敗戦トラウマ処理法

敗戦国として分析されているのはアメリカ南部、フランス、ドイツなのだが、まるでジャパンの話のようじゃあーりませんか。

敗北の文化―敗戦トラウマ・回復・再生 (叢書ウニベルシタス)

敗北の文化―敗戦トラウマ・回復・再生 (叢書ウニベルシタス)

 

沈鬱から陶酔へ

ナショナリズムの時代にあっては、戦勝国の人々は歓喜の陶酔に陥り、敗戦国の側では極度の沈鬱状態が出現するのは明らかである。ただ、驚くべきなのは、敗戦の沈鬱がしばしば短期間しか続かず、奇妙な陶酔感に逆転することである。この原因はふつう軍事的破局に続いて起こる国内の革命状態である。旧体制の廃絶と敗戦の責任を負う殯罪の山羊への転落は、一種独特の勝利として体験される。抵抗が民衆的であればあるほど、また、新政権の指導者がカリスマ的であればあるほど、この体験は説得力をもつ。このとき、かつての敵はもはや敵ではなく、ほどんど同盟者であって、その支援によって旧体制の権力者と暴君は追放されたのである。人類博愛の精神に満たされて、大衆は自信をもって将来を見つめる。

夢から醒めて

 「勝利者は我々を専制主義から解放してくれた。それには感謝しているが、そろそろ去ってくれていい」。これが〈夢の国〉状態の支配的な見解であろう。戦勝国がこの役割では満足せず、国民を無実の犠牲者としてではなく、戦争の責任者、賠償義務のある主体として扱うとき、この雰囲気は一転する。暫定的に和解していた敵愾心が、戦争勃発時と変らぬ姿で、あるいはまたもや欺かれたという感情によって強化されて現れてくるのだ。というのも、〈夢の国〉状態では破局の現実的状況についての記憶が薄れ、〈紳士協定〉の枠内で敵の騎士道精神を信頼して自発的に停戦したのだという自己暗示的な確信が生じるからである。アメリカのウィルソン大統領を誠実な仲介者とみなした1918年のドイツにおける〈ウィルソン神話〉はその顕著な例である。

オマエに負けたわけじゃない

 同盟戦争での敗戦国にとって、〈報復〉という選択肢がない場合、それとは別の心理的補償の可能性が開かれている。敗戦国は、勝利した連合軍側の最強国と同等の国であると考えるのである。敗戦国はそれによってふたつのことを達成する。連合軍の他の国を漁夫の利を得た者として矮小化し、本来の戦勝国の食卓に招かれた会食者という扱いしかしないのである。もうひとつには、力の序列において主戦勝国に次ぐ地位、少なくとも他国よりは上位の地位を確保するのである。

敗北は再生のチャンス

 最初の衝撃が過ぎ去り、敗戦が国家の破滅ではないことが判明すると、こんどは解放、救済として解釈されるようになる。そのときになって、敗戦はその未来指向的な、ほとんど使命的ともいえる側面を見せ始める。〈夢の国〉状態にある敗者は、以前の罪深い生活を回想する回心者のように、敗北によって解放されたかつての世界をこき下ろすのである。セダン後のフランスにおいては、「全身麻痺」「20年の嗜眠」「帝国が我々を引きずり込んだ中国的惰眠状態」といった言葉が語られ、退廃と思考停止から国民を覚醒させるためには、クルップの大砲を必要としたとも言われた。アメリカ南部の戦前の状況を表すのに、ウィリアム・ジルモア・シムズは〈泡と滓〉という比喩を用いた。それを拭い去るのに戦争と敗北が必要だったというのだ。(略)
 戦争が残した遺産のうち、もっとも重要なものは、このすべてを浄化し、再生させる力というイメージである。

敗者は道徳的権威を目指す

1871年以後のフランスは帝政とはきっぱり縁を切り、人間性と文明を防衛する稜堡を自認するようになる。文明化した全世界を危険に晒す「科学的野蛮国」ドイツに対抗する稜堡である。ヴィルヘルム帝政の過ちを糾弾したドイツは三重の任務を買ってでた。ロシア・ボルシェヴィズムの奔流に対抗する保塁、アメリカの商業主義に対する稜堡、植民地世界にとっての解放者の三つである。つまりは、資本主義と共産主義の間を進む第三の道の先導者である。
 この三つの文化が追い求めたものは、道徳的権威だった。これこそ、勝者も含めて世界が必要としていたものであり、しかも敗者のみが手にすることができる権威なのだ。なぜなら、敗者のみが受難を経験し、地上のあらゆる力関係の彼岸におかれていたからである。しかし(略)現実の世界は、どんなに情熱的な敗者道徳家であっても認めざるをえないように、勝者によって規定されていた

勝者から学ぶ

 よく知られているように、1917年のアメリカの参戦によって、世界大戦は世界十字軍となった。これほど知られていない事実は、国際政治にこの転回点をもたらしたふたりの男がアメリカ南部出身であり、8歳もしくは10歳のときに南部連合国の崩壊を体験したことである。ウッドロウ・ウィルソンは、国際政治に道徳を持ち込んだ人物として知られるが、南北戦争後のアメリカで大統領に選出された最初の南部人だった。ウォールター・H・ペイジは(略)第一次大戦アメリカを参戦させる駆動力となった
(略)
アメリカにとって、1917年の(リベラル・民主的)協商国側にたっての参戦は悪(ドイツ軍国主義)に対抗する正義の参戦であり、それは北部連邦と人類に対して大罪を犯した南部に対するリンカーンによる十字軍の再演だった。中欧の軍事君主国を廃絶するというウィルソンの要求は、奴隷制の廃絶を要求する〈廃絶主義〉の繰り返しにほかならない。

南北戦争

[降伏後]南部人は四年間にわたってあれほど激しく戦ってきた独立と奴隷制度を、ほとんど文句もいわずさっさと放棄した。その代わりに、彼らは戦争勃発前の状態への回復を期待したのである。それゆえに、北部にはそのつもりがないばかりか、逆に南部に過大な要求をしてきたとき、南部人の困惑は大きく、不公正な処遇に対する怒りは激しかった。北部が「再建」というとき、それは南部の物質的な建て直しではなくて、敗者の文化的教化と道徳的再教育と政治的屈従を意味していることが明らかになったからだ。

卑怯な敵

 敗北は公正な戦闘の結果ではないという負けた側の確信は、とりわけ征服された南部連合で表明された。南北戦争前の年月に結晶化された自己認識によれば、卑劣極まりない物質的北部に南部が敗北したことは不可解だった。何と言っても、南部の優越性は輝かしく確固たるもので、戦争初期の軍事的勝利において敵ですら認めていたほどだったのだ。最終的に戦争に負けたのだとしても、原因は軍ではありえなかった。北部が南部に対して行ったことは、戦争などではなかった。(略)
 「我々の兵士を戦場で打ち負かせないので、彼らはこんなやり方で暴れ回るほかないのだ」と日記作家のエマ・ル・コントはシャーマン軍によるサウスカロライナのコロンビア炎上について書いた。南部の全体が連邦軍焦土作戦と封鎖による餓死作戦に見舞われた。「彼らは我々の兵士を打ち負かせないのだ。だから彼らは焼き尽くし、我々の女や子供を餓死させるのだ」

明日につづく。