ブライアン・イーノ エリック・タム

幼少期に影響を受けた音楽

 イーノはイギリスの田舎で育った。彼にとっての決定的な音楽的影響は、イギリスの民衆的・大衆的伝統音楽ではなく、ウッドブリッジから五マイル程離れた所にある米軍の二つの空軍基地であった。そこには一万五千人程が住んでいた。地域のカフェには、現代アメリカのポピュラー・ミュージックがたくさん入ったジューク・ボックスがあり、イーノの妹がしょっちゅう基地の売店に買物にでかけたようだ。「妹は、イギリスでは絶対聞けないようなすごくおもしろいレコードを沢山買い込んで帰ってきた。ラジオでも全然かからないようなね」

(略)

 

貧弱なイギリスのポップ・ミュージックを聞いた後、当惑するような、奇妙な感じがする、アメリカの音楽を聞いた。今でも聞き返してみるとそんな感じを受ける。私はチャック・ベリー、リトル・リチャード、ボ・ディドリー、をずっと長い間聞いてきた。非常に長い期間それらを聞き、また歌いもした。バディー・ホリーとエルヴィスも歌った。

(略)

エルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」の中の雄叫びの声は、歌自体よりずっといい。(略)この声一発あればスタジオは即洞窟だ。……私が若かった頃、私の不思議に思う感覚をもっとも触発したのは、音楽なんだ。

 

(略)

彼が空軍のGI文化から掘り出した一九五〇年代のドゥ・ワップの、異国的な、かけ離れた性質を説明するのに、イーノは他のインタヴューの中で、「火星の音楽」という言葉を使っている。

(略)

 

ドゥ・ワップを魔法の音楽と見なすのは、アメリカの人にとっては奇異に映るかもしれない。でもイギリスでは、ドゥ・ワップの伝統がなかったから、私にはそう思えた。シルエッツの一九五八年の「ゲット・ア・ジョブ」(略)

まるで宇宙の別の銀河からやってきたみたいで、私はまさにそれに「遭遇」した、という感じだった。私は、ただ「美しい!」と思ったんだ。こんな音楽を聞いたことがなかった。(略)

 

 イーノの想像力は、初期のリズム・アンド・ブルーズと、ロックンロールによって活気づけられ(略)

ビッグ・バンド・ジャズも聞いていた。

 

[引っ越した叔父がしばらく預けていったレコード・コレクション]

叔父の趣味は四〇年代のビッグ・バンド・ジャズだった。レイ・コニフシンガーズの声は素晴らしいと私は思った……冬の朝に、彼らの驚くほどみずみずしい、ソフトで滑らかな声を聞いて、なんてきれいな音楽だろうと思ったことを覚えている。

(略)

[家にあったプレイヤー・ピアノを]

「いつも演奏させていた。『エルサレム』とか、古い賛美歌ばかりで、わたしはそれを美しいと思った。賛美歌のメランコリーな物悲しい雰囲気は、後の私の作品に影響を与えていると思う」。

(略)

レイ・コニフ・シンガーズの「みずみずしく、ソフトで滑らかな」音の性質は、彼のアンビエント音楽にほぼ一貫して見られる特徴で、『ミュージック・フォー・エアポーツ』の電気的に処理されたヴォーカルは、特にそっくりだ。

サティ、ケージ、ライヒ

イーノは自分が強く同感し共感を感じたのは、「計画的な作曲家としてのサティ」であると明言している。「サティは、いろんな技術を用いてコード・チェンジを計画するシステム・コンポーザーだった。半音階実験主義の異常な高まりのさなか、みんなが奇怪な音楽らしからぬものを作っているときに、彼はこんな素晴らしい音楽的な曲を書いた」とイーノは言っている。

 このようなサティからの影響ほど、はっきりとは言及されていないにせよ、ケージの『沈黙』も明らかにイーノに影響を与えたと思われる。例えば彼はチャンス・オペレーションの方法に魅力を感じて、それを組み入れて一九七〇年代中期の『オブリーク・ストラテジーズ』という占いのカードを作成している 。あるいは例えば、禅の逸話と西洋哲学への思索にもそれは表れているし、西洋音楽の形式や権威に対しての、彼の穏やかだが不真面目で不遜な態度にもその影響は感じられる。

