前回の続き。
三人目の妻・コリーン
AP通信 本日未明、J・D・サリンジャーの自宅が火災によって激しく損壊した。怪我は出なかった。消防署長マイク・モネットは、サリンジャー氏の妻コリーン・オニールが火事の通報を行ったと述べた。署長は、隠遁生活を送る作家が在宅であったかについて言及することを避けた。火災の原因と被害の詳細はまだ判明していない。
デイヴィッド・シールズ 一九九二年のことだったが、このときはじめて世間はサリンジャーの三人目の妻の存在を知ることになった。四十歳年下のコリーンは、住み込みでアメリカの家庭のベビーシッターをしていた看護学生で、一九八〇年代初頭に結婚したものの、サリンジャーと出会って文通を交わすようになり、この書き手のために夫の元を去った。
ジョイス・メイナード
シェーン・サレルノ 自叙伝『ライ麦畑の迷路を抜けて』を二百ページほど書いていたジョイス・メイナードは、十一月五日、四十五歳の誕生日にコーニッシュへ向かい、サリンジャーの家まで車を走らせ、玄関先まで歩いて上り、不安げにドアをノックした。この対面が本の結末をもたらしてくれると信じて。
(略)
ジョイス・メイナード トラックを借りてコーニッシュに向かった。サリンジャーの家までの正確な道を覚えていることに気づいて驚いたわ。丘を上って、トラックを停めた。家はびっくりするくらい何も変わっていないように見えた。昔と違ったのは屋根のうえにパラボラアンテナが載っていたくらい。菜園は冬に向けて刈り込まれていた。私は玄関のドアまで階段を上っていって、考えた。「こんな時って、すごく恐がった方がいいんじゃないかしら」。でも恐くはなかった。とても落ち着いていた。私はドアをノックした。キッチンからばたばたする音が聞こえて、それから女性の声が私に呼びかけた。「なんの御用かしら」。私は答えた。「ジェリーに会いに来たの。彼にジョイス・メイナードが来たって伝えてもらえる?」。彼女は振り向いて、窓越しに私を見てにっこり笑った。コリーンだってわかった。数年前に送ってもらった結婚式の写真に写っていた、青いタフタドレスに身を包んだベビーシッターの少女の顔だったから。今では少し老けていたけれど、それでも私より随分若かった。私はそこに立ったままで待った。(略)
ドアが開いて、そこに彼がいた。バスローブを着ていて、今でもすごく長身で、でも背中は前よりちょっと丸まっていた。髪の毛はまだ生えそろっていたけど、真っ白だった。顔には皺がめっきり増えてた。私にとって馴染みのある顔だった。でもその表情には見たことのない激しい怒り、怒りという以上の何か――憎悪――が浮かんでいた。彼は拳を振り回して言った。「そこで何をしてる?なぜ手紙を書いて寄こさなかった?」。「ジェリー、手紙ならたくさん書いたわ。あなたは決して返事をくれなかった」。彼は再び訊いた。「そこで何をしてるんだ?なぜここに来た?」。
「あなたに質問しに来たのよ、ジェリー。私はあなたの人生にとって何だったの?」。私がそう訊ねると、すでに軽蔑に満ちていた彼の顔は、もっとひどい表情になった。「君はその質問の答えに値しない」と彼は言った。「いいえ、値するはずだわ」。
彼は下劣な暴言をまくしたてた――かつて誰よりも美しい言葉を手紙に綴ってくれたこの男から受け取った、もっとも醜い言葉だった。私のことを、浅はかで無意味な存在として生きてきたなんの価値もない人間だと彼は言った。
(略)
「君が何か書いていると聞いたんだが」と彼は言った。すごく彼らしいわ。(略)
「ええ、本を書いているのよ。私は作家なの」。
(略)
私はそれまで決して「私は作家だ」とは言わなかった。いつでも「私は書いている」という言い方をしていた。
これは突破口だ、これで心置きなく本が書けるんだ、と思った。恥じることは何もなかった。他の人は違うように言うかもしれない。でも私は私が生きてきた物語を語っていたの。
