本当の戦争の話をしよう・その2

前回の続き。

本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る

本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る

  • 作者:伊勢崎 賢治
  • 発売日: 2015/01/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

停戦、軍事監視団

 ある国で内戦が起こり、長い戦いを経て、和平が完全に達成されるとき、必ず通らなければならないものが、停戦という状態です。まだ双方とも、戦争をあきらめたわけじゃない。でも、長いあいだ戦っていると、お互い満身創痍になって、もしかして完全勝利はないんじゃないか……という思いが、指導者たちの頭をかすめるときがあるのです。
 こういうとき、国連みたいな第三者が、すかさず双方に呼びかける。「ちょっと、撃つのを1週間だけでいいから止めて、頭冷やしてみない?」と。そして、指導者たちを安全な第三国に連れて行ったりして、このままではどんな末路が待っているか、具体的に想像できるように説得する。この最中に、現場でまた撃ち合いを始めちゃったら、和平工作は頓挫します。だから、現場の停戦を監視する人間が必要なのです。
 場合によっては停戦だけでなく、武装解除など幅広い任務を課せられるので、軍事監視団と呼ばれます。各国の軍人で組織されますが、武力介入の前に、まず平和的解決という国連憲章の基本的スタンスの下、非武装が原則です。
(略)
 停戦合意は、最初は口先、もしくは署名だけ。でも、それを唯一の護身の武器として、武装するのが当たり前の軍人が、あえて非武装で、いつ撃ち合いが始まるかもしれない現場に入ってゆく。停戦状態の維持に体を張るわけです。これ、自衛隊はできるかな? 武器をもたない自衛隊を送るって、どう思う?(略)
 軍事監視団は、一兵卒ではなく、指揮官クラスの経験のある軍人しかなれない。これが、同じ「軍人」である紛争当事者に、僕みたいな民間人にはどう頑張ってもできない威力を発揮するんだ。「軍人」には、ほぼ万国共通のランクと、軍人魂みたいなものがあるから。彼らの懐に入りやすいんだね。これは、実際に監視団と行動をともにした経験から言えます。
(略)
 停戦が合意されても、それに反発する奴らが、敵対勢力双方に必ず現れるのです。(略)分派して、もっと過激なグループをつくって和平の抵抗勢力になる。そして、和平の使者である中立な人間をターゲットにして、国際社会をびびらせるために残虐な殺し方をしたりする。軍事監視団には、いつもこのリスクが伴います。
 軍事監視団は、武器を携帯しないから、自衛隊にとっては、9条の問題をクリアできそうですね。でも、「後方支援」や「非戦闘地域」での活動より、格段に危険です。自衛隊に、そのリスクを負わせるべきだろうか。
(略)
 実は自衛隊は、過去の国連平和維持活動において、この業務に派遣されているんだ。(略)
[1992年カンボジアに16名、最近では2007年ネパールへ6名]
僕は自衛隊のこういう派遣を、もっと評価して、積極的にやってもいいんじゃないかな、と思ってるんだ。

日米地位協定

やはり、日本の平和・安定って、中国やロシアとの領土問題を日本人自身の手で決着できないうちは、アメリカを擁した軍事バランスのなかでやっていくしかないと思う。だから、一刻も早くソフト・ボーダー的な発想を、と思うんだ。
 そして、「迷惑施設」を押し付けている沖縄に対して、交付金以外に、我々が県民に対してやるべきことがあります。できるのに、やっていないことです。それは、3章でイラクアメリカの関係について話した地位協定のことです。
(略)
駐留軍としてのアメリカは、世界で本当に様々な葛藤を経験し、受け入れ国家への態度を変化させています。それなのに、なぜ日米地位協定は、締結以来、一字一句変わらないのか? 韓国との地位協定でさえ、二度も変わっているのに。日本はイラクのような「戦場」でもなく、できたばかりの赤ちゃん国家でもないのです。
 彼[ゼミの学生]は、アメリカ人である利点を活かして、米軍関係者や研究者に幅広くヒアリングしました。その結果はというと、アメリカ側が一字一句変えさせないことに固執していることを立証する根拠は、まったく見出せなかったんだ。
 じゃあ、どうして変わらないのか? 中央政府と、基地を受け入れる現場の距離の問題。他の国の地位協定のケースにくらべて、日本は、その距離が大きいことしか理由は見当たらないと。日本側が、辺境の地の迷惑を、わざわざ外交問題として取り上げ、波風を立てるまでもないと思っている。こう考えるしかないということだったんだ。
 僕は、日本政府を含めた、本土の我々の気持ち次第だと思います。