(略)

 一九八〇年のインタヴューでは、さらに、イーノはケージのことを、自分の人生のある時点で出会った、「最も影響を受けた理論家」と呼び、その出会いを「全き解放のひとつの要因」と言っている。さらに続けて、ケージは「音楽の創造に精神性を再び導入した」と述べている。イーノは、二十世紀前半の多くの音楽的作品は不毛であるという強い印象を持ったという。「[ケージ以前には]音楽の歴史は、過去の調和したシステムの崩壊であり、半音階主義とセリー音列への移行の過程として捉えられていた。全てのことがこの見地からしか論ぜられなかった」と語っている。形式的で技術的な申合せが、美的関心にとってかわり、あるいは審美意識を覆い隠していた。

(略)

 

ケージがなし遂げた非常に重要なことは、次のように言ったことだ。「見よ、あなたが音楽を創造する時、あなたは哲学者のようだ。意識的、無意識的にかかわらず、あなたはそれを演じている。」

(略)

イーノの作品にテリー・ライリー以上に決定的なミニマリズムの影響を与えたのは、スティーヴ・ライヒのテープの変調による曲[「雨が降るだろう」]である

(略)

「この曲のアイデアに、私は永遠に魅了されてしまったという点で、私がこれまで聞いた中で最も大切な曲だ。非常に簡単なシステムによって、実に豊かな多様性が発生している」と述べている。この曲でライヒは、黒人牧師が「雨が降るだろう」と言っているのを短いループ・テープにしていて、我々が聞くのは、果てしなく続くこのひとつのフレーズだ。しかしテープレコーダーの走行速度がわずかずつ変わっていくので、曲の進行につれて、ループされた音は徐々に少しずつ前と変わっていく。イーノはこのように説明する。

 

陳腐な情報を何度も繰り返すと、聞き手は最後にそれを聞かなくなる。ひとつのものを長い間ずっと見つめていると、しまいにはそれを本当には見ていなくなってしまうように、情報は排除されてしまう。その言葉の不変の要素は聞かずに、その言葉の変化する部分だけに注意するようになるだろう。

(略)

この曲を聞いて私はどきどきした。なぜならその時私はミニマリズムのなんたるかを理解したと感じたからだ。そこでは聞くことこそが創造的な作業なのである。受動的な聞き手に一方的に表現を流し込むのではない。

(略)

さらに、彼にとってこの曲は、すがすがしい気分を時代に呼び込むものであった。なぜなら、ロック・ミュージックで複雑な大袈裟な音楽が法行していて、それに対峙するように思われたからだ。

 

私はこの曲を一九七〇年代の前半に聞いた。ちょうどこの年代には、私がかかわった人々はほとんど、全く反対のことをしていた。24トラックのテープレコーダーが出回りだしたばかりで、人々はよりいっそう装飾的で、ゴシック的な音楽を作ろうとし、いわばキャンバスの全ての空間、すみずみを埋めようとしていた。だから、ライヒのいきいきした、こんなにシンプルな曲は、私にはすごくショックだった。……僕は思ったんだ、これなら僕にもできる、難しくないぞ、ってね(笑)。

ニューウェイヴ、黒人音楽、ジミヘン

七〇年代の初期、たった数年で(略)ロックは大袈装でごちゃごちゃしたものになってしまった。まるで下手なコックが棚のスパイスやハーブを全部スープに放り込んだみたいに……私は形式を縮小することを考え始めた。

 

(略)

彼は一九八〇年の初頭に、世界で最も洗練されたコンピュータ・ミュージックのスタジオがあるスタンフォード大学を訪れたが、その結果は幻滅に終わった。「技術崇拝の彼らは、自分が何をやっているのか聞こうとしない……私は技術至上主義者ではない。」

(略)

ロックのジャンル内で彼の興味をそそったものは、一九七〇年代後期のニュー・ウェイヴ・ミュージックが最後だった。彼は一九七八年に、その最先端に飛び込もうと、ニューヨークに移動した。ブリティッシュ・パンクの生硬さは、しばらくの間イーノの興味を引いたかもしれないが、彼はその公然たる政治的・無政府主義的メッセージにはけっして魅力を感じなかった。一方でニューヨークのニュー・ウェイヴは、音楽的・概念的な実験を試行しているまるように見えた。

