近代政治思想の基礎・その3 ルター

近代政治思想の基礎・その2 - 本と奇妙な煙のつづき。

ルターの攻撃の本当の標的

第一に、彼は教会が裁治権力を所有し、したがってキリスト者の生活を指図し規制する権限をもっているという考えをきっぱりと拒否する。(略)
彼の最初の爆発の主題たる免償符売買[は](略)
教会はその権限とサクラメントによって罪びとに救いを得させることができるという教義の、最も邪悪な曲解にすぎなかったからである。すでに見たように、彼はもしも罪びとが信仰を獲得するならば、教会などなくとも救われるであろうし、もしも信仰を得なければ、教会が彼を助けるためになしうることは何もないという結論に到違していた。
(略)
 しかしルターの攻撃の本当の標的は、教会の権力乱用というよりは、むしろいやしくもキリスト教社会でそのような権限を言い立てる教会の権利である。(略)
[彼の信念は]「我々はすべて洗礼によって聖別された聖職者である」という理論から導き出されていた。一つの結果は、教会法の完全な拒否であった。ルターは『挨拶』のなかで、「ローマのカトリックども」が「世俗キリスト者の権威の裁治権から自分たちを免除する」この独立した法制度を維持したがる唯一の理由は、「彼らが自由勝手に悪いことをやって」、しかも処罰されずにいるためである、と主張している。
(略)
独立した聖職階級という考えを拒否したいというこの衝動のために、彼は托鉢修道院をも攻撃し、修道院的な生活様式の全理想を拒絶した。(略)「これ以上修道院をつくるのは許されるべきではなく」、またいまあるすべての女子修道院と男子修道院は「当初の使徒の時代において規制されていたのと同じように」規制されるべきだという要求がある。
(略)
彼はすべてのキリスト者は二つの王国(略)
第一のものを教会と、第二のものを世俗権力の領域と同一視する。したがって教会はキリストによって全面的に支配されるが、その権限は完全に霊的であると考えられる。なぜなら定義上、真のキリスト者が強制される必要性はないからである。世俗権力の領域も同じく神の命令下にあると主張されるが、全面的に別なものとみなされている。なぜならひとえに罪ある人たちの間に市民的な平和が確実に維持されるために、剣が世俗の支配者に認められているからである。
(略)
[教皇や教会は世俗権威の権利を簒奪していると]世俗権威の権限の範囲を無類に拡大することを是認した。
(略)
彼は世俗権威の法令はすべて神の摂理の直接の贈り物、現れとみなされなければならないときっぱり言い切る。(略)
ルターは、すべての政治的権威が神に由来するということをさらにはっきりと認める気にはとてもなれなかった。彼が絶えず立ち返り、聖書全体のなかで政治的義務の問題に関して最も重要な一節と考えるテキストは、我々は最高権力に従うべきであり、権力は神の定め給うたものとみなすべきだとする聖パウロの命令である。ルターの影響のおかげで、これは宗教改革の時代を通じて政治生活の基礎に関するすべてのテキストのうちで最も多く引用されるものになり
(略)
彼は君主には神から与えられた権力を信心深いやり方で用い、とりわけ「真理をめざして命ずる」義務があると力説する。
(略)
 実はルターは、彼の時代の君主や貴族たちがこれらの義務を十分に自覚するような教育を受けていたとは信じていない。彼が貴族への『挨拶』の末尾で主張しているように、彼らのうちで「高い地位に就くということは何と恐ろしい責任あることか」という意識を何がしかもっているのはごくわずかである。(略)
また論文『世俗権威』において彼は貴族や君主のふるまいに関する流行の人文主義的な理想をあざ笑い、「君主の楽しみ――ダンスや狩猟、競馬、賭け事、これらと似たりよったりの娯楽」のすべてを嘲笑している。これらすべてのひどく有害な影響の結果は「賢明な君主はまったく希有な存在だ」ということである。ルターは実際には政治社会の指導者たちは通常「大馬鹿物」であり、「地上最悪の不埒漢」であるとくり返し主張している。ある点では彼は「万能の神は我々の支配者たちを狂わせてしまった」と絶望的に結論づけてさえいるのである。
(略)
もしも支配者が自分を神の代理者として認定するマスクをひきちぎり、臣民に邪悪な、あるいは神に反するような行動を命じるならば、断じて従ってはならない。臣民は、たとえこれが君主への不服従を意味するとしても、良心に従わなければならないのである。(略)「もしも君主が間違っていたらどうするか。(略)答えは「いな、間違ったことをするのは人間の義務ではないから」と。
(略)
[しかし]邪悪な支配者には断じて従ってはならないという考えを力説しているにもかかわらず、それでもなおそのような支配者にけっして積極的に抵抗してはならないと主張しているのである。すべての権力は神の立てたものゆえ、このことは、専制君主の場合でさえ、やはり神の意志にさからうも同然なのである。

