帝国との対決

帝国との対決―イクバール・アフマド発言集 (Homo commercans)

帝国との対決―イクバール・アフマド発言集 (Homo commercans)

<ジハード>は、これまでに何干回となく「聖戦」と翻訳されてきましたが、それとは無関係です。アラビア語でいう<ジハード>は「闘争する」を意味します。この闘争は、暴力によるものを意味することもあれば、暴力によらない闘争を意味することもあります。形式もふたつあります。小さな〈ジハード〉と大きな〈ジハード〉。小さな〈ジハード〉は外面的な暴力をふくみます。大きな〈ジハード〉は自己との闘争をふくみます。だいたいこれが概念のあらましです。わたしがこれに言及した理由は、イスラムの歴史において国際的な暴力現象としての〈ジハード〉は、過去四百年間、現実的な目標とはなりませんでした。それが一九八○年代にアメリカの支援とともに突如復活してくるのです。

現在、イランですら、男女は同じオフィスでいっしょに働いています。女性はチャードルは身につけていますが、それでもオフィスで働ける。サウジアラビアではそうはいきません。イスラム原理主義あるいは右翼イデオロギーにその本質と可能性を左右されるサウジアラビアは、その慣習の保守性においてイランよりもはるかにたちが悪いのです。そのくせサウジアラビアは一九三二年以来合衆国の同盟国です。だから誰も、疑義を呈していないのです。

ビン・ラディンが何を見ながら育ったのかを明らかする報道はありません。サウジアラビアに君臨する唯一の王家の人間たちは、アラブ人の石油資源を西洋とその投機会社に譲り渡してしまいました。彼はそれが強奪されるのを目のあたりにしたのです。その間ずっと、彼にはたったひとつの慰めしかありませんでした。つまり、自分の国は占領されていないという慰めです。彼の国に、アメリカやフランスやイギリスの軍隊はいないのです。ところが一九九〇年代初頭に、彼は自分の小さな慰めでさえ失われたことに気づくのです。彼はすでにCIAによって一人前になり、アメリカによって武器を供与され、そしてつぎのことを心底信じこむよう訓練されたのです、すなわち、自国に外国人が侵入するときには、暴力で撃退すべきだ、ということを。戦うべきだ、ということを。アフガニスタンにおける〈ジハード〉とはそのようなものだったのです。
 この、国際的な武装闘争としての<ジハード>という現象全体は、過去五世紀の間存在しませんでした。それはアメリカの尽力によって生み出され、汎イスラム化されたのです。

アラブ人全体の視点から現状をみてみるならば、彼らはひどく追いつめられた二億人の集団ということになります。豊富な石油をもっていながら、その富は彼らに届いてはいない。油田は民衆の手の届かないところに隔離されている。部族には旗があたえられました。たとえば、クウェートアブダビサウジアラビアというふうに。サウジ族は、その石油を民衆から隔離するために国家をあたえられたのです。

イスラエルの軍隊の存在感は圧倒的です。ではそれが何の役にたっているのでしょうか。湾岸戦争のとき、アメリカの政策にとって、最大の難題は、いかにしてイスラエルをこの戦争に引き入れるかではなく、いかにして遠ざけておくか、でした。アメリカの軍事立案者たちがもっとも恐れていたのは、サダム・フセインイスラエルを力づくで湾岸戦争へと駆り出すかもしれないということだったのです。恐れている事態とは「ああ、なんたること、イスラエルが巻きこまれずにいてほしかったのに」と嘆くような事態だったのです。ではイスラエルとはいかなる種類の戦略的資産なのか。戦略的資産なんていい方は意味がないのですよ。
 イスラエルがしていること。それはこの地域を、いくつかの点できわめて不安定にしておくことです。たまたま今日の出来事ですが、イスラエルの軍用機がレバノンをまた爆撃したことを知りました。現時点での情勢からすると中東におけるアメリカの影響力の支えとなっているのは、イスラエルの力ではありません。アメリカは弱体化しているアラブ体制に乗じているだけです。

長くなったので残りはまた明日。