ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄

ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄

ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄

ヴィレッジ・ヴァンガード』のギャラ

1950年代後期から60年代初頭にかけての『ヴィレッジ・ヴァンガード』を例にとれば、出演するミュージシャンのギャラは、よほどの有名ミュージシャンでないかぎり、ひとりあたり10ドルだったという。『ヴィレッジ・ヴァンガード』が例外的に安かったわけではない。どこのクラブも、おそらくはその程度のギャラだった。つまり毎晩3回から4回ステージに立ち、それが終われぱ10ドルをポケットに帰路につく。
レコーディングにおいても状況にさしたる変化はない。一例を挙げるなら、エヴァンスが参加したマイルス・デイヴィスの『カインド・オプ・プルー』で支払われたギャラは、次のようなものだった(同作は2日間にわたって録音されたが、以下は初日分にのみ支払われたギャラであり、支払額はミュージシャンズ・ユニオンの規定に基づく)。リーダーであるマイルスが129ドル36セント。キャノンボール・アダレイジョン・コルトレーン、ウイントン・ケリー、エヴァンスの4人が一律64ドル67セント。ポール・チェンバースジミー・コブが、それぞれ楽器の運搬費用として2ドル上乗せされて66ドル67セントとなっている。
とにもかくにもこれが現実であり、そういう時代でもあった。

ポートレイト・イン・ジャズの場合

録音に費やされたのは、当時の多くのジャズのセッションがそうであったように、わずか数時間。エヴァンス、ラファロ、モチアンの3人は、おそらくは3人で250ドル程度のギャラを手にスタジオをあとにしたものと思われる。

「1961/6/25」のメモ

エヴァンス・トリオのドラマー、ポール・モチアンは"メモ魔"として知られる。(略)
その"メモ”によれば、エヴァンス・トリオが『ヴィレッジ・ヴァンガード』でライヴ・レコーディングを行なった「6月25日」にモチアンに支払われた報酬は、5セット分の演奏料が110ドル、ライヴ・レコーディングに対するギャラが136ドルとなっている。なお後者には、アルバム1枚分としての報酬も含まれている(後述する理由から、2枚目のライヴ・アルバムが発売される際には、律儀にも"ボーナス"という名目で新たに107ドル支払われている)。
なおエヴァンスとラファロが受け取った当日のギャラは不明だが、おそらくはエヴァンスにはリーダーということからモチアンの倍額、ラファロにはモチアンと同額が支払われたものとみられる。