ブライアン・イーノ エリック・タム その2

前回の続き。

アート・スクールでの教育

 イーノは、アート・スクールでの教育が「制作のプロセス」に重きを置いて行われていたことを強調している。芸術的行為の残留物である作品よりも、芸術のプロセスに宿るコンセプトのほうがより重要であるというのが、一九六〇年代の前衛の哲学の主要な提言であった。このような状況の中でイーノは、時代の風潮にぴったり合った研究作品を制作した。イプスウィッチの録音機器を用いて、彼は最初の音楽的作品を作った。それは大きな金的属性のランプシェードを叩く音を録音し、そのテープの再生速度を変化させたものだった。その結果としての作品は、単に金属を叩く音だが、テープを加工するプロセスに意味があるのだ。また彼は、「音の彫刻」といえるようなものを作成した。例えば、垂直に立てた円柱の頂上に大きなラウドスピーカーを取付け、そのスピーカーにさらに様々なオブジェを張りつけたものなどである。そしてそのスピーカーは音の振動に従って様々な方向に動くのである。またある時、イーノは公園の樹木にラウドスピーカーをいくつもつりさげ、そのひとつひとつに別々の音楽をつないで放送したりした。あるいは、絵を描いてそれを川の底に設置したりもした。イーノはただ単に絵を描いただけの作品というのはめったに作らなかった。彼は、キャンバスを埋めて絵を完成させるのが退屈でやりおおせず、「作品をつくるための設計図」を作ることの方がおもしろかった。

(略)

音楽は、プロセスが即座にその結果にフィードバックされるという点で、絵画より手っ取り早い。さらに音楽は、絵画よりも「より感情的な訴求力を持つ」とイーノは考えていた。けれども彼にとって音楽の何が最も興味をそそったかというと、パフォーマンス的な側面よりも、テープレコーダーの可能性であった。(略)

「テープレコーダーを使うと時間を切り張りして遊ぶ事ができると気づいたんだ。つまり、いったん保存しておいた音を自分の好きなように加工して取り出せる。このことによって音楽は塑造芸術になる。これに気づいて私は絵画より音楽の方がずっとおもしろいじゃないかと、目から鱗がおちるような気持ちになった。」

(略)

 しかしながら遅くとも一九八一年までには、芸術と称する自己肯定的なくだらない抽象作品が増殖していくのを見かねて(略)イーノは、プロセス自体を芸術作品とみなすことのおもしろさに耽溺しすぎるのはよくないと考えたのであった。

(略)

プロセスがおもしろければ、それで良いと考えられているけれど、わたしはそれだけでは満足できない。心の琴線に触れないものは、意味が無いと思う。魅力的でなくちゃいけないんだ。

 

 イーノはかつて、ナム・ジュン・パイクのマルチ画面を用いたヴィデオ・インスタレーション作品や、ウィリアム・バロウズの「カット・アップ」の技術を真似た作品を批判していた。(略)

「確かにカット・アップはおもしろい。けれど、大切なのはその中身だ。

(略)

ケージの教えをきっかけにして、イーノは常に自分の耳を使って環境を探知し、音楽がない時でも、音楽を聞いているのと同じような状態に、自分を置いている。彼はよく、ミュージシャン、特に高度な電子機器楽器の魔力に追従する者達が、自分の出している音を聞いていないといって批判している。

垂直の構造

 イーノの音楽のほとんどは、垂直の構造を重視して成り立っている。旋律の直線的な (水平の) 繋がりよりも、垂直な透明水彩のような音の重なりが主体になっている。イーノの音楽はどこで縦に切っても、ある独特の音色が切り口に発見される。そして曲のおもしろさは、主題を中心にした展開(これは多くの西洋芸術音楽が長きに渡って基本にしてきたものだ)よりは、音の色彩の相互関係にあるのだ。ハイド・パークにたたずんでイーノが聞いているのは、複合的で環境的な、曖昧な音楽であり、そこでは水平方向の技術や、直線的発展を遂げる論理は不必要なのだ。このような垂直方向の音楽的実験であっても、通常の楽器を用いることは差し支えないようだ。

(略)

彼はピアノが特に好きらしい。

 

