ジム・トンプスンで中原昌也

kingfish.hatenablog.com
上記に続いて、今度はジム・トンプスンをつなげて中原昌也っぽくなるかなあという試み。以下囲んでないけれど「取るに足りない殺人」からの引用。

取るに足りない殺人

取るに足りない殺人

 今になって思えば、あんなふうにいつまでも考え込んだまま、あれ以上ことを進めなければよかった。だが、やってしまった。それはつまり、おれが馬鹿ではないという保証はないということだ。やってしまったのだから。
 無に等しい人間として生きるのがどんなことか。そんな人間が、なんとかまともな存在でありたいと願う気持ちがどんなものか。人に殴り倒されそうになって、パンツから飛び出すほどびびるのがどんなものか。そいつが殴りかかってくるのは、あんたが何かをしたからではなく、あんたには殴り返せないことがわかっているからなのだ。ただ、あんたが泣きわめくのが見たいから殴る。頭痛がするから、殴る。あんたの髪型が気に入らないから、殴る。
 考えれば考えるほど、おれには人には見えないものが見えかかっているという気がしてきた。そして、ちゃんと見えるようになるのには三か月かかった。
 不安ではなかった。あまり不安では。ちょっと気が滅入っていたのだと思う。この世のありとあらゆるお楽しみがおれを待っているというのに。
 次の日の午後、おれはすっかり憂鬱な気分になっていた。
 ウィートシティを出るときに、歩いている男を追い越した。むさ苦しい、疲れたようすの男で、一晩ゆっくり寝て、まともなものをしっかり食う必要がありそうだった。おれはそいつのために車をとめようとした。ところが、男が車に追いつきそうになったところで、アクセルを踏み込んで走ってきてしまった。
 最近暗い気分になることが多いのはなぜなのか、急にその理由がわかった。自分がこの先たいしたものになれないと悟ってしまったからだ。自分が人より劣った存在だとわかったから。
 あるとき、文学同好会の集まりに参加したことがあった。その日はある女流詩人について話し合った。その女性が書いた詩は、ちっとも詩のようには見えなかった。何のようにも見えなかった。ただ言葉が並んでいるだけで、何を言っているのかさっぱりわからなかった。しかも、同じことを何度も何度もくり返していた。
 だけど、その女性が何を目指しているのかがわかると、急に理解できるようになった。彼女はあらゆることについて、いっぺんに語ろうとしていたのだ。もちろん、特にあるひとつの事柄について語ってはいるのだけれど、それに少しでも関係のあることを片っ端から混ぜ込んでしまっているのだ。そして何が一番大事かわかっているという顔をせずに、全部そこに並べて、読む者に勝手に選べと言っていた。
 おれも同じようにしようと思う。
 ラジオにもニュース映画にも新聞にも、いっぱい出てくる。車にひかれたり、爆発にやられたり、溺れたり、窒息したり、飢えたり、リンチされたりで死んだやつらのことが。安楽死に、絞首刑、電気椅子、自殺。生きていたくないやつらがいる。殺したほうがいいやつらがいる。死んだほうがましなやつらがいる。
 突然気がついた。信頼できる、働き者の人間というのは、例外なく一生いい目を見ることのない連中だ。ひどい話だが、それが事実だ。どうしてこうなんだろうと思った。
 なんでだろう?あれだけの数がいるのだから、団結して、自分たちで世の中を仕切ればいいだろうに。そこでおれは決心した。もし連中が組織を作るなら絶対に自分もそれに加わるぞ!
 おれたちが通ると、誰もが立ちあがった。道端や、車のステップや、トラックの荷台の上で。そして、頭を垂れた。ひどく奇妙な気がした。まるで最後の審判の日が来たみたいだった。ありとあらゆる場所から引っ張り出されてきて、そうしてトランペットが吹き鳴らされるのを待っているようだった。なんだか気味が悪かった。
 特にひとりの女をよくおぼえている.その女はトラックの荷台に、ぎゃあぎゃあ泣きわめく、ぶくぶく太った赤ん坊ふたりを、両腕にかかえて立っていた、女と同じくらいの大きさに見える赤ん坊だった。
 彼女を見ることはできなかった。わざわざ二度見ることはけっしてしないだろうという女がいるとすれば、彼女がそれだった。今もそうかもしれない。
 牧師が説教を始めた。羊の血で洗われるだの、人間は死んだあとのほうが生きているときよりもいい思いができるんだとかいうくだらないご託だ。それも、いかにも深遠なことがらを説いているみたいな顔をしてしゃべりやがった。
 この世には、あまりにお粗末で、ぞんざいで、思い切り怒鳴りつけて、そんなものやめちまえなんて言ったら、こっちが悪者になってしまうんじゃないかと言いたくなることがあるじゃないか。無名戦士の墓で行なわれた儀式のニュース映画を見て、おれはそんな気分になったことがある。
 何かが見えたようだった。つまり、それが何かが見てとれそうになった。それはとても恐ろしく、おれは胃がひっくり返りそうになり、頭の皮がびくついた。
 まさに地獄じゃないか。人殺しまでして、それで結局何もならないとしたら。