カール・シュミット――ナチスと例外状況の政治学

 

 出自による疎外感

シュミットが生まれた頃のドイツにおいて、カトリックプロテスタントと比べて少数派だっただけでなく、エスタブリッシュメントからは排除されがちだった。ドイツの大学教授にはプロテスタントの裕福な市民階級の出身者が多く、比較的貧しい中産階級出身でカトリックでもあるかれが、後に大学教授の職に就き、最終的にはベルリン大学教授の地位にまで昇りつめたのは大きな「出世」であった。才能と野心に溢れる若きシュミットは、プロイセンプロテスタント中心のエスタブリッシュメント、とくに教養市民層から疎外された少数者意識を、むしろ活力の源として活動を開始しただけでなく、生涯にわたってもち続けていた。時にかれの著作のなかにやや唐突にエスタブリッシュメント への反発が露出してくるのはそのためである。かれには学者世界の「マージナルマン (周辺人)」という性格がつきまとっていた。シュミットやハイデガーといった二十世紀ドイツを代表する思想家を理解する上で、カトリックの下層中産階級という出自が重要な意味をもっている。カール・レーヴィットは年若い師でもあったハイデガーについて、「メスキルヒ村の極貧層の出で、ひどく切りつめた暮らしのなかで大学の学業をやりとげていた」と述べている。ハイデガーが「ゆとりのない境遇の出身だということは、あとになっても見まがえようがなかった」(略)

ハイデガーが教養市民層のエリートたちの間で疎外されていたのは明白である(『ナチズムと私の生活』)。ハイデガーほど貧しくなかったにせよ、シュミットもハイデガーの疎外感を共有していた。

(略)

学位論文は『責任とその種類』と題され、新カント派的な二元論の立場から当時有力だった一元論的な法実証主義的立場を批判している。当時シュトラースブルク大学は新カント派の牙城のひとつだった。法実証主義においては国家によって制定された実定法の権威が強調され、実定法の上位にある倫理や規範は認められなかったのに対し、新カント派は実定法を超える高次の規範があると考えたわけで、学位論文執筆時のシュミットもこの立場に与していた。かれがこうした立場に立った背景に、かれのカトリック的な価値観があったのは言うまでもない。シュミットは、皇帝を頂点にいただき官僚と軍隊によって支えられた、帝政ドイツの権威主義的国家体制のもたらす秩序と安定感を、歓迎していた。

政治学の神学的基礎

 「例外状態」に対応する事態は、神学において以前から取り上げられてきた。「近代国家論の重要な概念はすべて世俗化された神学的概念である」というよく知られたシュミットの言葉は、神学における神が世俗化され主権者となったのに対応して、神学における奇跡は世俗化されて例外状況となったことを示している。例外という方法概念の基礎にはこのような政治神学があった。

(略)

十七世紀から十八世紀の神概念において、神は世界を超越した存在とされており、それに対応してトーマス・ホッブズの国家哲学にも、国家に対する主権者の超越性という思想が含まれていた。ところが十九世紀になると、もはや神も主権者も超越性を失う。主権者は世界へと内部化され、すべてが内在的観念に支配されるようになる。この傾向を代表するのがヘーゲル哲学だった。壮大に体系化されたかれの哲学は徹底した内在哲学であり、そこで神の存在は認められていても、世界のなかに引き入れられており、世界を超越するものではない。教養人は「超越性」という観念を失うと、内在論者になるか、「形而上学的なもの」に対し無関心になるかのいずれかであり、極端な場合には無神論者になった。いずれの道を行くにせよ、例外に関する感覚は衰退する。

「中心領域」の変遷 

 マルクスは経済に注目し、経済的下部構造が法・政治や文化的上部構造を根本的に規定していることを明らかにした。(略)

ウェーバーは宗教とそこから自立(自律)しようとする諸領域の緊張関係に注目した。

(略)