「ジョイス、君の問題は」とジェリーは言った。「君が世界を愛していることだ」。
(略)
彼がそう言ったとき、まるで彼が私をやっと解放してくれたように感じた。私にとって彼の言ったことはまったく問題じゃなかったから。「ええ。私はまさしく世界を愛しているし、世界を愛している子供をを三人育ててきたし、そのことを嬉しく思ってるわよ」と私は言った。彼はこう答えた。「君がこういう存在になるってことはずっとわかっていたとも――とるに足らない存在になるとね」。かつて私に手紙をくれて、私は本物の作家だということを決して忘れるな、違うことを言ってきた奴らのことは放っておけ、と言ってくれたのはこの男だったのに。「今度は私を食い物にしようって言うのね」。(略)
「ジェリー、この玄関先に立っている誰かが、この玄関先に立っている誰かを食い物にしたんだろうけど、どっちがどっちなのかを決めるのはあなたに任せるわ」。 私は別れを告げた。それがJ・D・サリンジャーに会う人生最後の時だったってことはよくわかってる。
ポール・アレクサンダー 歩き去っていく彼女に、サリンジャーは後ろから叫んだ。「私は君が誰かさえ知らん!」。
ジョイス・メイナード 彼が最初に私を拒絶した時以来、異なる苦悩の段階があった[と私は感じていた]。私は彼と永遠に一緒なんだって思ってた。本当にね。何年ものあいだ、彼の軽蔑と侮辱の残響を感じてた。で、余計なものがほとんどすべて取り去られたあとに残ったのは、かつて私は特別な存在で、彼に深く愛されていた、という考えだった。彼からの承認を得るために私は生きていたし、それを失うのはとてもつらいことだった。でもやがて私には、実のところ自分は唯一無二で希少価値のある存在なんかじゃなかったんだってことがわかったの。私はその他大勢のなかの一人だった。
ゴア・ヴィダル メイナードは被害者だったから先に文句を言う権利を持っている。彼女は一人の老人の色情の被害者であり、何であれ二人のあいだで起きたことの被害者だったんだ。誰にもわからない。誰も気にかけない。裁判においてはいつだって原告側が先に申し出る権利を持っているものだろう。だから彼女はそうした。そういうことだよ。
ジョイス・メイナード 二十五年のあいだ、私は何が起きたのかを話しも書きもしなかった。[批評による]攻撃は、私の本だけでなく私の人格にまで向けられていて、残忍で、きわめて個人的で、容赦がなかった。それに今でさえ――数年経ったというのに――「おや、君はサリンジャーについての本を書いた人じゃないか」って、誰からも言われずに一週間が過ぎることなんてめったにない。そう言われて怒ることは決してないわ。(略)私の返事はこう。私はJ・D・サリンジャーについての本は書いてない。自分自身についての本を書いたの。それに、J・D・サリンジャーの方が私の人生の一部になることを選んだのだし、私はもうその事実を自分の人生から締め出さないことを選んだの。
(略)
不気味なほど私の場合と似通ったかたちでJ・D・サリンジャーとの文通をしていた三人の女性からも手紙をもらったわ。そのうち一人は、彼が私との連絡を絶ってから数週間と経たないうちに文通を始めていた。それぞれのストーリーが真実であることに疑いは持ってない。彼女たちが引用していたサリンジャーの手紙の文面の数々は、私に宛てた手紙とほとんど同じだったし、その内容はどこにも公開されていないものだったから。私と同じく、彼女たちも十八歳の時にサリンジャーからアプローチを受けていた。私と同じく、彼が誰より賢い人間であり、ソウルメイトであり、運命の相手だと一度は信じた。私と同じく、最後には徹底的で破壊的な拒絶を経験した。そして私と同じく、私が今まさに受けているような非難を受けることへの恐れから、自分たちは秘密を守ることを義務づけられているんだという考えを長年保ち続けてきた。私の本は必ずしもJ・D・サリンジャーについての物語ってわけじゃないの。恥ずかしい思いについての物語であり、それから自分のパワーをより一層パワーのある年上の男性に引き渡してしまった若い女性についての物語であり、それは割合普遍的な、少なくともよくある物語なのよ。
