西武事件

西武事件 「堤家」支配と日本社会

西武事件 「堤家」支配と日本社会

時間もないのに小説代わりについ読んでしまった。後半は副題通り、西武を題材に日本システムの問題指摘。
時間がなければ10ページ程の巻末資料「コクド株式の持分確認訴訟訴状」だけでも。訴状なんて難しくて読む気しねえと最初思ったのですが、読んでみると普通の言葉で内情が書かれてます。
西武解体に独走するみずほグループ

改革委員会を通じてグループ再編案の作成を進めていた銀行にとって、特捜部の捜査情報が世の中に流れ始めたのは願ってもない成り行きだったに違いない。(略)
グループ再編にあたり義明が問われねばならないのは、まず第一に大株主の権利と資格であって、経営者としての資格ではない。
ところが、世の中の「義明批判」が高まるにつれて、そうした視点はどこかに消えてしまった。犯罪人になりかねない義明には経営を語る資格がない、という雰囲気の中で、株主としての主張もいつの間にかできなくなっていた。銀行にとってはたくまざる問題のすり替えが実現したのである。

村上ファンドは一株千円を提案

2005年1月、体調を崩して手術を受けた義明を病院に訪ねた知人は、病と緊張に疲れ果て、ほとんど思考能力を失い精神のバランスを欠いた義明の姿に目をそむけたくなる思いがしたという。
義明の意識はそれでも、分からないなりに西武株とコクドの行方にあったらしい。ベッドの下から黒い鞄を取り出した。中に入っていたのは外資投資銀行などが持参したと思われる再建案。その書類を手に、「千円、千円」と繰り返していたという。義明に分かったのは村上の提案までだったのだ。

義明はカモだった、TBSの社外取締役でもある諸井虔

西武グループ経営改革委員会委員長の諸井虔は長いビジネスマン人生で西武との接点が過去二回ある。その一つ、秩父セメント社長時代のエピソードを苦笑交じりに話してくれた。同社の関連会社、秩父鉄道に関する秘話である。
秩父鉄道はかつて、セメント運搬のために設けた事業だったが、そのころ既に採算が悪化し、秩父グループのお荷物会社になっていた。これを西武鉄道グループにうまく押しつける手はないか、と考えた諸井は、当時、西武鉄道の社長だった仁杉巌(元国鉄総裁)に密かに話をもちかけた。
ところが、さすがに仁杉は甘くなかった。全く話を受け付けなかったばかりか、遂に固く口止めされてしまった。「この件は絶対に義明さんに言わないでほしい」
義明に知れたら最後、すぐに話に飛びついてしまうからだという。

康次郎が開発し命名した学園都市・国立

さらに注目されるのは、箱根土地と東京商大が交わした覚え書きである。そこには、大学町の建築はすべて本建築とすることや、街の美観を損ねる建物の建築および工場や風儀が乱れる営業の禁止がうたわれている。県政を住民共通の財産と認めた「景観法」が日本で成立したのは70年後の2004年のことだ 当時、既に「美観」を事業の理念にうたっていた事実は驚くべきことである。(略)
当時は、戦後の土地本位制の時代とは違って、何もしなくても地価が上昇するなどということはありえなかった。事業はそれだけ大きなリスクをはらんでいたはずだ。事実、国立開発は順調ではなかった。理想は美しくても、それだけでは商売にならない。時代を先取りしすぎた分譲地は、当然売れなかった。(略)
康次郎は、箱根土地の倒産という逆境の中でも国立の土地の買い手に対しては厳しい「建築規制」を守らせた。値下げをしてもその点だけは譲らなかったという。以後、この規制は代々の住民に受け継がれ、住民の自主規制による街並み保存がこの街の伝統となった。

土地神話はまだなかった

「堤家」と土地に関する通説には、先入観に基づいた誤解があるように思える。康次郎が日本の土地本位経済の象徴のように言われるのは明らかに誤りだ。康次郎の生涯の大半を通じて、土地はまだ日本でも安全な資産ではなかったからだ。(略)
[60年代までは]ある程度、経済合理性に則った土地市場が存在していた。当時はまだ、土地はさほど異常な商品ではなかったのだ。正常な商品であれば、少なくとも短期的には価格は上ったり下がったりする。つまりリスクがある。

フォーブス長者番付が毎年話題になる度、外人もバカなんだなあと思っていたけど、そうじゃなかった。

フォーブスの名誉のために、正確に引用すると、記事の真意はそこにはない。記事はこの後に「巨万の富が蓄えられたのは、法外な地価の高騰によるもので、それはずさんな土地政策と時代遅れの税制に原因がある」と的確に指摘している。だが、こんな指摘は日本の国内には全く届かなかった。フォーブスの番付では、その後四年続けて義明が世界一の座を占めたことだけがはやされた。国内では、狂乱が始まっていた。

名義株

一般の国民は、聞いたこともない手法を使った西武のこの違法行為に驚いた。西武は佼知にたけた裏技の専門家だと怒った。だが、それは事実ではない。(略)
かつては個人に対する税金の最高税率が88%にもなっていた時代があった。経営者がまじめに利益を出して配当すると、オーナーでもある彼は自分の所得のほとんどを国と自治体に持っていかれることになる。(略)
馬鹿馬鹿しくてこれではやっていられない、何とか利益を出さずに身を守ろうと思っても不思議はない。制度が国民を悪くした面もあるのではないかと、この税理士は言う。(略)当時、名義株は、国の圧政から身を守る手段のようにさえ考えられていたのだという。二年前までは、相当な利益を出している企業の場合、むしろ名義株を使わないオーナーの方が少ないのではないかと思うほど、中小企業の間にこの手法は普及していた。

「所有者」である株主は脇役で、主役は「占有者」の経営者や債権者(銀行)。

法人資本主義と言うべきなのだろうか。安定を保障しあう合う法人株主とは企業社会の「占有者」である。よそ者は入れない。固い絆で結ばれた「家族」のような関係だ。
資産をため込んでじっと肩を寄せ合う集団。日本中が康次郎の「土塀の中」にいるかのように見える。
この国では、誰が西武を嗤えるのだろうか。