武装解除のプロセス

 武装解除は、「DDR」というプロセスでおこなわれます。最初のDが、「武装解除」のDisarmament。武装組織のトップと政治的な合意をして、部下たちに向かって武器を引き渡せって命令させるのね。
 統いて、2番目のDは「動員解除」のDemobilization。武器を手放した部下たちに、もう明日から誰の命令も聞く必要はないんだって、部隊を正式に解散させる。
 最後のRは、「社会復帰」のReintegration。元兵士たちに職をもたせ、一時金などの特典・恩恵を与えて独り立ちできるように、そして将来、再動員の誘いがあっても、経済的な問題が、その誘いに乗る動機にならないようにする。こういうプロセスを経ることによって、武装解除という政治合意が、逆戻りしないようにするわけだね。
 DDRは、この順番が大切ですが、アフガニスタンでは「RDD」がおこなわれようとしていたんだ。タリバンに勝って意気揚々の軍閥たちに、もう武器を手放してねって、誰も言い出せなかった。それで苦し紛れに、まず「R」をあげる。つまり何かと理由をつけて、兵士たちに恩恵をあげることを申し出る。ちょっと懐が温かくなって心に余裕が生まれれば、「平和」について考え始め、自発的に武器を手放すのではないか……と。こりゃダメです。
(略)
9つの軍閥のなかでも一番強大な派閥のリーダーが(略)国防大臣に(略)僕らが目をつけたのは、国防省ナンバー2。まだ30代のバリアライという名の将軍(略)
DDR」ではなく「RDD」をアメリカや国連に認めさせた張本人だったのです。
 僕は、彼と頻繁に会い、日本の「立ち位置」を話しつづけました。アフガニスタンに何の戦略的興味もない日本人が、アフガニスタンの平和だけを願って、武装解除の責任を買って出たんだ、と(略)
まあ、相手の情に訴えるナイーブ戦略っていえるかな。相手は、敵の足下を見ることで生き延びてきた武将です。ナイーブ戦略は、利害のない、もしくは、そう見える介入者にしかできません。マッチョなアメリカにはできない。やはり、主要支援国中、アフガンの地に軍隊を送っていない、唯一の国である日本の立ち位置は特殊でした。
 まず相手の情に切り込んで、手応えを感じたところでどうするかというと、「アフガンの和平を信じて血税を払っている日本国民が、こんなことをやっていると知ったら……」みたいなことを、手を変え品を変え、交渉で使うのです。君たちが察するように、日本人が知ったって、別にどうということもないのですが。
 最初の難関は、軍閥たちによる、チキンゲームのような武力増強を止めさせること。まず、バリアライ自身の部隊で、兵士の新規採用を即刻停止する命令を出させました。(略)[同様に他の軍閥にも発令]もちろん軍閥たちは聞く耳をもちません。でも、すべては言葉から始まるのです。
(略)
リアライは「RDD」を国際社会に認めさせたとき、巧妙な策を練っていた。それが「しごき武装解除」です。
 Rの恩恵を全兵士に施し、ちょっと気の緩んだ彼らを、それぞれの軍閥が集中的に「しごく」のです。それに音を上げた者を武装解除し、動員解除、つまり除隊させる。残った者たちを、新生アフガニスタンの新国軍の兵士として認定するというものです。
 よう考えるな、と思いました。「しごき」は、それぞれの軍閥の裁量でやるわけだから、どうでもいい連中をしごくまねして除隊させ、コアな部隊を温存できる。それも、新しい国軍という名で、中央の暫定政権から給料の予算(国際社会、主にアメリカの支援)をせしめられる。これでは、軍閥支配の現状を国際社会の金で、さらに強化するだけです。バリアライは、このプロセスを、アメリカと国連に納得させていた。
 これをひっくり返すため、僕はある戦術に出ました。
(略)
「日本の血税は、すべての兵員が除隊し、“市民”に戻った後にしか使えない」と。さらに、もし血税が戦闘員に使われたとメディアにスクープされたら、日本の政権は簡単に崩壊する、とも訴えた(略)
日本人って、平和のあり方に、すごーく真剣な国民に見えちゃうんですね。
 こうしてバリアライは「RDD」ではなく、「DDR」を納得してくれた。これで、軍閥のすべての戦闘員を、まず武装・動員解除することになった。

