手塚vs宮崎、どっちがディズニー

手塚がアニメ界の労働環境を劣悪にし、アニメを紙芝居化した、という定説を著者は打ち砕こうとするのですが、弁護しようとして逆に手塚のキラーぶりを露にしているところも。

アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質

アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質

手塚のアンチ・ディズニー論

ディズニー信者手塚が低コストを正当化するために唱えた1960年のアンチ・ディズニー論

 「ディズニーみたいになりたいとは、マンガ家ならだれでも思うでしょう。しかし、ぼくは仕事の方向としては、ディズニーを目標にしていません。ディズニーとは目標が違います。ディズニーの作品は、一言にして言えば、絵ばなしです。文学で言えば、あまりに児童文学的です。ぼくは、ディズニーを足場にして、内容的にもう一歩越す自信がある」
 「ディズニーは、小さな作品にも一本七億円から八億円の製作費をかけています。東映でも三、四千万円かけます。製作に参加する人員だって、三百人くらいです。ぼくには、とてもそんな余裕はない。しかし、ぼくは、マルチプレン・カメラのような大仰な撮影機械を使わなくても、十人くらいの助手とともに、独特な作品を作る自信があります。ディズニーは、マルチプレン・カメラを発明しました。これは立体感を出すための重層撮影台ですが、ディズニーがなぜこれを使ったかと言えば、彼のアイデアには、本来、構成が欠けていたからです。長篇になるだけの構成がなかった。したがって、その内容の稀薄さをカバーするために、撮影技術で工夫した」
 「ぼくは、演出コンテとシナリオに、まず全力をあげます。つまり、実際の映画撮影以前に完全に力点をおくわけです。これは、ぼくの頭でやるのだから、金はいりません。ことわっておきますが、ぼくがディズニーを越す自信というのは、内容の点であって、企業としてではありませんよ」

アニメーションは本来からいうと誰でもつくれるもんではないかと思うんです。ところがこれだけの枚数と、これだけの規模と、これだけのお金がかかって、やっとこういうものができるんだぞという見本みたいなものをディズニーはつくってしまって、それが一つの先入観ていうか既成事実になってしまったために、それからのアニメーションはみんなディズニーのまねをして、ものすごくお金をかけて、時間をかけて、人数をたくさん集めてつくらなければアニメーションじゃないというような風潮になってしまった。東映もそのてつを踏んでいるわけです。確かにできあがったものはよく動いとります。確かにマンガ映画という感じはするんですけど、私自身はアニメーションというのは本来素人が機会さえあればつくれるもんじゃないかという気がしてました。もっとアニメーションの枚数を減らして、人数も減らして、徹底的にディズニーを忘れ去って簡単に作る方法を探ろうとして、そして虫プロダクションというものをつくったんです。

東映で四年やって虫プロに移った杉井ギサブロー

「一枚の絵で三秒間止めるとか、ぼく個人は、申し訳ないけど最初はバカにしていたんですよ。でも、実際に音が入った映像を見た時に、ぼくはもうその時にフルアニメーションを捨てたというか、こっちの新鮮昧の方がいいなと思いましたね。東映動画ではリアリズムで動きを表現することをやって、自分もそういうものだと信じていたんですが、動きを『創る』ということの新鮮昧に驚いたわけです。これからは、東映系のアニメじゃなくて、コミックを軸にした娯楽が、『アトム』を軸にして広がっていくだろうという予感が生まれました。ばくなりの言い方をすれば、『アトム』は映像娯楽の新種です」

公称55万円、実際は155万円

格安にした分の赤字は手塚のマンガ収入で埋めていたというのが通説だったが、公称55万円、実際は155万円とってた。そうなると55万円という数字を盾に買い叩かれてた他のアニメ会社はいい迷惑。

[代理店・萬年社は(虫プロからのアトム買取料+テレビ局からの放送枠買い取り料)をスポンサーに請求]
テレビアニメ制作費に関する認識が不十分で、かつスポンサーがどの程度出資できるかという算段がなかった段階での萬年社は、虫プロヘ30万円という数値を提示せざるを得なかった。さすがにこれは安すぎるということで手塚は拒否し、次にスポンサーとの協議で得られた120万円が提示された。本来ならこれで決着するはずだったが、120万円の根拠である「当時の少年向け実写ドラマ制作費の二倍」を知った手塚は、「それならば二倍の額ではなく55万円でやれる」と言ってしまった。その後、その交渉の場面に立ち会っていた虫プロのプロデューサー今井義章や(略)萬年社の穴見薫らが再度スポンサーと交渉し、虫プロヘ155万円が支払える程度の条件を得て、手塚には55万円で契約していると言いつつ実際には155万円が虫プロヘ支払われていた

虫プロ営業の説明

「穴見さんが萬年社から虫プロヘ移籍して、今度は穴見さんが萬年社と値上げ交渉をするわけです。手塚さんには最初「55万円で」と言っていたのが、実際の「155万円」であることを報告したのはおそらく2クール放映後(半年後)くらいだったと思いますが、もちろん、経理上は最初から155万円で処理していました。その後も値上げを交渉をしていって、『アトム』は放映された四年間で、最終的には一本300万円を超えるまでにはなったと思います。当時は、白黒作品で300万円くらい、『ジャングル大帝』のようなカラー作品だと500〜600万円でやっていたと思います。私が担当した『バンパイヤ』は白黒ですが、一本350万円でやったんですよ」