(略)
明らかに多くの批評家たちにとって、私の人生の唯一の重要性は私が偉大な男と寝ていたことだった。
(略)
ラリサ・マクファーカー この二十五年間で、メィナードは家を買い、神経衰弱に陥りかけ、『ピピン』のサウンドトラックを聴きながら処女を喪失し、メアリー・タイラー・ムーアとモハメド・アリに出会い、レイプされ、結婚し、テレビに登場し、三人の子供をもうけ、大西洋に母乳を搾り出し、ガーデニングをし、破産し、中絶し、失くした歯列矯正器具を捜してゴミの山をほじくりまわし、三冊の小説を書き、両親が離婚して死ぬのを目の当たりにし、自分自身も離婚し、別の家を買い、胸部インプラントを入れてからそれを取り出し、テニス教室に通い、財産の大部分を売り払ってニューハンプシャーからカリフォルニアに引っ越した。長年にわたって、彼女はこうしたイベントを新聞のコラムや女性誌の記事のなかで物語ってきた。
エリザベス・グレイック (略)「ジョイス、いつの日か、他の誰でもなく自分にとって重要だということが何よりの動機となって、語りたいと思う物語が出てくるだろう」。そうサリンジャーは彼女に[かつて言った]。「リアルだと思うもの、真実だと思うものを書くんだ」。おそらく、それがこの本なのだ。ただし、サリンジャーや多くの優れた作家たちが自分の真実をフィクションに変えて、読者にとっての新しい世界を切り拓いてきた場所で、メイナードは自分の足場に当てた小さなスポットライトの範囲を超えたものには一切光を投げ掛けなかった。(略)
シンシア・オジック 我々が見ているのは二人の有名人だ。片方はかつはて実質を伴う本物の作家であり芸術家であった。もう片方はいまだかつて芸術家だったことはなく、本当の中身が伴っていたこともなく、自分自身を本物の芸術家に付着させて、彼の名声を吸い出そうとする。(略)
ジョイス・メイナード どうしてあなたたちは一人の女性の行動にすぐさま売名行為を見出そうとするのかしら――永遠に愛すと約束を交わし、自分の元に住ませるためにすべてを投げ出すことを誓わせた三十五歳年上の男に十八歳で見初められた女が、二十五年間、彼女の物語(繰り返すけど、「彼の」じゃなくて「彼女の」よ)を書くことを控えていたのよ。それでもあなたたちは、そんな行動をとった男の方の搾取は見えないというのね。
(略)
キャサリン・マクギーガン 今、二十七年の時を経て、「ミス・メイナード」(略)が、その手紙と他十三通を、来月ニューヨークで行われるサザビーズの公開オークションに出品しようとしている。(略) サリンジャーの手紙という、なんとも貴重な品は(略)サザビーズによると(まとめて)六万ドルから八万ドルの値が付くとみられている。(略)
手紙を売ることは現実的な判断だと彼女は言う。「私は三人の子を持つシングルマザーなので」。四十五歳のメイナードは、カリフォルニアの自宅でそう説明する。(略)
この新たな手紙は、とりわけショッキングなわけでも秘密に満ちているわけでもない。メイナードはすでにその内容を自叙伝のなかで描いている。それでも、実際にそれらの手紙を読むことは(略)喜びを与えてくれる。(略)「この手紙のなかには素晴らしい物事が詰まっています」とメィナードは言う。
(略)
メイナードの書く文章や彼女の知性を称賛し、自分たちはソウルメイトだとほのめかすサリンジャーは、実に誘惑的である。手紙の締めくくりに、彼は「ラブ、ジェリー」と記している。才気に溢れ、敏感で、有名な作家からこんなことを言われて、聡明だが繊細な、文学的野心を持った十八歳の少女が恋に落ちないなどということがあるだろうか?
