戦後日本の「南進」

バンドン会議

バンドン会議を前に日本に向けられたアジアの視線は

独立国として、アジアの命運を相共に切り拓いていく気でいるのか、それとも西欧の手先として目前の利益を追う気でいるのか[というものであった]

「対米自主」を掲げバンドン会議を「アジア復帰」の好機としたい鳩山首相と、米英協調が最優先「反共最大の大物」として振舞うべきと主張した重光葵外相が対立。

[戦前大東亜共栄圏を推進した]重光が外相としてバンドン会議に取り組むことになったのは、皮肉な巡り合わせであった。(略)
 しかし重光は、かつて自ら掲げた「アジア解放」が結実した姿とも見えるバンドン会議を前に、意外なまでに冷淡に「対米協調」に徹しようとした。(略)
[共産勢力が攪乱を目論んで民族運動のバックアップしている]という、アジア・アフリカのナショナリズムをもっぱら東西冷戦の文脈で捉える認識であった。(略)
鳩山が重視した緊張緩和の潮流は、重光から見れば、冷戦対決の最前線が米ソ間から「背後戦線」たるアジア・アフリカに移ったにすぎなかったのである。
 振り返ってみれば戦時中の重光の大東亜外交には、「アジア解放」を日本の戦争目的として明確に掲げることによって、大西洋憲章で同様の目的を掲げた連合国側と戦争目的を一致させ、結果として日本帝国と連合国が戦争を続ける理由を消滅させる(略)
往時の重光にとってアジアとは、まずは日本が対連合国外交を展開する上での「手段」だったのであり、そして戦後のアジアは、世界大の冷戦の「舞台」として認識されていたのかもしれない。そのいずれにおいても、「アジア」そのものに主眼があったわけではないというおそらくそこに、大東亜会議とバンドン会議をめぐる重光の、一見したところの断絶を解き明かす鍵が潜んでいるように見える。

英国のマレーシア構想

マラヤにシンガポール、サバ、サラワクを組み込んで再編しようとした英国のマレーシア構想

[英国が]非公式帝国として影響力を保持する上で鍵となるのは一大軍事拠点であるシンガポールの安定的確保だと考えた。ここにイギリスが軍事力を維持することを、ベトナム情勢に苦慮するアメリカは強く望んだし、またイギリス自身にとってもオーストラリア、ニュージーランドヘの影響力を維持する上で重要であった。「シンガポールがなければ、イギリスのこの地域における影響力はフランス並みにまで落ち込むだろう」と考えられた。(略)
[だが人口の大半を占める中国系は左傾化]
「東半球のキューバ」と化すことも十分に予想されたのである。(略)
問題はマレー系五割、中国系四割弱と微妙な人口バランスを保つマラヤに中国系中心のシンガポール編入すると、新国家では人口比率で中国系がマレー系を逆転してしまうことであった。そこでサバ、サラワクなどボルネオ北部も組み入れることによってマレー系優位の人口バランスを保つことが構想された(略)
[対決姿勢を強めるスカルノがマレーシアを併呑し「大インドネシア」を目論んでいるのではと疑う英国]

マレーシアへの対決姿勢のわけ

IMFと連携して導入された経済改革は厳しい緊縮財政を伴うもので、イントネシア国民には不人気であった。また実権を掌握する過程で、政党を弱体化させるために陸軍と手を結んだスカルノであったが、今度は力を増す陸軍を牽制する意味もあって、インドネシア共産党の勢力伸長を積極的に擁護した。その結果、陸軍と共産党という相容れない勢力間のバランスを唯一スカルノがとることで主導権を握る体制を築いたのだが、二大勢力となった陸軍と共産党はともに、IMFと協調した国内建設路線への転換よりも、マレーシア対決という新たな危機が勃発する方を望んでいた。
 共産党にとって新たな危機の勃発は、革命のさらなる継続を訴えて陸軍からの抑圧をかわし、主導権を握る上で絶好の機会であり(略)
[軍の方も紛争はメシの種]

英国と米国のズレ。
 

インドネシアとフィリピンがマレーシアの国家承認を拒否。
[フィリピン提唱の大マレー系国家連合]マフィリンド構想は、マレーシアさらには海域東南アジアからを英国を排除しようとする米国の企み。

陸軍の実権掌握の方が、スカルノ体制の継続や共産党政権の出現よりは好ましいというのが、イギリスが達した結論であった。
 これに対してアメリカは、スカルノ体制はイギリスが考えるほど脆弱ではないと捉えていた。むしろスカルノに対する強硬姿勢は、インドネシアにおける中国やインドネシア共産党の勢力拡大、マレーシア対決の一層の強化といった結果をもたらしかねない。また仮にスカルノを倒したとしても、権力は共産党に渡るかもしれない。どちらにしてもイギリスの強硬策は、地域最大の国家に「カオス」を作り出すだけだという見解であった。(略)
イギリスは、インドネシアを重視するアメリカが、いざとなればマレーシアを犠牲にしかねないと危惧した。

日本は米英の溝を見透かし、英国の非難をよそにスカルノを支援。

[アルジェ会議支持、発電所建設資金]はアメリカが手を引き、イギリスが経済制裁を試みる中、日本は引きつづきスカルノインドネシアを支えるという意志の表明であり、インドネシアのこれ以上の急進化と、後述する中国への接近を食い止めたいという意図が濃厚に込められた提案であった。(略)
[だがスカルノの態度を明確にせず]
最終的に中国の意に添う方向へ舵を切ったのは、国際的にますます孤立するスカルノを中国が一貫して支持したことに加えて、「中共からの原爆提供という幻にとらわれた」[せい]

戦後日本が「経済」を軸にアジアへの関与を深めていった先に行きあたることになったのが、「革命」というもうひとつの方途でアジアを導こうとする中国の存在だったのである。

明日につづく。