 

 ニューヨークのバンドは、「もしも~だったらどうだろう」という考え方で進む。イギリスのパンクは「感じる」ことを大切にし、「これが我々のアイデンティティーだ、そして音楽はそこから発散されるものだ」というシチュエーションにある。私は、常に前者のやり方でやってきた……。

 けれどもニューヨークのバンドと私は、一つの点で違っていた。彼らは実験をその最極端まで持っていく。私はそれを、行き過ぎて音楽が面白く聞こえなくなる地点まで持っていってから、少しだけ元に戻る。彼らがやっていることは、いわば音を究極まで突き詰める研究のようなもので、その結果、わたしのような一般人でも使えるような表現方法の範囲が広がっていく。これらのニューヨーク・バンドはいわば棚の支柱であり、領域の末端を示すんだ。だから他の人々はこの中で演習を行えるというわけさ。

(略)

ニューウェイヴの非常に解放的な要因のひとつは、もう一度音楽が一般大衆に解放され、車庫の中で、ありのままの音を聞きながら音楽を作ることができるという考え方だった。しかも人はそういう音を、「おや、これはいい曲だ……録音が悪くて残念だな、あ」とは考えず、「これは面白い録音の仕方じゃないか」と言ったんだ。

(略)

彼がアフロ・アメリカ音楽に魅了された理由は、ひとつには黒人音楽の官能的特質のせいである。しかし特に、特定のミュージシャンの作る独特のレコードの雰囲気の基礎をなす、いわゆる「制作技術」を高く評価している。

(略)

[一九六〇年代半ばには]リズム楽器が非常に重要になり始めた。(略)

[シュープリームスの「リフレクションズ」では、] いろいろとおもしろいことをやっている。まず第一に、全ての電気楽器がおもしろい使い方をされている。第二に、音響空間がたいへん虚構的だ。第三に、ベース・ギターがダイアナ・ロスの声と同じ位強い表現力を持っていると思う。

 

 タムラ・モータウンのミュージシャンの他に、イーノはスライ・ストーンを取り上げている。「全ての楽器の役割を入れ換えたという点で、画期的影響を与えた七〇年代のバンドのひとつだ……彼はリズム楽器をヴォーカルのように使い、また逆に声をリズム楽器的に使い始めた。」(略)

[「サンキュー」]ではベースが、「音源の中で一番おもしろいメロディー」となるほどに活躍していると指摘している。

(略)

 白人音楽でそうだったように、黒人音楽においても、イーノはエレクトロニクスの過剰さを腹立たしく思っている。「スティーヴィー・ワンダーシンセサイザーはおもしろい。しかし全般的に、機械は、装飾的な効果や、音をなじませるための粘着剤として、非常に良くない使い方をされている。それにはとてもがっかりだ。」

 黒人白人に限らず、その音楽が明白に何かの伝統に分類されないミュージシャンを、イーノは最も高く評価する。(略)

一九七五年のラジオのインタヴューで、イーノはジミ・ヘンドリックスを、「おそらく全ての時代を通じて最も偉大なギタリスト」と呼んでいるが、それは彼のギターの技巧について評価しているのではない。「彼は、ギターが首からぶら下がった木のきれっぱし以上のものであることを認識した最初のギター・プレーヤーだった。そして彼は、部屋の音響と、使用しているアンプには関係があり、ひとつの全体的な環境となることを、真に理解していた。」(略)

[インタヴュー中、『ウッドストック』での「スター・スパングルド・バナー」をかけ絶句するイーノ]

「これは、あまりにも歴史的に重要な記録の一つだね、この曲は。この曲を初めて聞いた時は、私はただ泣いてしまったよ」と言った。

 イーノはヘンドリックスが音色の可能性を自ら制限していたことを高く評価した。多くのロック・ミュージシャン――特にシンセサイザーの時代のミュージシャンらは、新奇な音を作ることに時間とエネルギーを費やしたが、ヘンドリックスは「常にストラトキャスターと特定の一種類のアンプで演奏し」、この機材の設定を深く理解しようと努めた、ともイーノは語っている。」