アフガン復興、「力の空白」

一時金を支給するのは簡単ですが、元兵士たち一人ひとりを、順番に職業訓練に組み込んでいかなければならない。除隊した兵士が組み込まれて行く「口」が必要なんです。それも、数千の単位で。国は焦土と化しているから、もちろん職業訓練校なんてない。
 ここで、またドイツが知恵を絞ってくれた。ドイツの半官半民の、日本でいう工専(エ業専門学校)みたいな組織が、「見習い口」というアイディアを出してくれたんだ。瓦礫処理や個人住宅の修理、インフラ復旧なんかを請けおう、地元の棟梁たちがいるんです。そういう人たちを、ドイツの団体が現地調査で発掘し、一人ひとりに「見習い口」をつくってと頼み、その数をデータベース化してゆく。そうして数千の「口」が確保できた。
(略)
 DDRの一番の功績は、軍閥がもっていたほとんどすべての重火器を、暫定政権の国防省の管轄下に置けたことです。(略)
[対立する部族]両者の腹を痛めない程度、10台ぐらいずつの戦車を差し出すことを同意させる。(略)これを少しずつ繰り返していった。
 簡単そうに聞こえるかもしれないけど、これって大変で、僕が危険な現場を動き回るには(日本大使館には内緒で)イギリス軍が小部隊をつけてくれた。アメリカを中心にNATO諸国も、軍閥たちに最大限のプレッシャーをかけてくれて、それで、できちゃったんだ。
(略)
こうしてDDRが完了しましたが、軍閥たちが心配していた「力の空白」も、同時につくりだしてしまった。
(略)
国軍が軍閥たちに代わるぐらいの力をつけるまで武装解除を待てば、もしくは遅らせられればよかったのですが、それができなかったのです。
(略)
選挙が大規模な「内戦」にならないよう、カルザイさんの宣言に、「すべての武装解除を、最初の選挙までに完了する」と盛り込んだのです。そうすると、力の空白をつくるまいとして武装解除を遅らせると、選挙を遅らせることになる……。
[だがブッシュは再選ために大統領選の前に選挙をやれと命令]
(略)
 軍閥はもともと、その地の名士です。戦車や大砲を手離し、将軍の称号を剥奪されても、それは変わらない。一向に麻薬栽培・密輸をやめる気もなく蓄財し、ばらまきをやって、民主選挙をやると、結果、札付きの「悪党」が国会議員になっちゃう。(略)
結局、民主主義という衣を着ているだけで、軍閥政治は、依然つづいているわけです。
(略)
 そして、「俺たちがいなくなったらどうするんだ」と軍閥たちが言っていた通り、2005年あたりからタリバンは復活し、今日に至っています。確実に僕は、この戦争を泥沼化させた戦犯のひとりですね。

「美しい誤解」

 軍閥や、その下の司令官たちと通訳を介して談笑すると、よく、「ジャパンはスゲーよな。俺らも勝ったけど」って、日露戦争のことが語題にのぼるんだ。(略)同じアジア人である小さな島国が、かつてロシアをやっつけたと言うんだよね。
 そして、彼らは日本に9条があることは知らないけれど、広島、長崎のことは知っています。日本はアメリカに酷い目にあわされた。だから、アメリカと仲が良いフリをしていても、自分たちと同じように、絶対に心を許していないと……ちょっと汗が出るけど(笑)。日本人は人畜無害とバカにされているのでは決してなく、自分たちのような犠牲者のマインドも理解する勇猛果敢な民族と捉えられているようだった。
 どうも、僕たちは、アメリカと一緒に行動しているが、アメリカに対する不信感を共有できる同胞と見られているみたい。武装解除が、僕自身も含めてみんなの予想に反して、あれよあれよと進むのを見て、一緒に作業していたアメリカ軍の司令官が、いつしか、「日本は美しく誤解されている」と言うようになりました。
(略)
アフガニスタンに限らず、この地域全体での日本のイメージは、ダントツに良いものです。独立前の英領インドでは、アジアを解放すると謳う日本が、植民地支配からの解放に命をかけていた運動家を大いに鼓舞した歴史的側面もある。(略)[首都デリーの大使館通りに、土地が]サンフランシスコ講和条約締結前、つまり日本の主権が回復する前から、日本用にキープされていたらしい。
 アフガニスタンパキスタン、インド、いずれの国にもイメージがいい日本。この3国だけでなく、アメリカを嫌う国々から好かれているし、中立とも思われている。中立であるわけがないのに。なぜそうなっているのか、理由がよくわからない(笑)。「美しい誤解」かもしれないけど、このままにしておくのは、もったいない気がします。

9条

アメリカが9条をなくしたがっているかというと、Yes and Noという感じかな。9条には“狂犬”日本を二度と歯向かわせないという側面があります。アメリカにとって「保険」になっているでしょうね。一方で、経済成長した日本にアメリカ製の高価な武器を買わせたいという意図もあるだろうから、「自分の足で立てよ」なんて言ってみたりする。あんなデカい国、ひとつに括れるわけがないけど、アメリカの本音はそのあいだをウロウロしているんじゃないかな。
(略)
日本に敵が攻めてきたら命をかけて戦うけど、アメリカが勝手にやった戦争に出かけていって、人を殺すのも命を落とすのも嫌だと。僕は自衛隊で講義することが多いので、本当に稀な機会ですが、そういう本音に触れることはある。