハイライトだけを吹いたわけだがね、こうなると、いったいぼくは今まで何をやってたのかと反省しないではいられなくなる。一時間もソロをつづけながら、そこではじめて表現したいものに到達する。そういった目的のもとに進んでいったのに、十分間のソロでも同じような目的が表面的に達せられると考えると迷わざるをえない。それなら最初から十分間のソロということを目標にすればいいのだし、そうだとあんまり簡単すぎてしまう。メンバーの数をふやし、全体的に味をつけるということにしたって結局はおんなじことなんだ。
 それよりやはり自分ひとりで思いきりながいソロをつづけたほうがいいのではないか。それが何よりもぼくの気持を楽しくさせることなんだし、もうこれ以上は演奏できないというギリギリの線までいいたいことをいったときが、ジャズ・ミュージシャンにとっては何よりも嬉しい。
(略)
 ぼくが「マイ・フェイヴァリット・シングス」というワルツ・テンポの原曲をえらんだのは、即興演奏になったとき、四拍子から離れた新しいことをやろうとしたからだが、これが考えたよりは非常にむずかしいことになった。いくら変えようとしても毎晩のように同じことしかできない。これが四拍子の制約だろうと、だんだん分るようになってきたが、即興演奏におけるヴァリエーションは、なんといっても四拍子のほうが簡単にいくんだ。ぼくの行きかたとしては、選曲にあたって耳になじんだいい曲を狙う。それから即興演奏になったとき、これをいかに変えようかということになるんだが、それがモーダル・パースペクティヴになっていくようになった。
 こうなってくる理由としては、いままではピアノでコード進行を工夫していったけれど、最近はピアノでもって土台をきずきあげるのを止めてしまったからだろう。というのも、かりにピアノから生まれてくるコード進行によって、ぼくがソロ演奏をするばあい、リズム・セクションのほうは、このコード進行にこだわらず自由にやったほうがいいとアドヴァイスされたのが、そもそもの始まりなんだ。このあとでテナー・サックスは、それ自体の音色を土台にして、それにふさわしい作曲がされるべきだという考えかたをするようになったが、モーダル・パースペクティヴというのも、つまりはピアノを無視したことに始まっている。マイルス・デイヴィスといっしょだったころに、自分を押しだすことができなかった。それでピアノにしがみつきながらコード進行ばかり研究し、それを即興演奏のための土台にしていたんだけれど、いまはピアノに近づかない。ぼくは周囲をできるだけよく観察し、じぶんの内部から、ものがいえるようになった。

