本当の戦争の話をしよう 伊勢崎賢治

福島の高校生に行った5日間20時間の授業を書籍化。
「僕も、日本をシャキッとさせなきゃと、発言している部類に入れられているのかもしれない」なんて発言も。

本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る

本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る

  • 作者:伊勢崎 賢治
  • 発売日: 2015/01/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

平和は何のおかげか

 戦後65年余のあいだ、直接的には、誰も戦争で殺さず、誰も戦争で殺されていない日本は、先進国のなかでは、本当に稀な存在です。その意味では、日本は平和と言えそうですが、じゃあ、その平和は何のおかげか、というと、9条のおかげだと言う人もいるし、アメリカの軍事力のおかげと言う人もいる。僕はというと、その両方だろう、としか言えない。自信をもって言えるのは、そのどちらかだけのおかげではない、ということです。

束ねる作業

スラムに住む人たちはまとまってくれないし、下手をすると殺し合う。そういう人たちをいかに団結させるか(略)
みんなまとまろう、人類は愛し合わなくちゃいけないんだ、手をつなごうよ、とか言ったと思います?(略)
そういうことは言えないんだよね。それを言っちゃうと、お前はどこの宗教の回し者だ、改宗させようとしてるんじゃないだろうな、とか思われちゃう。
(略)
[なので]共通の敵をつくればいい。それじゃあ、僕は、政府と戦うことを煽ったのでしょうか。でも、僕がいた80年代のインドは社会主義バリバリの国だから、反政府運動をすると、こっちの身が危ない。(略)
[だから]「共通の問題」でもいい。イスラム教徒であろうがヒンドゥー教徒であろうが、トイレがない、水がない、警察当局に住居が強制撤去されてしまうというのは共通の問題です。こういう「同じ苦しみ」でもって、敵対するコミュニティーを束ねていくのです。そこでは、愛とか友愛といった呼びかけは、一切しません。共通の問題が解決したら、また元の通りに殺し合ってください、というくらいの気持ちでやらないとダメ。さもないと、こいつらの後ろに何がいるんだ?と疑われかねないからね。
 束ねる作業というのは、まず各コミュニティーにいる、できるだけ穏健なリーダー格の人物たちを探し出すことから始まります。だいたい、どんな国の行政でも、住民の生活のためにつくられたのに、使われずに埋もれた法律があって、政府も、住民の無知につけ込んでわざわざ知らせなかったりしている。知らせていたとしても、役人が手続きを煩雑にしたり、ワイロを要求したり、とにかく弱者につけ込んでいるんだ。
 強制撤去が、憲法に定める基本的な人権の保護に反していることも知らない。そういう自分たちの無知をリーダーたちに気づかせ、自分たち自身への静かな「怒り」をつくります。そして役人と対峙するときは、集団で行く。集団を前にしたらワイロは取れないしね。
 そうやって、静かな怒りをバネに、行政との団体交渉の実績を少しずつ重ね、ひとつの住民組織をつくってゆくのです。行政が、どこかのコミュニティーを狙い撃ちにしてブルドーザーと警官隊で強制撤去するときなんか、コミュニティーを超えてみなで駆けつけ、大きな力で睨み返せる。こういう状況では、やはり警察の挑発に乗って暴力沙汰になることがあるけれど、極力、インド伝統の非暴力主義を基本とします。
 この組織は、ダラビ住民の3分の2となる40万人を束ねるまでになりました。そして市庁舎にデモ行進を仕掛け、行政を団体交渉の場に引きずり出し、共同トイレや上下水道などの公共インフラ整備を獲得していったのです。
(略)
僕は部外者。僕に給料を払っていたNGOの同僚たちも、スラム出身じゃないから同様に部外者です。とくに僕は唯一の外人だったからね。スラムの人たちは率直で辛辣だから、「所詮、おまえらは俺たちの問題で飯をくってるんだろ」って、よく言われた。そういう非難はあって当然で、部外者は当事者に同化はできないし、する必要もない。でも、部外者だからこそできることがあって、それをするべきなんです。
 リーダーのあいだで対立が起きたときなんか、地元社会の利害から中立な立場って、仲裁には有効だよね。そのNGOの同僚にもいろんな宗教の人たちがいたから、チーム内で時々もめごとが起きて、外人の僕は、いい仲裁役だった(笑)。加えて、先進国日本から来ているということで、「外」から見られているというのかな、行政側も僕らの活動に対して迂閥なことはできないと感じていたと思う。不当逮捕なんか、よくある状況だったからね。

