kingfish.hatenablog.comでツイ借りちゃった。
62年生まれの著者が同世代の「40代初産」女性達に取材した本なんだけど、なにせ出て来る奴等がイタイ女ばかり、打鍵する指も震えるぜ。
- 作者: 新井容子
- 出版社/メーカー: 情報センター出版局
- 発売日: 2006/11/11
- メディア: 単行本
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- 第一の女
友人たちの生き方を「ふふーん」と横目で見ていた麻子は、自分は何か違うことをしてみたいと強く思った。たまたま短大の近くにあったインテリアコーディネーターの専門学校の説明会に行くと、「女性もこれからはキャリアを積んで」「今の日本は豊かになり、衣・食は足りている。これからは住の時代よ」との話を聞いた。麻子は素直に「いいなあ」と心が踊った。まさに時代の空気そのものだった。
キャリアアップと言うけれど、どれも物にならず。何か形になるまで結婚したくなかったけど26歳で結婚。
ちょうど結婚の1ヵ月前、麻子は派遣会社に登録をし、そこからの紹介で丸の内にある総合商社に勤めはじめていた。
「それで時代もバブリーだったでしょう。会社も景気がいいから、毎晩とは言わないけど、豪勢なごはんにおじさんたちが連れてってくれて、帰りはタクシー券をもらって、午前様。だからウチでは平日は2回くらいしか一緒に夕飯を食べていなかったと思う」そう、時代はバブルだったのだ。
自己啓発セミナーに通いつつ、結婚相手は社長の息子、でも外で年下と不倫、離婚、不倫相手とはすぐに駄目になって、待っていてくれる元夫にすがって、再婚。夫も私も傷ついた。
DEATHってよ、みなさん。こーゆー奴等がゴリランディの売上げ支えてるんだろうか。
麻子の閉塞感は日を追うごとに深みにはまっていった。罪の意識をねじ伏せて生きようとすればするほど不安はつのり、孤立感が高まってゆくようだった。そんなとき、麻子の感性のアンテナは不思議と心理学系ワークショップヘと向かった。今度は「声を出す」ワークショップ、「ヴォイスヒーリング」を見つけた。自分が本来もっている声を発声することで心が癒されるというものだった。(略)
あなたの魂はね、何も人を傷つけようと思ってやったことは何ひとつないのよ、と言われたんです。ただ無邪気に子どもみたいに自分の思いに従っただけなの。だからそんな罪悪感なんか感じることはないし、そんなふうに思っちゃダメよって言いました。あ、そうか。いいのか。じゃ、もうやめようと、そのときすごく思いましたね」
こういう奴等がオウムで好き放題した挙句被害者面してんだよな、死ねばいいのに。
- 第二の女
[33歳の時]美代子は妹から「私、実は結婚するから」と告白された。
4歳年下の妹だった。さすがに動揺は大きかった。「おめでとう」と表面は冷静に装ったものの、心の中は「なんでよ、なんでなの。妹のくせに悔しい!」と煮えくり返ってしまい、ワナワナと手が震えるのを感じたのだった。(略)
結婚式も、私、最後まで出ないって言ってたんです。最終的には出ました。最後は悔し涙で泣いたんです」
35歳リストラされてカナダへ。
いわゆる「リセット」の旅だった。
カナダは美代子にとって小学生の頃からの憧れの国だった。その彼の地で、日本でダメだった自分をリセットしたいと思った。何をやっても中途半端で終わり、転職を繰り返すものの定職にもつけず、キャリアアップしようにもできない。そういう自分、嫌なことを吹っ切りたかったのだ。
「右も左も分からないところに一人で行くわけです。だから自分に自信がつくんじゃないかなあ。そういう気持ちがありましたね。それに格闘家の彼にも、一人で海外に留学する自分を見せたかった。何にもできない自分だったけど。今は一人で海外に行っているんだ、そういうことができるんだって、カッコいいところ見せたかったんです。
(略)
が、いざ行ってみると想像以上に、いや、想像通り大勢の日本人が語学学校にいた。「結局、ついつい日本人と仲良くなっちゃって。日本語ばっかり話していたから、英語も上達せず(略)
とはいえ、日本の現実から離れ、異国の地で半年間暮らしたことは、美代子にとって充分心の洗濯となった。過去の自分に清算できた。そして、帰国する前日、
『明日から日本に帰って、また一からがんばらなくちゃ。今までのこと吹っ切って!』
と、日記に書くのだった。
40歳妊娠、結婚する気のない42歳の男を恫喝
「その彼は、結婚できない相手なの? 相談してみないとって、決めるのは、産むのは、あなたでしょう。相手がうんぬんじゃなくて、あなたが産みたいか産みたくないかでしょう!」