We Insist Max Roach's Freedom Now Suite

We Insist Max Roach's Freedom Now Suite

  • アーティスト:Roach, Max
  • 発売日: 2009/05/05
  • メディア: CD

エリック・ドルフィー、おおいに語る

[フランスの雑誌にあったドルフィーのインタビューを紹介]
 ぼくはね、ほかのミュージシャンたちのように、子供のころから音楽的な環境にめぐまれていた、というようなことはなかったんだ。おやじは道楽でサクソフォーンを吹いてたけど、途中でおっこちてしまった。おふくろは教会で歌をうたってたけれど、これは黒人女なら、だれだってやることなのさ。けれど、ぼくは子供のころから音楽ずきで、ラジオに夢中になってたことを思いだすなあ。そのうちクラリネットを買ってもらうことができた。十三のときにロサンジェルスの学校のオーケストラ・メンバーになったっけ。とにかく、ぼくは一九二八年六月二十日にロスで生まれて以来、三十年間というものどこへも行ったことがなかった。チコ・ハミルトン楽団に加わって地方演奏に出かけたのが初めてなんだから、ほかのミュージシャンのように豊富な体験はないんだ。
 それでもロサンジェルス時代に、大編成のリズム・アンド・ブルース楽団に加わって、いくらかの体験はしたよ。まったくリズム・アンド・ブルースって、いろんなバンドがあるから、名前なんか忘れてしまったけれど、ジミー・リギンズと、それからピー・ウィー・クレイトンっていうボスの名前は頭のなかに残っている。このクレイトンの、バンドとつきあったのは一日だけだった。とたんに、ぼくが駄目だっていうことを見破ってしまったんだなあ。いいかい、こういう連中といっしょになって食っていくためには、朝から晩までブルースをブローしなければいけないんだよ。ぼくは、それが厭だった。それで、ひとっところにジッとしてることができなかったし、むこうでも、ぼくなんか置いとけないってことになったわけだね。
 だから遊んでばかりいたよ。ところが或る日のこと、仲間のピアニストのエイモス・トライスがこういった。おっそろしくファンタスティックなアルト吹きがいるぞ。きっとおまえの気にいるだろうってね。それで、さっそく聴きにいったところうなっちゃったよ。オーネット・コールマンさ。あのときはプラスティック・サックスは使ってなかったけれど、こいつ革命的な真似をやってやがるとおもって感心しちゃったなあ。あとで話しあったけど、おれたちはコマーシャルにはやっていけないという結論になった。
 ぼくは、こうしてオーネットからいろんなことを学んだ。彼にしても、ぼくからいい知恵をあたえられたというだろう。とにかく、いっしょに吹いていると、気持がピッタリとして、じつに楽しくなってくるんだ。レコーディング・セッションで、よく顔をあわせるようになったが、こうなるまえ二人はよくジャムってね、そういうとき、いままでにない新しいものが生まれてくることに気がついたんだ。けれど、たいていのミュージシャンが、オーネットのやりかたを嫌っていたし、ジャム・セッションに出かけても、吹かせてもらえないときている始末さ。こういったありさまを、はたでみていると、同情するというより、もっと芸術的な興味をオーネットにたいして抱いたね。こんなことから二人でジャムるようになったんだ。
 もうみんな知っているだろうが、こんなことをしてる或る日のこと、オーネットは彼の譜面のいくつかをレッド・ミッチェルにみせた。ミッチェルはいいやつだよ。すぐコンテンポラリー・レコードの監修者レスター・ケーニッヒのところへ出かけ、オーネットに出世のいとぐちをつけてやった。けれどぼくときたら、そのころはまだテンデものになっちゃいない。チコ・ハミルトンのバンドにつきあったかとおもうと、こんどはバディ・コレットといっしょにどこかのクラブに出演している。(略)
じつは最初のレコーディング・セッションに、このジェラルド・ウィルソン・バンドのメンバーとして出演したんだ。ところが、このスタジオ録音ってやつね、はじめてだと硬くなってしまって、どうにもしようがないんだよ。ぼくは息さえ満足にでなくなってしまった。それなのに皮肉なことには、これでツキだしてさ、レコード会社からお座敷が掛かるようになって、最初のソロを録音してもらえたのがチコ・ハミルトンのレコードだった。だがこのレコードは、いまもって発売されていない。その理由は、ぼくのソロがあまりにヒドかったからだ。
 こんなことで、ぼくの自信はぐらつきだしていた。それを取り戻させてくれたのがチャーリー・ミンガスだよ。ミンガスのジャズ・ワークショップにはいったのは一九六〇年三月で十月までいたけれど、辞めたときに喧嘩したんだろうという噂がとんだのを知ってるだろう。とんでもない。ミンガスがカリフォルニアヘ演奏の旅に行くとき、ぼくはニューヨークにじっとしていたかった。それだけの理由なのさ。(ミンガスがドルフィーにむかって、どうして辞めるんだい、という掛けあい演奏が「ミンガスがミンガスを提供する」のなかの「ホワット・ラブ」である)
 ミンガスが、どんなにフォーミダブルな人間であるかについて話しだしたら日が暮れてしまうだろう。
 オスカー・ペティフォードなきあと最高のベーシストだけど、おどろいちゃいけないよ。ミンガスはキッド・オーリーといっしょに演奏していた時代もあるんだ。
(略)
 ミンガスにぶつかったとき、最初にみんなが、オヤとおもうのは、こっちで演奏しているのを聴いてるときの反応のしめしかただね。じつに注意ぶかく聴いてくれる。あるとき、こういったよ『おい、エリック、画家の素質のよしあしはだね、たとえば林檎をかこうとするときの気持のうごきぐあいで分ってくるよ。そして、そのとき描かれる真面目な林檎のフォルムってやつは、なによりも画家のファンタシーに邪魔なものが入らないときに生まれてくるのさ』とね。
(略)
ぼくの演奏を非難する者がおおいといっても別におどろかないね。むしろそれが当りまえじゃないかとも考えるんだ。馬がいななくような音をたてる。すると、なんという音を出すんだといって怒りだす。よくわかるよ。けれど、ぼくが求めているものが、こうした音のなかにあるんだからしかたがない。たとえ聴衆が一人として相手にしなくなり、レコード会社からは見向きもされず、食うに困って餓死状態におちいったって、ぼくはこのままの道を突きすすんで行かなければならなくなった。感じたことや気特のなかにあること以外に何が表現できるだろう。だから、その表現が理解されるように演奏能力を発揮していかなければならなくなる。こうした気持がわかってくれる聴き手が一人でもおおくなること。それがぼくに元気を出させてくれるんだ。
 ぼくは、アルト・サックスとフルートとクラリネットとバス・クラリネットの四種類を使いわけしているけれど、これらの楽器はみんな機能的に似ていると同時に、それぞれ異なった特性をもっている。ぼくは自分が感じたものを、これら四種類の楽器から出そうとしているわけなんだけれど、まだテクニックがたりない。それぞれの異質な特性にぶつかって分らなくなってしまうことが、依然としてあるんだ。
 インスピレーションというやつは、付きあってくれるミュージシャンたちが、おたがいの気持を理解しあうことによって、それだけ自然発生的に浮びあがるもんだよ。こんなことは分りきっているけれど、ミンガスとやっているとき、つくづく考えさせられたなあ。リズム・セクションでいちばん気持があったのは、ドラムのロイ・ヘインズとピアノのジャッキー・バイアードとベースのロン・カーターだった。この三人と自分のコンボが編成できたら、どんなに嬉しいかわからない。
 いちばん偉いとおもうピアニストは、やっぱりセロニアス・モンクだよ。よしお前といっしょにやってやろうとモンクがいってくれるだけの実力の持主になりたいが、こいつは夢におわってしまうような気がする。モンクとドルフィーというレコードを吹きこむことができたらなあ。パリに来るまえマックス・ローチと組んで録音したよ。いままでのレコードで一番すきなのは、なんといっても「ミンガスがミンガスを提供する」だ。
 ニューヨークにはヌーヴェル・ヴァーグっていうのかな、ぼくたちの仲間で一所懸命にやってるのがいる。たとえばセシル・テイラー、ジョン・ハンディ、それからローランド・アレクザンダー、バンキー・グリーンなどの行きかたを、ぼくは注目しているけれど、はたしていかなる結果を生みだすか、まあ期待してくれたまえ。