 これらの考えとの対比で言えば、シュミット は政治という一種の下部構造に注目し、諸領域の相互関係において政治がどのようにみられていたかを問題にした。転換期としてかれがとくに重視したのが、宗教・神学から諸領域が、とりわけ政治領域が解放された時期、すなわち、ホッブズ やジャン・ボダンの時代である。この時代はアナーキーな宗教的内乱の時代でもあり、生命の安全、宗教信仰、秩序の樹立が優先的課題だった時代でもある。その課題に応えられるのは主権国家しかありえない、というのがホッブズの同時代的経験だった。近代国家が確立して以降は、生命の危機や社会のアナーキー化を生み出すもととなる「政治的なもの」をできるだけ排除、もしくは最小化することが、実践的にも認識論的にも主要な課題とされた。

 その課題を担ったのが市民階級であり、かれらのイデオロギーである自由主義ロマン主義は、いずれも「政治的なもの」を排除しようとする脱政治的な思想である、とシュミットはとらえていた。

(略)

かれにとって「政治的なもの」を徹底して排除することは元来不可能であり、そうした試みは所詮成功しない。政治において中立はありえないのである。「政治的なもの」に代わって市民階級は、十八世紀には人間や道徳を、十九世紀には経済をもちだし、「人間・道徳」と「経済」を「中立的領域」として「中心領域」に格上げをした。

(略)

 シュミットはヨーロッパの教養人の精神史を「中心領域」の変遷として描き、十六世紀は「神学」の世紀、十七世紀は「形而上学」の、十八世紀は「人間・道徳」の、そして十九世紀を「経済」の世紀、ととらえた。(略)

確実で明証的な領域であり、それゆえそこにおいてならば、相互理解や和解も可能であり、普遍的な平和も実現できると期待された領域が「中立領域」とされた。次に、「中心領域」とは意味の中心領域でもあった。十八世紀の場合、「進歩」という言葉に意味を与えるのは中心領域としての「人間・道徳」の領域であり、進歩とはすぐれて人間的・道徳的完成を意味した。そして中心領域の第三の意味は、諸領域の相互関係における「中心領域」の優位という点にあった。十九世紀の場合、経済が中心領域なので、それ以外の領域の問題は経済領域から解かれるべき「副次的問題」であるとされた。経済はそれ自身の外部をもたない内在性の世界であり、「中心領域」は超越性を失ったのである。

 それでは中心領域はなぜ、どのようにして変化していくのか。シュミットはヨーロッパ精神史を貫く「中立領域の追求」、言い換えれば、非政治的領域の追求という教養人(知的エリート)の根本動機によってその変遷を次のように説明する。当初、相互の和解が可能だと期待された中心領域も、長期的には安定的に自足することはない。やがてそこにも「新たな利害対立」が発生し、中心領域も中立領域としては衰退し、相互の了解と和解の場として機能しえなくなる。中立領域でもあった中心領域はいまや利害対立の「戦場」へと変貌する。以前の中心領域は中立領域としての資格を失って「捨象」され、別のところに中立的な領域が求められ、やがて新たに「中立的」とみなされた別の「中心領域」が生まれてくる。(略)

[これが繰り返され中心領域は]

「神学」から「形而上学」、普遍的「道徳」、そして「経済」へと、歴史的に変遷していく。そして二十世紀に入ったいま、「技術」が「中心領域」になりつつある。

 このような中心領域の変遷史に関してシュミットは二つの論点を指摘する。第一に、中心領域を移すと、そこに絶えず「新たな戦場」がつくりだされるという、この種の発展に固有の「弁証法」である。

(略)

従来中立領域であった中心領域が、争いの場と化すことによって中立領域でなくなり、中心領域としては排除されると、中立領域でないという理由で排除されたその同じ領域が中立化される、という弁証法的展開がみられることを、シュミットは指摘している。

(略)

神は現世的秩序の外部にいる絶対的な他者であったが、十八世紀以降神は現世内に移されるだけでなく、十九世紀にもなると現実生活の対立抗争に干渉しない「中立的存在」とされ、神としては無力化される。ここで無力化されるというのは、神や信仰の問題が「興味深い私事」となって新たな中心領域を規定する力をもたなくなることであり、新しい「中心領域」からみれば、神学の領域は「中立化」されたことになる。

(略)

第二の論点は、二十世紀において「技術」のうちに「究極絶対の中立的基盤」を見出したという「技術信仰」が一般化したことである。(略)