主権侵害

[ビンラディン殺害に]パキスタンの民衆は怒ります。(略)激しい反米感情が、民族の威信を賭けたナショナリズムを剌激し、それがイスラム原理主義と共鳴する。(略)
(略)最大のリスクは、「イスラム国家でありながら同じイスラム教徒の友人を異教徒アメリカに売った卑怯者の政府」と、国民に思わせてしまったことです。
(略)
 日本人はどうでしょう。そこまでの主権意識はあるかな。歌舞伎町でオサマ・ビンラディンの奇襲作戦があったとして、日本政府が「知らなかった」と言ったとしても、主権侵害だと怒る人はいるだろうけど、ヘーっ、で終わっちゃうんじゃないかなと、僕も思う。
(略)
[2004年普天間基地の米軍ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落]
このとき、日本の消防車も警察も一切そこに近づくことはできなかった。アメリカ軍が日本の私有地にバリケードをつくって封鎖し、日本人の誰をも立ち入らせなかった。
 僕は、アフガニスタンイラク出身の学生を沖縄に連れて行く際、この大学と交流するんだ。交流後、彼らはどう感じるかというと、「現場には事故を忘れないための記念碑が建っているものの、あまり大きな反対運動は起こっていない。なんだかんだ言っても、アメリカとうまくやってるじゃない」と。彼らの国では、アメリカヘの抵抗は、自爆テロだからね。
 これは別に、日本人を腰抜けだとバカにしているのではないよ。日本人がもつ、この偉大な許容力と寛容性は、どこからくるのだ?と、興味をもつみたい。
(略)
パキスタンナショナリズムを刺激したように、日本でも[墜落事故後の封鎖は主権侵害だと]右翼の人たちを刺激しそうだよね。でも右翼が怒っている様子はあまり見えない。どうしてだろう。右翼の敵、左翼は、おしなべて沖縄米軍基地反対だからかな。反応すると、右翼と左翼という対立軸が崩れちゃうから。
 だったら、日本人にとって主権とは、右・左のイデオロギーを超えて団結しなきゃならないシリアスな問題ではない、ってことだろうか。我々の主権意識というのはその程度かもしれない。でも、この不感症が“平和”の源かもね(笑)。

タリバン

 僕は、アルカイダの面々に会ったことはないけれど、タリバンの当時の指導者には何人か会ったことがあります。彼らは過激派というイメージに反して、すごく物静かな人たちなんだ。そして質素。こっちが襟を正したくなるほど敬虔な求道者という感じ。でも、ある意味、その純粋さが危険なのかもしれないね。
(略)
[ソ連撤退後軍閥が抗争]
そんなどうしようもない世の中を根本から浄化しないといかん、と立ち上がった人々が(略)イスラム神学校で勉強し、地元の軍閥と利害関係をもたない若者たちでした。
 ある日、地元の強大な武装グループのひとつが住民を脅し、女の子たちを拉致し、レイプまでした上、監禁しているという訴えを村人から聞き、彼らは行動を起こします。寄せ集めの16丁のライフルで、たった30人で殴り込みをかけ、女の子たちを救出し、武装グループの司令官を殺害した。これがタリバンの始まりといわれています。タリバンは、アラビア語で「学生たち」という意味です。中心人物は、オマールという教師でした。
 この事件の噂は噂を呼び、軍閥政治に辟易した住民の苦情が殺到します。それらを一つひとつ解決するも、タリバンは決して見返りを求めなかったといわれます。つまり、タリバンは義賊、イスラムロビン・フッドだったのです。
[軍閥を蹴散らしタリバン政権樹立](略)
 こうして、アフガニスタンにはつかの間の平和が訪れました。このまま行けばよかったのですが、ちょっと困ったことが起こり始めた。
 タリバンは、とにかく世の中の浄化ということにこだわったのでしょう。彼らが堕落と見なすものは、すべて禁止し始めるのです。(略)いつしか人々は、タリバンの統治を恐怖政治と感じるようになります。(略)
アルカイダの面々を客人として迎え入れたことがアダになり、タリバンは国際社会から孤立してゆきます。