杉井ギサブロー

[アトムによってアニメは]ビジネスとして成立するようになったんです。ですから、極論すれば、手塚さんの仕事を批判している宮崎駿さんが今も仕事を出来ているのは、『アトム』があったからですよ。

 「宮崎さんは、やはりディズニーを手本にして作品づくりを積み重ねていった東映動画の伝統を受け継ぐ「王道」にのっとっているんです。一方で、りんちゃん(りんたろう)や出崎さんもそうだし、私もそうだが、アニメーションを作っているというよりも、「アニメーションという手法を使って映画を作っている」という前提で作品づくりをやってきたわけです」

 逆に、ディズニーに近い形で、日本のディズニーになれたのは、やっぱり宮崎駿さんでね。それは、手法、ターゲット、アニメーションの質、そして制作システム、つまりアニメーションの王道の上に立って、ファンタジーを作るという意味で、宮崎さんはディズニーに近い。まさに、東映動画社長の大川さんのやろうとしたことを一番継いでいるのは、宮崎さんです。
(略)
 それから、手塚さんはテレビアニメを作って周りからいろいろ言われても、言い返さなかったと思います。やっぱり自分でもボロボロだと思っていたんです。そこがわかんないところで、漫画家としてはプライドがあるけど、その漫画家が、システムを省力化することで『アトム』という『映像娯楽の新種』を作ったじゃないですか。その大変さ、すごさを、手塚さんご自身がよくわかっていなかったんじゃないでしょうか。我々の方が直感的にわかっていて、アニメーションヘの考え方を変えたような感覚があったんですが、手塚さんはフルアニメーションが頭にありますから。

手塚怒りのアンケート

どちらかにマルをつけてください
1.虫プロは、これからも、実験作品をつくるのを目的にしていく。
2.金儲けのプロダクションにする。

そのわけは

 「当時の虫プロは、社員数が膨らんで、事業として成立するか否かギリギリのところでした。それで、ヤバイんじゃないかという話になって、虫プロを事業としてしっかりさせるために、手塚作品だけじゃなくて、他の漫画家の作品もアニメ化して、ディズニー・プロのように事業としてしっかりさせようというグループと、そうではないグループとがあったんです。しっかりさせようというグループは、穴見さんとか、その教えを受けたプロデューサーたちで、後に彼らは、いつも火曜日に会議をやっていたので『火曜会』というのを起こしていました。この火曜会が、だいたい反手塚派だったんです。(略)
そういう動きが起こり始める中で、手塚さんにも葛藤があって、それでアンケートをやったんでしょう。
 ところが、そういう葛藤が全部書いてあれば、アンケートに答えるほうもそれなりに判断できたんですが、『あなたは、今のやり方がいいですか悪いですか』みたいな書き方だから、それは『いいに決まっている』ということで、実験作品を制作する作家集団という手塚方針は、圧倒的多数で否定されてしまったんです。これには『ぼくもスタジオを持っている意味がない』と手塚さんは悟って、社長を降りて、川畑さんに代わる布石になったんです」

テレビアニメを独占したくて狂気攻撃

手塚は『アトム』制作費を極端に安価とした理由として、テレビアニメを独占したいという欲求があったと自伝で述べていたが、これは本音だったようである。当時、虫プロに所属していたあるスタッフによると、『アトム』が放映開始された年の夏、手塚は虫プロの誰にも相談せず、TBSへ 『アトム』放映権を移譲しようと持ちかけたという。(略)
そんな行動に出た理由は、当時TBSが放映を予定していた『鉄人28号』に対抗して、『アトム』の放映権を移譲する代わりに、『鉄人28号』の放映を中止させようとしたのだというのである。横山光輝に強い対抗意識を持っていた手塚ならではのエピソードとも言えようが、尋常性を全く欠く暴挙であり、この手塚の動きを察知した虫プロスタッフが寸前のところで手塚を引き戻したようである。

虫プロとは

共同制作(アトム他)による利益でスタッフが個人制作の実験アニメをつくる「作家集団」というのが手塚の趣旨だったが

 手塚以外のスタッフが個人制作に向かうことはなく、また個人制作における「実験アニメーション」という概念についても、手塚の実験アニメーションに対する考え方と他のスタッフのそれとでは、大きな差異があったためである。
 一方で、共同作業としての作品で、しかも商業作品として取り組んだ『鉄腕アトム』が巨大な金の動きを生み、その利権にあずかることを目的とした勢力の暗躍をも生んだこと、そしてそのことに虫プロが翻弄され、四百人を超えるスタッフを抱えてからは、当初意図した組織としての一体感を維持することは、全く不可能となってしまった。

 そして「週刊文春」は、手塚が実験アニメーション『展覧会の絵』を制作すると、「そんなアニメをつくるくらいなら、ボーナスをふやせ」と社員や経営スタッフから迫られる手塚の置かれていた状況を報じている。

痔ブリの利権に群がってるのは、誰だあぁ!
手塚の独占狂気が生んだ「毎週30分アニメ」という形態だけは、損さんダンピングによるADSL&ネット普及と一緒で、功の方が大ということで。
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