農民暴動に残忍に逆襲したルター

 1530年代のはじめ、皇帝の軍隊がルター派教会を壊滅させるかに見えたとき、ルターは突然そして永久にこの決定的な問題についての考えを変えた。しかし1520年代には、彼は無抵抗論をできるだけ強力に主張したいというある特別な動機があった。自分たちの宗教的変更への要求が政治的急進主義と結びつき、その結果評判を落とすことになるのではないかという宗教改革者たちに共通の不安をもっていたのである。
(略)
 1524年にドイツで農民暴動が勃発したとき、急進主義者たちが彼の政治的教義をねじ曲げて伝えるかもしれないというルターの恐怖はヒステリー状態のピークに達し、彼はその暴動に対して衝撃的な残忍さで逆襲した。(略)
1525年5月までには、農民たちはテューリンゲンで大勝利を収め、ドイツ南部のいたるところで略奪をほしいままにしていた。そこでルターは有名な怒りの爆発『略奪殺人を行なう農民の群れに抗して』でもって応じた。この簡潔ではあるがショッキングな激しい攻撃の長広舌は要するに「人はみな、上に立つ権威に従うべきである」という聖パウロの命令にじかに立脚しているのである。農民たちはこの命令をまるっきり無視してきたが、「いまではこの服従の誓いを故意かつ乱暴に破っている」。これは彼らみなが「明らかに死に値する」ほどの「恐ろしい、ぞっとするような罪」である。
(略)
農民暴動の翌年に刊行された『兵士も救われうるか』(略)
この論文はまず、人民は、「主人や暴君と戦う」よりはむしろ「起こるすべてのことを耐え忍ぶ」覚悟でなければならない、ということを何度もくり返して始まる(略)
「政治を変えるのは簡単であるが、よりましなものを得るのは困難であり、その危険はあなたの望むところではないであろう」(略)
なぜ邪悪で暴君的な支配者がつぎつぎに神によって任命されるのかというと、ヨブの言うように、「人民の罪のため」である、と主張しているのである。むきだしの権力が邪悪な支配者を支え、したがって「暴君が支配しているのは彼が悪者だからである」などと思うのは、民の「目がくらみ、転倒して」いるからである。真実は、「暴君が悪者だからではなく、人民の罪のせいで暴君が支配している」ということである。(略)
[ルターの政治小冊子は]そのどちらも大変な歴史的影響を及ぼすことになった。