産婦人科の先生の言葉が、何度も何度も頭の中をかけ巡っていた。そう、産むのは自分だった。やっぱり、この小さな生命を殺すことはできない。病院でもらってきたエコーの写真を見ては自分の心を確認するのだった。
(略)
案の定、貴明は、美代子の「産む決心」を聞いて、困惑の表情を見せた。貴明の中には、さらさら結婚するつもりも、子どもを産むつもりもなかったのである。
「でも産むよ。産みたいんだもん。だって私には殺せないでしょう、コレッ!」
そう言って、美代子はエコーの写真を貴明に見せたのだった。
- 第三の女
「カチッ」と妊娠欲の加速スイッチw
37歳となった理沙もすでに「マル高」を過ぎていたが、やはり自分が「マル高」だという事実がまるでピンときていなかった。まして女性は加齢とともに妊娠する能力が低下するという現状を知る由もなかった。病院に行けばすぐにでも妊娠するものだと思っていた。(略)
そしてある日突然気づくのだ。「急がないとマズイ」かも。
「そうなるとちょっとほっとけない。それこそ思い立ったら吉日じゃないですけど、今やるしかないじゃない。そんな感じになりました。それが普通に50歳でも産めるのよと言われていたら、そこまでは思わなかったかもしれませんね」
何か「カチッ」と音がしたかのようだった。理沙の「子どもが欲しい」という気持ちに完全にスイッチが入った瞬間だった。
- 第五の女
35歳スッチー、ダメんず夫の仕事も軌道に乗りだし子作りを意識するも、突如、夫が離婚宣告。
夫のためにいろいろやってあげたじゃない。海外に行きたいと言えば、行かせてあげたじゃない。バイクが欲しいと言えば、買ってあげたじゃない。
「キミは仕事があって、友だちがたくさんいて、何でも恵まれていていいね。僕なんか根なし草みたいで。ずっとキミに引け目を感じていたよ。苦しかったよ。苦しくて、苦しくて・・・」
(略)
優子は夫に女がいるんじゃないかと疑った。夫を追いかけてゆき探したが、女の影は見つからなかった。本当に一人になりたかったのだ。
精子提供機械
「離婚して一番に思ったのは、子どもを産むチャンスがなくなったことですね。(略)
あんなチャラチャラしていい加減な夫だったけど、子どもを産むことはできたのですよ。私、本当に子どもが欲しかったんです。そろそろと思っていたから。だけど相手がいなくちゃ、産むに産めない。それにすごく絶望したんです」
あの頃の優子の夢、それは「子どもを産む」ことだった。
離婚二週間後に知り合った12歳年上の夫。39歳人工授精開始。
結局大変なのは、女の採卵ですよ。男は精液検査を繰り返しているようなものでしょう。採卵は痛かったです。本当に痛かったですね。お腹のなかに針を剌してグリグリするんですよ。それなのに、卵がたくさん採れなくて。それこそ20代の人は、十何個も採れるわけです。でも私は2個。多くても3個です。もうがっくりですよ。あんなに排卵を誘発する薬を注射しておきながら、たった2個しかできないかと思ったら、やっぱり私には無理なのかなあっと、ちょっと弱気になりましたね。
夫の前妻は4人の子どもを産み育てながらも、子どもと夫を置き去りにして、新たな生き方を選択し家を出て行った人だった。その前妻に対しても怒りが込み上げてきたのだった。なんで、子どもを捨てるような人が4人も子どもを産めたのよ。私は、こんなにがんばっているのに・・・。それじゃ、世の中、あまりにも不公平じゃないの。人生、すごく不公平だよ・・・。
- 第六の女
フェミ産婦人科医。女の先生に診てもらいたいと言われる事が不快。性別じゃなく腕で判断して欲しい。当然夫婦別姓w。
自ら希望して産婦人科医を選び、「子どもを産む」現場に身を置いたにもかかわらず、一個人としての自分には全く関係のないことだと感じている香世。幸せそうに見える夫婦の出産までも否定的に捉えていた。まさに、複雑な自己矛盾に陥っているようだった。
やはり多かれ少なかれ、学生時代に傾倒したフェミニズムの思想が影響しているのだろう。「女性は出産するものだ」ということに疑問をもつ考え方を形成してきた香世にとって、幸せそうに出産する夫婦はどこか自分とは「生きる目的」が違う、別の世界の人たちのように見えたのだろう。心の奥底では、「子どもを産むことが唯一の女の生き方ではないはずよ」「女は男の付属品ではないわ」「子どもを産むことを強要するような男では、一生やってゆけないわよ」などと訴えながら、日々、昼夜の別なくお産の場にいたのかもしれない。
下世話な本を引用してグッタリ消耗感。