数学 ティモシー・ガウアーズ

最後の8章だけ、くだけた感じの質問コーナーだったので、引用。

1.数学者は30歳を過ぎると才能が枯渇してしまうというのは本当ですか?

 これは広く信じられている神話だ(略)

世間の人たちは、数学者は天才なのだと思いたがる。(略)

20代で最良の仕事をする数学者がいるのも事実である。しかし圧倒的多数の数学者は、知識や経験は年齢とともに増え続けると感じているし(略)知識や経験の増大は脳の衰えを補ってあまりあるというのが実感だろう。

(略)

世間に広まっている数学者のステレオタイプは(略)「頭は非常に良いのだろうが、変人で身なりにかまわず、中性的かつ自閉症的」といったところか

(略)

数学を学ぶ学生のうち、研究者にまでなる人はごくわずかである。たいていは途中で興味を失ったり、博士課程への受け入れ枠に入れなかったり、博士号は取得したものの大学に職を得られなかったりして研究をやめてしまう。こうして何段階もの選抜をくぐり抜けた人たちの集団では、初期の学生時代にくらべて、変人の比率は少なくなっているというのが私の印象である

(略)

ケンブリッジ大学には1年か2年に1人ほど、教員を含めてたいていの人が何時間もかかって解くことになりそうな問題を、ものの数分で解いてしまう学生が入学してくる。そういう人物を前にすれば、一歩下がって驚嘆するしかない。

 ところが、そんな並はずれた人たちが数学研究者として大成するとは限らないのである。自分以前のプロの数学者たちが取り組んでは失敗してきた問題を解こうとすれば、さまざまな資質が必要になる。先に定義した天才の資質などは、そのためには必要でもなければ十分でもない。極端な例を挙げると、アンドリュー・ワイルズはちょうど40歳のときにフェルマーの最終定理(略)を証明し、世界一有名な数学の未解決問題を解決したが、ワイルズの頭の良さに疑問の余地はないにせよ、彼は私の言う意味での天才ではない。

 しかしあれほどの偉業を成し遂げた人物であるからには、常人を超えた神秘的な力をもっているに違いないと思う人もいるかもしれない。なるほどワイルズの仕事は驚異的だが、それは説明不可能な種類の驚異ではない。彼を成功させたものが本当のところ何であるかを私は知らないけれども、少なくともワイルズは、大いなる勇気と、確固たる意志と強靭な忍耐力と、他の研究者が成し遂げた難解な研究に関する広範な知識と、しかるべき時期にしかるべき領域を研究していた幸運とずば抜けた戦略能力を必要としたことだろう。

 結局のところ、最後に挙げた「ずば抜けた戦略能力」という資質こそは、猛烈なスピードで暗算ができることなどよりはるかに重要である。数学に対するもっとも深い貢献は、しばしばウサギよりはカメによって成し遂げられているのだ。数学者は成長するにつれて多くの専門知識を身につけていくが、それらは同僚の仕事から得られることもあれば、長い時間をかけて数学を考え抜いた結果として得られることもある。そうして身につけた知識を使って有名な難問を解決できるかどうかを決めているのは、主として注意深い計画性である。豊かな実りをもたらしてくれそうな問題に狙いを定め、見込みのなさそうな戦略を捨てるべき時を知り(これは難しい判断である)、詳細を詰めていく前に(そこまで到達するのは稀である)、大まかなアウトラインを描き出せなくてはならない。それができるためには、ある程度の成熟が必要だ。これは決して天才であることと相容れない資質ではないけれど、必ずしも天才に付随する能力でもないのである。

7.有名な問題がアマチュアによって解かれた例はありますか?

 この質問に対するもっとも簡潔で誤解の少ない答は、「ノー」である。プロの数学者になればすぐに悟ることだが、仮にも有名と言えるほどの問題に関して自分が思いつく程度のことは、すでに多くの数学者が思いついている。

(略)

 世界中の大学の数学科には、有名な問題を解いたという手紙がときどき届くけれども、そこに書かれた「解答」はまず例外なく間違っている。それも単なる間違いではなく、傑作と言っていいほどの間違いなのだ。なかには、何かを証明しているとはとうてい思えず、失敗作とすら言えないものもある。とりあえずふつうの数学の慣習に従っている場合でも、用いられている論法がきわめて初歩的であることから、もしもその証明が正しいとすれば、何世紀も前に発見されていたはずなのだ。こういう手紙の主たちは、数学の研究がどれだけ困難か、オリジナルな大仕事をするために必要な知識と経験を身につけるにはどれだけの年月がかかるかをまったく理解していないし、数学はきわめて集団的な活動だということも知らないようである。

 ここで集団的活動というのは、数学研究は大きなグループで行われるという意味ではない(論文はたいてい、2名ないし3名ほどの共著にはなっているけれども)。集団的という言葉で私が言いたいのは、次のようなことである。数学が発展する過程で、ある種の問題を解くために必要不可欠な新しいテクニックが発明される。その結果として、数学者は前の世代の数学者の肩の上に立つことになり、かつては手が届かないとされていた問題も解けるようになるのである。数学の主流から切り離されたところで仕事するつもりなら、そういうテクニックを自力で開発しなければならず、きわめて不利な状況となる。

 だからといって、アマチュアには数学の重要な研究は絶対にできないとはいえない。実際、ひとつか2つならば実例もある。1975年には、ほとんど数学を学んだことのないサンディエゴ在住の主婦マージョリー・ライスが、「サイエンティフィック・アメリカン」誌の記事に触発されて、多角形(正多角形ではない)を使って平面を埋め尽くすパターンで、それまで知られていなかったものを3種類発見した。また1952年には、ドイツの学校の校長だったクルト・ヘーグナーが、1世紀以上も未解決だった有名なガウスによる予想を証明している。

 しかしこうしたケースは、先に述べたことと矛盾するわけではない。数学の主要部分とそれほど密接には関係しない問題では、既存のテクニックを知っていても大して役には立たないからだ。5角形で平面を敷き詰める新しいパターンを見つけるという問題は、まさにそれだった。この場合、プロの数学者は才能あるアマチュアにくらべ、道具立ての面でそれほど恵まれているわけではない。ライスの偉業は、アマチュア天文学者が新しい彗星を見つけたようなものといえよう(略)

ヘーグナーについて言えば、彼はプロの数学者ではなかったが、孤立していたわけでもなかった。とくに彼は、モジュラ関数を独学で勉強したことがあった(略)。

 興味深いことに、ヘーグナーはその証明を標準的な手法で書かなかったため、論文はどうにか専門誌に掲載されたものの、長らく間違っているものと見なされていた。ところが1960年代末、アラン・ベーカーとハロルド・スタークが独立にこの問題を解いたのを契機に、ヘーグナーの研究がはじめて注意深く吟味され、正しいことが明らかになったのだ。残念ながら、ヘーグナーは1965年に亡くなっており、自らの名誉回復をその目で見ることはなかった。