歴史哲学についての(ry

第四章だけ読んだ。あまり面白くないので息抜き画像を付けてみた。

歴史哲学についての異端的論考

歴史哲学についての異端的論考

ナポレオン戦争

[ヨーロッパの]物理的力の最初の衝撃的な現れは、ヨーロッパの中心たるフランスの普遍的な意義を世俗的・合理的な新しい基礎の上に実現しようと努める革命的なナポレオン戦争であり、フランスは、ローマ帝国の実体のない最後の残余形態を今や消滅させる。大陸のヨーロッパとイギリスは、あからさまにロシアの力に頼らなければ自らを守ることができず、ロシアの力は長い間ヨーロッパの諸問題の裁定官になり、ヨーロッパの権力システムの提案者になり、ヨーロッパの葛藤と失敗から最も大きな利益を引き出す要因になる。


[主婦コントを終え素に戻り、他人のコントを温かく見守っているところを抜かれた椿鬼奴]

民族主義運動

 世界に吹き荒れて革命をもたらし、革命後のナポレオン戦争をもたらした突風の後で、ヨーロッパはまず帝国主義的なロシアの圧力のもとで、信用を落として誰にも信じられなくなった「正統性」に戻る。フランスの専制政治に対抗して、地方の伝統の分権主義と諸民族の自発性に訴えねばならなかったので、この不誠実な回帰は、民族運動、民族主義運動という標語のもとに括られる、新しくて雑多で部分的に非常に混沌とした出来事の始まりを記すことになった。ずっと前に中央集権化されて、言語的に統一された国家的集合体の存在するヨーロッパの西では、この運動はごく自然に、産業革命が企業と投機の国家的擁護を事実上要するという必要性と結びついて、国家はブルジョア的資本主義の影響下に入る。中欧と中東欧は、自分たちにとって模範となるこの発展を、羨望の眼差しで見守った。

 一方では革命とナポレオン時代に関して、他方ではロシアに関して、当時ヨーロッパのジャーナリズムは、「世界的強国」・「世界的国家システム」という概念を発展させた。他方、ロシアの帝国主義的姿勢を西の影響でぐらつかせようとする初期の試みに対してその姿勢をうまく守るロシアは、ビザンチン帝国主義キリスト教から継承した自らの政治的カテゴリーを、斜陽のヨーロッパ、分解するヨーロッパからの遺産という思想へと、ますますはっきりと発展させた。その思想は、その概念に合うヨーロッパ的要素を集めて、十九世紀全体にわたって維持される。


[エミコがナレーションじゃなければ二割増し楽しくなると思われる朝ドラの番宣で子役の話をきく、「はっ、あたし浜ちゃんと司会もやってるのに、地方アナにされて外ロケで天気情報とかやされてるぅ」とブーメラン君状態の杉浦友紀]

先鋭化する地方分権主義

こうして、十九世紀ヨーロッパでは、まさに問題が解決されると見えるところで、政治的危機が深まったのである。即ち、ドイツ問題、イタリア問題である。それらの解決はヨーロッパを安定させる代わりに、実際にはその地方分権主義を先鋭化させ、それを狭いヨーロッパの空間において致命的なものとした。社会的危機もまた時代の進展と共に先鋭化し、必要不可欠な工事従事者プロレタリアートが自らの要求をますます強く提示するようになる。まさにこの瞬間に提起されて、ある者たちには世界政策的な政治的洞察の頂点と見なされた「打開策」――即ちヨーロッパの諸問題を世界規模にし、ヨーロッパの分割を世界の分割に投影すること――は、今まで潜在的なものだった敵対を白日の下にさらしただけで、全世界の資源をヨーロッパの競争の致命的に危険な企てに委ねざるをえなかった。しかも、非ヨーロッパ世界が、同時代の大衆のヨーロッパ、普通選挙権と官僚化された巨大な政党のヨーロッパから、自らの政治的重みを増してヨーロッパに対抗して自分の足で立つ術を学びうることを意識し始めた瞬間にである。

ナポレオン戦争のような戦争はまだ革命の理念に根ざしており、そこに啓蒙主義が特別な、軍事的に技術化された形態において反映していた。そして、啓蒙主義はその時代において世界の共通の理念的財産と確信であり、ここには、理性が世界を支配するという肯定的な理念があった。それは、西のキリスト教世界における分裂を決定的に解決しなければならないということが三十年戦争における共通の確信であったのと同様であり(略)
第一次世界大戦の背景にあった共通の理念は、世界と事物の即物的で客観的な意味のようなものは何も存在しないという、また、人の近づきうる領域においてそのような意味を実現することは力と権力の問題だという、次第に芽を出して来た確信であった。