帰ってきたファーブル (日髙敏隆選集 VII) (日高敏隆選集 7)
- 作者:日高 敏隆
- 発売日: 2008/05/24
- メディア: 単行本
生物と生命
近代生物学には、一つ大きく欠落したものがあった。それは、近代生物学が「生物」でなく、「生命」の探求に熱中したことである。
考えてみればすぐわかるとおり、純粋の生命などというものはどこにもない。われわれの目の前に実在しているのは「生物」であって、「生命」ではない。しかしどういうわけか、近代生物学は、生物という具体的存在を退けて、生物から生命を抽象し、「一般的生命現象」を追求した。
(略)
その結果どういうことが起こったか? 一口で言えば、生命はわかったが、生物はわからなくなってしまったのである。
ジェラルド・ホルトン曰く
主題は、もはやほとんど出つくしていて、近代科学が新しい主題を提出したという例はほとんどない。『科学によって、人間の世界認識もどんどん進み、人類全体のもっている科学的知識の量も増えている』とみんなが信じているが、実際には、そんなことはまったくない。知識のあいだで淘汰が起こって、以前の知識が忘れられているにすぎない
先入観と想像力
子どもはよけいな知識をもっていないから、自由にすばらしいイマジネーションがはたらくというが、そんなことはない。それは大人たちの思い込みである。ものごとを知っていなければ、イマジネーションははたらかない。ある先入観があって、新しい事態にぶつかったときに、パッとイマジネーションがはたらく。その過程はまったく論理的ではない。
ホルモンに上下なしw
同じホルモンが種によってちがう反応
オタマジャクシに手足が生え、尾がなくなってカエルに変態するためには、甲状腺ホルモンが必要である。ところがイモリのオタマジャクシに甲状腺ホルモンを与えると、尾がなくならないまま親になる。甲状腺ホルモンを魚に注射すると、真水が好きになり、海から川に上ってくる。ヘビに注射すると脱皮し、鳥に与えると羽換わりする。まったく同じ甲状腺ホルモン(サイロキシン)という物質を与えているのに、動物の種によって反応がぜんぶちがうのである、
はじめのうちは、魚のような劣った動物のホルモンは低級であり、両生類・鳥類・哺乳類になるにつれて、ホルモンも高級な物質になるのだろうと考えられていた。安易な進化思想の影響であった。ところがこの例では、ホルモンはすべて同じ物質であり、同じ物質が種によってちがう作用をすることがわかった。これが意味しているのは、物質ではなく、主体の側に責任があるということである。こういうことを、近代の科学は無視してきたのではないだろうか。