(ピアノは)音が複雑だから好きだ。サステインのペダルを踏みっぱなしにして、何かキーを一つ叩いて、それをじっと聞いてごらんよ……これは私の好きな実験のひとつなんだ。私はよく一時間も二時間もピアノの前に座って、ただ「ジャーン」と弾いては音が消えるまで聞くことを繰り返すんだ。ピアノによって音の鳴り方は全く違うんだよ。和音全体がゆらゆら揺れながら行ったり来たりして、一つの音が聞こえたり聞こえなくなったりする。動きの早い音もあればゆっくり動く音もある。私にとっては時がたつのを忘れるほどうっとりする実験だ。

 

 イーノはピアノの和音で聞こえる音を、平均律の観点から論じている(「平均律に関する本はたくさん出ている。おもしろいテーマだ」と彼は言っている)。ピアノの五度や三度などの音のチューニングがほんの少しはずれていると、音は垂直方向にたいへん味わいのあるものになるというのだ。「以前は、ピアノなんて感傷的な楽器だし、自分で調律できないし、と思っていた。でも今は、ピアノはすごく複雑な情報を発生させる楽器だから、そこがピアノのおもしろいところだと考えるようになった」

「非ミュージシャン」であること

技術の欠如が必然的に創造性を引き出すという点である。(略)イーノは以下のように説明している。

(略)

こういう光景はよくあるけれども、ミュージシャンがあるアイデアに行き詰まって、幾つもテイクを取り直して、時間を浪費している。ブルーズから何から技術を総動員してね。こういうのは、「ほら、見ろよ。俺は役立たずじゃないんだ。できるんだぞ」って自分自身を安心させているだけだ。私が思うには、こういう風に[技術に]依存するのは、幻想に過ぎないよ。いっそ「俺は役たたずだ」って言ってそこからスタートした方がいいと思う。技術をこういう形で介入させると、それにだまされて、本当は何もやっていないのに、まるで何かをなし遂げているかのように思ってしまう。

(略)

[ロバート・フリップも同様に]

注意を集中して、「その場所」に存在することが、大切です。(略)感覚と注意力が高められた状態でのみ、音楽は可能なのです。上手いミュージシャンがただ軽く演奏して、漫然と弾いていたって、そこには音楽と呼べるものは存在しないでしょう。それは、音楽を装っているだけです。そこには音楽のような、音楽の形式を持つ音があるだけで、内容が無い。機械的なものです。

アンビエント音楽

一九八二年のインタヴューで、彼はアンビエント音楽とその目的について、以下のように語った。

(略)

 私が[アンビエント音楽を]気にいっているのは、それが曖昧なものだからだ。それは、ある程度の自由な範囲を、私に与えてくれる。アンビエント音楽には、二つの主な意味がある。ひとつには、音楽に対するどんな聞き方をも許容する音楽、というアイデアだ。このことについては、マスコミが(彼らは全くいいかげんだから)、すなわちバックグラウンド音楽であるというような、非常に間違った解釈をして報道している。だが私の言いたいことは、音楽が背後にあるとか前面にあるとかいうのとは、だいぶ違う。

 ほとんどの音楽は、聞き手に対してどのような位置を取るかということを、自ら先に選択してしまっている。ミューザック[有線放送の一種]は後ろの方に、パンクは前の方に、クラシックはまたちょっと別の所に位置したがる。だが私は、聞き手が出たり入ったりできる何かを作りたかった。注意を払って聞いてもいいし、それが流れている時に何か別のことをしたければ、邪魔されないし……アンビエント音楽は、いろんなタイプの聞き方ができる。

 もうひとつの意味は、『オン・ランド』で、よりはっきりと打ち出されている。すなわち、ある雰囲気というか、聞き手の環境を補足したり作り変えるような場の感覚を与えることだ。この二つの意味が、「アンビエント」という語には含まれている。

(略)

イーノは、「意図が強烈すぎるあまりに聞くことのできないような音楽」に対して同調できないと語っている。

(略)

一九七四年頃までは、彼は自分の「ロックは今最も重要な芸術の形式だ」という宣言に自信を持っていた。あらゆるものを結びつけてしまうロックの力のことを、彼は自分で「大馬鹿者の元気さ」と呼んでいた。

