表現の自由vs知的財産権・その2

前回のつづき。

表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?

表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?

芸術なんだと強気でいく。友達になってみる。

「芸術世界という観点から僕らはすでにサンプリングに興味を持っていて、それでサンプリングで遊んだんだ」。ギタリストのリー・ラナルドは、「ウォーホルからシェリー・レヴァインなどまで、芸術世界の歴史を見れば、たとえ合法でなくても、サンプリングが真っ当なやり方ということは明らかだ」とする。(略)
それでもチッコーネ嬢はソニック・ユースの友人の一人となり、マドンナは恰好のターゲットになった。「メディアでまき散らされるものについては、この場合はマドンナだけど、自由に利用していいと思うんだよね」とラナルドは言う。われわれを取り巻くメディアは「結局誰のものにでもしていいんじゃないかな」と。『ザ・ホワイティ・アルバム』はその他にも、L・L・クールなどからもサンプリングしているが、アングラだから誰も気づかないだろうと思っていたとムーアは語る。数年後に大手のレーベルから再リリースされた時、マドンナは黙って許可をくれた。

メドレーとマッシュアップの違いを

法的な側面から言うと、前者は著作権所有者への許諾は要らないが、後者の場合は必要となる。メドレーは基本的に、違う歌を水平に並べるだけで、垂直的に重なり合う部分はない。現在の「強制許諾」制度の下では、改変がなければ許諾は必要ないのだ。しかしマッシュアップの場合には二つの曲を混ぜてしまうので、著作権所有者が拒否権を待つ。

アイディアをレコード会社が再収奪

先を見る著作権所有者の一部は、それが無料の広告になるという理由から、マッシュアップを奨励すべきだと考えている。「ポップの私生児」を攻撃する(匿名の著作権侵害者を無益に追跡する)代わりに、流用を是認するレコード会社もあるのだ。
(略)
既存のマッシュアップが合法的にレコード会社からリリースされる例が増えている。「オリジナルのアイディアをもたらした人々に対して何のクレジットもない」と、ヘルレイザーは自らのウェブサイトでこのことを苦々しく書いているが。ヘルレイザーの場合、アギレラ/ストロークスによるマッシュアップが、ヘルレイザーのオリジナルが出た二年後に合法的なシングルとして発売され、巨額な売上げをあげたのだが、ヘルレイザーには一円も入ってこなかった。

作者の死。

1878年トーマス・エジソンはすでに、レコードの世界での「作者の死」を予見していた。(略)「もとの作者の合意があろうとなかろうと、あるいは作者が知ろうと知るまいと」サウンドが録音され、保存され、複製され得るだろうとしている。

自分の著作物はコントロールできるか。ソクラテスの見解。

コミュニケーションの歴史を研究するジョン・ピータースによると、こうした心配は決して最近だけのものではない。二千年以上前にソクラテスは、話された言葉がアルファベットという新技術で記録されることを、懐疑の目で見ていた。ソクラテスにとって、新たな書字技術は、「迷えるメッセージ」を撒き散らし、意図しない影響を与えるものに見えていたのだ。「あらゆる言葉は、一度書き留められると、無差別にどこへでも行く」と、プラトンの描く対話編の中でソクラテスは語っている。声がいったん紙に封じ込められると、作者の意図しなかった会話へと引き込まれることを懸念していた。

消費者を恫喝する会社は滅びる

ALAMは現在の全米レコード協会と同じように、当時の主要な自動車会社の利益を代表しており、セルデン特許を通して市場を支配していた。この特許を通じてALAMは、「内燃機関によって自分で動く車両」からはロイヤリティを徴収することができた。ご存知のように当時の自動車は高価な贅沢品であり、ALAMはそのままにしておこうと思っていたから、フォード社に特許を与えることを拒んだのだ。
ともあれフォードが自動車を作ると、ALAMはフォード社の顧客数百人を、「許諾のない自動車」を買ったという理由で訴え、彼らと対決する空気を作った。全米レコード協会による訴訟や広告を思わせるやり方で、ALAMは新聞に、「許諾を受けずに生産もしくは輸入された製品を販売、使用したものは何人であれ、特許の侵害で告訴される」との言明を出した。訴訟は、1903年から、フォード勝訴の判決が下された1911年まで続いたが、ALAMに加盟していた企業の大半は、技術進歩に取り残されて潰れていった。この百年越しの話の教訓は、「顧客を訴えるな、そうすると顧客は逃げる。変化を取り込め」である。