技術の利点は誰にでも明らかで、しかもそれは万人に奉仕する。そして神学や形而上学、道徳においてはもちろん、経済においてさえ対立する議論の解決は容易でなく、永遠に議論が尽きなかったのに対し、技術の領域の問題においては一義的に明快な解決が可能であるように思える。

(略)

二十世紀はあらゆる領域が技術の支配に服し、技術化される時代である。

(略)

二十世紀になったいま、「政治的なもの」が抹消されるだけでなく、およそ文化全般が捨象される「精神的無」の時代が到来する。「中立領域」を追求してきた結果到達したのが、「精神的無」、「文化的死」の状態であるというのはゆゆしき事態である。

(略)

こうした状況の到来に不安感をもっていたのが、シュミットより年長の、ウェーバーやエルンスト・トレルチ、ヴァルター・ラーテナウといった、一八六〇年代生まれの思想家世代だった。

(略)

[しかし]シュミットはかれらの時代の診断から距離をとっている。かれらの文化批判は、時代から傷を負っていない「冷静な認識」に由来しているだけでなく、「技術的なもの」に「無精神」あるいは「精神喪失」しかみない、上からの高踏的な見方に思えたためであろう。

 シュミットによれば、「技術的なもの」はウェーバー世代の考えるような「精神的な無」なのではなく、ひとつの「精神」である。それは「自然に対し人間が無限の支配力をもっていることへの信仰」であり、人間的自然を含めた自然は人間にとっての限界を意味するのではなく、そうした自然の制約を無限に後退させることが可能であるという信仰、言い換えれば、自然に制約された現実の人間存在が技術によって絶えず変革され、人びとに「幸福」をもたらすことへの信仰でもある。(略)

二十世紀的現代とは人間的な自然を含めた自然一般を、技術によって限りなく支配しようとする「技術的精神」の時代である、とされる。「精神の闘争相手は無精神ではない。精神は精神と、生は生と闘うのである」。 

 「決断主義」「政治の世界」

シュミットにとって、決定は規範とは無関係に独自の意義をもっている。言い換えれば、決定は誰によってなされるか、あるいは何のためになされるかに関わりなく、決定されることそれ自体が重要である。法が存在し、有効に機能している場合も、法規範のおかげなのではなく、主権者の決定が法を支えている。

 しばしばナチ期にいたるシュミットの思想的歩みは、帝政期の「規範主義」からワイマール期の「決断主義」を経て、ナチ期における「具体的秩序の思想」への転換として説明されている。政治的秩序を保証しているのは、道徳的規範でも法でも経済的なものでもなく、主権者の決定なのであるという決断主義的認識は、とりわけワイマール期の著作で強調されており、なかでも『政治的なものの概念』や『政治神学』はその代表的な文献である。

 しかし後にシュミットがナチス体制に加担し、「決断主義」に代わって「具体的秩序」の意義を重視するようになると、次第にかれの政治思想にも変化が生まれてくる

(略)

シュミットは、中立化し「脱政治化」した現代の幸福主義を否定し、「政治の世界」を対置した。かれの言う「政治の世界」は必ずしも「良き秩序」「良き世界」である必要はないし、それを目指すべきだというわけでもない。(略)

「政治の世界」とは、真剣な世界であり、ひとが娯楽に興じることなく真剣に生きることを保証するものだった。(略)

おのれの属する集団が政治的に結束し、他の集団と敵味方関係になる可能性に発する緊張感であり、それが「真剣さ」の根底にあった。

 シュミットは「政治のない世界」を描くことによって「政治の世界」の特徴を逆照射する。「政治のない世界」とは友と敵を区別することのない世界である。

(略)

それは素晴らしい世の中だと感じるひともいるだろうが、シュミットにとって、それは個人主義的世界の極致であると同時に、「真剣さ」を要求されることのない世界だった。

ヒトラーベンヤミンの議会観 

ヒトラーの叙述によれば、当初かれは議会を「憎悪」してはいたものの、議会を通した政治以外の形態があるとは思えず、議会制度それ自体を否定しようなどとは考えてもみなかった。(略)

