表現の自由vs知的財産権

表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?

表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?

ウディ・ガスリー著作権を管理する組織の代表とのやりとり。当時は他人の曲を改変して自分の曲にすることは普通のことだった。

「ええ……確かにガスリーは曲を盗んだかもしれません………」ここでスミスは言葉を切った。「でもウディの頃とは時代が変わったのです」。
(略)
私は重ねて、ガスリー自身が他人の曲を改変して使っていたことを強調し、TROがこうした形でガスリーの作品を囲い込むことをウディ自身がどう思うだろうか、と尋ねた。
「その答えはご承知の通り、こうですよ。『それならガスリー自身に聞いてくれ』。われわれは義務を果たすだけです。ガスリー自身が何を望んでいるかは分かりませんし、言うこともできません」。(略)
会社が「我が祖国」から未だに金銭を得ているということは、まさにウディ・ガスリーが望まなかったことではないのか。

まさに死人に口なし。関係のない奴が金を搾り取る。
しかも本当は1973年に著作権は切れていたのにTROの補助組織が11年遅れて更新していた。

「我が祖国」の公表された[1945年]楽譜には、これは共有財産であるべきだとするガスリーの記述が添えられていた。「この歌の著作権は合衆国にある。著作権番号154085の認めるところにより、今後28年、われらの許可なくこの歌を歌ったものは、われら友人である。全く構わない。公表しても、書いても、踊っても、ヨーデルにしても。われらがこれを書いた、それで十分だ」。彼がここで、著作権が28年間続くと書いていることに注目して欲しい。期間廷長されたのはその後のことだ。
またガスリーは、「私」ではなく、「われら」が書いた、としている。これはガスリーが、曲の作曲を自分一人だとは考えていなかったことを意味する。この曲の持つ力は、彼が受け継いできたメロディに由来するのだから、どうして自分一人のものだと考えることができようか?

自分の曲をパクッて訴えられるの巻

[元CCRのジョン・フォガティ]は、不利な契約にサインし、昔の曲の著作権を失ってしまった。1985年にニューアルバム『センターフィールド』をリリースすると、そこに収められた新曲「オールド・マン・ダウン・ザ・ロード」が、昔の曲「ジャングルを越えて」に酷似しているとして、昔の曲の著作権保侍者が、すぐさま彼を訴えるというさらなる侮辱的行為が起こった。
自分の曲の著作権侵害で訴えられたフォガティは、身を守るために30万ドル以上使う羽目になった。(略)フォガティは最高裁で、裁判費用さえ取り戻す印象深い勝訴を勝ち取った。

ちゃんと許可を取っても身ぐるみ剥がれるの巻

ザ・バーブは、ローリング・ストーンズのマイナーなヒット曲「ラスト・タイム」のオーケストラ・バージョンから、五音分のサンプルを利用するライセンス契約を結ぼうとし、デッカ・レコードから許可を受けた。「ビター・スイート・シンフォニー」がヒットすると、ローリング・ストーンズの元マネージャーで、ローリング・ストーンズの70年代以前の歌の著作権保有しているやり手のアレン・クラインから訴えられた。クラインは、サ・バーブが合意を破って契約以上の部分を使っていると主張し、ザ・バーブの側は猛然と反論した。
ザ・バーブは、新たなストリングスのアレンジも加えて、50トラック以上を配し、全く新しい曲を作っていた。実際、この曲の渦巻くようなオーケストラのメロディは、ザ・バーブが創造したと言ってよかった。ローリング・ストーンズのサンプルによる部分は、他の音の重奏の中に埋もれていた。ザ・バーブは考えた末、いつまで続くか分からない裁判を戦うよりはマシだと考えて、彼らの曲のロイヤリティを全額渡すことにした。泣き面に蜂と言うべきか、今度は別の元ローリング・ストーンズのマネージャーである、アンドリュー・ルーグ・オールダムに訴えられた。クラインの訴訟は作曲についてのものだったが、オールダムの方は「録音」に関する著作権保有していたのだ。ザ・バーブは結局、全てを失った。
ザ・バーブは、ヒット曲の印税を全て失っただけではなく、自分たちの歌を管理する権利もなくしてしまった。(略)
最後の打撃は、「ビター・スイート・シンフォニー」がグラミー賞の最優秀歌曲賞にノミネートされたにもかかわらず、著作権とクレジットがクラインおよびローリング・ストーンズに移っていたため、そのノミネートが「ミック・ジャガーとキース・リチャード」に行ってしまったことだろう。「ジャガーとリチャードがこの20年で作った最高の曲さ」と、アシュクロフトは皮肉った。その後、アシュクロフトは神経を病み、バンドは解散に至った。

U2をサンプリングしてU2をバカにした曲をリリースしたネガティヴランドはアイランドに訴えられて、多額の賠償金と著作権まで取られた(1991年)。一年後復讐の時はきた。エッジのプロモーション電話インタビューにネガティヴランドのメンバー、マーク・ホスラーとドン・ジョイスは潜入。言質をとった、とったどおお。

[パラボラで集めた衛星電波の映像をミックスしてスクリーンに映すというエッジの説明に対し]
■マーク・ホスラー■
気になるのは、著作権問題やサンプリングに関する議論ですよね。ズー・テレビ・ツアーはまさにテレビ放送のようなことをやろうとしている。著作物を、人々がお金を払って買ったチケットと引き換えに、再送信を行うということですね。これについてどんな考えを持っているんですか。
■ドン・ジョイス
何か問題があったら、違法ということになりますね。
■エッジ■
いやいや、まず最初の質問から、これに問題があるかというと、私は問題はないと思う。理論上は。サンプリングには問題はないです。サンプルが別の作品の一部になることは、問題ありません。サンプリングというものが、取ってきた後に微妙に中身を変えることだとしたら、それは別の作品になるでしょう。われわれは映像を全く別の文脈に置くのです。生の放送だとしても、その部分は数秒であって、やっぱり別物でしょう。われわれの精神は……
■ドン・ジョイス
つまり、断片を取ってくるというアプローチですね。
■エッジ■
そうそう。音楽と同じように、物をサンプリングしてくると。他の人たちだってわれわれをサンプリングしてるし。U2のドラムがダンスレコードに使われたと聞きましたよ。私はそのことを何とも思っていません。
■ドン・ジョイス
これは面白い。われわれも同じ状況に巻き込まれているのですから。

4分33秒

マイク・バットは2002年、彼のグループ「ウォンブルス」の新作CDの最後に1分間の沈黙を入れ、ジョン・ケージ著作権を侵害した、と報じられた。新聞記事では、バットは怒り「私はケージの沈黙を引用してはいない。私の沈黙はオリジナルだ」とまくしたてたとされる。さらに「私の沈黙の方が優れている。ケージが4分33秒かけたことを、1分で行ったのだから」とも。バットはASCAPに登録料を払って、バット/ケージの沈黙を登録し、ケージの「財産」を論争の場に引きずり出すことになった。新聞記事では、官僚組織の歯車が盲目的に回り、ケージの財産に対して支払いがなされ、小切手が現金化したと報じられた。(略)
実はバットは、著作権狂いたちの行動を批判するのが真意だったのである。後にバットは、「1分」から「10分」まで、例えば「4分32秒」や「4分34秒」も含めて、沈黙作品の登録を主張した。「『4分33秒』は当然無理ですが、他は全部登録しました」とバットは語った。「ケージの作品の演奏でも、もし一秒でも短かったり長かったりしたら、それは私の作品です」。ケージ自身ならきっと、このバットの発言を評価したろう。

明日に続く。