思想としての<共和国>&人権産業

人権屋が大嫌いという人は最後の方から読んでください。

1989年イスラム・スカーフ事件の際に書かれたドブレのエッセー+日本人学者論考&対談ですが、ドブレのとこだけを。

デモクラットとか、共和主義者か

共和主義的政府はどうかといえば、たとえ自覚していなくても、人間を、よき判断をくだし仲間とともに討議するために生まれた、本質的に理性的な動物としてとらえているのだ。行為と言葉を一致させ、自分自身をしっかり所有することができる者が自由なのである。他方、デモクラシーという統治形態は、人間を工作し交換するために生まれた、本質的に生産的な動物と見なす。デモクラシーにおいては、財産を所有する者---起業家と土地所有者---こそが自由なのである。したがって、共和制においては、政治が経済に対して優位を保ち、デモクラシーにおいては、反対に、経済が政治を支配している。共和国においてもっとも優秀な人間は、司法・行政、あるいは討議空間としての政治の世界に進出する。ところが、デモクラシーにおける優秀な人材は、事業に励む。公共善への奉仕、すなわち公務員であることは、共和制において特別の威光を持っているが、これと同じ威光をデモクラシーにおいて保証しているのは、個人的な成功である。

共和制のもとでは、国家はあらゆる宗教的影響力から自由である。デモクラシーでは、逆に、教会が国家の影響力から自由なのである。「教会と国家の分離」という言い方は、フランスでは、教会は国家の前ではまるで存在しないかのように控えめにならなければならないという意昧であり、アメリカ合衆国では国家が教会の前で控えめにならなければならないということである。なぜこのような違いが生じるのか。プロテスタント文化圏(デモクラシーが多い地域だ)では、異論を唱えること、異論への権利が信仰の一部だった。宗教的精神が自由の精神とひとつになっていたからである。カトリックの地域では、反対に、教会が「真理」と「善」の永続的な所有者であったから、異論を唱える権利は教会から奪い取らなければならなかったのである。

市民のひとりひとりが他者の自由に責任を持たなければならない、ということは時には武器を取らなければならない場合があるということだが、そういうところではネーションが軍隊のなかにあり、かつまた軍隊がネーションのなかにある、死を前にした平等抜きの、法のもとでの市民の平等などにいったいどんな価値があるというのか。

スターや有力者たちのとてつもない給料がたまたま公表されてもデモクラシーに生きるー文無しは、ああそうかいと言って、肩をすくめるだけだ。事業が成功しただけのことだというのである。しかし、共和主義者はそういう事態を容認できない。はなはだしい贅沢が生み出す溝と特権の増大を非難することは、共和主義者にとっては、苦行者や古代スパルタ人を気取ることではない。貧しさはデモクラットの同情心をかき立てるが、共和主義者は心の底からの動揺を隠さない。前者はあらん限りの連帯---そして寄付---を欲するが、後者が要求するのは最小限の友愛と多くの法である。

あとがきに1989年発表のこのエッセーを理解し紹介したのは日本では樋口陽一「近代国民国家憲法構造」([https://kingfish.hatenablog.com/entry/20061006">10/06を見よ)と海老坂武だけとあったので、とりあえず近所の図書館にあった海老坂本を借りてきた。

思想の冬の時代に―「東欧」、「湾岸」そして民主主義

思想の冬の時代に―「東欧」、「湾岸」そして民主主義

  • 作者:海老坂 武
  • 発売日: 1992/12/11
  • メディア: ハードカバー

学校側がなぜ彼女を教室から追い出したかと言えば、日本の学校にみられるように、衣服についての校則違反などというくだらない理由によるのではない。(略)
フランス共和制は一貫して、学校教育からいかにして宗教(特にカトリック教会)の持つ影響力を排除するかに腐心してきた。(略)
こうした非宗教の学校教育を担ったのは小学校の教員である。ほとんどが庶民階級の出身である彼らは、教員養成のために設置された師範学校フランス革命の諸原理と共和制の美徳を頭にたたきこまれ、その使命感と献身とによって共和制の基盤をつくってきた。(略)
[映画『マルセルの夏』で教師の父が]学校に行くときにはスモーキングを着ていくことも、彼のステータスを物語っている。そして、俗界(非宗教界)のりーダーである彼は、宗教界の知的権威である村の司祭とは絶対に口を利こうとしないのである。
というわけで、非宗教性の原則を高く掲げる公立学校にとって、イスラム教徒のヴェールの着用は自己のアイデンティティを侵す許されぬ行為であった。

