壊れても仏像

壊れても仏像―文化財修復のはなし

壊れても仏像―文化財修復のはなし

瓜二つリアル仏像

コンセプトはずばり、リアルさである。
[優填王が釈尊に瓜二つに造らせた仏像]
釈尊自身が見て、「自分がいなくなったあとは、この像が人々を救済するだろう」と言った、という伝説があるほどにそっくりだったという。(略)
[なんとそれが日本にある]
それが、京都・嵯峨の清涼寺の仏像だ。(略)
[中国で現物を見た篙然が感銘を受けレプリカ作成、間違えて本物の方を日本に持ち帰った]という、「それってOKなんですか?」という伝承を持つのが、この清涼寺の仏像である。一見して、顔が怖いが、コンセプトが「リアル」だから仕方ない。(略)
この仏像の中には絹で作った内臓まである。やりすぎにもほどがあると思うのだが、このリアル追求のコンセプトはかなり流行った。ものすごく怖い顔の釈迦如来は模造され続け、今でも全国に百体ほどが現存している。

江戸時代の仏像の方が壊れやすい

平安時代の仏像は一木造りの仏像が多い。一木造りとは、立像であれば腕や足先などをのぞいて、頭頂から足底までを一本の木材で造る造り方である。一本の木材から彫るわけだから、干割れが生じたり、彩色、漆箔が落ちることはあっても、それ以上にはなかなか壊れない。(略)
 ところが時代が降り、江戸時代に入ってくると、かなり細かい材を使って造られた仏像を数多く見かけるようになってくる。さほどに大きくない仏像でも、解体すると部材数が百近くにもなるものもあり、まるで組木細工のような仏像もある。(略)鉄釘や竹釘などでとめてあればまだマシだが、接着剤だけでぺたぺた貼り付けているような仏像だと、時期が来ればみるみる部材が剥がれ落ち壊れていく。何もせずに放っておくだけで、バラバラと崩れていくのだ。(略)
私には「俺はこれだけの技術を持っているんだ!!」と見栄をはるためだけに、細かい材料を使って仏像を造っていたとしか思えない。

仏像チェンジ

大日如来以外の如来像は、姿かたちがみんないっしょで、実は区別がつきにくい。(略)
[そこで印相で区別をつける]
 印相はいわば仏像の標識みたいなもので、この手の形を見ることによって、仏像の名前はおろか、そのときのシチュエーションまで想像できてしまう。(略)説法していれば説法印、悪魔を追いはらっていたら降魔印、最高の真理を得たことを表す定印などなど(略)
この印相の差が微妙なために、ちょっとした問題が起こることがある。たとえば、薬師如来はその名の通り、その手に薬壺を持っているのだが、単にその薬壺をなくしただけでも、
「実は俺、薬壺なくしちゃってさ、釈迦に間違われて困るよ」
などという、グチもこぼれるわけである。この場合は、手のひらをよくよく丁寧に見てみれば、薬壺がのっていた痕跡を見つけることができるが、問題はこの次だ。意識的に手を切り落とし、別の新しい手にすげ替えることがあるのだ。(略)
[中世の頃は、寺自体の宗派がころころ変わり]
その場合、何が問題になるかといえば、本堂に安置している本尊だ。禅宗なのに阿弥陀如来が本尊では締まりがないのである。(略)その結果……
  「えーい、禅宗の寺に阿弥陀なぞいらんわ!手をすげ替えて釈迦にしてくれるわ!」(略)
 これらの腕のすげ替えを見破るには、手首と体の接合面を見てみたり、昔の修理のときの痕跡を比べてみたりと、いくつかの方法があるが、基本的には、全体と腕のバランスを眺めてみて違和感がないかどうかが問題になってくる。体や顔の彫りが流麗で美しいのに、手首より先が太くて丸太のような指をしていたら、それはどう考えてもおかしい。また、反対に体や顔ががっちりしていて熊のようなのに、手首だけが女性のように優しかったら、それもやはり違和感がある。

修理者の視点

仏像を眺めるのも好きではあるが、手元に置いておきたいとはどうしても思えない。仏壇に納めるような小さな像を除いて、仏像は個人で持つようなものではないと思うのだ。正直、仏像をインテリアとして飾るということには違和感がある、信仰の対象として扱われている仏像に接することが多いためそう感じるのだろう。
 その一方で私は修理者であるから、仏像をかなりドライな目でも見ている。仏像を見ても、「あの仏像の柔和な顔が……」とか、「心が洗われるようだ」というような情緒的な見方はあまりしてはいない。わかろうが、わかるまいが、仏像を見ただけで反射的に、「何時代に制作されたものか?」とか、彫りの具合や構造や損傷状況を考えてしまう。そんなだから、仏像を見るのには気力がいる。

ホコリ

仏像についているホコリは少し特別だったりする。どれくらい特別かというと、掃除の際に出るホコリやゴミはすべて余さずとっておき、保管するほどだ。(略)
 修理で新しく造った箇所や修理した場所は、そのままだと違和感があるために、絵の具や漆、木の粉など、それはもういろいろな素材を使って、古い部材の色や質感になじませる。これを、「色合わせ」とか「古色」というのだが、この色合わせ作業の一番最後に、パラパラッと隠し味にホコリを振りかけると……あら不思議、古い部材と雰囲気がよくなじむのだ。うまくいけば、どこを新しく造ったのか、ちょっと見ただけでは見分けがつかないほどになる。

マンガでわかる仏像: 仏像の世界がますます好きになる!

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ミステリーな仏像

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仏像とお寺の解剖図鑑

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