(略)

[ロキシー脱退後]自分の立場をこのように説明している。

 

 そこ[イーノが入っていないロキシーの最初のアルバム]には、私の音楽的人生の中でも一番大切な要素のひとつが欠けていた。それは、狂気だ。(略)

 

 ロキシーの作品には、イーノにとって、「ぎこちなくグロテスクな魅力があった……ステージに異様な緊張感があって、それが私にはとても楽しかった」と言っている。

(略)

 ロック・ミュージックの中での私の役割は、厳密な意味での「新しい音楽的アイデア」をうまく実現させることではない。そうではなくて、いかに音楽を創造するかについて、新しい概念を発展させることなのだ。標準となり、確立されてしまっていることがらについて、それが本当にそれでよいのかという問題提起を、常に行っていたい。

(略)

イーノはケージのコンセプトを無条件で支持したにもかかわらず、自分が完全に前衛志向であるとみなされたいわけでもないようだ。また、芸術の塔の中に完璧に閉じ籠もりたいわけでもない。むしろ実際の聴衆のいる現実の世界と繋がった音楽をつくっていたいようである。

(略)

イーノとケージのインタヴューで、ケージが次のように言った。

 

 私が始めた頃には、二つの選択肢しかなかった。ひとつは、シェーンベルクの後を追うこと、もうひとつはストラヴィンスキーだ。だが現在、現代作曲家になりたかったら、いろんなことができるし、みんなそうしている……世界が変わったんだ。XかYのいずれかの主流に従うしかないという世の中ではない。

 

 するとイーノはすぐに同意して、「そうですね。あなたは神殿に入る義務はないし、そんなこととは全く無関係ですよ」と言っている。

 

 「私は、自分を無垢の位置に置いてくれるもの、聞き手の中の無垢の感覚を養うものを作りたい。」イーノはこのような意味のことを、違った形でいろいろな機会に言っている。

(略)

一九七八年に彼は一部のバンドを批評して次のように述べている。

 

 音楽そのものが、激情のほとばしりと馬鹿騒ぎの結果であるかのような幻想を、自分の音楽によって、聞き手に与えようとしているバンド[がある]。彼らの音楽は全部、感情の直接の結果だ。「おい、俺たちはこんなに感情的なんだ、これが全てだ」と言っているのと同じだ。

 私とか、多くの他の人々は、自分の中に感覚を導き出すような音楽を作るのだ。これは、かなり慎重な方法でやっていく。つまり、自分の望む感覚を呼び起こすような曲を注意深く構成していくのだ。

シンセサイザー、ギター

業界最高水準の機材よりも、機能の数が限られている安価なシンセサイザーを、彼は好む。これは、可能性を限定し、楽器をできるだけ完全に理解するための、彼の側の慎重な作戦とも思える。電子機器を使う人は、たいてい「より良いもの」という考えに魅了されるが、それが往々にして、音に対する思考と注意を欠落させてしまう。(略)一九八三年に、彼はこう言っている。

 

 私の興味は、より一層、低次元なテクノロジーの方向に移行している。つまり、何か面白くて独特のサウンドを持つものを発見する方に興味がある。本当にそこいらに転がっているような物だ。私は非常に多くの時間を、カナル・ストリート(略)で物を叩いたり、ネジ釘や金属ポットのたてる音を聞いたりしていた。(略)

ああいう機械[シンクラヴィアやフェアライト]から出る音は、私にとっては全くおぞましい。

(略)

イーノはこのシンセサイザー[ヤマハCS-80]の簡潔な点をほめている。「私にはうってつけだ。凡庸な音がたくさん入っているよりは、美しい音が六つ出る方がいい」と言っている。

 一九八五年までに、イーノはDX7を入手し、自分のお気に入りのシンセサイザーだと言っている。(略)

DX7は音色の新しい開拓を可能にした楽器である。「しょっちゅうDX7で作業をしていて、ある項目どうしの相関関係が面白いと思うことがよくあった。そこで、音響にかんする本を入手して、自分の発見したことが何なのか、またそれが普通の楽器とどんな関係があるか、調べたりした」

(略)

