レイ・チャールズ自伝

子供時代の話が素敵。ママの教え通り自立する男、RC。バイクも車もひとりで運転。

わが心のジョージア レイチャールズ物語

わが心のジョージア レイチャールズ物語

ママ

ママは珍しい人間だった。まず涙を見せることはなく、実に厳しい人だった。彼女には「規律」というミドルネームをつけたいほどだ。規律が愛の一種であることを教えてくれ、それは今でも私の信条になっている。

 ママの髪は猫の毛のように柔らかかった。お尻のあたりまで長く伸びていて、つやつやしていた。私の記憶に焼き付けられているいちばんかわいいママの姿は深い黒髪で、それは柔らかくてヴェルヴェットのような手触りだった。私はその髪をなでたり、指をからませるのが大好きだった。今まで、ママのほど滑らかな髪を触ったことはない。

弟。南部の光景。

私たちふたりは自由奔放に生きていた。森を駆け、川に向かって石投げをしたものだ。ブラックベリーを摘んでいると決まってママが「ガラガラ蛇に頭を噛まれる前に、早くベリー畑から出てきなさい」と叫ぶので、いつも大笑いした。
 ピーカン、タイワンセンダ、松の木、豚や牛、鶏などの姿・形を私は今でもはっきりと覚えている。豚の屠殺もよく覚えている。豚の耳を銃で撃ち、喉を切って血を抜いていた。後でそれを夕食として食べるのである。
 田舎では豚のどこも残すことなくすべてを食べる。耳、足、内蔵も皮も、鳴き声以外すべてだ。それから首の骨、殻、コラード、たまねぎ汁をまぶした米、厚くスライスしたハムを添えたキャベツ、甘い西瓜……私たちは貧しかったが、とにかくよく食べた。

ピアノを教えてくれたピットさんの店にあったジュークボックス

 ブギウギだよ!ジュークボックスにはブギウギの曲があふれていた。ピート・ジョンソン、ミード・ラックス・ルイス、アルバート・エイモンズらのレコードが入っていた。それから、タンパ・レッドやブラインド・ボーイ・フィリップス、ウォッシュボード・サムが歌うような卑猥なブルースや、カントリー・ブルースもあった。
 ブルースやブギウギも聴いていたが、もちろん、その当時のビッグバンドも聴いていた。ひとつ忘れてならないことは、ここはディープ・サウスということだ。ラジオからは、朝から晩までヒルビリーが流れていた。

ルイ・ジョーダン、ビッグ・ジョー・ターナー、アースキン・ホーキンス、ティニー・ブラッドショー、マディー・ウォーターズ、ラッキー・ミリンダー、アール・ハインズ、そしてナット・コール。

母と離れ独り盲学校。そして眼球摘出。

 このころは私にとって辛い時期だったが、助けを求めて神に祈った記憶はない。それは私の流儀ではない。失明していく時、私は神にすがることはなかった。その時もまた現在でも、私の失明という現象は神に関わりのあることだとは思えなかったのだ。人生の初期から、私は超自然的な力に頼るより、自分自身を頼った方がよいということを学び始めていた。

南部の女

 そのころ、たとえ銃をもっていても女をすぐに抱くことなどできなかった。決してできない。やらせてくれる時しか、できないのだ。もちろん男が女に対して威張り散らすなんてことももっての外だった。当時の女たちは、重労働に慣れていた。彼女たちがやらせてくれなければ、何かどう転ぼうと絶対にできなかった。

童貞喪失

たぶん12歳か13歳だと思う、童貞を失った。記憶を振り絞るとおそらくタラハシーでの夏休みのことだったと思う。クラブで演奏していた時のことだ。(略)
 私のライヴを気に入ってくれた女の子がいた。彼女は店でぶらぶらしていて、真夜中過ぎ、ステージの方にやってきた。(略)
 夜も更け、とても眠かったが、彼女の「遊びたい?」というひと言で一気に目が覚めた。
 もちろん、遊びたいよ。間違いない。私に声がかかった? 心底、遊びたいさ。ようこそ、ハニー!
 やっと私の時代が来たと思った。ためらってなんかいられない。彼女は私をガソリンスタンドのトイレに連れ込んだ。彼女はすでに濡れていて、死ぬほど愛されたがっていた。(略)
彼女が着ていたものをたくしあげ、壁に寄りかかって片足をその台座に乗せたシーンを思い出す。そしてやった。彼女は壁にのけぞり、私たちは立ったまま上下運動をした。
 彼女はものすごく気持ちよくしてくれた。気に入った。滑らかで、優しく、そして、燃えていた。全部想像していた通りだった。ついに大人たちがずっと話していたことの謎がとけたのだ。

突然もたらされた母の死

 「私はあなたとずっと一緒にいられるわけではないのよ」
 ママに何度この言葉を言われたことか。その言葉はママがいなくなるまでは、何も重みはなかった。
 「人生には表と裏があるのよ」
 これもよくママが言っていた言葉だ。幸福と苦悩、喜びと悲しみ。ものごとがうまくいっている時は用心した方がいい。トラブルと悲嘆がすぐそこまでやってきている。
 そう、ママはいつも私に注意していた。いつかママはいなくなるんだということを、何度も繰り返し私に言い聞かせていたのだ。いずれはひとりで生きていかなければならないことを私に教え込んでいた。
(略)
ひどい話だ、納得できない。クリスマス以来ママには会っていなかった。もう5月だ。「さよなら」を言うことさえできなかった。こんなことになるには、私は若すぎた。私は15歳で、彼女はまだ32歳だった。

PAで声を太く

10代にしても、20代のころでさえも私の歌声は軽かった。しかしこのフロリダ時代、私はPAシステムを使う芸当を覚えた。PAのおかげで声を太くすることができる。低音域と高音域を同時に拡げることによって、よく響く声にできたのだ。このおかげで、私の声はクリアであると同時に深みももった。

明日に続く。