ダーウィンの生涯・その2

前日の続き。

チャールズ・ダーウィンの生涯 進化論を生んだジェントルマンの社会 (朝日選書)

チャールズ・ダーウィンの生涯 進化論を生んだジェントルマンの社会 (朝日選書)

1860年、科学振興協会会合でオックスフォード主教サミュエル・ウィルバーフォースがハクスリーに「あなたの先祖はサルだそうだが……」と言い、逆に「私はサルが先祖だからといって恥ずかしいと思いません。それよりも、豊かな能力を駆使して詭弁をふるう人物を先祖にもつ方がよほど恥ずかしいと思います」とやりかえされたとダーウィン陣営が語り伝えてきたが

[その五週間前に書かれたウィルバーフォース]書評のダーウィン批判を見れば、それが伝説でいうような愚かなものでないことがわかる。(略)
生存闘争の結果、優れた個体だけが子孫を残す、という考え方は当時、ありふれたものであった。(略)
 自然選択が種の形質を維持するように働く場合、現在ではこれを保存的自然選択と呼んでいる。ダーウィンは当時の常識であった保存的自然選択に代えて革新的自然選択を主張したのである。ウィルバーフォースによれば、自然選択が革新的に働くことを証明するには、第一に、競争に勝つ個体は前代の最高の個体よりも優れた変異を持っていること、第二に、そうした優れた変異が子孫に集積していくことが示されなければならない。ダーウィンはこの二つの命題を人為選択による家畜の改良との類比によって導いているが、この類比は誤りであるとウィルバーフォースはいう。なぜなら、家畜の改良によって新たな種が形成された例は一つとしてないからである。さらに、家畜は野生化するともとの状態にもどってしまう、という。
 現在では自然選択が通常、保存的に働いており、環境が一定なら種は安定した存在であることが知られている。したがってこの点についてのウィルバーフォースの指摘は正しかったのである。人為選択との類比による自然選択の論証には理論的な誤りがあるという指摘も正当である。ウィルバーフォースは『種の起源』の論理的欠陥を鋭く見抜いていたのである。
 ダーウィンもウィルバーフォースの批判が優れたものであることを認めていた。(略)
「(略)最も推測的な部分のすべてがあざやかに選び出され、すべての難点が見事に指摘されています」(略)「主教は、私が確信を持たずに語った部分をいくつも集め、私の主張に対して強力な反論を展開しています」と述べている。
(略)
 ウィルバーフォースとハクスリーの論争の伝説が有名になったため、ウィルバーフォースのダーウィン批判が愚かなものであったという思いこみを生み、さらに、それが進化論に対する教会の典型的な反応であるとみなされるようになった。オックスフォード会議の伝説は、進化論に対するキリスト教会の反応の歴史を二重にゆがめてしまったのである。

種の起源』は抄録

ダーウィンにとって『種の起源』はあくまでも抄録であって、これとは別に本格的な進化論書を完成させるつもりだった。1868年刊行の『飼育栽培のもとでの変異』はその第一部になるはずだった。同書の「序言」によれば、大著の第二部が自然選択説の説明と学説の難点に充てられ、第三部が諸事実による学説の検証に充てられるはずだった。しかし結局、第二部と第三部は執筆されず、『〜変異』第二版(1875)の「序言」では、第二部と第三部についての予告は削除されている。この時までにダーウィンも、大著の完成をあきらめたのである。

人間の由来

 ダーウィンは1837年に進化論に転じて以来、人間も進化の産物であることを確信していた。(略)
しかし1844年「エセー」でも、大著『自然選択』の草稿でも、人間の進化について言及することを意図的に避けていた。『種の起源』では最後に、遠い将来において、「人間の起源と歴史について光明が投じられるであろう」というだけである。
 それでも『種の起源』の主張が正しければ、人間も下等生物から進化してきたことが明白である。結局、『種の起源』に対する批判の多くはこの点に集中してしまった。(略)
 ウォレスは1869年以来、人間の精神だけは直接、神に由来すると主張するようになり、ダーウィンをがっかりさせた。結局、ダーウィンが自ら人間の進化を論じなければならない状況になった。ついにダーウィンは『人間の由来』で、正面から人間の進化を論じ、心的能力も進化の産物であることを論証することになった。