私のやり方は、楽器を前にしてしばらくそれを演奏してみるまで、マニュアルを引き出しにしまっておく。(略)もしその楽器が複雑な機器であった場合、マニュアルには書いていない、あるいは望ましいとされていない事が、少なくとも十五通りはできる。いつも私が興味を引かれるのは、そういったことの方なのだ。

(略)

 多くの人が、シンセサイザーの非人間的な明晰さに取り込まれていくのを私は知っている。でも私は、それが好きじゃない。それに私は怠慢なので、そのシンセサイザーの明晰さを真先に駄目にしてしまう。私は絶対に楽器を修理しないので、楽器はだんだん変になってくる。それにたくさんの補助的な装置も持っているが、これも殆ど修理しない。ちょっと不真面目に聞こえるかな。全く何も修理しないってわけじゃないんだ。実際には時々は何か修理してもらうこともある。でも往々にして故障の結果が面白いので、そういうものは放っておくんだ。

(略)

 音がひとつしか出ないギターを持っているんだ。弾くと気分がすっとするよ。シンセサイザーでは一万四千もの選択肢があるからね。その選択を楽器が先にやってくれると、嬉しい時があるね。

(略)

彼は一九七〇年代を通じてたったひとつのギターしか使わず、そのギターの特徴をよく把握し、自分の選択の範囲を限定することに満足していた。そのギターは小型のスターウェイ・モデルで、イーノは数年の間に、少しずつ故意にそれを消耗させ劣化させていった。弦は絶対に変えず、一番上の弦が切れても張り替えなかった。残りの五本の弦が古くなるにつれて、その音は純粋な正弦波に近くなっていった。そして結果的に、その音をシンセサイザーやファズ・ボックス等に入力したり、「後からいろいろ加工できるようになった」という。

(略)

例えばエコーをかけてからファズをかけるのと、ファズをかけてからエコーをかけるのでは、音の輪郭は異なる。従って、エフェクトによってつくり出せる音の可能性は無限に近いといえる。イーノは言う。「要するにエフェクターを使う一番の理由は、エフェクターによる特異な音の性質を取り入れることによって、元の完璧な音を、現実感のある音に変えたいからだ。音がどうなるか知りたくて、私は自分のシンセサイザーの後ろに、長々と幾つものエフェクターを繋ぐ。」

 イーノは、できる限りフット・ペダル付きの機材を使う。ここでも、その理由は、肉体的なコントロールの感覚があるからだ。

(略)

 イーノの使う音色のうち幾つかは、繰り返し使われることもあるが、総じて彼の作る電気的な音は、その場限りのものである。彼の音は体験主義的に構成されるので、ある特定の目的のために作られたあとは、削除されてしまう。非常に重要と感じた場合には、イーノはその作り方を記録しているかもしれない。けれども、このような手順を書き留めることによって創造性を損なうのを恐れて、彼は記録したがらない。「ずっと前から自分で決めている規則があって、今でもそれは守っている。それは、どんなにいい音をシンセサイザーでつくり出せても、絶対にそのセッティングを書き残さないという規則だ。(略)いい音を保存しておくと、いつもそればかり使うことになるだろう。そのせいで新しい音を作れなくなるのは嫌だから。」

インスピレーション

 すごく長い間、立ち泳ぎをしているような気分になることは、しょっちゅうある。劇的なことは全く何も起きなくて……そして突然あらゆることが、今までと違った形で、しっかりと組み合わされたように感じられる。そこでは、変更すべき要素が何一つ見つからない。まるで結晶化の作用点のようだ。諺にもあるでしょう、果実が実るのには、長い時間がかかるけれど、熟した果実は突然に落ちるって。

(略)

 いつも何か下らない作品を作っているのがいいんじゃなくて、作業のポイントは、良いものができる時のための体勢を常に維持しておくことだ。「今日何もアイデアが浮かばないから、ドラッグでもふかすだけにしよう」というのでは、意味がない。いろんなことが互いにぶつかりあいそうな時のために、常に油断なく構えていなくてはならない。