なぜルターのメッセージに惹きつけられたか

 新しい宗教を取り上げたつぎなる地域はスコットランドイングランドであった。(略)
スコットランド人はフランスとの同盟を続け、これによってついに彼らは対抗宗教改革の影響を受けた。その結果は、彼らが急進的なカルヴァン派のいっそうの主導性を必要とした(略)
対照的にイングランド宗教改革は漸進的な、そしてほとんどの段階で公的な運動であった。その開幕は1530年代はじめにおけるヘンリー八世のローマとの断絶であり、教会の権限に対する議会の攻撃であった。
(略)
 つぎにしかと問わねばならない問題は、いったいなぜルターのメッセージ、とりわけその社会的政治的な含意が、非常に多くのさまざまな国でかくも強烈に魅力あるものになったかということである。
(略)
 第一に明白なのは、ルターの独特な神学がかなりの程度人間と神との関係をめぐる中世後期の思索の二大潮流に由来していたということである。
(略)
これらの教義は、14世紀末にドイツとネーデルラントで共同生活兄弟団によって展開された神秘主義的な運動・新しい信仰とすでに結びついていた、いくつかの教説の鸚鵡返しであった。この運動は説教活動で道徳改革の必要性を力説し、使徒的清貧の理想と共同生活を擁護した聖人のようなヘラルド・フローテによって始められたものである。彼の教えに生気を吹き込んでいる中心的な信念は、おそらくマイスター・エックハルトとその教え子ヨハネス・タウラーのような14世紀はじめの神秘主義者から受け継がれたものであるが、神に好印象をあたえようとする人間の努力はすべて罪深い自惚れの単なる反映にすぎず、したがって信心深い魂がめざすべきは、神の恩寵を受ける場合に受け身のままでいることでなければならない、というものであった。フローテの弟子たちは自分たちで修道会を作り(略)そこで教えたり神秘的な訓練をして自らを鍛え、神に対するこの心底服従的な関係を深めようとした。
(略)
 ルターの神学に映し出された後期中世思想のもう一本の強力な撚り糸は、中世スコラ主義最後の主要学派で、新しい道として知られる運動である。(略)旧来の道の特徴的な主張は、自然はけっして信仰によって否定されず、ただ「完成される」だけであるから、神の目的を理解するにあたっては、信仰は言うまでもなく理性もまた演ずべき役割をもっている、というものであった。
(略)
しかし新しい道の最も独創的で影響力のある代表的人物はオッカムのウィリアムであり(略)
神学においては理性に割り当てられる重要な役割は何もない。すなわち、オッカム自身が主張しているように、啓示宗教のドグマは、神の存在と属性の問題ですら、理性によっては「明らかに知るよしもなく」、「信仰の想定のもとではじめて神学的に証明され」うるのである
(略)
このようなルターの考え方と人文主義者たちのそれ[ブラント『愚者の船』のような教会の腐敗批判]との親近性の最も重要な結果は、ルターが教会から決定的に分裂するやいなや、多くの卓越した人文主義者たちが彼のあとに従わざるを得ないと思ったことであった。これがつぎには宗教改革の知的土台を強化する助けとなり、そのことによってそのさらなる広汎な影響力を促進する重要な役割を演じたのである。

 教会の権限に対するこの敵愾心が増大する背景を考えれば、宗教改革にはずみがついてくるやいなや、こういった平信徒の批判者たちのほとんどが次第にルターの運動に惹きつけられていったことも驚くにはあたらない。
(略)
 しかし最も歴史的に重要な点はもちろん、北方ヨーロッパの世俗支配者のほとんどがルターの運動に同じような魅力を感じ始めていたということである。彼らが教皇庁と満足な協約を結ぶことができなかった場合には、ルター思想に手を出し始め、こうして彼らの反教会キャンペーンの圧力を仲たがいすれすれまで高めた。何よりもこのようなことが起こったのは、彼ら自身の領土内における教会の財政的特権と土地財産に対する支配権を高めようとするキャンペーンにおいてであった。
(略)
[世俗支配者は]宗教改革の教義には殆ど関心がなかった。(略)君侯の強欲の代償は「完全かつ信心深い」宗教改革の是認だったのである。

「もしもルターがいなかったならばルイ14世という人も断じてあり得なかった」。フィギスのエピグラムは非歴史的だと批判されてきたが、しかし近代初期ヨーロッパにおけるルターの政治理論の主たる影響が、統一された絶対主義的な君主制の出現を鼓舞し正当化する方向にあったことは疑いない。
(略)
 しかし16世紀は絶対主義イデオロギーの始まりを目撃したばかりでなく、その最大の理論的ライバル、すなわち、すべての政治的権威は本来人民の全体に固有のものであり、したがって――フィルマーが『族父権論』で述べているように――すべての支配者は「臣民の非難と権限剥奪に従わ」なければならないとする理論の出現をも目撃したのである。
(略)
この「新しいまことしやかな危険思想がこの時期きわめて劇的に発展(略)
 その答えには二つの主たる構成要素があり(略)第一のものはかなり多くの急進的な政治思想がすでに中世末期に構築され、16世紀のはじめには新たな発展のピークに達していたということである。(略)
もう一つの重要な点は、16世紀にカトリックのヨーロッパで生み出された最も影響力のある体系的な政治理論の著作のすべてが基本的に立憲主義的な性質のものであったということである。フィルマーがそつなく言ったように、対抗宗教改革の若手の指導的なイエズス会士理論家たちは最も「熱烈なジュネーブの教会規律の愛好者」にほとんど劣ることのない、人民主権主義擁護の意欲を見せたのである。

まだまだ残りがあるのですが、すっかり頭の調子が変わってしまって、引用メモを見ても、なぜそこを引用しようとしたのか、まったくわからず、やる気をなくしたので、ここで急遽終了w