だがみずからオーストリア議会の実態を何度も目の当たりにするに及んで、次第に議会主義そのものに疑念を抱くようになっていった。

 傍聴席の眼下に展開されている議会の「あわれむべき光景」を見るや否や、ヒトラーは憤慨した。議会での演説や議案の知的水準の低さに唖然としただけでなく、無内容で大げさな身振り、あるいはまた議員自身やる気がなく退屈しきっており、あくびをしている様を目にして、「笑わずにはいられなかった」。議員たちは、無責任であるどころか、そもそも責任をとるだけの能力が欠けているように思われた。こうした光景を何度も見させられ、やがて議会そのものを認められなくなっていった、と回想している。このようなウィーンでの経験はワイマール期のヒトラーにも生き続けた。

 ヴァルター・ベンヤミンは論文「暴力批判論」において議会を「みじめな見世物」と批判している。ヒトラーの議会観が実際の見聞による印象論的慨嘆を基調とするのに対し、ベンヤミンの議会観は暴力と法の関係をめぐる理論的考察に立脚している。かれによれば、「ある法的制度のなかに暴力が潜在している」という認識が失われると、その制度は没落していく。現在では議会制度がその一例である。議会は暴力を用いずに問題を解決する制度であると言われているが、その起源をたどっていけば、もともと革命的暴力によって成立した。成立当初は始源の暴力に対する感受性がまだ生き生きと保持されていたが、やがて制度が日常化すると、その起源において脈打っていた「革命的暴力への感覚」も失われていく。議会を生み出した力そのものが暴力であるし、その結果制度化された議会が発布する法もまた法に服さない人民に暴力を行使できるという意味で、議会のような法的制度は二重の暴力行使に立脚している。議会において暴力の危険性は形式的に合理化されているにすぎない。

 自由主義と民主主義の異なる原理

政治的支配の根拠を人民の同意によって基礎づけるロック的な主張は、社会に定着していくと同時に、直ちに問題的性格を露呈する。形式的意味での「人民の意思」の正統性が普遍的に承認されたその瞬間に、「人民の意思」の内容的自明性が崩壊し、問題視されるようになった。

(略)

 そこで自由主義がとった、「形式的自由」を普遍的には認めないという政策は、シュミットにとって典型的に民主主義的な対応である。

(略)

その条件が特定の政治的共同体に所属するということであり、その共同体によって実現される特定の生活様式に忠誠を誓うことでもあった。

(略)

このように十九世紀段階になると自由主義のいう「人民」とは、人びと一般、人類ではなく、特定の政治的共同体への忠誠を誓ったひとを意味するようになる。

(略)

このように形式的自由を制限した自由主義は、もはや古典的自由主義からは逸脱し、自由民主主義に変貌している。シュミットは『議会主義論』において、自由主義と民主主義が結びついたことを問題視した。自由主義と民主主義は異なる原理に立脚していたからである。自由主義は非政治的な主張であるのに対し、民主主義は政治的な主張である(『憲法論』)。例えば、両思想とも「平等」をキーワードとしているが、その実質的意味はちがっている。「人間はすべて平等である」という自由主義の平等論は政治的主張ではない。政治的内容をもつ主張には、人間を政治的に区別する論理が必要だが、自由主義の人間平等の理念には、政治的基準のみならず、法的基準も経済的基準も含まれていない。人間は生まれながらに平等であるという自由主義的主張には、不平等という相関概念が欠落しており、政治的概念にはなりえない。 シュミットにとって、この自由主義的な平等の理念は概念上も実際上も、空虚な、「どうでもよい」(『憲法論』)平等であった。

(略)

民主主義は人間を「無差別」に扱うのではなく、「区別」することができる。例えば、近代において一般化した「国民」であるか否かの区別に基づいて、国民の範囲内で平等を考えるのが民主主義である。

 シュミットによれば、民主主義とは一連の「同一性」である。支配者と被支配者が、統治者と被治者が、あるいは命令者と服従者が同一だという、きわめて形式的に理解された民主主義論である。民主主義の本質的前提は実質的な平等にあった。民主主義に立脚した国家は支配と被支配の区別が何らかの質的な差異を表したり、生ぜしめたりすることを認めない。民主主義による政治は何らかの実質的差異に基づくものであってはならないのである。