マイヴァート『種の誕生』

 ダーウィニズムを信奉していたマイヴァートが、自然選択説に疑問を抱くようになったのは1868年のことであった。ダーウィニズムでは人間の理性、とくに倫理的判断の起源が説明できないと考えたのが、そのきっかけであった。(略)
ダーウィンは、微小な個体間の変異がもとになって種が少しずつ連続的により優れたものに変化していくと説いていたが、マイヴァートは、それでは説明できない事実が多いことを指摘する。(略)
マイヴァートはまず、「発端の有用性」の問題を指摘する。「後に有用性が明らかになる構造であっても、その構造の微小で兆しにしかすぎない端緒、軽微で無意味な発端がいかにして保存され、発展したかについて、自然選択はまったく説明することができない」という。(略)
 次にマイヴァートは、起源が異なるのに酷似した構造が存在すること、すなわち後に収斂と呼ばれるようになる現象を取り上げる。(略)
 ついでマイヴァートは、「新しい種は、時おり、突如として生じ、変化はいちどきに現れる。こうした変化の間、種は安定に保たれる」と主張する。
 さらに、移行形の化石の欠如、地球の年齢、融合遺伝などの問題を指摘し、自然選択説では生物の進化が説明できないという。
 結論としてマイヴァートは、進化は神の計画に基づくものであり、自然選択はそのための手段の一つにすぎず、人間の精神は進化の産物ではないと主張する。
 「発端の有用性」はマイヴァート独自の指摘だが、他の難点はすでに他の論者から指摘されてきたことで、ダーウィンも『種の起源』第五版までに議論してきたことである。マイヴァートのダーウィン批判の価値は自然選択説の抱える問題点を集大成したことにある。発端の有用性、収斂、移行形の欠如など、現在まで繰り返し登場するダーウィン批判のほとんどの論点は、すでにマイヴァートが『種の誕生』で指摘していることである。

エヴォリューションへの誤解

 生物進化を意味する言葉としては現在、一般に「エヴォリューション」が用いられているが、それは1870年代以降のことである。それまで進化を意味する語としては、一般に「転成」(transmutation)が用いられていた。「転成」はもともと錬金術において、卑金属が貴金属に変化することを意味する用語であった。(略)
[ダーウィンの進化論研究ノートは「転成ノートブック」と題されていたが]
種の起源』では進化の意味で、「変化をともなった由来」(descent with modification)を用いていた。(略)
 ハーバート・スペンサー1862年以来、万物の進歩を意味する言葉として「エヴォリューション」を用い、地球生物の変化もこの語で表現した。スペンサー哲学の流行にともなって、生物進化を意味する語として「エヴォリューション」が定着していった。そのためダーウィンも『種の起源』第六版(1872)でこの語を導入したのである。(略)
 「エヴォリューション」には「目標をめざした進歩」という意味合いがからみついている。しかもスペンサーはこの語を、宇宙から社会にいたる万物に適用していた。生物学者ではない一般人が「エヴォリューション」という用語で生物の進化を語るとき、それは進歩を含意していると理解し、進化論は人間社会にも拡張できると考えるのは当然の成り行きであった。

 日本では「エヴォリューション」が「進化」と訳されているため、事態はさらに深刻である。(略)「進化」が「高度な進歩」の意味で乱用されているのである。生物学者がいくら、「進化は進歩ではない」といっても聞いてもらえない。

ダーウィンはそんなこと言ってません

社会問題への安易な適用が日本のダーウィニズム受容の特徴と指摘されることもあるが、決して日本だけのことではない。(略)
 近年、内外の実業家や政治家が、しばしば、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」という言葉をダーウィンの名言として引用しているが、ダーウィンの著書や稿本のどこにもこんな言葉はない。

最後に下世話な話。
父方の祖父エラズマス・ダーウィンは著書もある英国で最も有名な医師であり詩人でもあった。母方の祖父はあのウェッジウッド創立者。妻エマは母方のいとこ。両家からの支給金&債権利息で二人の収入は1500ポンド(推定換算:1ポンド=1万円以上)。さらに財テクにはげみ70代では年収8000ポンドに。

収入面からいえば、ダーウィンは父ロバートと同様、金融資本家であり、まさにヴィクトリア朝の典型的なジェントルマンであった。(略)
 株式投資に成功するには、経済界の動きを正確に判断する必要がある。ダーウィンは、研究一筋で世間知らずの科学者といった姿からはほど遠い。むしろ、世俗的な関心を持ちながら、並はずれた研究成果をあげたことに注目すべきであろう。

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