ドブレの考える共和制と民主制の相違

共和制とは民主制プラス何かである、と。すなわち、「自由プラス理性」「法治国家プラス正義」「寛容プラス意志」である、と。逆に言うなら、民主制とは<啓蒙の光>が消えたときに共和制からなお残っているもの」ということになる。

フランス革命二百年祭でも

スカーフ事件でも民主派が大勢を占めていた

しかしドブレはこの敗北に甘んじることを拒否する。共和制の理念が時代遅れの理念であることを認めはするが、過去に戻ることを怖れるな、と訴える。逆に時代の流れに身を任せて民主制へ横すべりしていくことこそ危険であると力説する。《公》が後退し《私》が優先されるとき、理念の前にイメージが先行するとき、大学で哲学が社会科学に取ってかわられるとき、フランス革命の解釈においてミシュレにかわってトックヴィルが持ちあげられるとき、国有化から民営化への流れが進行するとき、地域主義と《差異への権利》が前面に押し出されるとき、フランスがヨーロッパ共同体の中に統合されるとき、要するにフランス共和制が解体していくとき、そのあとにくるのは民主制が想定する《自由な個人》などというものではなく、宗教と金銭であり、僧識者と経済マフィアである、というのが彼の結論である。
ごらんのとおり、この文章は冷静な分析というよりも共和制擁護の熱烈なマニフェストである。(略)
ここで彼の説く共和制とは、《社会主義》の大崩壊の前夜に、かつてのマルクス主義者が死守しようとする最後のイデオロギー的防衛線と見えないこともない。しかし、ドブレ個人を離れ、68年以後のフランスの政治思想のコンテクストの中で考えるなら、むしろこう言うべきであろう。それは、《差異ヘの権利》意識が進展し、文化の相対主義個人主義が時代の主調音だった1980年代に対する異議申し立てであり、普遍主義的思考と《公》の思想の回復の試みである、と。

ドブレ怒りの鉄拳:人権野郎をぶっとばせ

レジス・ドブレフランス革命二百年祭の祝い方に不協和音を発した最初の人物であるが、『共和国万歳』と題する本の中で、人権思想ないしは人権を標榜した人道主義運動---彼の言葉によれば「人権産業」---が、メディアの価値と一体となっている点に鉾先をむけている。人道主義者を動かすのは、飢えた子供の映像であり、国境をこえて素早く子供の救出にかけつける西欧の人間の映像である。そこで何が価値とされているかと言えば、個人の顔、具体的な行動、スピード(一時性)、脱国境(地球規模)といったメディアの特徴である。しかし、現実的なものとはまさに映像にはならぬもの、見えないもの、抽象的なものである。たとえば飢えの背後にある株式市場の思惑や第三世界のエリート層の腐敗であり、時間の厚み-歴史であり、国境によって仕切られている諸地域の異なる悲惨の独自性であるが、メディアはこれらすべてを隠してしまう、と彼は批判するのである。
(略)
彼に言わせれば《人権産業》のりーダーたちは《慈悲》の旗印のもとに集まり、若いころの恋愛(マルクス主義第三世界主義)を憎悪しながら清算しているのだ、ということになる。
(略)
ドブレは、人権派が一国の《市民》としてではなく、国境なき《個人》として振舞っている、そうすることによって彼らは一挙に普遍の次元に身を置こうとしている、と批判する。そしてこう書いている。帰属なき個人は法的な主体とはなりえず、「いかなる国家の市民でもない個人は権利なき人間である」と。

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