 この点で民主主義は、支配者の権威を「人民のもっていない何か高次の特性」によって基礎づける「君主主義」と根本的に対立している。民主主義的統治は統治者が被治者よりも何か質的に優越しているということに基づいてはならない。「統治者は実質的に民主主義的平等および同質性の枠内にとどまって」いる必要がある。民主主義における政治的支配は支配され統治される者の、つまり「人民」の「意思、委任および信任」だけに基づいており、その意味で「被治者は自分で自分を統治している」のである。民主主義とは人民の自己統治、自己支配であるというシュミットの定義はこのような意味であろう。

 こうして民主主義にとっては内部しか存在せず、外部はありえない。民主主義的思想は、「必然的に内在観念において動く」のである。神であれ、何らかの形而上学であれ、内在性の世界から脱出して獲得される外部なるものは、人民の内部に高低、上下といった質的差異をもたらすので、民主主義の根本原則である同一性とは相容れない。こうして民主主義体制において、国家の正統性根拠は王朝から人民(国民)へと転換した。

シュミットとロマン主義

 だが、もともとシュミットにはロマン主義に対し心情的には共感を寄せていたふしがある。一九一〇年代のシュミットは同時代のロマン主義的な詩人、テオドーア・ドイブラーに関心を寄せていた。同時期の著作『国家の価値と個人の意味』にはドイブラーの詩句をエピグラフに掲げているし、一九一六年には小冊子ながら(略)文学史的には無名に近いドイブラーの代表作と言われる長大な叙事詩「北極光」を分析した。

 そこでシュミットは、「北極光」において「ロマン主義的な解釈意欲」が支配している、と述べているが、そのドイブラーの意欲に対しシュミットのロマン主義的感性が反応している。かれは世俗化した時代について右の小冊子でこう書いている。

正義は権力になってしまった。誠実は計算可能性に、真理は一般に承認された正しさに、美は良き趣味に、キリスト教は平和主義的組織になってしまった。……善悪の区別に代わって、細かく細分化された有用性と有害性が現われたのである。

 シュミットが『政治的ロマン主義』を発表して以降、ドイブラーとの関係は疎遠になったが、それでも第二次大戦後の小著『獄中記』には数ページにわたるドイブラーに関する記述があり、シュミットがロマン主義的心性と本当に訣別しえたのかどうかは疑問である。

 とはいうものの、シュミットの『政治的ロマン主義』の論旨は一見明快である。ロマン主義は芸術運動たるべきであり、政治運動化した場合、政治に固有の決断する能力が欠けており、無責任な態度に陥らざるをえない。

(略)

 シュミットの「ロマン主義論」は近代個人主義の批判として読むことができる。とくにかれは個人主義の根本的志向性を批判した。個人主義にとって重要なのは個人の生命と自由であり、個人の固有性である。個人主義がおのれの志向性を貫く限り、個人は孤立性を深めるだけで、そこから共同体は生まれてこない。個人主義には政治的共同体への積極的志向性が欠けている。

(略)

政治とは生々しい利害対立の場であるはずだが、自由主義的個人の依拠する理性的な討論が成り立つには、市民的個人であると同時に理性的個人であるという同質性が必要とされる。しかもかれらは政治という利害対立の場で理性的解決を探る際に、政治問題を巧妙に回避し経済と倫理の問題に解消しようとしている、というのがシュミットの自由主義批判の核心だった。

 経済的利害対立は理性的討論や倫理によって解決できるという自由主義的個人の想定を批判したのがロマン主義的個人である。ロマン主義にとって、自由主義的個人が想定していた同質性は成り立たず(あるいは崩壊し)、もはや頼りになるのはおのれにのみ固有なもの、つまり個性だった。ところが伝統なり常識なりおのれに固有でないものを捨象し純粋化していけばいくほど、かえって個人の内実は空虚にならざるをえず、個人の自己同一性さえ危ういものになる。

 このようなロマン主義的個人につきまとう矛盾を鋭く批判したのが、シュミットの『政治的ロマン主義』だった。

次回に続く。