自分の体で実験したい

自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

 

92度の高温に耐える

「唯一残った温度計の水銀は92度を示していた。ほかの温度計はあまりの暑さで象牙の枠がゆがみ、みな壊れてしまっていた」
 男たちは92度の部屋に10分間留まった。息を吸いこむたびに、熱い空気で鼻孔が焼けるようだ。服は着ていたものの顔はむきだしで、足を覆うものといえば薄いタイツー枚である。
 「顔と足が焦げる気がして、それが何より心配だった。とくに足はつらくてたまらなかった」とブラグデンは報告書に記している。
 金属でできた物はどれも熱くなりすぎて、触れることができなかった。時計の鎖でさえ例外ではない。体に力が入らず、手が震える。ブラグデンもめまいに襲われ、頭のなかで雑音がした。やっとの思いで自分の体温を計ると、36.7度しかない。部屋の温度よりじつに55度も低いのだ! ならばと、手で自分の皮膚を触ってみた。
 「横腹に触ると、死体のように冷たかった」とブラグデンは書いている。もちろん、彼の体はもっと温かかったのだが、部屋のなかがオーブンのように熱いため、冷たく思えたのだ。
 彼らはまた、自分たちの吐く息が部屋の空気よりも冷たいのに気づいた。温度計の水銀に息を吹きかけると、目盛が下がる。指に息を吹きかけて冷やすことも、鼻から息を吐きだして鼻孔を冷やすこともできた。

127度の部屋でステーキ

室温は104度、113度、127度と上っていく。温度計が狂っていないことを確かめるため、また熱がどれほど強烈かを示すために、室内に生のステーキ肉と生卵を置いてみた。卵が固く焼けるまでに約20分。ステーキ肉は33分で焼けすぎの状態になる。もう一枚の肉に、ふいごで部屋の空気を吹きつけてみたところ、その肉ははるかに早く、13分で焼けた。びんのなかのワインは沸騰し、一滴残らず蒸発する。(略)
 最後にチャールズ・ブラグデンが服を着たまま、これまでで最高の127度近い温度に挑戦した。
 ブラグデンはその7分後にこう書いている。「不安になるほどの圧迫感を肺に覚える。それが1分もたたないうちにしだいに強まっていったので、実験を終わらせるのが何より賢明であると考え、ただちに部屋を出た」
 部屋から逃れたブラグデンの心拍数を計ると、普段の二倍以上になっていた。それなのに、実験した男たちの体温は37度を超えることがない。

空気バカ二代。

危険な空気を吸いつづけた親子。

一酸化炭素、塩素ガス、etc.
海軍から潜水実験を依頼された息子。

どういう実験をしたかというと、金属製で円筒形の加圧室のなかに二人が座り、そこにいろいろな種類の気体をポンプで送りこむ。気圧は10気圧にまで上げられた。
(略)
加圧室のなかで肩を動かすと、骨の折れるような大きな音がした。自分の唇が妙に柔らかく感じられた。
 「10気圧になると非常におかしな気分になる」とジャックは語っている。「空気が濃いので、手を動かすとかなりの抵抗を感じる。自分の声も変なふうに響く。まるでヤンキーなまりのまねをして、しかもそれを大げさにやりすぎているように聞こえるのだ」
 実験の過程でジャックは、誤って酸素の量を増やしすぎてけいれんを起こすこともあった。たびたび鼻血が出たので、同僚は血のついた脱脂綿が落ちているのをたどっていけば彼の居所がわかるくらいだった。歯の詰め物はゆるくなり、死んだ歯が一本抜けおちる。
(略)
ジャックはあるアメリカ企業から、ヘリウムと酸素の混合ガスを勧められた。試してみると、ヘリウムが脊髄のなかで気泡を作り、両肩、尻、両足に激しい痛みが起きた。彼はその後も一生、硬い椅子に座るたびにこの痛みを感じることになる。

地上最速の男

ジョン・ポール・スタップは、時速約1017キロという新記録によって「地上最速の男」となった。45口径の銃の弾丸より速く進み、停止時に受けた衝撃は、死者を出すほどの飛行機墜落事故より激しい。(略)
 1954年の12月のこの日、チームはスタップをスレッドから外そうとして愕然とする。あまりにも様子がおかしかったのだ。メンバーのひとりがスタップの顔の前で指を振ったが、スタップは気づかない。すさまじい急停止の衝撃で、目が見えなくなってしまったのである。
(略)
 のちにスタップは、ロケットスレッドが急停止したときの苦痛について、「両目が頭からひき抜かれるような感じがした。奥歯を抜かれるときの感覚に似ている」と書いている。(略)
失明はまぬがれそうである。「私の両目のまわりには、いまだかつてだれももったことがないほど美しいあざがある」とのちに彼は記してしる。その「あざ」は、スレッドの急停止のせいで眼球が前方に激しく押されてできた。

NASAの実験で、

131日間、洞窟にこもった女

 フォリーニの睡眠・覚醒サイクルは前にも増して不規則になっていく。ときには30時間くらい続けて起きていたりした。(略)
 しだいに時間の経過を判断するのが難しくなった。14時間眠っても、2時間うたた寝しただけのような気がする。オバーブ記者がコンピュータ経由で七時間半インタビューしたときも、彼女は一時間だと思っていた。
(略)
「一日」が長くなると、三度の食事の間隔も長くなり、フォリー二の体重は減りはじめた。自分でも気づいてはいたが、以前より食べる量が少ないせいだと思っていたらしい。実験が終わる頃には体重が11キロも減って、わずか40キロほどになっていた。生理も止まった。
(略)
懸命に集中しないと検査ができなくなり、物事もなかなか思いだせなくなった。
彼女は記者のオバーグに、「一時間前にしたことか一ヶ月前にしたことかがわからなくなる」と打ち明けている。

最後はキュリー夫人でお別れ

 まわりに置かれた試験管やビーカーのなかで、ラジウムが不気味な緑青色の光を発していた。今までに見たことのあるどんな青とも違う。その放射線の光が、彼らの恍惚とした顔を照らし、マリーの灰色の瞳のなかできらめく。ラジウムによる傷痕の残る手で、ピエールは妻の淡い金髪を誇らしげになでた。青い死の光が輝いたこの夜、ラジウムがついに姿を現したのである。
(略)
ビエール同様、彼女の両手にはラジウム「やけど」の痕が残り、指は干しモモのようにしわだらけである。

 ほぼ100年前のマリー直筆の研究ノートには、時間、量、温度、実験結果が詳細に書きつづられている。ノートは現在、パリのフランス国立図書館に保管されていて、希望すれば読むこともできる。ただし、ノートからは今も微量の放射線が出ているため、そのせいでダメージを受けても図書館を訴えないという誓約書にサインしないと閲覧はできない。