 

よくスタジオの中でシンセサイザーのプレーヤーが、六時間もかけて、それもほとんどあてずっぽうな探し方で、あれやこれやと音を探しているだろう。この様子を見ていると、彼らが探しているのは、新しい音ではなくて新しいアイデアだということがあきらかだ。シンセサイザーは、その楽器の中から新しいアイデアを見つけられるような幻想を与える。だが、一休みして、「あれ、私は何をしてたんだ、ちょっと考えてから、その考えを行動に移したほうがいいよな」と気づいたほうが、こんなやみくもな電気のごたまぜの作業よりも、ずっと意味がある。

 

 この話の続きで、イーノは再度グレン・グールドを引き合いに出している。「彼は何年もの間、同じひとつのピアノを使っている。自分のピアノに対する彼の理解の仕方は、今のシンセサイザー奏者が自分の楽器を理解する仕方とは、明らかに違っている。」(略)

[ヘンドリックスの歌詞も評価するイーノ]

「リトル・ウイング」という曲の「奇妙で神秘的な歌詞」について、イーノはこのように語っている。

 

良い歌詞とはどんなものか、と質問されたとしたら、歌詞の内容が何を言っているかは、私はあまり気にしない、と答えるね。(略)良い歌詞は、なにか非常にイメージを喚起する力がある…… [ヘンドリックスの歌詞は、] 彼が何かを言っていて、それが非常に強烈な言い方であり、重要なことを言っている、という印象を聞く者に与える。

 

 一九七八年にイーノは、次のような言葉で、ブラック「ファンク」ミュージックに対する見方を変えたことについて語っている。

 

一九七四年か七五年には、私はファンキーな音楽をひどく嫌っていた。私が一番音楽に持ち込みたくないものだと思っていた。それが突然、全く反対の立場に変わってしまった……急にそうなってしまったのは、デヴィッド・ボウイのやっていたことの影響とか、パーラメントやブーツィーたちのやっていたこととかがきっかけだった。私は突然、もしこれをもう少し深く取り入れたら、すごく過激でおもしろいものになると気づいたんだ。

(略)

パーラメントファンカデリックを私が気に入っている理由は、彼らが本当に極端に走る点だ。彼らがやることには、とにかく中位というところがない。

(略)

イーノは一時期ファンクとディスコに熱中していた。(略)しかし一九八三年までには「女性コーラスのリフレインやその他、中身の決まりきっている、画一的なディスコ・スタイル」には飽き飽きしていた。「どこに行っても聞こえてくるあんな音楽はもうたくさん」と言っている。

レゲエ、クラシック、ゴスペル

イーノもまた、レゲエに興味を引かれた一人だった。だがここでも、彼が興味を持ったのは、できあがった音そのものに対してだけでなく、その音楽がどのように組立てられたか、という創作のプロセスに対してだった。

 

現代のスタジオ・コンポーザーは、色を乗せたり混ぜたり消したりする画家のようなものだ。それに比べると、レゲエのコンポーザーの場合は、彫刻家に似ていると思う。レゲエでは大抵五人から六人の三ュージシャンが演奏するのだが、彼らの音は互いに、非常に孤立していて、孤立したひとつひとつの音は、立体の側面のようだ。そして彼らの演奏によって出てきた音のかたまりは、いわばその立体を彫っていくような感じで進行していく。つまり、その音のかたまりを曲の長さという時間の区切りの中でどのように見るかという価値観によって、あちこちの表面を削り落としたり刻んでいくと、作品が出来上がっていくというわけだ。

 ギターは二回下手くそに弾くだけで、二度と出てこない。ベースは突然弾くのを止める。するとおもしろい間合いが作り出される。レゲエの作曲家は、非常に巧みな、型にはまらないエコーの使い方や、演奏の省略、非常に開放的なリズム構成を選ぶことなどによって、音楽に一種の空間感覚を創出した。

 