ミンガス・アット・アンティーブ<SHM-CD>

ミンガス・アット・アンティーブ<SHM-CD>

ミンガス・アット・モンタレイ

ミンガス・アット・モンタレイ

ミンガス・アット・モンタレイ

[ジャケット・ライナーを著者が翻訳引用]
 ぼくは静かに弾きだした。すると会場がとたんに静かになった。アルコでベースから音を出していると、それは女にむかって恋をささやいているような自分に気がつく。(略)
 とにかくぼくが演奏している対象は愛であり、この地球のどこかでぼくのために生きていてくれた誰かの精神にたいしてである。それは遠くのほうにいる、一人の女かもしれない。いやぼくは二度恋におちいったことがあるようだ。ベースを弾くのに気持を集中し、そうした気持のなかで精神が統一してくると、恋した女のからだに触っているような状態になってくる。
(略)
 とにかくエリントンのラヴ・ソングを演奏していると、数十マイルも遠くにいる女にむかって『きみが好きなんだ』と一所懸命に呼びかけているような心理状態になってくる。けれど遠くから返事が戻ってこない。だからこれはお祈りなんだ。
(略)
 ぼくのホンヤクが下手なので、キザっぽい感じをあたえるミンガスの独り言になってしまったが、こんなにゴキゲンなミンガスは初めてである。そしてメドレーの曲がつづいて「A・トレイン」になるとパタ・パタ・パタというサウンドが入りこんでくるが、このときミンガスはベースのまえで踊りながらサンダルで床を蹴っているのだった。
(略)
 「メディテーション」の演奏の途中で聴衆がすこしザワメキだしたのに気がついた。クラシックを演奏しているような印象をあたえたからである。それがいけないというのだろうか。黒人だってクラシックを勉強したんだ。ちゃんと学校へも行っている。「メディテーション」は平和への祈りである。愛のための祈り、人類のための祈りである。その祈りは、ぼくのからだのなかから発生した。ぼくの苦悩を見出すことによって、この社会におけるぼく自身の問題を解決しようとする気持から生まれた。
 リハーサルをするまえだったが、どんなサウンドが出るのかと、みんなが首をひねっていた。
(略)
ぼくが弾いたあとで自由な気持で受けてくれないかといった。それがすぐ理解されることになったのである。
 たとえばリハーサル中にぼくがつけた注文というのは、トランペット奏者にむかって『これはお祈りなんだ。そのお祈りのなかで強い声を出すのは君なのだから、混乱が生じたら正常な状態に戻してくれ。君は教会の牧師なんだから、みんなが君に問いかけ叫び出すだろう。それを説得するように歌いあげてくれたまえ』といった程度のものだった。
(略)
 とにかく世界中が戦いの時代にあるんだ。男も女も宗教団体も一般人も黒人もお互いに争闘している。ぼくは神のために演奏しているような気持になった。どうして突破口が見つからないのだろう。お互いに愛し合い、強く結びつかなければならないのに、なぜみんなは悲しい表情をしているのだろう。ぼくはやっと小さな自由を見つけることができた。それは音楽をとおしての自由だったが、それは四十二歳になった現在ふり返ってみると、じつにながい道程だった。そうした思い出としてのこの音楽をみなさんに捧げたい。

次回に続く。