(略)
ジョン・ディーン メイナードがサリンジャーの手紙を売ろうと決めたとき、サリンジャーがランダムハウス社に対して起こした訴訟があったおかげで、彼女は手紙の内容まで売ることはできないということを十分理解していたはずだ。彼女にできたのは手紙を物理的に所有する権利を売ることだけだった。彼女はそれを売るために手紙をサザビーズに手渡した。彼らが売ったのは物理的な紙だけなのだ。
(略)
フィービー・ホーバン (略)[手紙が]サリンジャーの手元に戻っているたったひとつの理由は、ソフトウェア開発者のピーター・ノートンが、これは誠実さを欠くひどい行為だと考え、自ら手紙を買ってサリンジャーに返したからだ。
(略)
マーク・ペイサー ソフトウェア界のミリオネアでありアートコレクターでもあるピーター・ノートンは先週、渋々ながら十五万六千ドルもの大金を支払い、一九七〇年代に隠遁作家サリンジャーと共に暮らした自己陶酔的な作家ジョイス・メイナードから、サリンジャーの手紙を購入した。ノートンはメイナードを批判してはいない。彼はただ、手紙によってサリンジャーのプライバシーが損なわれてしまわないように望んでいる。
今度は娘が暴露本
デイヴィッド・シールズ メイナードからの攻撃を生き延びたサリンジャーは、休むまもなくメイナードとほとんど同じ年齢の若い女性との闘いのためにギアを上げなければならなかった。相手は、娘のマーガレットである。
ドリーン・カルバハル (略)彼女の幼少期と父親との関係について書いた回顧録出版の準備を進めている。四十三歳のマーガレット (ペギー)・サリンジャーによって書かれたこの本には『ドリーム・キャッチャー』という仮タイトルが付けられており(略)二十五万ドル以上の前払印税が支払われた。
デイヴィッド・シールズ (略)[『ドリーム・キャッチャー』]には、狂信的に東洋思想を追究し、漢方薬を使い、なんらかのご利益と治癒を求めてオルゴンの箱に座り、自分の尿を飲むサリンジャーの姿が描かれている。マーガレットは、父親は自分にとってのキャッチャーではなかったと述べ、読者にとってのキャッチャーであるべきでもないと示唆している。
(略)
ディニシア・スミス (略)父親は自分を愛してくれていたが、同時に病的なまでに自己中心的だったと彼女は言う。(略)彼女の母親であるクレア・ダグラスを口汚く罵り、友人や家族に会いに行くことも認めようとせず、コーニッシュの家のなかで事実上囚人のように扱い続けたという。(略)病気を抱えた彼女が妊娠したとき、手助けを申し出るかわりに、彼女の父親は「この汚らわしい世界に子供を産み落とす権利はお前にはないのだと言った」と彼女は綴っている。「彼は私が中絶を検討することを望んでいた」。
ジョイス・メイナード (略)ペギーの本を読んだ。(略)
彼女は強くて、毅然としていて、ちょっと悪い子だった。(略)
J・D・サリンジャーに歯向かえる人間はそう多くないけれど、彼女はそうした。(略)文学的・学究的なタイプしゃない。バスケットボールに情熱を注ぐような女の子よ。彼女にはネイティブアメリカンのボーイフレンドがいたの。二人でカウチに座ってだらだらして、ソーダを飲んでテレビを観ていたわ。「どうしてそんなことができるの?」って思った。彼女は自分自身という人間でいられたの。
(略)
ロン・ローゼンバウム (略)
ニューハンプシャーの丘の上の避難所に身を隠しながら、サリンジャーは次々とスピリチュアルな兵器を持ち出して平和のための戦争を遂行していた。彼の娘が年代順に記録しているところによると、その兵器は以下の通りだ。「禅仏教、ヒンドゥー教ヴェーダーンタ学派、一九五〇年代に断続的に。クリヤ・ヨガ、一九五四年から五五年。科学者キリスト教会、一九五五年から現在まで断続的。当時はダイアネティックスと呼ばれたサイエントロジー、一九五〇年代。エドガー・ケイシーの著作に関係するもの。ホメオパシー、鍼療法、一九六〇年代から現在まで。マクロビオティック、一九六六年(略)」。
(略)