 その「彫刻的な」アプローチは、イーノ自身の作曲方法にも明らかに影響を及ぼした。イーノはレゲエの政治的な意味合いには全く興味を示していないのが特徴的だ。土着の哲学やラスタファーリアン主義のライフ・スタイルにも興味はなく、あるいは、レゲエ・ビートを通して第三世界との連帯を表現しようとする西洋白人ミュージシャンや聴衆の観点(略)にも関心はなかった。

(略)

一九七七年に彼は、フェラ・ランソ・クティとアフリカ70によるハイライフ・ミュージックについて、「私が踊りたくなる唯一の音楽」と言っている。ガーナのグループであるエディカンフォとの共同作業の体験は、イーノにとって、感激的だったと同時にがっかりさせられることでもあった。「全ての演奏者間の相互作用が、そしてあらゆるおもしろいことが、リズムの中で起こっている……トーキング・ヘッズと一緒にやった音を聞くと、最初から全く比べ物にならないほど間が抜けていた。もうトーキング・ヘッズを聞いて楽しい気持ちにはなれないよ。他のことではまだ楽しめるけど、リズムに関してだけはもう全く気持ちが高揚しない。すごく幼稚に聞こえてしまって。」

(略)

例外的に、ハイドン弦楽四重奏曲モーツァルトの協奏曲の、ゆっくりした曲について言及したことがある。一九八六年にイーノは、このような音楽の何に魅力を感じるのか、説明している。それは、「感情的な起伏をつくり出すのではなく、非常に長い間安定した、一定の感情的状態をつくり出す。言わば静止した音楽だ」という。

(略)

 最近のイギリスのクラシック音楽にせよ、ハイドンのゆっくりしたテンポの曲にせよ、イーノを引きつけたのは、明らかにその美的感覚であり、言い換えれば、制限とバランスを重視し、理性的にも感情的にも極端な位置から引き下がる感覚である。彼が最近の実験音楽を批評するに際しても、似たような判断基準が見られるようだ。

(略)

ヴィレッジ・ヴォイスの記事は以下のように記している。「イーノが言うには、実験音楽には理性が過剰であり、官能的な面が不足している。大衆を心服させるカリスマ的な魅力を持つことは、便利でもあり、必要でさえあることだ。実験音楽の作曲家は、自分の作品を売ることについて、もっと考えねばならない、と語った。」

(略)

イーノは自分が音楽制作と録音に多大なテクノロジーを用いているにもかかわらず、一貫して、心のないエレクトロニック・ミュージックを批判してきた。

(略)

コンピュータ・ミュージックの大きな問題は、それが誰にでも使える使いやすさを持っていることだ。使いやすいけれどもテクノロジーには、人間的な要素がない。エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」のような音楽は、コンピュータ・ミュージックには全く有り得ない。誰もそんなものをコンピュータで作れるとは思わない。

(略)

彼は、トーキング・ヘッズのレコーディングでバハマにいた時にラジオで聞いたあるゴスペル・レコードが、いかに自分の「人生を変えた」かについて、一九八六年に回想している。

(略)

こんなに簡単な基本形式で、それがこんなに個性的で多様に変化するなんて。ゴスペルはたいへん生気に溢れていて、変化し続けている。伝統的なスタイルは保ち続けながら、新しいスタイルが出てくるんだ。

(略)

彼がフォーク・ソングについて気に入っていることのひとつは、そのでまかせの和声法の感覚だろう。

(略)

[民衆音楽には]理論的には間違っているが、奇妙で愉快なハーモニーが含まれている。なぜそのようになったかというと、誰かひとりが、他の歌い手たちが歌っている音域で歌えなくて、そのため単純に上か下に移動して何か妙な間隔を置いた高さを見つけ出し、前と似たようなハーモニーにした結果、そうなったんだろう。民衆音楽にはしばしば、このように限界を長所に変えるセンスがある。

(略)

[日本の音楽について]

家の中で、静かな夜に物音に耳を澄ましていると、ささいな物音を実に楽しんで聞くことができると気がつく。実際それらが平穏な程度の音の方が、私にとってはおもしろい。たとえば私は、尺八と琴の音楽が大好きだ。それは、とても広い空間感覚を持ち、音の高さが非常に制限されているからだ

次回に続く。