男気

 軍隊に関することって、「男気」のイメージが強いよね。だから、自衛隊を出さないと男がすたるみたいな、そんな調子の日本の保守系の政治家っているでしょう。自分が行くわけじゃないのに……。確かに国連平和維持軍や多国籍軍の現場は、まだ男の世界だよ。(略)
 でもね、今、我々が想定する「敵」というのは、テロリストとか民兵、つまり、職業軍人じゃない場合が多い。一般人の延長のような人々が、彼らなりの信条や正義感に駆られて、兵力も兵器の威力も圧倒的に勝る我々に、捨て身で挑んでくるんだよ。男気って言ったら、彼らのほうに軍配が上がると僕は思う。女性だって、体に爆弾巻いて突っ込んでくるんだ。東ティモールで、多勢に無勢で民兵を追い回した僕らなんて、男気とは縁遠かった。
 それと、自衛隊を出さないとアメリカから非難されるって、日本の一部の政治家や評論家、メディアが言うでしょう。「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊を出せ)」と言われるって。僕は、アメリカ軍を含めた多国籍軍の上層部と付き合ってきたけど、そんなこと言われたこと、一度もないよ。冗談の席でも。アメリカ人がこれを言うとしたら、政治家や偏ったメディア、それか軍でも、あまり教育の機会に恵まれなかった下っ端兵士じゃないかな。
 だいたい多国籍軍や有志連合というのは、「みんなそれぞれ、無理して来ているんだもんね」っていうのが基本姿勢なんだ。
(略)
[統括が大変だから]潤沢な資金さえあれば、いっそ自分らの仲間内でやってしまったほうがラク……。これが本音だと思う。
 だから、ややこしい事情の部隊が参加するより、金だけの支援のほうがうれしいときもある。まあ、一番ややこしい事情を抱えているのは日本の自衛隊だろうけど。そこんところの日本人の感情の問題を知り尽くしているのは、実は当のアメリカだからね。
 どんな仲間内だって、それぞれの事情がある。たとえばNATOの一員として、アフガニスタンで「戦争」にかかわっているドイツ。(略)軍の海外派兵に対して、日本と同じか、それ以上の反対が国内にあるはずです(略)
 そんなドイツ軍に無理をさせて、もしアフガンの一般市民を大量に傷つけてしまったら、ただでさえ敏感なドイツ国民に一気に厭戦ムードが広がる。残念ながら事故は起きてしまい、ドイツ世論は荒れに荒れました。もしドイツが撤退を決断せざるをえなくなったら。同盟戦線の離脱ほど、アメリカにとって政治的な痛手はありません。(略)
結果的に、イギリスと同じように戦えって、ドイツには言ってない。すくなくとも僕が現場で一緒にやってきたアメリカ軍はそうでした。
 そのかわり、ドイツは、タリバン政権を倒した後のアフガン暫定政権をつくるお膳立てや、アフガン警察の創設など、非軍事だけど、極めて内政に深くかかわる干渉で、NATO諸国のなかでは“温和”なイメージを活かして、見事にアメリカを補完してきた。
(略)
 多国籍軍の統合指揮って、こういうものなんです。(略)
 でもね、あえて「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」って、向こうが言ってくるとしたら(まあ政治家だろうけど)ちょっと日本を辱めて、もっと金を搾り取ってやろうという魂胆がミエミエだよね。僕が彼らの立場だったら、同じことをやるだろうから。それが、外交の駆け引きというものです。だから、それにまんまと乗るほうが問題だと思う。

派兵して稼ぎたい国もある

 国連平和維持活動の場合、人を出すと、けっこう儲かる。国連は、兵員を出したら、兵士の数やもっていく装備に応じて、加盟国の分担金から、派遣国にお金を払うシステムがある。「償還金」というんだ。貧しい国々にとっては、派兵が貴重な外貨稼ぎにもなるのです。
 たとえばパキスタンは、国連平和維持軍への貢献でいうと世界一という側面もある。アフリカの内戦など、危険で誰も行きたがらないところには、パキスタン軍は欠かせない存在です。
(略)
 日本にも、これまで自衛隊を国連平和維持活動に派遣してきた分、国連からお金が支払われているんだよ。(略)数年前、防衛庁が、すでに払い込まれた償還金約20億円を歳入として国庫に入れるのが遅れて、メディアが話題にしたことがあったんだ。日本にとっては、取るに足らない額なのでしょう。
 アメリカ、イギリス、フランスなどの先進国は、自分たちの「戦争」や、何かと利害のあるリビアみたいなところでの有志連合軍としての7章活動は別として、国連平和維持活動には、ほとんど兵を出しません。
 僕が知る限り、国連平和維持活動に大きな部隊を出す国って、3つのタイプしかありません。ひとつは外貨目当ての途上国。ふたつ目は、ルワンダにおける旧宗主国ベルギーのような、何かその国に道義的に責任感のようなものがある国。3つ目は、インドネシアが良い例かな。圧政の象徴のような国軍だったけど、その国自体が民主化に舵を切り、これからは開かれた経済大国としての明るいイメージを国内外に示したい。で、国軍のイメチェンのために国連へ、ということだね。中国もそうかもしれない。
(略)
 僕は、本当は自衛隊に出て行ってほしくない。他に軍隊を出したい国はいっぱいいるし、日本が無理して出さなくてもいいんじゃないと思う。それでも派遣するのであれば、国内で議論して、法的な地位、海外での法体系を確立しなければいけない。
 僕は、選択肢はふたつしかないと思います。ひとつは軍法をつくること。すると自動的に憲法を改正しなければならないかもしれません。(略)
 もうひとつの道は、自衛隊は個別的自衛権に専念してもらって、集団的自衛権の行使と国連的措置(集団安全保障)については、武力行使以外の方法を考える、ということです。

次回に続く。