 いろんなことが、作品の創造のための要素になる。突然、技術的なことで何か考えが浮かんではっとするとか、気分や雰囲気、良い天気、ちょっと友達と話をしたとか、そういうことが同時に起こる。しかも、その瞬間は長くは続かない。まるで軌道上の星の巡り合わせのように、またすぐ擦れ違ってしまうんだ。

 いつも作業をしているのは、ある種の精神的な調子を作り上げるためだといえる。よく人が、体の調子を整えるために日常的に運動をするのと同じだよ。インスピレーションが来たら、機敏に対応しなくてはいけないし、その時はめったにやって来ない。一年に一回か、二回あればいい方だね。

(略)

 何かしなくては、といつも思い続けて苦しい思いをするのは、人が全く何もしていない時間の事を、低く評価してしまいがちだからだ。何もしない時間はとても大切な時間なのだ。それは、日々の生活の中の夢を見ている時間のようなものだ。あるいは、トランプのカードを集めて切り直すことにも似ている。だが、いつも間断なく緊張して働くというやり方だと、そういう事を許す気になれない。私が仕事の途中にはっきりと休息をとる理由は、ひとつには、疲れたというマイナスの方向の力を許可してプラスの方の推進力が起こるようにするためだ。

(略)

 自信に満ちあふれていて何でもできる日もある。しかし、特に私のようにバンドを持たずに仕事をしていると、第一段階を通り抜けるのにすごくエネルギーがいる。最初のうちは、ただリズム・ボックスが「ドンチャッ・ドンチャッ」、ピアノが「ジャン・ジャン」って言ってるだけだから。つまりあまり面白いものじゃないので、希望を持って進むとか、それが何かに変わると信じてやっていくための信念を持つのは、多くのエネルギーを必要とするんだ。そんなエネルギーが、無い日もある。

(略)

[イーノの作曲法]

第一の方法は、いつもマイクロ・カセット・レコーダーを持ち歩き、メロディ、リズム、歌詞など、ひょっこり浮かんでくるアイデアを何でも録音しておく。そしてイーノは定期的に、無数にたまった断片を拾い聞きして、「その中のどれかとどれかを組み合せられないかと、考えてみる」。組み合さるものがあれば、それを仮の「デモ」に作っておいて、後の使用に備えて自分のテープ・ライブラリーの中にしまっておく。第二の方法は、特に何のアイデアも持たずに録音スタジオへ入り、使える楽器や機材を調べて、もし是非使いたい楽器があれば、二つ位借りてくる。「それから音を出して遊んでいるうちに、何か特徴的なテクスチュアを持つ、曲の断片が現れるのを待つ。」このプロセスの中で、突然、音の全体のテクスチュアから、地理的な場面や子供の頃の情景を思い起こす事もある。するとその先はそのイメージが曲の発展を導いていく。

 第三の方法は、慎重に非音楽的な配慮をしてゆく方法だ。例えば、「よし、この曲は三分十九秒の曲にするつもりだから、ここと、ここと、ここで感じを変えて、ここでやることをがらっと変えて、ここではリズムを速くするから、最初はすごくゆっくり入っていこう」という風にやるのだ。時折イーノは方眼紙を用いて、このような方法をとる。(略)

そして第四の方法は、彼のプログレッシヴ・ロックのアルバムのスタジオ・セッションに代表される方法だ。イーノはよく、「普通なら一緒にやるはずのないミュージシャンを集めてグループにする」ことがある。そして、彼らの間の予想外の相互作用から、アイデアをつくり出すのである。五番目の方法については、「非常に数学的で構成的な原則に基づいて作品を作ったこともあったが、たいていはあまり成功しなかった」と語った。

音声詩

 イーノの歌詞の概念に影響を与えた、もうひとつ重要なものは、ヒューゴ・バル、クルト・シュヴィッタース、エルンスト・ジャンドル、リヒャルト・ヒュルゼンベックらの音声詩である。イーノはアート・スクールを出てすぐ、ほぼ六カ月の間、言葉の表記された意味や裏の意味を全く考慮せず、音声による「音楽的」な要素のみを用いて言葉を選び繋ぐという実験を行った。(略)

 