マーガレットは、ほとんど生まれた時から、父親のスピリチュアルなものへの傾倒のためにモルモットとして扱われていたと述べている。まだ幼かった頃、彼女は病気になっても医者に診てもらうことができなかったという。
(略)
デイヴィッド・シールズ 本にはマーガレットと父親が愛情いっぱいに抱き合っている写真が数多く載せられている。だがこれらの写真は、彼女が青年期を終えるよりだいぶ前で止まっている。そこでサリンジャーも、一人の女性となった少女を愛することを止めたのだ。彼女はもう汚れてしまったのだ。
(略)
ジーン・ミラー とても強い関心をもって読んだわ。ジェリーは幼い娘に、「人間の肉が焼ける匂いを決して忘れるな」と言っていた。私もかつて同じことを言われたし、それは私を動揺させた。それは彼がたえず抱えているものだった。それからマーガレットは、彼が最初の妻から手紙を受け取ったことにも言及してる。(略)
彼女から手紙を受け取って、それを開けもしなかったって私に言ってたんだから。彼はそういう人だった。彼が誰かと縁を切った時には切れるんだって、マーガレットは言っていた。それってまさしく真実だと思うわ。関係が終わったら終わりなのよ。
(略)
デイヴィッド・シールズ 王は自分自身で王国を守ることを選ばなかった。忠誠心のある歩兵を送り出したのだ。何年も前に父親の別の野心――俳優になること――を満たそうと努力していた、マシューである。
マシュー・サリンジャー 僕は父親のことが大好きだし、変わってほしくない。彼ともっと会えたらいいのにと本当に願ってる。父のパブリックイメージは、怒れる人々のレンズを通してフィルター処理されてしまっている。娘や元恋人やジャーナリストたちといった、インタビューすることのできない人たちのことだ。
姉とは今は連絡を取っていないし、これからも取らないだろう。ただ、父は珍しいことにこの本によってなんの変化も起こしていない。僕の方が取り乱してしまったよ。彼はすばらしい父親だったし、とても優しい人間なんだ。僕は素敵な子供時代を送った。
(略)
もちろん、なんらかの権威をもって彼女が意図的に何かをでっちあげたのだと言うことはできない。僕にわかるのはただ、僕は姉が描いているものとは全然違う家庭で、全然違う二人の両親に育てられたってことだ。母が姉か僕を叩いた場面なんてひとつも記憶にない。ひとつもね。それに、どんなかたちであれ父が母を「虐待」している場面というのも、ひとつも記憶にない。家のなかで唯一時々おそろしい存在だったと記憶しているのは、実際姉だけだよ(自分の本のなかで、ご都合主義的に自分を僕の親切な保護者の役として描いたのと同じ人物だ)。彼女が覚えている父は「自分の靴紐も結べなかった」というが、僕が覚えている父は、僕が結び方を学ぶ手助けをしてくれたし、具体的に、プラスチックが磨耗したらどうやって紐の端をくくりつけ直せばいいかまで教えてくれたんだ。
結論
戦争が終わって、彼の人生は何にもまして宗教的な癒やしと宗教的なアイデンティティの探究へと向かっていった。(略)一九四八年以降の彼の人生のあらゆる側面において宗教がいかに中心を占めていたかを理解することなしに、サリンジャーの考えを探ろうとすることは不可能である。(略)
不浄なる現実から遠く離れて、彼はヴェーダーンタ哲学の慰めのなかに消滅し、ますます完全に抽象的な領域へと入りこんでいった。
(略)
戦争という悪夢を経験したのち、サリンジャーは勇敢にも再び世界に参加しようと試み、ニューヨークシティにおいて愛想のいい人間を演じたが、そのようなパフォーマンスに成功の見込みはなかった。(略)
戦争が終わって、サリンジャーの精神はいまや「輝かしい不完全さ」、「震え」、「ふらつき」といったもので満ち満ちていた。戦後のマンハッタンにおける世俗的で物質主義的な生活はグロテスクに感じられた。ニューヨークを去って田舎で孤独に生きたいというホールデンの夢――サリー・ヘイズとの逃避行――を作中に描き、とある出版パーティーの場である女性に半ば本気で雄大な田園生活に逃げ出そうと誘ったのち、一九五二年、コーニッシュに移り住み、この夢を成就する仕事にとりかかった。その土地はショッキングなほどヒュルトゲンの森と似通っていた。