 音声詩は、[作曲家/演奏者として] 私が興味を持った、最初の音楽的領域だった。それはある種の偽装した音楽であり、そのために私はそれに夢中になったのだろうと思う。長い間私は音楽を聞くだけで過ごしてきたし、楽器は全くと言っていいほど演奏できなかったし、自分の声をコントロールする事できなかったから、私は本当にその時まで、そのような方面に自分が将来進むとは考えてもいなかっ+た。 (略)[音声詩を作る事によって]私はテープレコーダーを面白い方法で使い始めたから、そういう意味で音声詩は重要な転換点だった。自分の声を用いて作品を作り始めてまもなく、私は沢山の声を重ねて背景の音にし、その一番上に自分の詩を吹き込んだ。だからある意味では、この段階から、私はマルチ・トラックで作品を作るようになったといえる。

(略)

一九八五年にイーノとジョン・ケージが、余りにも重い意味を負った音楽は好きになれないと語り合った時、イーノは次のように付け加えた。「私も歌詞について同じ感覚を持っている。たいていの場合、そういう音楽を聞く気になれない。そういう曲は、音に比べて非常に非神秘的な何か、音楽を損ねる何かを、押しつける。」

(略)

 イーノが歌詞を書く方法は、常に「奇妙で複雑な」ものだった。彼は歌詞を書くために「自分を騙して」そうさせた。言葉は心の中の考えと感覚を露骨に暴いてしまうので、歌詞を書くことは自分を当惑させることであると、イーノは感じていた。言葉を書く為には、彼は自分の中の批判的な声を黙らせる方法を探す必要があった。

 

 歌詞を書く時、私はよく、ただバックの音に向かって大声を出す事から始めて、次第に音節やリズムの組織を組み立てて行き、私が欲しいと思う種類の音声を見つけて、この段階で、その音声に合う単語を入れて埋めていく、という方法を使った。(略)こうすると、音から言葉へ、言葉から意味へと詩が作られていくので、人々が通常歌詞について考えているのものとは全く違ったものになると思う。

自由な個人

あるインタヴュアーが、「今、西洋文化の中で最も過大評価されている考え方は何だと思いますか」という厄介な問題を問いかけた時、イーノはこう答えた。

 

 ええっ。そうだね。私が思うには、自由な個人という考えではないだろうか。それは、すごく過大評価された欲望で、アメリカ社会はこの症状に満ち溢れている。人々は、互いに他人とは違うという非常に偏狭な考えを持っているが、この違いというのは私には、表層的に思える。人々が似ている所は他に沢山あるのに、この文化全体の口調は違いばかりを強調して、似ている点を無視する。人々は自分のものを何だかんだと欲しがるように追い立てられて、これらの外見的なものばかりが個人の属性の全てだと信じこまされ、彼らはそれなしでは完成しない。こういうのが、消費社会の基本だ。

「アート・ディケイド」「センス・オブ・ダウト」

 この曲[「アート・ディケイド」]は、[ボウイが]ピアノで弾いたちょっとした曲から始まった。実際には、我々二人ともピアノを弾いた……というのは、それは手が四つ必要なつくりだったから。そしてそれを演奏し終わった後、彼はその曲をたいして気に入らなかったので、何となくそれについては忘れてしまっていた。けれどもたまたま彼が二日間留守にしていた間に、私は……それをもう一度ひっぱり出してきて、何か私ができることはないかと考えた。二人で演奏したものの上に、ああいった楽器の音を私が重ねてみたら、彼はそれを気に入って作品になりそうだと考えたので、彼がさらにその上に楽器の音を重ねたんだ。

(略)

 ボウイとイーノは、『ヒーローズ』の制作時には、『オブリーク・ストラテジーズ』のカードを頻繁に用いた。(略)

「センス・オブ・ダウト」を作っていた時には、各自がひとつのカードを引き、それを相手には秘密にしておいたという。

 

 それはゲームのような感じだった。私達は代わる代わる作品に着手した。彼が音をひとつ重ねると、次は私の番だという風に。アイデアとしては、各自が自分のオブリーク・ストラテジーのカードをできる限り厳密に遵守しなければならないというものだった。そして後で見せ合ってみると、互いのカードは全く正反対だったということがわかった。私のカードは、「できる限り全てが同じとなるように作れ」という意味のもので……彼のカードは、「違いを強調せよ」だった。