(略)
彼はホールデン・コールフィールドやグラス家など架空のキャラクターを思い通りのやり方で愛したが、人間に対しては――とりわけ自分の家族に対しては――そうできなかった。(略)
クレアとのセックスは子作りに限り、彼女が妊娠した途端、彼女に嫌悪感を抱くようになった。クレアが離婚の理由に挙げたことのひとつは、夫が自分とコミュニケーションを取ろうとしないことだった。抽象的な原理への忠誠心から、彼はまるでクレアが存在していないかのように無視した。
(略)
若き日のマーガレットが急性の病にかかったとき、父親が彼女に送った手紙に入っていたのは金銭ではなく科学者キリスト教会のパンフレットだった。
(略)
マシューは従順で、うやうやしく、面倒見がよく、鑑識眼があった。現在、彼はサリンジャー遺産財団の管理者を務めている。
(略)
マシューはサリンジャーの、従順・アイビーリーグ・感越・「良家の坊ちゃん」・「東海岸部隊」を担った(略)
一九六〇年に共和党に入党した彼の父親には俗物根性があり、女性嫌いだったのだ。マーガレットはサリンジャーの、激しい憤怒・反体制・実存的迷いを担い、そこから全力で逃げ出そうとしていた。
マーガレットは、サリンジャーがフラニーのなかに見いだして崇めていたような勇気を体現してみせた。マシューは、サリンジャー自身が現実世界において振る舞ったように振る舞った。
(略)
ミリアム、ドリス、シルヴィア、ウーナ、ジーン、ジョイスが、それぞれ十八歳だった頃の写真を見てほしい。彼女たち全員が驚くほどよく似ていることを見逃せるはずがない。彼女たちにはそれぞれ意図や目的があったにしろ、サリンジャーの想像のなかではみな同一の女性であり、同一の少女であり、同一の癒しを与える母であり、同一の救いの天使であり、同一の第二の自我であり、同一の理想的かつ理想化された子供時代の遊び相手(むろん成熟してしまうまでのこと)だった。なぜサリンジャーは、作品中においても実人生においても、セクシャリティが芽生えつつある少女に執着し続けたのだろうか?なぜ彼の作品では、あれほど多くの男性主人公が、彼女たちの足を崇拝し抱擁することで少女への情熱を表明するのだろうか?サリンジャーが情熱を注いだのは、判断以前の身体性であり、「堕罪」以前のセクシャリティであり、ウーナ以前、戦前であった(戦後の彼は、人間の身体を損なわれたものとしてしか見ることができなかった)。少女たちは自らを苦しめる拷問台である。それを通じて彼は何度も何度も、彼の身体が欠損を抱えたものとみなされる以前、ウーナ以前、戦争によってすべての身体が彼にとって死体となってしまう以前の時間へと戻っていった。
生涯を通じてサリンジャーは、女性になる直前の少女たちと、際限なく同じパターンを繰り返した。永遠にウーナ―チャップリン―ジェリーの三角関係を反復していた。自分と、二人目の妻クレアと、彼女の当時の夫コールマン・モックラー。自分と、メィナードと、サリンジャーが言うところの彼女が愛し、彼が愛さなかった世界。こうした女性=少女の多くは、ユダヤ人かユダヤ人のハーフ、あるいは「ユダヤ人っぽい」見た目をしていて、イノセンスを失う瀬戸際に立つイノセントな相手だった。関係を成就するやいなや、彼女たちは即座に魅力を失ってしまうどころか嫌悪感を催させるようになり、即座に彼の人生から排除されるのだった。
(略)
生涯を通じて彼は、この子供と大人のあいだの回転軸に縛りつけられていた。(略)
九十歳にして、ダーマス大学で行われる女子バスケットボールの試合観戦の常連だった。
サリンジャーはジョイス・メイナードに、イェール大を退学して、ニューヨークシティにおける作家としての有望なキャリアもなげうって、コーニッシュで隠遁生活を送るよう説得した。彼女を何から救い出そうとしていたのか?経験である。彼はイノセンスに対するオブセッションを抱えていた。